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13-25 廻り始めた0時の先へ

 落ちる。堕ちる。――沈む。

 廻の意識が闇の中を揺蕩うように、底の無い闇の中を潜行してゆく。

 それは廻にとっては馴染みの感覚だった。


「(死――)」


 自分が死んだ時。精神が、別の世界線の過去の自分へと転送される刹那の瞬き。

 廻はこの世界を知覚する。

 粘りつく程の粘度こそない、しかし、指一本すらまともに動かせない四肢にとっては自らを包む水は底へと廻を引きずり込む沼に等しく、廻は何も映さない常闇をぼんやり見上げながら、ただ、沈み落ちるに身を任せていた。

 水で満たされた死後の世界は黄泉路の内に広がる幽世の世界に酷似している。

 だが、明確に違いがあるとするならば、そこには一切の光が無いということ。


 銀の砂はない。銀の大樹はない。――あの輝ける、銀の槍はどこにもない。


 自身が死に瀕して――もはや、死んだということを自認しているにもかかわらず、廻の内心はこの水中の様に凪いでいた。


「(まぁ、やるべきことは。終えました。見守れなくても、仕方がない(・・・・・))」


 心の内で呟くのはこれまで何万何億と繰り返すうちに身に着けた処世術。

 全てを理想通りに運べることなど不可能、であれば、最善でなくとも次善で満足できるならば上々というある種の諦観だ。

 その諦観は主に廻本人に向けられ、他者を、黄泉路を諦めることはなくとも、自身が途中で脱落する程度であれば許容範囲とすら割り切れてしまう。

 廻にしてみれば、今回は最高の乱数を引いた。そして、次の世界で役に立てる道筋(ルート)も開拓できたのだから、何も言うべきことはない。

 ただ、


「(……残してきた皆には、すこし……申し訳ない、ですね)」


 心残りというにはあまりにも些末、それでいてエゴに満ちたものだと、廻は自認する。

 その上で、それだけは切り捨ててはいけないものなのだと、戒めの様に、毎度の悔悟を噛みしめる。

 それすらも失くしてしまえば、廻は本当に何もなくなってしまう(・・・・・・・・・・)と理解していたから。


「(次は、もっと上手くやらないと)」


 意識は既に次へ。10歳の廻に精神が合流し、その覚醒がどれだけ早くなるかを考える。


「――?」


 ふと。どこまでも落ちていくような、水中に浮いている様な感覚が終わらない事に気づき、違和感を抱く。


「(なんで……)」


 いつものこと、そう考えていた廻だが、それにしては落ちる感覚が長すぎる(・・・・)

 この場所は廻が次の世界線へと向かうまでの、確定した死と能力が釣り合っている一瞬の世界のはずだ。

 にも拘らず、既に廻の思考は完全に機能しており、閉じても開いていても変わらない闇と静寂を強く自覚していた。

 過去にこのような事があったのは1度だけ。黄泉路が世界全てを(・・・・・・・・・)死の世界へと(・・・・・・)塗り替えた(・・・・・)ことによる生きながらの即死(・・・・・・・・)によるもの。

 その時は――


『――』


 ふわりと。背が押される感覚。


「っ!?」


 その感触は人の手に。自分が良く知る人物のものの手の大きさに酷似していることに、廻はハッと目を見開いて、動かない身体をもがこうとし、


『ありがとう』


 耳元に囁く様な、ともすれば水中の波音とすら錯覚してしまうほどの微かな声が、廻の意識全てを集約させる。


「(まって、あなたは)」

『もう、■■■――』


 背が、先ほどよりも強く押される。

 背中から巨大な泡に乗せられた様に仰け反り、廻の身体がふわりと浮かぶ。


「っ!!!」


 今度こそ振り返ろうと身じろぎを試みる廻の視界の端、先ほどまで向かうはずだった水底の側から沸き立つ無数の銀の粒子が上へ上へと立ち上り、それらが緩やかな渦を、螺旋を描きながらはるか上方で開かれた光の塊へと吸い上げられていく光景に、廻は何が起きているのかを直感的に理解する。


「(まって、ダメだ、僕は――!)」


 指ひとつ動かないはずの身体が、上昇するにつれてごぼりと、口が開いて呼気の代わりに気泡が立ち上る。


「いやだ……」


 零れた言葉が何を伝えたくて発したのか。それすらも纏まらないままに、ただ、振り返らなければ。手を伸ばさなければという意識だけが先行して、泡の上で寝返りを打つように身体を反転させ、うつ伏せの泡を胴体で抱える様な形になりながらも銀の奔流が立ち上る水底へ手を伸ばす。


「黄泉――!」


 暗闇と銀の狭間。黒い長髪を水の揺蕩いに任せて広げた、暗闇よりもなお黒い、死という概念そのものとも思える様な少年が、廻を見上げていた。

 廻の良く知る顔が、嬉しそうに、悲しそうに、愛おしそうに。廻の伸ばした手に向かって、手を振って。


『行ってらっしゃい。そっちの僕をよろしく(・・・・・・・・・・)

「!」


 銀の飛沫が強く、眩く視界を埋め尽くす。

 奥底に佇む黒を塗りつぶすような奔流に呑まれ、眼を空けていられなくなった廻は口からごぼごぼとあふれ出す気泡と共に叫ぶ。

 その声が、自分が、何を叫んでいるかも分からないまま、廻の意識は浮上し――






 ぽたり、ぽたり。と。

 廻は頬に落ちる水滴の感触に、ぼんやりした意識を緩やかに取り戻しながら、やけに重く感じる瞼を薄ら開いた。


「あ……め……」


 ぽたぽたと降りかかる雨の暖かさ(・・・・・)に、呟いた掠れた声。

 だが、意識がはっきりしてくるにつれて、降り落ちるそれが雨でない事をぼんやりと理解し、目を瞬かせる。


「――姉、さん」


 仰向けの身体。意識が戻れば、ずきずきと全身が訴える痛みに顔を顰めてしまうが、それよりも、廻は自身の顔を覗き込みながら涙を流す姫更へと声を掛けた。

 ハッとした様子で眼を合わせ、涙が止まらない眼差しで廻を睨みつけた姫更は口角を下げたまま、


「ばか、うそつき」


 昔に戻ったような稚拙な言葉で廻を罵倒する。

 それだけの事を言われる自覚のある廻だ。甘んじて受け入れるように目を閉じ、それから切り返す様に問いかける。


「どうして、来たんですか」


 廻の計画では、栗枝芙蓉の視界を奪ったタイミングで姫更が部屋に突入し、廻と栗枝をあらかじめ作っていた密室へと送り込む。

 その後、姫更は他の面子と合流して黄泉路の下へと向かう手はずになっていたはずであった。

 姫更はあの場所からの唯一の退路であり命綱。一度本人が外に出てしまえば戻ることは難しいだろうこともあり、姫更には最後まであの場に残ってもらう予定だったにも関わらず、どうしてこんな所に来てしまったのか。

 問いかける廻の言葉は静かで力のないものだが、その調子に僅かに非難めいた気配があることを察した姫更は、それでも知らないとばかりに廻を睨みつける。


心配(・・)だから(・・・)!」

「――」

「心配だからに、決まってるでしょ、バカ」


 なんだそれは。理由になってない。

 廻は寝起きとも言える頭で、取り繕われた理性よりも感情が強く出た思考のままに口を開く。


「姉さんが一番大事にしなきゃいけないのは、黄泉兄さんでしょう……」


 黄泉路に対して恋慕とも親愛とも区別がつかない好意と献身を抱いているから。その特異な能力を引き込めればあらゆる動きが容易になるから。そうした理由で、姫更を早々に自身の暗躍の共犯者に選んだ。

 最終的には何があっても黄泉路の為に動いてくれる、その確信があればこその選択だったはずなのに。


「黄泉兄は大事。でも、廻が大事じゃないわけないでしょ」

「っ!」


 またしても泣き出しそうな眼差しで睨まれてしまえば、時間を経るにつれて鮮明になる理性が失敗を悟る。


「仲良くなり過ぎましたか」

「違うよ」


 この世界線で確実に暗躍するために、行動範囲や戦略幅を広げる為に姫更を口説き落とした、その距離感を間違えたと自嘲する廻に、姫更は即座に否定を口にした。


「ここまで仲良くなってなかったら、私、廻に協力してない」

「――は、はっ……」


 廻の口から気の抜けた、呼気にも似た笑い声が漏れる。


「(必須条件がこの展開に繋がっているなら、この選択は初めから――)」


 続く思考を浮かべかけ、しかし、廻はじっと睨み続けるように見つめる姫更の視線が廻の思考を中断させる。


「間違って、ないよ」

「……」

「廻は間違ってない」

「なら、今から姉さんはあそこに戻れますか。あそこから撤退(・・)するには、姉さんの力が必要なのに」


 自分は本当に性格が悪いと自己嫌悪しながらも、廻の口からは文句とも、既に知っている事実の羅列とも言える言葉が零れてしまう。

 姫更はそれらを受け止め、その上で、


「大丈夫」


 そう、断言した。


「……理由を。教えてください」

廻は(・・)信じてないの(・・・・・・)?」

「――何を、ですか」

黄泉兄(・・・)

「っ」


 廻は言葉が出せなかった。

 眼を見開き固まる廻に対し、姫更は更に言葉を紡ぐ。


「私は皆を信じてる。きっと、大丈夫」

「理由に、なってない」


 漸く漏れ出た廻の口からは否定が飛び出すが、その実、本心でそれを口にしているわけではない事を、廻自身が強く自覚していた。


「廻みたいに、色々知ってるわけじゃない。でも、私が知ってる皆を信じる事は出来る」

「……」


 廻は静かに、痛みに慣れてきた身体を置き上がらせようと力を入れる。

 どうやら膝枕されていたらしいと今更になって気づいたものの、上体だけを起こした廻が辺りを見回し、


「……その辺に居るんでしょう? 盗み見するくらいなら出てきてください」


 陥没した斜面、瓦礫が土砂と交じり合って出来た空白地帯の中に響いた声が宙に溶けるより早く、ふたりの男女が姿を見せた。


「良い雰囲気を邪魔しちゃ悪いかなーって気遣いだったんだけどー」

「のぞき見してる人間が言っても説得力無いんですよそれ」


 何もないように見えた空間から滲み出るように姿を現した、この場に似つかわしくないレディーススーツ姿のOLにしか見えない女性、【領域手配師(エリアマネージャー)郭沢(くるわざわ)来見(くみ)の軽口に廻が半目で睨むように返せば、来見は降参とばかりに肩をすくめてすぐ隣に立った廻とほとんど歳が変わらなさそうな美少年へと縋る様にもたれかかる。


「ひどぉーい。ちゃんとお仕事(・・・)してたのにー。ねぇユイくーん」

「まぁまぁ、クミさんも頑張ってたのは僕も知ってます」

「あぁーん、ユイくん最高ー癒されるぅー」


 ユイ、と呼ばれた美少年が甘やかす様に来見を撫でる。

 歳の差恋愛のようにも見えるが、その内実を知っている廻は深々と溜息を吐いて僅かに視線を逃がせば、姫更が僅かに首を傾げながら来見達を見ており、


「はぁ。目の毒ですからあまり視界に入れない方がいいですよ」

「なんで?」

「無二の役割と能力があって便利だから契約してますけど、あのショタコン隙あらば僕と兄さんの貞操狙って来ますからね」

「……あの子が彼氏じゃないの?」

「情操教育に良くないので後日にしましょう。それより」


 ぐっと、力を入れて立ち上がった廻がふらりと重心を傾がせるが、それをすぐに姫更が支え、廻が来見へと再び視線を戻して口を開く。


「首尾は」

「全て恙無く。貴方が執心していた人物は確実に死んでいる事を、私が保証しましょう」

「そう、ですか」


 依頼主と被雇用者の会話になった途端、口調を完全に仕事モードに切り替えた来見の言動に廻は静かに息を吐く。


「ありがとうございました。これで僕からの依頼は完了になります。成功報酬は既に口座に送られているはずなので確認をお願いします」

「……はい、ええ。確認しました。いい取引が出来ました。今後とも、場所(・・)の手配は【領域手配師(エリアマネージャー)】を御贔屓に」

「案外、そう遠くない未来に再度依頼することになるかもしれませんね。その時はよろしくお願いします」


 事務的な会話を終えると、途端に来見の眼差し邪なものが宿るのを感じ、


「あ、それならこれから打ち上げって事でホテルに行かない!? 廻くんとユイくんで私と――」

「姉さん、飛んで」

「あ、うん」


 パッ、と。どこかの室内の匂いを残して掻き消えた廻と姫更、陥没した廃墟――その地上部だったはずの草木に飲み込まれた(・・・・・・・・・)旅館跡(・・・)に取り残された来見は伸ばしかけた指が空を切った事に静かに落胆する。


「お疲れ様、クミさん。そのホテルは僕と一緒に行こう?」

「そ、そうよね! うんうん! ちょっと性急すぎたよねー。大丈夫、ユイくんがいれば私幸せだから!」

「悲しさも寂しさも、全部僕が受け止めてあげるから」

「きゃー! やっぱりユイくんしか勝たんー!!」


 その静けさを裂く様な残念過ぎる女の声が山中に響くが、その声は幸いにして、指定空間を隔離するという能力によって外に漏れることはなく。

 近場に停めてあった車に乗り込んだふたりはその場を後にする。

 ――かつて、夜鷹の止まり木(・・・・・・・)と呼ばれていた旅館跡には、枝葉が擦れる細やかな静寂と、鳥たちの囀りだけが木霊していた。

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