3-21 夜鷹の蛇6
「ごちそーさまっと。んじゃ、俺はちょっくら町に行って来るぜ」
そう言い残し、食事を終えたカガリはガチャガチャと皿を一まとめにして水の張られた流しに浸して部屋を後にする。
一人残された黄泉路は訪れた静寂の中、もそもそと食事を口に放り込んでは咀嚼して飲み下す作業を終えれば、既にみなが食べ終わった後の皿が沈んでいる流しに食器を浸し、洗い物を始める。
こうした細々とした雑用も、黄泉路が進んで買って出ている事であり、手馴れた調子で食器を洗剤のついたスポンジで洗い、水で流しては食器置きへと並べてゆく。
ここでこうして食事を採るのは黄泉路を含めても支部の数人である。数分とかかる事なく食器の片づけを終えた黄泉路はタオルで手の水気を払いながら、カガリに言われた事を思い返していた。
「(標ちゃんにご飯、持ってかなきゃ)」
自身が食べたメニューをそのままトレイへと乗せて部屋の外へとでた黄泉路はふと、部屋こそは知っているものの、標とは最初の歓迎会以降ほとんど遭遇した事がない事に気づく。
「(普段何してるんだろう……)」
果にしろ誠にしろ、旅館の手伝いをしていれば嫌でも顔を合わせる2人はもちろんの事、護身術訓練を除いたとしてもカガリや美花とは会わなくても2、3日以内に確実に顔を合わせるのだ。
それに対して純粋に夜鷹支部のメンバーであるにもかかわらず、標とはここ1ヶ月間で一度も遭遇した事がない。
今までが毎日忙しく、そこまで気が回らなかっただけに、一度気になってしまえば不思議でならないと黄泉路は首をかしげた。
なお、身体測定を行った薬研やリーダー、姫更については、純粋な支部のメンバーというわけではなく、各支部を転々としている所属なしの人員である為遭遇率にはカウントしていない。
何か特別な事情でもあるのだろうか。そう考えながらも、黄泉路の身体はすっかり慣れた支部の中を迷うことなく進んでいた。
やがて、普段は立ち寄らない区画、すなわち標の私室のある場所までやってくれば、扉の前で立ち止まって、幾度かノックをする。
「(……あれ?)」
鍵はかかっており、確かに中には居る様子なのだが、一向に帰ってこない応答に黄泉路は首をかしげる。
その後幾度かノックを繰り返していると、中から盛大な音が響いた。
「――!?」
驚いた黄泉路が何事かと一瞬身を強張らせ、再び沈黙が落ちる。
どうしたのだろうと考え、そろそろもう一度ノックすべきかと迷い始めた黄泉路の目の前で、静かに扉が開かれた。
『……んぅ。なーんですかぁー?』
「えっと、カガリさんにご飯持っていくように、って言われたんだけど……」
『あー……もらいますもらいますぅ』
明らかに寝起き、という風体の、フリルのついたピンクのパジャマ姿で、寝ぼけ眼を擦りながら姿を現した標に、困惑したままの黄泉路は聞かれるがままに要件を告げる。
すると、どうにも寝ぼけた様子の標は黄泉路が片手に持っていたトレイを受け取って扉を閉めてしまう。
ガチャン、と、再び扉が閉じた音で我に返った黄泉路は慌てて再びノックをし、それから遅れて念話で呼びかければいいことに思い至る。
『ちょ、標ちゃん!!! 用件はそれだけじゃなくて!!!』
『ん……ウェ!? え、ちょ、ええぇえぇえぇっ!?』
「っ!?」
突如脳内に響き渡る甲高い悲鳴に黄泉路は身を強張らせ、意味がないとは知りつつも衝動的に耳を塞ぐ。
その直後、室内からバタバタと慌てたような足音と共に、キンキンと響く標の声が黄泉路の脳内で鳴り響いた。
『え、ちょ、うっそ、何で!? 何でよみちんが居るのよぉー!! 私寝巻きだしめちゃくちゃだらしない姿見ーらーれーたーぁー!!!! うわぁあああんもうお嫁行けないよぉ!!! よみちん責任とってよぉぉおぉぉ!!!!』
「ええっと……」
垂れ流しに近い悲鳴に、黄泉路は思わず扉から一歩後ろへと退き、それ以上標の悲鳴を聴かないで上げようと思うのだった。
十数分の気まずい時間が経った頃。
ぎぎぎ、と、錆付いている分けでもないのにその様な音が聞こえてきそうなほどに部屋の扉がぎこちなく開かれる。
歓迎会当日に顔を合わせたときと同じ服装に身を包み、完全に覚醒したらしい顔色にわずかに赤みをさした状態の標が扉に隠れるようにして黄泉路へと視線を向ける。
『……えっと、えっとですね? これには一応ふかぁい訳があったりなかったりするんですよぉ……』
「は、はぁ……」
『いや、いやですね? 昨日ちょーっとネトゲ友達と盛り上がってしまって気づいたら朝だったとかぁ……ダウンロード販売で買った少女マンガが思いのほか面白くて興奮して寝付けなかったと言いますかぁー……』
「あ、えっと……別に気にしてないから、ちょっと落ち着こう?」
『ぅ……はぃ……』
聞いても居ないのに次々と墓穴を掘ってゆく標に見かねた黄泉路が割り込んで声をかければ、今にも消え入りそうな声が頭に響く。
どうにか落ち着かせると同時にどさくさにまぎれて標の部屋へと入ってしまった事に気づいた黄泉路は、同年代の女性の部屋へと上がりこむ、思春期としては間違いなく心乱される展開であるにもかかわらず一向に盛り上がらない内心に安堵すると同時に、なんとも言えない心境になるのであった。