13-29 穂憂が遺した種
パッ、と。周囲の世界が切り貼りされた様に一瞬にして景色が変わり、
「――能力……やられたわ」
虚しくも警告の最中で転移させられたことを理解した彩華の声がトーンダウンする。
そこは一見すると極々普通の事務所のようにも見える屋内であった。
カーテンのかかっていない窓の外を見れば、どうやら2階ないし3階、やや小高い立地から見下ろす住宅街とうず高くそびえる東都のビル群を遠景といった光景が広がっていた。
彩華の声が宙に溶ける間ほどの僅かな時間で動揺を振り払い、状況確認を優先する黄泉路と彩華。
実戦経験の浅い標と遙がようやっと状況を認識してきょろきょろと周囲を見回しながら声を上げる中、
「え、え!? 何が起きたんだ!?」
「戻らないと……!」
咄嗟に、置いてくる形になってしまった穂憂の安否を想い黄泉路が身を翻す。
「歩深ちゃん! 転移できる!?」
振り返った先、この場で唯一、模倣という形ではあれど転移を行使し、あの場所へと舞い戻れる可能性を持つ歩深へと詰め寄らんばかりの勢いで問いかける黄泉路だったが、問いかけられた歩深は一瞬固まった様に身動きを止め、
「……?」
自分でも、何が起きているのか分からないという風に困惑して首を傾げ、自らの手へと目を落としてしまう。
「――標ちゃん、姫ちゃんたちと連絡は!?」
『い、今すぐ取ってみますよぅ!』
「連絡がつき次第再突入する準備を――」
我に返った標が慌てて廻と姫更へとコンタクトを取ろうと念話に集中し、黄泉路が手早く指示を出しながら部屋の外へと駆けだそうとしたその時だ。
「お待ちください」
「誰!」
割り込むように掛けられた低い男性の声に彩華が即座に反応する。
先の一瞬で部屋の内装をすべて把握していた彩華が手近な机へと触れ、一瞬で解かれた木製の机が鈍色の植物唯一の正規出入り口になっている扉を開いた人物へと殺到する。
「彩華ちゃん、待って」
「……」
刃の植物の群れが扉を開けた状態の男を取り囲み、身動ぎひとつでどこかしらの薄皮が裂ける程の密度で展開されるも、黄泉路はその男の顔を認識して彩華へと待ったをかける。
彩華が僅かに逡巡した後、拘束を緩めるのみにとどめて蔦を引かせると、男は何事もなかったかのようにジッと夜鷹の面々を――正確には黄泉路を見据えたまま。
黄泉路はその胆力に内心で僅かに驚きつつ、目の前の人物ならば今の状況の答えを持っているであろうと確信して男へと問いかける。
「……葉佩、さんでしたか? 何故、と聞いても?」
「構いません。こちらも、道敷さん……迎坂さんにお伝えすべく待機していましたので」
男――葉佩宗平は黄泉路の言葉を受けて頷く。
そのやりとりを以って直ちに敵対する意思はないと受け取った彩華が黄泉路の目配せに従い蔦を引かせれば、葉佩は変わらぬ様子で部屋へと足を踏み入れて、
「最低限の信用が得られた所で、本題に入りましょう。そちらも、時間は一刻一秒も惜しいはず」
「まず、どうして貴方が……? それに、穂憂も……」
何故、あの場所に突如として穂憂が割って入ってきたのか。
それも自分たちを助ける様なことまでして、と。問いかける黄泉路に、葉佩は既にそうした問いを受けることを想定していた様子で淀みなく答え始める。
「私は確かに対策局、大本を言えば我部幹人に金で雇われた傭兵に過ぎません。ですが、私は道敷穂憂さん、彼女を主と定めました」
「それは、どうして?」
傭兵、という言葉に仮面の奥で僅かに眉をしかめた彩華が問う。
金で雇われた人間というのは、金次第で誰にでも従うという負の側面もあれば、受けた依頼料分の働きはこなすという数字で忠誠心を視ることのできる側面もある。
その金で動くべき人種が、金払いをした相手ではない対象に忠誠を向けるというのは、ともすれば不実と取られても仕方がないことだと認識している彩華の問いかけに、葉佩は静かに胸に手を当てた。
「傭兵として各国の紛争地帯を渡り歩き、この身で出来うる最善を尽くしてきました。それでも、戦友は死に、依頼主は時として裏切り、戦場は混沌として、金で担保できるのはその場での旗色だけ。時の運は容易に人々の命を弄ぶ」
独白の様な、信仰を見つけた敬虔な信徒の様な様子の葉佩の言葉。
「人の生き死には全て運否天賦。日頃の行い、信仰心、そういったものが頼りにならないことは、傭兵を長く続けて身に染みていました」
僅かに伏せて思い返すようなまなざしが再び、黄泉路へと向けられると、そこに宿った真っ直ぐな濁りの無い視線に黄泉路は思わず背筋を正すような気持ちを抱かされる。
「だからこそ、私は運命を司る道敷さん……穂憂さんと引き合わされた時、感じたのです。この人こそが私が信仰すべき、仕えるべき運命なのだと。運に見放された者から死んでゆくこの戦場において、唯一与すべき絶対なのだと」
「……だから、我部の命令よりも憂の事情を優先した?」
黄泉路の問いに対し、葉佩は無言のまま深く頷く。
それは葉佩特有の価値観なのだろう。だが、人の生死が運否天賦であるという持論は否定できるものではなく、だからこそ、運否天賦を捻じ曲げられる能力を持つらしい穂憂に従っている事に、黄泉路は自然と納得がいった。
「貴方の事情はわかりました。貴方がここにいるのは、穂憂の指示、ですか?」
「その通りです。兄を、よろしく頼むと」
葉佩の偽りない様子に、黄泉路は静かに息を吐いて仮面を外す。
沈黙が下りる。葉佩の口から語られた穂憂の伝言が意味している事、あの場での状況を照らし合わせて出てしまった推論の残酷さに黄泉路へと掛ける言葉は誰も作ることが出来ず、それ故の静寂が室内を押し固める様に重く横たわる。
「あ、あのさ。あの、穂憂?って子がコイツの妹なのは分かったんだけど、能力って?」
彩華らも仮面を外しながらも、漸く落ち着きを得たらしい遙が僅かに迷うようなそぶりを見せながらも葉佩へと声を掛けた。
重い空気から逃れる様な、それでいて事情を知らぬものとして当然の疑問を呈する様な遙の声に、一同は僅かに和らいだ空気を有難いと思いながら黄泉路と葉佩、どちらかの回答を待つ。
ややあって、黄泉路が譲る様に沈黙していた事もあり、葉佩が口を開く。
「穂憂さんの能力は、曰く【運命支配】……穂憂さんが望まぬ未来を遠ざけ、望む未来を引き寄せる能力だそうです」
「――っ!? は、ハァ!? なんだそのチート!!」
あまりにも規格外な能力の説明に思わず声を上げる遙、だが、その心情は黄泉路を除いて共通するモノで、
「……そうね、唐突にそんな能力があると言われても、ものすごく精度の高い予知能力――というわけではないの?」
「穂憂さん本人は勘の類だと思っていた様で、我部幹人から指摘されて本格的にそういうモノとして使いだしたそうですが」
「やっぱりそんなヤベェ能力がポンポン存在するわけ……」
口にしつつも、遙は間近でその規格外能力と肩を並べるであろう力を持つ黄泉路が否定していない事を察し、言葉が尻すぼみになってゆく。
死者を取り込み、冥府を内包する能力者や、現実世界そのものを自由自在に書き換えてしまう魔法の様な能力者。それらが実在するのに、運命を好き放題に出来る能力者が存在しない、その根拠は何処にもない事を、この場にいる面々は根底では理解していた。
「葉佩さん。どうして憂は僕に託したんでしょうか。だって憂の能力がそういう物なら、いくらでもほかにやりようがあったはずですよね?」
「それは……私も全て教えて頂いたわけではないのでわかりかねます。ですが、一つ言えるのは、穂憂さんといえど万能ではなかったということです」
「……」
それは、そうだろう。運命を支配する能力は確かに破格なものだ。しかし、人の身、単一個人の能力である以上、限界はある。
「例えばそれは、憂が認識している事柄を中心とした運命しか操れない、などでしょうか」
「!」
確認とでも言うような黄泉路の問いに、葉佩の目が若干見開かれる。
その動揺こそが真を突いている事を開示していた。
「能力者は基本的に自分の認識を中心に能力を行使する、それはきっと、運命なんて言う目に見えないものであっても変わらない、そう思ったんですけど、当たっててよかった」
「さすがに、能力者として前線に立ち続けているだけあって理解が早いですね」
「だとすると、憂はいつも自分を中心に、自分に関わるものや人に対して能力を、そこから芋づる式に関連する人や物事に干渉して自分にとって望む結末に仕向けていたという事になる……。あってますか?」
「ええ、恐らくはそうだと」
「……その憂が、自分の身の危険を冒してまであの場所に立った理由、葉佩さんは、聞いてるんですよね?」
静かに、そして、穂憂の安否を察する様に問いかける黄泉路に、葉佩は今度こそ静かに息を呑み、それから深々と頭を下げた。
「穂憂さんから、起きるだろうことを予め聞いていたのは確かです。そして、そのサポートをするように頼まれたのも」
「聞かせてください。憂は、何を思ってあんなことをしたのか。我部のアレは何なのか」
漸く本題へと移る。その緊張感に一同が再び沈黙する。
「穂憂さんはあれを、世界の終わりだと言っていました」
「世界の……終わり……?」
「我部の研究が完了し、稼働を始める。それが穂憂さんに感じ取れていた最期の未来だったそうです」
「それは――でもそれなら」
「穂憂さんは我部さんの研究を知った段階で、その未来を予感して、それを回避するべく傍に侍っていると言っていました。しかし、現状はこの通り。どうやら我部が研究を完成させることは、穂憂さんが運命を握るよりも前に確定していたもののようで、穂憂さんは既に確定した道を変えることは、出来なかった」
「穂憂さんの能力は運命を変えることができるのよね? それでも変えられなかったのかしら」
「これは私の私見ですが、穂憂さんの能力は恐らく、いくつもある道筋から好む物を選び取る力、なのだろうと思います。ですから、最初からゴールが収束する回答に対しては、取れる道筋の良し悪ししか選ぶことができないのだと」
葉佩も、恐らくはそこまで確信があるわけではない。だが、これまでの穂憂の運命を司る――神に愛されているとしか思えない言動から、その能力を確信し信奉してきたことで、その結論に達したのだと語る。
「それから穂憂さんは、確定した未来を超える為にどうあるべきか、どうするべきかを考えていました。元々、我部が穂憂さんに接触する以前は迎坂さん、お兄さんにもう一度逢う為に、その為の最高効率を求めていたらしいですが、我部にあった後はずっとその未来ばかりが頭に過っていたそうです」
「穂憂が僕を……」
「そして、迎坂さんと再会し、我部の計画の仔細を知ったことで、穂憂さんはある希望を見たそうです」
希望、その言葉が葉佩の視線に乗って黄泉路に向けられているのを理解し、黄泉路は小さく息を整える。
「貴方こそが、我部が最後に求めるピースであり、唯一我部の計画を打ち破れる存在なのだと。穂憂さんは確信していました」
「……我部が行おうとしている事を、穂憂は?」
「私も、その場にいたので知っています。我部は想念因子結晶――能力という力そのものを束ねて世界をいちから作り直すつもりです。かの魔女が現実を掌握した様に。貴方が死後を統べた様に。世界は、能力で作り替えられると、我部は確信している。そして、自分こそがその織り手……創世の奇跡を起こすのだと」
「じゃあ、今の世界はどうなるんだ? 生きてる人は?」
「……恐らく、世界再編に巻き込まれてあらゆる命が死ぬ。そして、死んだ魂が、迎坂さん、あなたの能力によって作られた死後の世界に溜まる。その死後の世界を作り出す能力すらも我部が掌握していたならば……」
「作り直した世界に、死者の魂を新しい生命として定着させるつもりですか」
葉佩が静かに頷けば、室内に再び沈黙が下りた。
あまりにも壮大、そして荒唐無稽な計画が、今まさに実行段階にあるという事実を受け止めきるには、この沈黙は短すぎるものだった。
誰もが何も口を挟めない。
自身の中でことの壮大さを消化するのに精いっぱいという有様にも拘わらず、事態は進行していると突き付ける様に突如として世界が大きく揺れた。
「――ッ!」
「何が!?」
地震、と呼ぶにはあまりにも均一な揺れが部屋を、建物を、景色を揺らす。
咄嗟に窓の外へと目を向けた一同は起きつつある異常現象に思わず言葉を失い、身動ぎすらはく奪した様に固まってしまう。
窓の外、小高い立地から見下ろす様に広がる住宅街と、遠景に見えていた東都の高層ビル群。
その更に奥から地揺れの震源と一目で確信する様な異変が競り上がってきていた。
――天高く聳える巨大な塔。
根を張る様に螺旋状に伸びた回廊が地面ごと引き抜かれるように、空へ。宙へと昇ってゆく。
東都の新しいシンボルとなるはずだったランドマークタワー、その特徴的な姿が緩やかに地を離れてゆく姿がはっきりと見えていた。
「な、何なんだよあれ……!?」
『何ってさっきまで私達がいたところですよぅ……ですよね?』
「たぶん、そのはず、だけれど……」
恐れよりも困惑、戸惑いがそのまま声に出てしまうが、それも無理からぬことだろう。
登りゆく塔の高さは世界でも有数、その巨体が土地そのものを引きずり、巻き込んで浮島の様に空中に浮きあがってゆく光景など、後にも先にも見ることのないもの。
徐々に高度を増してその全景が明らかになるにつれ、その戸惑いは更なる驚きへと移り変わってゆく。
「塔の下に……塔……?」
「もしかしてあれ、オレたちがさっきまで居たやつか?」
塔を中心に遠景に広がった地盤。そのすべてがビル群を超えて空に昇る頃になると、上部の構造をそのまま上下反転し多様な、地へと向かって伸びる尖塔の姿が黄泉路達の目に入り始め、その光景の異常さに思わず目を瞠る。
塔が宙に浮く、地盤が空を飛ぶという光景も非現実的であれ、何かしらの能力が複合して作用しているならば、あるいは魔女の如く強大な力が行使できるならば一時的には可能であろう。
しかし、物理的にあれだけの巨大構造物を建造し、秘匿していたとなれば話は別、加えてもし下部に伸びた塔が先ほどまで黄泉路達が突入していた次元の位相を利用した秘匿空間にあったものであるならば、再突入は考えていた以上に厳しいものになる。
「葉佩さん、あれは?」
「恐らく、計画が最終段階に入った証左なのでしょう。私も、具体的な推移について知ることはありませんので憶測にすぎませんが、穂憂さんが取り込まれた事で、最終段階へと移行した物と」
「なら早く倒しに行かねぇと……!」
「葉佩さん。憂は、どうして我部に取り込まれるようなことを? 僕達を助ける、その為に来たのは、わかりました。だけど憂が取り込まれたら状況は悪くなる、違いますか?」
焦る遙がいることで、相対的に冷静さを取り戻した黄泉路が問う。
能力を徴収し、我が物とできるのであれば、穂憂の能力こそ渡してはいけないものだったのではないか。運命を取捨選択することのできる能力を我部が持ってしまった場合、それはもうどうしようもない詰みなのではないか。
そう問いかける黄泉路に、ハッとなった彩華達の視線が葉佩へと注がれる。
「我部の能力徴収はあくまでも、言ってしまえば能力を奪う能力、それが能力によるものである以上、一度に出力できる許容量が存在します」
「取り込んでから消化に時間がかかる?」
「穂憂さんも私も、そのように考えています。そして、取り込んだ能力が強力であればあるほど、完全に掌握するまでには時間がかかるだろうとも」
「だから、憂は自分を犠牲にして時間を稼いだ……」
「迎坂さんが勝てると信じて」
結論の様に、穂憂が託した物を手渡す様に告げる葉佩の言葉が、ジンと胸の奥、魂の奥底にまで刺さるようで、黄泉路は静かに目を閉じた。
仄暗い水底、銀の砂丘の上に立った黄泉路は手のひらに置かれた赤い糸をゆっくりと握る。
それは、穂憂があの瞬間に黄泉路へと託した運命の赤い糸。
「……わかりました。この後はどうすれば?」
「それは、私が選択する事ではありません。穂憂さんが迎坂さんに託した。であれば、貴方の選択こそが、運命を切り開くものなのですから」
穂憂からの指示はもうないということだろう。
黄泉路は小さく頷くと、一度窓の外へと視線を移す。
既に世界を揺らすような振動はなくなり、俄かに騒がしくなった外の情景を一瞥した後に、彩華達へと振り返る。
「……一度、三肢鴉の本部に行こう。時間は憂が作ってくれた。チャレンジできるのが1度だけなら、万全の準備と、皆の力を借りたい」
黄泉路の目にある決意を見た面々は強く頷く。
その選択を信じると、黄泉路に向けた信頼の証の様で、黄泉路は小さく頷き返した。