13-41 降り立つ桃色、そして赤。
落下物を見てすぐに方針を決めて駆けだした黄泉路だったが、さすがに外周までの道のりが入り組んだ迷路になっていること、撃ち落とされた位置と落下物が完全に浮遊島の地表に落ちる猶予が短かったことから、落下の瞬間や落下地点を黙視することは叶わなかった。
迷路と化している想念因子結晶の透明度があることで方角自体は見失わずに済んでいるものの、淡く色づいた結晶であっても多層に折り重なってしまえば遠くの景色を見通すことなどできはしない。
「(方角はズレてないけど、遠回りした分距離が長く感じる……だけじゃないなこれ)」
体感として、黄泉路は自分の現実の身体が時折違う場所に飛ばされているのを感じながらも、感覚を研ぎ澄ませて結晶の内を通る流れを追いかける。
空間に作用する能力が働いている事は確実だが、黄泉路はそれに対処する能力はない。それは能力系統が違う故にどうしようもないことでもあった。
これが先ほど別れたルカのように結果的に時空間に干渉しうる能力であればもう少し肌感覚による対処も出来たかもしれないし、姫更のような専門家であれば苦も無く対処できただろう。
「(自分に出来ない事を気にしても仕方ない、けど、姫ちゃんは大丈夫かな……)」
連想の過程で頭に過った姫更の安否、しかし、黄泉路が心配しているのは姫更が無事に撤退したかどうかではなく。
「(無理して動き回ってないと良いけど)」
姫更のある種の責任感。あるいは行動力に対してであった。
能力によって物理的制約のほとんどを無視してしまえる姫更は元より、その性格や態度とは裏腹に行動力の化身とも言うべき奔放な行動範囲を持っていた。
廻が良くそれに乗っかって動き回っていた事だけは把握しており、廻であれば無茶も無理も控えるだろうという信頼もあってふたりが自由に動き回っている間のことは詳しく知らないでいた。
だが、蓋を開けば今回の突入への布石と言い、黄泉路達の未来を助ける為の先手先手の仕込みをしていた事実が発覚した今となっては、廻というストッパーの手が届かない場所で姫更が動き回れるという事実に一抹の不安を覚えてしまうのだ。
「(姫ちゃんも戦えないわけじゃないけどね)」
全く戦闘が出来ないというわけではない。むしろ、転移を駆使すれば凡百の能力者には決して負けないだろう強さを持っているのは間違いないだろう。
けれど、日頃から後方支援として飛び回らせており、今よりもまだ幼かったころから知っている黄泉路からすれば、姫更という少女は変わらず庇護対象であるという意識の方が強いのだった。
「(――流れが太くなった。それに流れ自体の向きが変わり始めてる……外周が近いってことだと良いんだけど)」
壁の中を流れる魂とも、力――指向性を持った想念因子――ともいえるそれを追いながら、幾度目かの空間跳躍を踏んだことで黄泉路を取り巻く迷宮内の雰囲気が変わる。
それまでは色素の薄い結晶が乱立し、頭上高くを覆う天蓋へと結ばれて巨大な迷宮を形作り、全体に接合された結晶の内部を通って産み落とされた結晶人間が徘徊すると言った具合だったのに対し、現在黄泉路を取り巻いているのは濃く深い色合いをした結晶の山とも言うべき1個の巨大な塊が行く手を阻むように聳え立つものであった。
当然、それまでのように薄らとすらもその先を見通すことができないが、その内側を流れる想念因子の流れそのものを肉眼ではない知覚として感じ取っている黄泉路には、その壁が外壁であると予想させるに十分なもの。
「……塔があっちに見えるってことは、方角はあってるはず」
背後を振り返り、天蓋を透かす様に遠くを見上げれば、行く手を阻む壁とは違い積層の薄い天蓋越しに光を反射しながら天に向かって突き立った巨大な威容がぼんやりと見え、その方角と太陽の位置から黄泉路は自身のおおよその位置を理解して再び正面の壁へと目を向ける。
「(あとは、この流れがどこに集約されているかだけど)」
塔へと向かうにつれて細くなっていた力の流れだ。となれば当然外周に集積地点もしくは吸入地点があると予想した黄泉路だったが、具体的にそれがどのような形で、どのような存在をしているのかまでは分からない。
突入してまださほど時間はたっていないとはいえ、今も地上では三肢鴉をはじめとした人々が奮戦している。加えて、
「(……遠くから吸い寄せられてる感覚が、だんだん強くなってる。急がないと)」
我部が行っているであろう全世界からの魂の収奪。その兆候が強くなっていることを肌身で感じている黄泉路は、現在も世界中から集められているであろう能力者の魂、そしてその能力が我部の手中に収まり続けている事に強い危機感を抱いて足早に流れの集約点を目指す。
「(結晶人間の数が多い……。護衛用? それとも単に生成しやすいから……? この太さと流れの速さからして、そろそろ) ――ッ!」
突如として鼻を突くような刺激臭に、黄泉路は咄嗟に足を緩めて身を屈めた。
「(鉄、それから燃料の、焦げる匂い……。それに――)」
黄泉路に毒は効かず、煙を大量に吸い込んだところで意味はない。
それでも姿勢を低くすることで視認性を上げ、立っている状態よりは異常に気付きやすくなることから、黄泉路は天井に近い位置から徐々に煙が居りてくる通路を慎重に進む。
「これは、墜落跡……?」
結晶で作られた迷宮の上部をなぞる様に滞留する煙が徐々に降りてきて、とうとう姿勢を低くした黄泉路の頭に掛かるようになった段階で姿勢を戻して煙を突っ切り、その濃度が高くなる方へと足を向けた黄泉路が見たのは、戦闘機の残骸が深々と結晶に突き刺さり黒煙を上げ、未だぱちぱちと炎を燻らせながら鎮座する光景。
見ようによっては結晶に捕食されている様で、ステルス性のためだろう、航空力学を多少犠牲にした特徴的な形状が垣間見えるそれは最新鋭の戦闘機だったことを窺わせるが、黄泉路が注目したのはその戦闘機が現行のどこの国の軍も採用していない型であるということ。
「(個人所有にするにもこのレベルの戦闘機はまず国に差し止められる……あるとすれば実験機? でもどこが――)」
無論、戦闘機の個人所有、開発など国が許すわけがない。であればこれはどこかの国か企業が開発した試作機か、実戦配備や投入の発表がされていない特殊な機体。
だとして、何故それがこの場に特攻とも言える状態で突入してきたのか。
「っ」
その謎が黄泉路の中で一定の納得出来る解を見出すより先に、黄泉路の耳に強い音が響く。
金属同士がぶつかり合ったような高く澄んだ音と、何かが砕ける様な硬質な音。
咄嗟に、黄泉路は墜落した戦闘機への考察を切り上げて音のした方――戦闘機を呑み込むように聳える結晶の山の奥に伸びた通路へと向かう。
これまでの迷宮では音と言えば結晶人間が産み落とされる際のものか、彷徨う結晶人間が立てるかちゃかちゃといった硬質ではあれど軽めの音が主であった。
翻り、現在黄泉路の耳に届く断続的な音はそのような優しいものとは明確に違う。激しく何かが叩きつけられる能動的な音だ。故に、
「(この先に何かが居るのは確定としても、夜鷹じゃない)」
未だ黄泉路の知覚は浮遊島全域を漂う想念因子によって靄が掛かった様に不明瞭であり、極々短距離ならばともかく、夜鷹メンバーのような身近な人間の魂であってもその位置を確として知ることはできない。
結晶人間の様にそもそも魂としての密度が薄いか充填がされきっていない存在となれば更に感知は難しく、
「(なら――) え……?」
道行く先で結晶の壁面から生えてくる結晶人間をあしらいながら進む黄泉路がソレが視界に入るまで気づけなかったのも無理からぬことであった。
「あぇー? 初エンカが黄泉路とか最高にツイてんじゃーん」
まるで何かを安置していたような巨大な空洞。
それは先ほどの戦闘機の墜落跡のような、無理やり作られたクレーターに近いものではなく、正しく広場として作られたであろう空間の中央に居た。
防衛機構――そうとしか例えようのない無数の結晶人間の残骸の上でけらけらと上機嫌に表情を綻ばせる、薄桃色と空色のユニコーンカラーの頭髪がランダムに色相を揺らめかせる想念因子結晶の光を受けてつやつやと煌めいて。
「ひっさしぶりー。あっはっ。元気してたー?」
剣呑な鋭い眼差しとはちぐはぐな人懐こい笑みを浮かべた殺人鬼が、そこに居た。
「己刃……どうして」
行木己刃は能力者ではない。
能力者のように強く、能力者よりも危険な、殺人癖の持ち主。
そんな、身体的には決して人の身を出ない殺しのプロが、何故このような場所にいるのか。
黄泉路が当然の疑問を口に出せば、己刃は視線を黄泉路に向けたまま、背後から起き上がってきた結晶人間へと身体をひねる要領で手にした凶器をフルスイングする。
――ガシャァンッ。
先ほどまでも聞いた、たどり着くまでの間に断続的に響いていた音の正体はこれだったのだと黄泉路が理解すると同時に、己刃の持つ武器の異常性に気づいた黄泉路は顔を引きつらせる。
黙っていれば、澄ましていればモデルか何かとしても通る様なすらりとした青年の、都内を歩いていても違和感がないような自然体のロングコート姿からは明らかに浮いた、明らかに片手で振るうには大きすぎる片刃の斧は、その全身を一つの素材から削りだされた様に黒々と、その中を血管の様に赤い流動する何かがドクンドクンと脈打つ様にながれており、一目でそれが真っ当な存在ではない事を嫌でも理解させる。
「決まってんだろー? 黄泉路と約束、果たしに来ちゃった」
語尾にハートマークでも浮かんでいる様な、場にそぐわない甘ったるい声で。
一瞬で距離を詰めた己刃が振りかぶった斧の表面が、咄嗟に顔を逸らした黄泉路の前髪をはらりと薙いだ。