13-20 奈落に瞬く星
逢坂の足元に引き戻された影がうねり、ゆらゆらと触手の様に足元から沸き立って矛先を遙に向ける。
その様子に遙は迂闊には近づけない事を確信しつつ、右の親指と人差し指で耳朶を飾った覚醒器に触れ、新たな幻影を生み出すべく意識を研ぎ澄ます。
「死因、な。オレはそうは思わないぜ――っと!」
またひとつ、握った掌から生み出す様に、星の瞬きにも似た淡く優しくとも周囲全てを等しく照らす光の塊が宙に浮く。
「黄泉路をここで足止めさせられねー以上、オレが残るのが最善だ。お前にこの光は潰せない。それだけでも十分な勝ち目だろ?」
実際、逢坂の能力は一般的な強化や元より殺傷力を持つそれらとは趣が違う。
影という、本来ならば質量もない、ただそこにあるだけの光の反射が生み出す濃淡でしかない現象を操作するというだけの無害なはずの力。
それが質量を伴った事で変幻自在な殺意をむき出しにして襲い掛かってくるのだから、どこまでも実物を武器にせざるを得ない彩華は相性が悪い。何せ、自身が生み出す刃にも影は落ち、影はそのまま逢坂の力となってしまうのだから、物量勝負になれば最終的には逢坂に軍配が上がってしまうだろう。
であれば空間を飛び回る姫更や、未来を読む廻はどうかと言われればそちらも相性がいいかと問われれば疑問だ。
何せ姫更にしろ廻にしろ、最終的な攻撃手段は銃器などに頼らざるを得ず、飛び道具故に影の影響を受けづらいとはいえ、それで大質量を取り込んだ影を貫けるかと言えば難しいだろう。それは、以前神蔵識村の病院跡地にて逢坂と相対し引き分けた“落星”――明星ルカが証明している。
残る黄泉路とて、相性がいい悪いではなく単純なゴリ押しでの勝利ならば得られるだろうが、それにかかる時間を捻出するだけの余裕が無い今現在において、遙がこの場を受け持つのは最適解と言えるだろう。だが、
「ひていは、しない、わ。でも」
最適であることがこの場における最善であるわけではない。
逢坂が腕を広げ、まるで糸繰り人形を操縦する様に手を振るえば、足元から沸き立つ影が2本、先ほど振りかざしていた1本よりは細く、しかし、鋭く素早いそれを遙へと差し向けながら逢坂は小さな声で断言する。
「まぼろしは、しょせん、まぼろし、よ」
影の鞭を掻い潜る様に走り、都度、危ういタイミングで手元に光を生み出しては宙に置くことで影を歪めて被弾を避ける遙を油断なく見据えながら逢坂はこの戦いは時間をかけても問題がない、そう判断する。
「(たしか、に。まぼろしを消す、しゅだんはない。けれど、せめてにかける、のは、かれのほう……まぼろしに、じったいがない、から、そのこうげきも、きずにはならない……きをつけるべきは――)」
逢坂によって薙ぎ払われた家具を避けながら、着実に光をばら撒いて逢坂の影を制限しようとしている遙の手元をジッと見つめる。
「(たぶん、あれがゆいいつの、ぶき、よね?)」
疎らな光を反射する小振りなバタフライナイフ。
脅威度としては高くない。しかし、遙の手にある唯一の武器だろうそれさえどうにかできれば物理的な脅威は消えてなくなり、あとはどれだけ時間が掛かろうと、最終的には逢坂が勝つという目算が立っている以上、逢坂愛に焦りはない。
むしろ、足止めを求められている以上、黄泉路達を素通ししてしまった事は失点ではあれど、トリッキーで乱戦であれば万が一もありうる能力者を留め置けたのは幸いだったとすら考えていた。
「(うおー!! 危ねぇ! 掠った、今掠ったっ!?)」
対して、遙は内心でほぼほぼ絶叫していた。
2本に増え、細くなりはしたものの鋭さは増したようにすら感じられる影を何とか掻い潜りながら幻の光を生み出して影を制限する遙は必死に足を動かす。
足を止めての能力戦では質量を持たない遙の能力では万が一の勝ち目もなく、また、相手の影が万が一抜けてきた際にはそれだけで勝負がついてしまう。
その為、遙は影を牽制できることを前提としながらも常に足を動かし移動を繰り返し、その上で幻を織り交ぜて遠近感を歪ませることで何とか猛攻に対処していた。
「(つってもこのままじゃジリ貧だよな……)」
逢坂が影を操る速度と遙が光を生み出す速度。そこには徐々にではあるが明確なラグが生じ始めていた。
イメージだけに集中できないという事情もある。影を操り、突き刺し薙ぎ払い叩きつけるだけでいい逢坂に対し、遙は光がどのように発生し、どのように周囲を照らすのかまで具体的にイメージする必要があるという精密さが必要という点も、大きな理由の一つであろう。
だが、それと同時に遙を苛んでいるのは、能力を行使するたびに奥底から滲み出る様な予感にも似た、何かに触れている様な違和感が、遙の繊細な能力の行使に微弱な影響を与え続けていることも、大きな理由として戦況に影を落としつつあった。
「うおっと!」
咄嗟に、バタフライナイフを狙った影に対して刀身を光で包むことで影そのものを押しのけた遙は精細な幻覚を生成する為に戦闘が始まってからずっとフルで回し続けてきたことで生じた頭の片隅を占める様な痛みに仮面の奥の表情を顰めながら強く床を蹴って大きく跳ぶ。
「あー、クソッ、このままじゃ埒が明かねーってんなら、明かせて化かして魅せよーじゃん! 《祭囃子》!!」
遙は大見栄を切る様にバタフライナイフを手の中でくるりと回して逆手に持ち、両手で大きく印を結ぶ様に見せる。
2本の影を操る逢坂は大仰な言動に警戒を見せるも、所詮は幻覚。本体さえ貫けるならば問題なしと断じて影の槍を差し向け――
「え」
目の前に広がる、活気に満ちた無人の境内に一瞬、目を奪われる。
足元で鳴る、じゃり、という砂を噛んだ石畳の質感。何処からともなく鼻腔を擽る甘じょっぱい匂い。遠くから聞こえてくるような太鼓と和音を奏でる気鳴楽器の旋律が木霊する。
「なに、これ」
それは逢坂が知らないものだ。逢坂は研究所で育ち、研究所で生き、我部の為に使われることを良しとしてきた人間だ。
当然、祭りなど縁があるでもなし、必要のない知識は与えられず、当人も求めることが無かったが故に、逢坂は突然発生した謎の光景に目を瞬かせ、直後に遙による何らかの攻撃であると断じて警戒を強める。
「――っ!」
不意に背後に人の気配がし、咄嗟に振り返りながら影で薙ぐ。
だが、そこに人の姿はない。あるのは、足音、肌触り、声の残響。それらで再現された幻の雑踏。
人の姿はない。ただ、人を形成する気配だけが残留した、幽霊の様な人々の残滓が行き交い、時に逢坂をすり抜ける様に触れるのはある種のホラー体験と言えたが、正常な人生経験を持たない逢坂にとって、それはたんなる幻覚によるストレス作用に過ぎず、それら一切を無視することに決めた逢坂は視点を遙に固定して影を練る。
「お、かし、な。こうけいだけれど、さっきの、ひかり、だけのほうが、つごうがよかった、んじゃないかし、ら」
「さぁな。単に俺のやる気が上がるからって理由かもしれねーぜ?」
「そう。 ……でも、わたしにとって、も。つごうが、いいわ」
「ッ!」
本来の祭囃子よりも光源を増やし、光量を増して華やかな祭りの光景を作り上げたつもりだった遙だが、それでも、先ほどの様に光だけに注力して影を作らない事を意識していた状況と比べれば影となる場所が増えてしまったことで面積を増した影が遙に振り下ろされる。
幻で作られた屋台や木々の影は取り込まれたところで質量はない。だが、それはあくまで幻の影であり、逢坂が操っているのは元々の部屋に満ちている実物の影だ。
幻のベールで覆い隠され、逢坂自身が認識できていないからこそ支配下に置けていない実物の影だが、一度影と認識しているならば、それは実際の影の元となった物体の質量を伴って逢坂の武器となる。
「なにを、かんがえている、かは。しらない。きょうみも、ない、わ。だけど」
「く、ッ」
「しかけにこった、のが、しっぱい。だったわ」
駆けだす遙の足取りは歪だ。それは実際の物体を消せるわけではない遙が自身が生み出した幻が作る影と、実際に存在する家具などの障害物を避けながら動かざるを得ない事を意味していた。
明らかに先ほどまでよりも自らの動きを制限している、そうとしか言いようのない遙を追い詰め、黒々とした刃が遙の腕を掠める。
「痛、ッ――」
二の腕を服の上からざっくりと割く様な赤が線を引き、衝撃でバタフライナイフが床に零れ落ちた。
それを逃さず、逢坂の影は遙ではなく、床に転がったナイフへと殺到し、
「これで、あんしん、だわ」
くしゃり、と。床に転がったナイフが影に呑まれて丸め込まれ、これ以上の物理的な殺傷力はないと確信した逢坂は前髪に隠れた口元を緩める。
僅かに気が緩んだ、その瞬間だった。
――ふわり、と。
誰かが背後から首筋に触れる感触に、一瞬身体がびくりと硬直する。
「――また、このまぼろし?」
「さぁ。何が狙いだろーな?」
生理的な拒否感が出そうになる。だが、幻覚である以上は目の前に相対する遙が何かを狙っているはずだと断じた逢坂は意識を逸らされぬようにと影を遙へと差し向け、
「かんけいない、わ。ておいの、あなたは、もう、なにもできな、い」
腕を伝って指先からぬるりとした赤色の雫が滴る狐面の青年へと影が奔り、
『いえーーーい!!! オペ子ちゃんラジオの時間だぞぅ!!!!』
頭を直接かき回すような、思念の暴力に殴りつけられた。