13-27 我部幹人の【旧世界再誕計画】
「そもそも、この世界は歪だ、そうは思わないかね?」
自らの計画を明かす。そう口にした男が初めに発した言葉は問いかけだった。
黄泉路は我部の言葉には答えず、ただ、隙無く背後に庇った歩深を守る様に我部を睨む。
「ふむ。聞き手に務めるというなら言うのならば構わないがね」
興が削がれたという様にわざとらしく落胆して見せる我部に、黄泉路は静かに口を開く。
「そもそも、主語も含意も広すぎて問いとして不適格だよ」
「ふっ、ははは、そうかい? そうかもしれないな。いやはや、赤子だった君がここまで大きくなるとは世の移ろいは恐ろしい」
「世間話をするつもりはない」
軽口を叩く我部を咎める黄泉路だが、その内心、時間稼ぎをしたいのは向こう側も同じなのだろうと確信を深め、撤退するにも揃っていなければ誰かを置き去りにする可能性が脳裏に過ることもあって情報の引き出しを優先して話を促すことにした。
「やれやれ。聞きたいことしか聞きたくないとは寂しい物言いだ。まぁいい。……私がこの世界を歪だ、と評したのは、偏に能力者の扱いについてだよ」
「扱い?」
漸く本題に入る気になったらしい我部が自身が発した問いへの答えを開示する。
「そうとも。能力者は常人に疎まれ妬まれ恐れられ、飼い慣らされる様に首輪をつけられて漸く認められる。優れているにもかかわらず、だ。それは随分と常人に都合がいいと、そうは思わないかい?」
「……首輪をはめる側の貴方がそれを言う権利はないでしょう」
「ああ。勿論だとも。私としてもこの形が正常だなどとは思っていない。これは通過点。私が求める世界へ至るためには人も金も権力も、使えるものは全て使う必要があった。その為の踏み台に過ぎないのだから」
我部はゆっくりと仮面越しの黄泉路の目から、その背後に庇われるようにして立つ歩深へ。
最後に自身の背後の巨大な想念因子結晶の収められた機械へと身体ごと目を向ける。
「君がどこまで知っているかはわからないが、私はね、かつて神室城君や御心君と共に、君が生まれ育ったあの場所にいた。だからこそわかる。上代さんの理想も、無念も……」
「(無念……?)」
かつて、黄泉路が自らの出自を求めて神蔵識村へと訪れた時、神室城斗聡より知らされた自身の出生とそこに彼らが関わっていた事実。
だが、神室城斗聡も御心紗希も、上代縁という人物の理想は語っても、無念については触れることはなかった。
唯一その点を言及する我部は何を知っているのか。
「だとして、全ての人を能力者にして、その上で能力者を支配するなんてやり方、間違ってる」
背に掛けられる黄泉路の断言。それは我部にとってはかつての同窓の言葉のようにも聞こえ、
「ふふっ。君にそう教えたのは神室城君か、御心君か」
思わずといった具合に小さく笑う。
その様子は、何か前提が間違っていると黄泉路に予感させる。しかし、黄泉路が改めて口を開くより先に、その答えは我部の口から齎される。
「正解かどうかなど、今のこの世界に存在する全ての者には断ずる権利すらない、そうは思わないかい?」
「……何を」
「この計画が――旧世界再誕計画が完了すれば消え去る有象無象に、価値などないと、そう言っているのだよ」
「――!?」
世界中の人を消し去る、なるほど、それは確かに平等だ。だが、それは、
「狂ってる……」
「そうかい? この掃き溜めの様な世界をそのままに、上から押さえつける様に平等と幸福を実現しようとする君たちが予想した計画内容よりは、真っ当だと自負しているのだがね?」
「だから世界を滅ぼすって?」
「滅ぼす? 私は一度も滅ぼすとは言っていないよ。今存在する全ての人々には消えてもらうことになるが、新たに運行される世界でまっさらな人々が次の世界を生きる。それは世の移り変わりとなんら変わらないだろう? 人は誰しも歳を重ね老いて朽ち、新たな世代に席を譲る、それを全人類が同時に行ってもらうだけのことなのだからね」
つまり、我部はこう言っているのだ。
今生きている全ての人間を穢れたもの、余分なものとして抹消し、新たにまっさらな人類の歴史を自分の手で紡ぎ直して公平な世界を作り出す、と。
「無論、新たな人類は全員が能力者だ、そのように創る。それが基準だ。そうであれば能力者であるからというだけで差別されることはない」
「その代わり、能力の優劣によって序列が決まる」
「それは今の世の中でもそうだろう? 勉強が出来るもの、運動が出来るもの、芸術に秀でたもの、分野はあれど優れているもの、優れているとされているものが他者を踏み台に上座に座る。それは差別ではなく優劣でしかない。私はそこまでを否定するつもりはないよ」
「……だとして、そんなこと不可能だ。能力者をいくら支配下においたとしても、貴方ひとりで人類を一人残らず消し去る事なんて出来るわけがない」
そう。それは例えどれだけ強力な能力者を従えていたとしても。
仮に黄泉路が何らかの理由で我部に降ったとして、黄泉路の能力が全世界を殺せるかと言われれば否だ。やろうと思えば1か国くらいはいけるかもしれない。けれど、それで終わりだ。世界が黄泉路を敵と認識する。世界が黄泉路に対して対策を練るだろう。そうしている間にも新たに人は生まれてくる。
我部がやろうとしているのは、そうした無意味ないたちごっこにすぎないと黄泉路が告げれば、我部は顔を向けぬまま、それこそが思い違いであると知らしめるように悠々と語りだす。
「能力者を支配下に置いてそれらを用いて現人類を殲滅する? ふふ、はははっ……それはなんとも、気長な話だね。それでは私の寿命は保ちそうにない。いやいや、私はもっと効率的な話をしているよ」
「……」
まだ隠された、いや、黄泉路が見落としている何かがあるのだろうか。
黄泉路が思考を巡らせていると、我部はゆっくりと、ガラスの円柱に収められた巨大な想念因子結晶へと1歩を踏み出す。
「動くな!」
「――おっと。そう警戒することもないだろう? 君ならばその距離から一息で私を殺せる。だがそうしない。なぜか。君は何が私の計画のトリガーになっているかを理解していないからだ。仮に私の死と引き換えにコトが起こるのならば、そう考えてしまうが故、違うかい?」
「……」
黄泉路は無言、しかし、それこそが答えの様なものであった。
「であれば、暫し話に付き合うのが上策だと、私は考えるがね」
「……」
「それでは続けようか。私が如何にしてこの世界を書き換えようとしているのか。その手段について」
まるで授業でもしているかのように。我部は僅かに柔らかな声音で黄泉路へと語り掛ける。
世界を滅ぼそうという男がそのような態度をとっている事に歪なものを感じながらも、黄泉路は黙って注視しながら我部の言葉を待った。
「そもそも、神室城君や御心君が予想した私の計画の根幹、それそのものが聊かずれているのが、今の君の勘違いの原因じゃないのかい?」
「勘違い……?」
「そうだとも。私は能力系統別優位論を提唱、実証はしたが、それそのものを使って能力者を支配し頂点に立とうと考えた事はない」
「――!」
能力系統別優位論。それぞれの能力系統、似通った能力同士での序列めいた事象への干渉に対する優先権を提唱したもの。
斗聡たちから概要を教わり、黄泉路としてもある種の体感としての理解があった事からすんなりと受け入れ、そういうものかと納得していた理論。
我部自身が発見、実証したそれであるが故に、当然の如く斗聡達も我部がそれを背景に全ての能力者の頂点に立つ存在を作り出すことを計画の要としていると予想していた。
「私が目指すのはさらにその先。扱う事象……司る概念とも言うべきそれらに明確な上下関係が存在する以上、それらの頂点に立つものはその分野における絶対的な地位、すなわち神とも呼べる位に立っていると言える。であれば、あらゆる概念を吸収、掌握、統合した果てにあるものは、全てを司る全能の神と呼べるのではないか」
「……!」
立て板に水の如く、すらすらと自らが提唱した理論の発展形、概念を司る能力者の究極、神と呼称すべき存在への言及をする我部の言葉が、黄泉路の耳に届く。
だが、その言葉が意味するものを理解するにつれて、黄泉路はそれが実際に誰を指しているものなのかを直感的に理解する。
「――そう。かつて君が座していた空位こそが私の最終到達点なのだよ」
黄泉路が、迎坂黄泉路という不死の――魂を統べる能力者となるよりはるか昔。
道敷出雲という少年が、常群幸也という人間に出会うよりも以前。
神蔵識村で、御遣いの宿という小さな世界の中で神の如く崇められていた――現人神として存在していた頃の存在。
我部が目指していたものは、まさにそれであったのだと理解する黄泉路はしかし、自らを持ってそれを否定すべく口を開く。
「でも、それはもう叶わない。だって僕にはもうそんな力はないんだから!」
「君が放棄していた時は驚いたとも。……だが、そのお陰で私がその空位を目指せる」
「ッ!?」
「能力者には拡張という現象があるのは知っているかい? それは操る事象の……司る概念の変質や昇華、君の様に切除する場合もある。そして、君が権能を切除したことで、空位となった概念を埋める様に世界中で起きた現象。それが、今日の能力者の大量発生と強力な能力者の出現だ」
「――」
もし、それが本当のことなのだとしたら。
黄泉路は仮面の奥――魂そのものが座する内なる水底で嫌な汗が噴き出る様な錯覚に陥りながらも、我部の言葉から耳を塞ぐことが出来なかった。
「君は不思議に思った事はないかい? 何故、銀冠の魔女の様な存在が、御遣いの宿の様な特殊な環境にないにも関わらず在野から出現したのか。水端歩深という能力者が、君の能力が【黄泉渡】として形を得た後に観測されるようになったのか」
「まさか」
「そうだとも。君が権限を手放したから、大気に真空が生まれた時と同じように、水が低きに流れる様に、穴を埋める為に。世界が浮いた権能を宿す先を見出したのだよ」
道敷出雲という全能が手放したが故に、全能から零れ落ちた力が世界に分散した。
それは一見荒唐無稽のように聞こえるが、しかし、黄泉路は自らが手放した側であるが故に、それが正解なのだと直感で分かってしまう。
そして、我部がその前提で何をしようとしているのかも。また。
「水端君が獲得した能力は【成長性】……【可能性】とも言い換えられるソレだけを、高純度に精製した想念因子結晶。これを用いれば――」
「全世界の能力を徴収して統合することで、全能をもう一度生み出せる……」
我部の言葉を引き取る様に、結論にたどり着いた黄泉路の呟く様な微かな声が静寂の中に広がる。
「そう。そして全能であれば何ができるかは、君が一番よく知っているんじゃないかい?」
「……」
黄泉路は答えない。否、理解しているからこそ言葉にすることができなかった。
代わりに、黄泉路はそれよりも前提として横たわる問題へと話をすり替える。
「でも、それはあくまで能力を統合することが出来たらの話。世界中に散らばった能力を回収する手段なんて……」
「私がそれを用意していないなどとは君も考えていない。違うかい?」
苦し紛れの問いを切り捨てる我部はポケットから端末を取り出すと、黄泉路が身構えるのも構わずスイッチを押した。
ぱっ、と。空間に投影された映像、そこに写し出された物を見て、黄泉路は一瞬何のためにと考え、すぐに答えに至る。
「――! まさか!!」
「そうだとも。私が開発して流通させていた覚醒器、政府に対して諸外国に売りつけるよう焚きつけた拘束具。それら全てがこの計画の為の中継装置だ。無論、流通の最中に手を加えて流出させたものも、すべて私の計画のうちだ」
映像に写し出された多くの覚醒器と拘束具。既に全世界にバラまかれている事は黄泉路も知っていた。
中には政府が制作したものではない、終夜が作ったような非正規品としての覚醒器も存在するだろうが、国が大手を振ってやっているものに比べれば微々たるものだろう。
それらが全てに秘された機能が埋め込まれているのだとしたら……。
「気付いたかい? この装置は可能性を司る想念因子結晶を核として、世界中の能力者、能力使用者から能力を徴収する為のモノだ。そうして能力を吸収し、統合し、あらゆる概念の頂点に座した時、世界は書き換わる」
「そんなこと……!」
させるものか。
黄泉路はもはや全て聞きたいことは聞いたと、赤い塵を纏った強い踏み込みで我部の元まで飛びこむように駆け――
「はぁっ!」
振り返り、銃を構えようとしたらしい我部の懐へと瞬く間に飛び込んだ黄泉路の拳が深々と胸を穿った。
「が、ふっ……!」
どうやら服の下に防弾ベストの如く何かを仕込んでいたらしい我部だが、しかし、本人はあくまで老齢に差し掛かった研究畑の常人でしかない。
衝撃がそのままダメージとなり、口から血液交じりの呼気を吐き散らしながらも小枝の様に吹き飛ばされ背後のガラスへと強かに叩きつけられる。
ピシ、ピシと、蜘蛛の巣状に割れたガラスが衝撃の強さを物語っており、身体強化の能力を持つでもない老人が耐えきれるものではない事は一目で見て取れるほど。
「終わりだよ。貴方の計画も。貴方自身も」
「……」
答えない――応えられないだろう我部に黄泉路は構えを解こうとした、その時だった。
「死なない人、まだ――!」
「え」
背後、救出を終え、守るだけとなっていたが故に一瞬置き去りにしてしまった歩深の声に、黄泉路は一瞬呆けた様に思考が止まり、すぐにガラスに叩きつけた我部へと意識を向ける。
「ぐ、っ……ひ、と、あし……遅かった、ね」
「何を」
「この結晶は、既に、稼働、してい、る……。あとは」
私が。
その言葉が聞こえるかどうかというタイミングで、我部はどうにか握り続けていたらしい拳銃を背後のガラスのひびへと向けて発砲する。
最後の衝撃によって砕けたガラス、支えを失った我部の身体が内側へと――巨大な想念因子結晶へと落ちて行く。
「しま――」
何が起こるかは分からない。だが、あの我部がここまでして行おうとしている何かが始まろうとしている。
それだけを察した黄泉路が慌てて駆けだそうとするが、黄泉路が踏み込むよりも先に、想念因子結晶からあふれ出した眩い光が室内を包み、黄泉路達の視界を極彩色に染め上げた。