13-37 天地を拒む浮遊大地
再建されたばかりの小奇麗な都会の中心へ近づけば近づくほどに増えていく結晶人間が、黄泉路達を認識していないようにすぐ横を通り過ぎて行く。
前後左右何処を見ても結晶人間が目に入る状況の中でのすれ違いは心臓に悪いという言葉でも足らないほどで、もう幾度目にもなるギリギリの接触回避に遙は静かに息を吐いた。
「はぁ……身が持たねぇよこれ」
「この数を正面突破するのは正直考えたくないわね」
同意する様に彩華も呟けば、集団の中心で守られるようにして歩く唯一の大人と言える郭沢来見が胸を張る。
「そうでしょうとも。……私の能力が通用して一番安心しているのは私なんですけどね」
「貴女の能力は内外の境界を操るものですから、一度その能力を体験するなりしてその境界へ疑問を持つようなことが無ければまず見つかりませんよ。だから能力が必要になる時の為に依頼をしたり連絡をしたりしてこまめに顔を繋いでいたわけですし」
「お高く評価していただいて嬉しい限りですわ。依頼後のアフターも楽しみにしています」
「……はぁ」
口を開けば緊張感が薄れる、とでも言えば良いのだろうか。それとも、こんな状況でも必要以上の緊張をせずに居られることに感謝すべきなのか。
黄泉路が思わずそんなことを考えながらも先頭を歩き、時折結晶人間の密度から固まってのすれ違いは不可能と判断した場合に限ってルートを変えてを繰り返すこと数十分。
本来であれば電車等の交通網によって短縮されていた道筋を秘密裏な徒歩という時間のかかる方法で踏破した面々はランドマーク施設があった都心とは思えないほどの広大な土地の前に居た。
現在は敷地まるごとをえぐり取られて空に浮かんでいることから、隕石でも降ったかのような巨大なクレーターとなっている光景はいっそ圧巻ですらあり、ここだけが終末にたどり着いてしまった世界なのだと言われても納得してしまう様相を呈していた。
「この数を相手にすれ違ってクレーター直下まで行くのは無理かな」
「あそこなら、たぶん届くよ」
クレーターを中心に今もなお断続的に降り続く結晶人間を避けて浮遊大地の真下、クレーターの中に入るのは現実的ではないと断じる黄泉路に、姫更がすぐ近くの浮上や大地の隆起に巻き込まれずに済んでいた商業ビルを指さす。
「良いじゃん。まずは入って一息吐こうぜ」
遙の提案に頷いた一同が移動を開始する。
比較的町並みに被害が少ない事から一見すれば何の変哲もない街並みにしか見えない風景。しかし、行き交う人間の代わりに想念因子結晶が闊歩している姿は薄ら寒さを感じさせる。
幸い、人が逃げ出した――あるいは殺された――商業ビルのドアは自動開閉式らしく、電源もまだ生きていた事ですんなりと中へと入ることが出来た。
静まり返ったビル内に知覚できる魂がないことから黄泉路が安全を断言すると、ドッと気が抜けた様に遙が大きく息を吐いた。
「はぁーしんど……」
「慎重に移動するだけじゃない。今から疲れてたら身が持たないわよ」
その隣では涼しい顔をした彩華が備え付けの自販機に手を置いてガコン、と、複数回音を響かせて缶ジュースをくすねている所で。
良いのかな、緊急事態だし、いやだめだろう、と。顔色をぐるぐると百面相させながら彩華の蛮行を見ていた遙も、投げ渡された缶ジュースを受け取ってしまえばちゃっかり開封して無自覚に乾いていた喉を潤す。
「はい。飲むでしょ。何が好きとか分からなかったから水になるけど」
彩華は自分用のお茶とは別に、ペットボトルの水を来見へと差し出す。
互いに印象が良いとは言えない間柄とはいえ、ここまで安全にたどり着けたのは来見の能力によるものであるのは疑いようがなく、この場においては立ち向かう手助けをしてくれている味方であると、移動の間に割り切れた様子であった。
「いえ、ありがとうございます」
来見としても仕事の関係で一度敵対しただけで、彩華に対して特に思い入れはない。強いて言うならば彩華が黄泉路や廻を侍らせていることに嫉妬しているだけだ。
それぞれが飲み物で喉を潤して一息ついたタイミングで、姫更がジッと窓の外を見上げて――浮遊するランドマーク施設を見つめて口を開く。
「……やっぱり。ここの屋上からなら、届く」
「それじゃあ、まずは屋上に向かおうか」
呼べばエレベーターも動いているのだろうが、何がきっかけで外の結晶人間を呼び寄せるかもわからない為、階段を使って上を目指す。
途中、歩き疲れた来見が肩で息をする一幕もあったものの、屋上へと何事もなくたどり着いた面々を振り返り、大地を抉り取った浮遊島と巨大なクレーターを背に、黄泉路は問う。
「ここから先は、きっと後戻りが出来ない。本当に一緒に行くの?」
三肢鴉本部で問うた決意の再確認。
浮遊島へと突入してしまえば撤退も再突入も難しいだろうと、この場に居る誰しもが確信しているが故に、黄泉路の問いは重く響くようであった。
「勿論。意見に変更はないわ」
真っ先に応えたのは、まるで何の迷いもないという様に堂々と普段通りの態度で言ってのける彩華だった。
「私の人生は私のもの、そう教えてくれたのは迎坂君だわ。勝手に世界を終わらせようだなんて、許せるはずがない。そうでしょう?」
自分の人生を歩く、その上での障害を切り拓くという決意は彩華らしく、黄泉路は静かに頷く。
そのやり取りの間にも、姫更はちらりと廻へと視線を向けていた。
姫更自身、黄泉路をはじめとする突入組の送りと、もし必要になった際の迎えを担当する為に半ば突入組と言っても過言ではなく、実際に戦闘するかはさておくとしても参加の可否は決まっていた。
対して廻はすでに自身の力を超えた状況にあると自認している事もあり、直接的な戦闘力がモノを言う現段階において、激戦となる主戦場に立つのは難しいと理解しているが故に、
「僕は、こちらに残ってやれることをやります」
「うん。頼むよ、廻君」
最後に視線が集まる中、遙は大きく息を吸い、一歩、黄泉路に向かって前に出る。
「オレは。行くぞ」
遙は断言する。戦いから遠かったただの少年だった、ほんの1年前には能力者ですらなかった少年の揺るぎながらも消えない決意の視線に射抜かれ、黄泉路は黙ったまま頷いた。
「それじゃあ。姫ちゃん、頼んでいい?」
「うん。任せて。何度も転移すると見つかっちゃうかも、しれないから。一度に送るね」
姫更に促され、黄泉路と彩華と遙の3人が姫更の前に集まり手を重ねる。
「兄さん」
転移の直前。
輪から離れて立つ廻の声に黄泉路が振り返る。
「無事に帰ってきてくださいね」
まるで今生の別れの様な揺れる視線を受け止めた黄泉路は静かにほほ笑む。
「死なないのが僕の取り柄だからね。廻君も、ちゃんと生きててね?」
返された言葉に廻は思わずどきっとしてしまう。
心中紛いの暗躍は姫更しか知らない。にも拘らず見透かすような黄泉路の言葉に心臓が跳ねる思いであった。
「兄さん――僕は……あっ」
瞬きの前後で黄泉路達の姿が綺麗さっぱり消え去って。
廻の口にしかけていた言葉の宛先を失って小さな声が屋上に溶けた。
景色が滲む。姫更の転移特有の現象が収まると黄泉路は単身仄暗い通路、その天井に立っていた。
天地が逆転したことで頭上に見える設置物を見上げ、黄泉路は周囲を見渡して状況を把握する。
「(ふたりが居ない……姫ちゃんじゃないとなると妨害か、姫ちゃんも想定してない干渉か……ここは――水族館のバックヤード?)」
天地が逆さになったことで頭上に見える水槽はまるで最初からこうなることを想定してたかのように密閉されており、生物が入っていない多量の水だけが不規則に揺れていた。
すぐすぐ決壊することがないことに一安心するとともに、黄泉路は神経をとがらせ魂を探す。
「――はぁ。まずは合流、かな」
彩華と遙の魂自体は接する時間も長い事ですぐに見分けがつく。そのふたつの魂が同じように施設の別々の場所に存在していることに安堵の息を吐き、黄泉路はとんとんと靴裏で感じる天井の強度を確かめてからぐっと強く踏み込んで飛ぶ様に駆け出す。
今は天井に張り付く様に配置されている扉に向けて高く飛び上がり、右手で胸元から銀に輝く螺旋を描く槍を引きずり出して扉を切り裂いて飛び出せば――
「ッ! それは、居るよね!?」
「■■■■■!!!」
水族館の表側の仄暗い館内を幽鬼の様に闊歩する水晶人間の妖しげな光沢を持つ頭が一斉に黄泉路の方へと向けられ、黄泉路は思わす引き攣った顔で槍を構えて着地と同時に薙ぎ払う。
「これは、もう隠れてとか言ってられない、な!!」
ぎぃぃん、と。結晶がぶつかり合う硬質な音が幾重にも響き合い、暗がりの中に輝く粒子が舞い散る。
付近の結晶人間を薙ぎ払った黄泉路は即座に柱上部に掛かれた経路図を読み取って外への道を探りながらも、先ほど彩華と遙を探した際に結晶人間を感じ取れなかったのかを理解する。
「(なるほどね。投下されたのは中身入りで、こっちはまだガワを作ってる最中だったってことか。通りで軽い)」
直に見てようやくその内に魂らしき揺らぎが見える程度の希薄さは、そこに居ると理解していなければ見逃してしまう程のもの。
加えてこの浮遊島という環境自体が濃密な想念因子によって支えられていることで黄泉路の能力的な知覚能力がフィルターを掛けられたようにぼやけてしまっているのも合わさり、会敵するまでその存在を把握できなかったことに繋がっていると、黄泉路は分析しながらぎこちない動きで群がる結晶人間をいなしながら外へと飛び出した。
「とにかく。目指すは――」
水族館の外へと飛び出すなり黄泉路は強く扉のふちを蹴って飛び上がり、螺旋を描く様に設計された空中回廊へと飛び移る。
下を見れば青天井ならぬ奈落の地表。建物から出た時点で足元はおぼつかず、島の中央に垂れ下がる様に伸びた本来のランドマークタワーを支える様に敷地の四方八方へと伸びた螺旋回廊の裏面を伝うよりほかにない事を示していた。
「中央の塔!」
空中回廊の裏面にすら徘徊する結晶人間を前に、槍の穂先が銀色に強く瞬く。
一歩も緩めず駆けだした銀閃が、島という巨大な天蓋によって覆われた世界に一条の光を灯して駆け抜けた。