13-36 戦場の最中へ
市街地へと駆けだした黄泉路達はビル街を無言で駆ける。
唯陽の告白を断った黄泉路は無論、それを空気として察しつつも会話自体は聞かないよう距離を取って待っていた彩華達も同様、会話する内容もなく、今なお混乱の渦中にあり都の外へ外へと向かおうとする人の流れに逆らって中心地を目指す。
「……」
無言で駆ける面々の中、遙はもの言いたげな視線を彩華へと向ける。
唯陽が黄泉路に片思いしていること自体、遙はうっすらとしか理解していないものの、同じ集団の中であればその程度は察して余りある。
その筆頭である彩華が何も言わない事に対し、遙は居心地の悪さにも似た喉の痞えに走っている以外での息苦しさを感じてついつい並走する彩華へと視線を向けてしまっていたが、その視線に気づいた彩華は静かに首を振って前を向く。
「うわ、これ全部避難民かよ……」
ややあって、今から街の外へと出ようとする人の波が黄泉路達の正面からぶつかる様にながれてきたことで遙は思わず小さく声を出してしまう。
避難中の人の波を逆行する黄泉路達の姿は非常に目立つ。加えて先頭を行くのが黄泉路であることも、昨今メディアなどで大きく取沙汰されたことも相まって端末のカメラ機能を向けようとするもの、黄泉路達に声を掛けようとするものなどでごった返し、黄泉路達の周りは俄かに混乱が活発化する。
「いっそ足場を組んで空中を行く方がいいかしら」
出発前の慌ただしさや、三肢鴉の面々がもはや仮面をかなぐり捨てての行動に出ていることで黄泉路達や自身にも仮面をつけることを忘れていた彩華が眉根を寄せて呟けば、遙が僅かに言い辛そうに問いかける。
「リコリスの能力だと基本刃になるんだよな……危なくねぇ?」
「そこなのよね……。丁寧にやれば刃引きしたものもできるのだけど」
悩まし気に、いっそ触れようとする馬鹿など傷ついても構わないとして刃で盛大に道を作ってもいいとも思ってしまう彩華ではあるが、この混乱の中で押されて刃に触れてスパッと大怪我を負うなどという人が出ても不思議ではないため、やはり気が進む物ではないと小さく息を吐く。
「じゃあ僕が皆を運ぼうか」
「それはダメよ。迎坂君が一番温存しなければならないのだから」
黄泉路だけならば、彩華だけならば。
それぞれの方法で人混みを飛び越えて行ったかもしれないが、廻や遙は能力に人間以上の物理的に突出したものはなく、そのふたりを残して進むことも出来ないため、どうするかと立ち往生しかけた黄泉路達の耳に一際大きな声が響く。
「お前ら道開けろ!!!」
「――おま、沢木? なんでこんなとこに」
「んなの今は言ってる場合じゃねぇんだろ!? オラお前ら邪魔すんな捌けろ捌けろ!!」
気付けば、沢木と呼ばれた青年と同じようにガラの悪い青年たちが黄泉路達の周りから民衆を除ける様に威嚇混じりの交通整理を始めており、全員が遙の知人であるらしいと察した黄泉路と彩華は遙へと視線を向ける。
「狐さんの友達、だよね?」
「あ、ああ……」
東都が砂嵐に閉ざされた際に遙と共に彼らを救助に向かっていた姫更が問いかければ、遙は彼らが何故ここに集まっているのかもわからないまま頷くほかない。
そんな遙の様子に沢木と呼ばれたリーダー格の少年が歩み寄り、
「あン時は悪かった」
「……あ、え」
「行くんだろ」
くい、っと。視線を空へ。遠く頭上に浮遊する大地へと視線を向けながら言う沢木に、遙は静かに頷いた。
「ああ」
「世界のピンチに駆け出すヒーローなんて最高に格好いいじゃねぇかよ」
「茶化すなよ」
「褒めてンだよ。オラ、さっさと行っちまえ」
「ありがとな」
「戻ったらお前モチで全員分奢りな」
開けだした道、まだまだ先は長いが、少なくとも人の波が途切れだすあたりまでの移動はできるだろうという捌け具合に黄泉路達が小走りに駆けだす背中に掛かる沢木の声に遙は思わず振り返る。
「おま――ふざけんな!?」
「嫌ならしっかり世界救ったっつってだらしねぇ大人連中から巻き上げて来いよ!!」
「ハハッ、そうする!」
かつて燻っていた、日常に対して同じ窮屈感を抱いて子供らしい反抗のつもりで傷をなめ合っていた少年たちの激励に、遙は拳を突き上げることで応えて夜鷹の面々と共に中心街に向かって走り出す。
「良い友達だね」
「偶々だ。良い奴らだけどアイツらバカだから」
黄泉路が声を掛ければ、遙は照れ隠しの様にふいっと顔を背け、それから視線を進行方向の空、未だきらりきらりと小さな光を反射しながら落ちてくる結晶人間が生み出されている浮遊島へと視線を向ける。
「ま、背中押されたからには、オレも覚悟決めるさ」
小さく呟かれた言葉は離れて行く喧騒の余韻に呑まれるほど小さく、共に走る黄泉路達の耳にも届くかどうかというほどの微かな声が駆け去る景色に流れるより早く、前方から聞こえだす戦闘音に一行の神経が鋭く研ぎ澄まされる。
喧騒のピークを抜け人影のない灰色の街並み、その奥からがちゃりと硬質な音を立てて現れる人型を模した結晶の塊にいち早く反応した彩華が駆ける足を緩めないまま靴裏を通して行使した能力によってコンクリートが解けて編み直された鈍色の蔦を模した刃が繁茂する。
一瞬にしてずたずたに引き裂かれた結晶が地面に転がって細かく砕けて行くのを横目に、一行は戦闘音を避けるようにしつつ中心地を目指す。
先の集団以外にも逃げ遅れ、事態が落ち着くまで隠れ潜むことを選んだらしい人々の捜索と避難誘導をする三肢鴉の人員とも時折すれ違いながら進むうち、徐々に密度を増して戦闘回避が難しくなる結晶人間の数に辟易とした彩華が迫る3体の結晶人間を一掃しながら声をかける。
「このまま進むと囲まれそうよ」
「かといって正面突破するのは骨が折れそうだよね」
同時に、側面ビルの中から現れた結晶人間を蹴り砕いた黄泉路が応えていれば、携帯端末を取り出して電波を確認していた廻が通話口に話し始める。
「今どのあたりですか?」
『――』
戦闘音に紛れて通話口の声は聞こえないものの、言葉数少なく通話を終えた廻は端末をポケットへと戻すなり黄泉路達に声をかけた。
「ついてきてください!」
その様子に何か確信があるのだと察した面々が廻の後に続き、それまでの進行方向からはやや逸れた横道へと進み出す。
「何処行くんだ?」
廻の足並みに合わせて小走りになったまま追いついた遙が問いかければ、廻は周囲の周囲を警戒しつつも速度を落とさず答える。
「助っ人と合流できそうなので。そちらに向かいます」
「助っ人?」
首をかしげる遙だったが、廻がそれ以上答えるつもりがないらしいと閉ざした口と周囲を警戒する表情に遙の気を引き締め歩くこと暫し。
気づけば、中心に向けて進むうちにあれだけ群がってきていた結晶人間の姿を一切見かけなくなっていた。
それどころか、絶え間なくどこかしらからで響いていた戦闘音すらも遠く、人の気配については自分たち以外には世界中から人間が消えてしまったのではと思うほどに静かな、生物の息遣いすら聞こえない不気味すぎる程に静かな廃墟街とかした街並みを歩いていた。
違和感に真っ先に気づいた黄泉路は廻のいう助っ人の正体に気づいて思わず微妙な顔を浮かべてしまう。
彩華が黄泉路の表情に気づき、何かを問いかけようと口を開きかける、しかし、その言葉が口から出るより先に、廻が立ち止まった喫茶店らしい無人の店舗の扉がからんと鈴を鳴らして開き、答えが姿を現した。
「はいはい。こちら、貴方の望む空間を提供する【領域手配師】です。本日はご依頼ありがとうございます」
「うわ……」
「やっぱり……」
ゆるいカールの掛かった明るめのセミロングの髪が廃墟の如き街並みを吹き抜ける風にふわりと揺れる。
パンツスーツ姿は都市の現状さえ鑑みなければ街並みに溶け込むのに最適なものだが、避難民という雰囲気でもない女性の佇まいからするとアンバランスにすら見える。
郭沢来見――内外を認識で隔離する結界という能力を使う、空間隠蔽のエキスパートの登場に対して起こしたリアクションは様々だ。
呼び出した側の廻はともかく、初遭遇の際に良好な関係だったとはお世辞にも言えない彩華などは露骨に顔を顰め、珍しく小さく声まで上げる有様で。
人の好き嫌いが少ない黄泉路ですら呆れた様な、困ったような表情で察していた答えが目の前に現れた事に諦めにも似た表情を浮かべてしまう。
唯一、面識のない遙だけがチームのトップふたりのリアクションに首を傾げつつも、そんなに危険な人物なのかと警戒する様に来見を見ていたが、そんな面々を他所に廻は一歩進み出て、
「依頼内容は僕達をアレの真下まで案内すること。報酬はいつも通り口座振り込みで」
淡々と、これまでも取引があったことを匂わせる落ち着いた調子で依頼を持ち掛ける。
見た目に似合わない大人な物言いに遙が僅かに関心するやら驚くやらといった表情で廻を見つめ、黄泉路と彩華は何とも言えない表情でふたりのやりとりを見つめる。
対して、困った顔を浮かべるのはオフィスレディ然とした来見だ。
「御贔屓にしてもらうのはありがたいのですが、私としても身の安全というものがありますので……今回の件、危険度は比じゃないですよねぇ?」
「そうですね。想念因子結晶は自我を持って徘徊してるようなものですから、もしかすると貴方の隠蔽も見破られる可能性がある。それでも愚直に進むよりは成功率は高い、僕はそう判断しました」
「……うーん」
世界の危機、それは分かっていても、いまいち実感を持ちづらいというのは誰しもが抱くことであろう。
それも、黄泉路達の様に事件の渦中で実際に目撃した面々とは違い、郭沢来見はあくまでも在野のいち能力者でしかない。
既に此度の事件についてはある程度噂が飛び交っており、能力者は命ごと能力を奪われるなどと言ったあながち嘘でもない情報も周知されていることもあり、来見が及び腰になるのも無理からぬことではあった。
「……わかりました。特別報酬も載せます。どうですか?」
「こればっかりはリスクヘッジといいますかぁ……私の身の安全の話でもあるので――」
「依頼成功後。デートしましょう」
「やります」
「ダメだよ!?」
渋っていたのが嘘のような手のひら返しの速さに思わず声に出して突っ込みを入れそうになる遙だったが、頭を痛めた様に額に手を当てる彩華の横から会話に割って入った黄泉路が声を上げたことでなんとか呑み込む。
「これは雇用契約の話ですので関係者と言えど割り込むのはご遠慮願います。それとも、貴方も報酬に載ってくれたり……」
「あ、それはダメです」
「今度はそっちからNGがでるんですか」
お互いに庇い合うような黄泉路と廻の姿をオイシイと思いつつ、自分はけだものか何かかと肩を落としてこれみよがしに嘆息する来見を一旦脇に置き、黄泉路へと向き直った廻はやれやれと首を振る。
「兄さん。どっちにしろ失敗したら世界が滅ぶんですよ。デートひとつくらいで済むなら安いものでしょう」
「この人の場合デートと言いつつホテルまで連れ込まれそうだから心配なんだよ」
「……いざとなったらそれも視野に入れますが」
「アフターあるの!?」
「黙っていて貰えませんか」
「はい」
あまりにもぐだぐだすぎる会話にここに到るまでの緊張感が風船の空気の様に抜け出ていくのを感じながらも、これでは収拾がつかないとこの場で唯一話をまともに進められそうな彩華は仕方なしに身を投じる。
「とにかく、後のことは後で決めましょう。デートは……まぁ、当人が言い出したことだから、くれぐれも節度を守ってとしか言いようがないのだけれど。貴女もそれでいいのね?」
「ええ。依頼である以上は最善を尽くすのが社会人としての務めですので。ご安心ください」
性的趣向については一切安心が出来ないのだという一同の感想が完全なる一致を果たしてはいても、現時点でもって周囲に結晶人間が一切たどり着いていないという事実は来見の能力が有用であるというこの上ない証明として機能している以上、言葉を噤むよりほかになく。
「時間も押していますし、さっそく目的地までのエスコートをお願いできますか」
「ええ。この【領域手配師】が、皆様に最適の空間を提供することをお約束しましょう」
協力を取り付けた頼もしい変態の先導に続き、黄泉路達は浮遊島があったクレーターへと歩き出すのだった。