13-39 遙とルカ
彩華が上層階の様相に言葉を失っていた頃と同時刻。
「わあああああっ!! 死ぬ、死ぬってぇ!!!」
悲鳴を上げながらも右耳のピアスを触り、同時に姿勢を低く滑り込むように地面を蹴れば、その頭上を壁面と同じ光沢を放つ鋭利な杭にも似た結晶が駆け抜け、風圧が髪を撫でつける。
滑りながら地面をはじく様に手をついて素早く立ち上がりながら駆ける姿は既に一端のパルクール走者のようで。
反転した浮遊島の上部。本来ならば地下に埋まっていただろう、想念因子結晶が鉱脈の様に積みあがってできた巨大な天蓋の内側、迷宮と化した回廊を夜鷹組唯一の能力使用者、真居也遙は全力疾走していた。
「ああ、くそっ! どこだよここ、っつーか誰も居ねぇのはダメだろ!?」
もはや慣れた手段として年下の先輩である神室城姫更の能力によって黄泉路達と共に転移した、そこまでは間違いがないはずなのだが、どうしたことか、遙は気づけばひとり、ぽつんと広々とした空間に佇んでいた。
現在地が黄泉路や彩華が目指していた上層階であるとも知らず、遙が心細さを紛らわせる様に念入りに幻を纏って辺りを散策し始めたのも束の間、ただの壁だと思っていた想念因子結晶からずるりと、人型に分離した結晶体が出産されるのを見てしまい、思わず悲鳴を上げたのが運の尽き。
1体、2体と数を増やしてゆく結晶体が、幻に釣られはするものの完全に撒くことが出来ないままに増え続け今や遙の前後には十数体の結晶体がかちゃかちゃと足音を響かせながら遙を仕留めようと蠢いている有様であった。
「(やべぇ……! 最近体力付いたーって思ってたけどさすがに息苦しくなってきた……)」
遙も何も無暗に叫んでいるわけではない。
ひとりで放り出された当初こそ隠密を重視して静かに歩き回っていたものの、一度見つかってしまえば静かに探索などと言っている場合ではなく、幻影で撒くことも出来ない以上は騒音を立ててでも早急に味方と合流するしか、直接的な攻撃手段を持たない遙には手段が残されていないというだけの話であった。
ここで敵対勢力に捕捉される可能性もあるが、現時点で結晶人間の群れに襲われて絶体絶命の状態だ。それ以上悪くなったところで誤差しかない、と、割り切ってしまうだけの思い切りの良さもあり、遙はスタミナが枯渇するのも恐れず声高に騒ぎながら迷宮内を全力疾走していた。
「はぁ、はぁ……せめて、息継ぎくらいはっ! させろよな!!」
振り返りざま、背後から聞こえるわかりやすい足音から体感で逆算した距離感で追いつかれつつあるのを察した遙が大げさに手を薙ぐように振る。
すると、手の平から赤々と燃え盛る火焔が吹き上がり、傍に寄っていた結晶人間達の表面をじわりと焙る――が、
「やっぱお構いなしかよ……」
炎の波の中を、結晶人間達が何事もないかのようにかちゃりかちゃりと足音を響かせて突き破ってくる姿に、遙は諦め半分で作り出した幻を消して口元を歪める。
自身の姿を風景に溶け込ませる幻影すら一瞬気を引いたり攻撃される位置を誤魔化したりするのが精々なのだ。攻撃だと思わせる幻を見せた所で、元々ダメージを勘定しない人外の構造に幻影など効きようもないのは分かり切った事。
だが、火焔で作り出した僅かな視覚的空白を使い、遙は更に幻を作り出していた。
「(一瞬しか誤魔化せないとしても、作り続けてるならどうだ?)」
遙が試したのは、一度作った幻の維持、更新ではなく、新たに幻を幾重にも作り続けて実像にするという、本来であればあまりにもコスパの悪い手法。
「(なんか知らねぇけどここに来てからずっと調子がいいのが不幸中の幸いって奴だな!)」
だが、未だかつてないほどに能力が使いやすい現状のお陰でそのデメリットを相殺、ぶれる様に、輪郭の重なった遙の姿がコマ送りに通路を駆ける。
通常の視覚に頼っている相手にはまるで無駄な残像――
「■■■■……!」
「おっ」
それが新たに浮かぶ度、浮かんだその瞬間に限って結晶人間達の姿勢が目で追う様に傾いた。
「(つっても、なぁ……こっからどうするか)」
ざり、と。踏みしめた足元で靴裏が床を擦る音が響く。
遙は前方からも壁から産まれる様に吐き出される結晶人間の目の前を塞ぐように幻を生み出して駆け抜けながら、漸くつかんだ光明をどう活かせば良いか頭をひねる。
調子の良さでコスパの悪さを相殺しているとはいえ、普通に能力を行使する以上の負荷がかかっているのは事実。
意識して幻を出しては解除してを繰り返す度に遙は頭の中で能力の使い過ぎを咎める様な疲労感と痛みが鎌首を擡げるのを自覚しつつも、それを止めれば自分の命が危ないという危機感でねじ伏せ、既にそこそこの距離を全力疾走し続けている事で跳ねる心臓の鼓動を、喉を通る甘く感じる呼吸を噛みしめながら角を曲がり、
「うげっ!?」
踏み込んでしまった行き止まりに、走るために肺に取り込んだ酸素が思い切り声と共に吐き出されてしまう。
だとして、すでに踏み込んでしまった足は急には止められず、その背後を追ってきた結晶体達が来た道を塞いでしまうことも止められない。
遙は袋小路に飛び込んでしまった事を察すると同時に能力を全開で行使し、多数の幻影をばら撒いて少しでも目をそらそうと躍起になるが、
「やっぱ足止めにもならねぇ!」
それも引き連れる度に数を増してしまった結晶体の群れの前には質量を持たない幻など一瞬の足止めにもならず、遙はじりじりと後退して、とうとう想念因子結晶の壁が背に触れるかという所まで追い詰められてしまった。
「(くそっ、こんな所で死ぬのかよ……。ノリで来た、って訳じゃねぇけど、やっぱ、誰にも見られてない所で、知られずに死ぬって、最悪すぎるな)」
幻が突破されるたびに狭まる包囲網。それが、もはや僅かな猶予もない所まで迫ってきてしまい、遙は腰にホルスターで留めた拳銃をひと撫でする。
「(一応、撃ち方は習ったし、この距離なら何体かは当たるだろうけど……だから何だって感じだよなぁ)」
最も近い個体が腕を、鋭利に研ぎ澄まされた杭の様な結晶を振り上げるのが見える。
「(あー……オレ、こいつらに殺されたらこいつらの一部になんのかな。……それなら黄泉路の所に行きてぇな……)」
無意識にホルスターから抜きはなった拳銃、自動拳銃に分類される飾り気のない鉄の塊が、反復練習の通りに正面に突き出されるのを俯瞰する様な、どこか他人事のような感覚で認識しながら、遙は心の中で浮かんだ疑問にカッと芯が灯る様に目を見開く。
「ざけんな!! オレは絶対ェ死なねぇからなァ!!!」
突き出された拳銃に、自らの意志で片手をグリップの下部、弾倉止めに添えて正確に結晶人間の頭部に狙いを定め――
「よく言った! そういうの好きだぜ俺は!」
「!?」
引き金を絞るより早く、飛び込んできた第三者の声と同時に遙のすぐそばをナニカが風を切りながら駆け抜ける。
同時に複数の、結晶が砕け散る硬質な音が袋小路に響き渡ると、遙の目の前、直線状に居た全ての結晶人間だったモノが破片をまき散らしながら床に転がっていた。
「だ、誰だ――!?」
正面に構えた銃の照星に重なる様に、通路の向こうに立つ男に遙は困惑しながらも声を張る。
この場に転移してきた夜鷹の面々で無い以上、味方であるとも思えない。だが、今まさに助けてもらった事実が矛盾して構えを解くことも出来ないままに口に出された問いに、季節を先取りしたようなモッズコートの男がぐいっとスモークの入ったバイクゴーグルを押し上げて顔を晒す。
「お前とは初めましてだな。真居也遙、で合ってるか? 俺は明星ルカ。お前ん所の特攻隊長くんの同郷って奴さ」
にぃ、っと。気取った風に口の端を持ち上げて笑うルカが、コートのポケットの内から手を引き抜いて取り出したビー玉を構えて再び口を開く。
「とにかく、まずはこいつらを片付けてから話そうぜ。じゃないと互いに落ち着けなさそう――だ!」
指の間に規則的に挟まれたビー玉が両手の大ぶりな投擲で放たれる。
普通ならそれ自体に何の意味があるようにも見えない行為だが、ビー玉が宙に放られると同時に急加速し、銃弾もかくやという速度で遙をなおも包囲していた結晶体達に風穴を開けてしまう。
「す、すげぇ……」
「お前の能力も悪かねぇと思うがな。つってもまぁ、自衛能力に難があるのは確かか」
褒められているようで貶されているようでもある評価に、遙は一瞬むっとするが、助けてもらったこと自体は事実であり、また、先に言っていた事が本当ならば敵でない可能性が濃厚であることもあり、遙は躊躇しながらも銃を下げて問いかける。
「なんで、オレのこと知ってたんだ?」
「そりゃ迎坂から聞いたに決まってんだろ。状況説明してやるから聞いてから判断しろよ」
そう言って、遙の抜けきらない警戒を他所に――まるで遙の持つ拳銃が何の脅威にもなりえないという風に――リラックスした調子で、想念因子結晶の壁面から結晶体が出てくることだけに睨みを利かせたルカがこれまでの経緯とこの場所の状態を簡潔に説明する。
「俺はまぁ、思うところあって単身でここに突入したんだが、丁度迎坂の奴と行き会ってな。聞いたらお前ら、いつものチームでここに突入したは良いがバラバラに逸れたらしいじゃねぇか。そんで、俺もあいつも単独生存能力なら問題ないってんで、別行動であそこに入る手段を探しながら逸れたお仲間を見つけたら拾っておいてくれって頼まれてんだよ」
特に遙な、と。付け加えながら、ルカが遙後方――結晶の移り変わる色彩に滲む様に透けて見える巨大な塔を指させば、遙は納得と驚嘆、それからひとつまみの不満が綯交ぜになった息を吐く。
「ここは想念因子の濃度が高いからな。転移が乱れたのはそれ由来ってのが俺と迎坂の見解だ。他に質問は?」
「……ない。助かった、ありがとう」
「オーケー。じゃあ行こうぜ」
「? 行くって?」
立ち話は終わりと袋小路から踵を返したルカに対し、遙は一瞬きょとんとした顔で問いかける。
「言ったろ? お前見つけたら守ってくれって言われてんだよ」
首だけで振り返ったルカがその年相応の少年の疑問顔に小さく笑いそうになりながらも、手をひらひらと振って招く様にジェスチャーしながら答えた。
「で、あそこはちょっと特殊な結界とでも言えばいいのか。位相が違うって言えばいいのか。とにかく、直接塔に入れないから入口を探すんだ。これからな」
「位相……ゲームの結界みたいなモン?」
「そういうことだ。一緒に居た方が安全だし、違う系統の能力者なら気づける部分も違うだろう。お互いに悪くない話だと思うぜ?」
「そういう事ならいいぜ。オレも一緒に行く」
後を追う様に並んだ遙がホルスターに拳銃をしまい直すのを横目に見たルカはちらりと主塔へと視線を向ける。
その塔の頂上から感じる威圧めいた波動に、ルカは静かに目を細めていた。