13-18 示されたリミット
底知れない闇へと向かう様に、螺旋を描いて外周を降る緩やかなスロープ状の通路を歩く。
道幅はそれなりに広く、仮に自転車やバイクなどの小型の乗り物が通ってもすれ違えるだろう程度の道を、黄泉路達は自然と決まった隊列を組んで進んでいた。
「……しっかし、長いな」
「そうね。帰りもここを登ると考えると憂鬱だわ」
降り始めて暫くすれば長い沈黙に耐えかねた様に遙が不平を漏らす。
普段は窘める側に回る彩華すら便乗して溜息を吐く辺り、終わりの見えない、そして変化に乏しい通路には辟易としている様であった。
普段から鍛えている彩華や、最近は鍛えられた成果が目に見え始めてきた遙ですらそうなのだ。
日頃運動らしい運動もしていない――にも拘らずプロポーションが維持されている事に彩華からの密かな嫉妬を向けられている――標などは既にへとへとの様子で黄泉路の背に居座っており、
『うー……やめてくださいよぅー。ただでさえ足が攣りそうなのにそんなこと言われたらもう動けなくなっちゃう……』
「もうすでに動いてねぇじゃん」
『……あ、でもでも、帰りは姫ちゃんに頼ったら良くないです!?』
黄泉路に背負われた状態で疲労を訴える標に遙が突っ込みを入れれば、痛いところを突かれた標は話を逸らす様に姫更の能力に期待を向ける。
「……ちょっと、難しい。かも」
それを受け、姫更は少し考える様に首を傾げた後、申し訳なさを滲ませるような声音で答える。
期待していた返答でなかったことに標はガクッと肩を落とし――文字通り、体重を今まで以上に黄泉路に預ける様に物理的に沈み込み――黄泉路は不意に掛かった重心の変化に足を取られないようにしながらも会話に加わる。
「それってどういう?」
黄泉路からすれば肉体疲労は無縁のものだが、いざという時の要である姫更が言葉を濁した事について気にしないわけにもいかない。
歩みは止めないままに、姫更は考えを纏める、今感じている所感を言語化する為に僅かに沈黙した後に口を開く。
「ん、と。ここ、空間的に、外と違うから、物のやり取りは出来ると思うけど、人の行き来は、ここを出る限定、かも」
「……外からここには戻ってこれない、ってこと?」
「たぶん。わたしが中にいるから、外には連れて行ける。けど、外から中には、連れて行けないと思う」
「撤退したら再突入は難しい、そういう事ね?」
「そう」
姫更は通常、意志を持たない物体に関してはマーキングさえしてあれば地球の裏側からであろうが取り寄せたり送り込んだりすることができる。
対して、人や動物の様に意志を持つ者については遠方から自身の下へ手繰り寄せるようなことは出来ず、自身が手を触れて対象を指定座標へ飛ばす、または一緒に飛ぶことしか出来ない。
空間が根本的に違うこの建物に転移する事は姫更単独であっても難しく、姫更が転移できない以上、人を伴っての転移や人を送り込む転送は使えない。
一度撤退してしまえば次は開いているかもわからない入口から再度侵入を試みなければならないとあれば、姫更による外への転移は最終手段になるだろう。
「逆に言えば上手く行きさえすれば帰りは気にしなくていいってことだろ?」
気を取り直すような遙の言葉。当人も気休めで言っているのは自覚しているらしく、普段よりもやや楽観的な声音で出された音が一行を取り巻いていた空気を払拭する。
「そうだね。今は歩深ちゃんを連れ帰る事だけ考えよう。もし、歩深ちゃんに手が届かなかった場合は皆の安全を優先する。ここが存在することは確かめたんだし、何かしら方法はあるはずだから」
極端な話、出入りする人間がいる以上、アクセスする方法はあるはずだと、黄泉路が改めて方針を口にする。
歩深を取り戻したいのは本心からだが、だからと言って仲間が失われるかもしれないリスクは冒せない。
「――。しっ。そろそろ終わりが見えてきたみたい」
「ッ」
彩華が皆に声を落とすよう指示を出す。
それだけで空気が引き締まり、各々に緊張が走るのが仮面越しでも見て取れた。
遙がちらりと手摺りの先に視線を向け、闇の中にうっすらと床か天井かはわからないものの、確かに終わりがあるのを確認して小さく唾をのむ。
流れで上を見上げれば、自分たちが降ってきた長く深い縦穴が天へと広がる様に伸びており、いつの間にこれほど降りてきたのかと僅かな時間ながら感慨深い気持ちが沸き上がっていた。
『あ、じゃあ私もそろそろ降りますー。こっから先は気を引き締めていきましょー』
「それじゃあ、遙君。よろしくね」
「おう」
一行が先へと進むと、螺旋を描く通路は吸い込まれるように床の中へと続いていた。
先頭に立つ黄泉路がスライド式の扉を慎重に開き、続く廻と姫更、標と遙が、最後に殿となっていた彩華が続く。
「……」
吹き抜けの回廊とは打って変わり、扉の先は蛍光灯の明かりが満ちた光景に黄泉路の後に続いて入ってきた面々は仮面の奥で目を細めた。
部屋は一見すると何もない、ただ広いだけの空間である様に見受けられたが、一番最初に気づいた彩華が視線を上へと向ける。
「……ここも反転しているのね」
見れば、部屋全体を照らす明かりは床に埋め込まれたもの。そして頭上には本来の天井と床が入れ替わる様にモニターや機材が宙吊りにぶら下がっていた。
頭上注意、と黄泉路達へと声を掛けようとしたタイミングで、彩華の後ろで扉がシュッと音を立てて施錠される。
「!」
次いで、宙吊りにされたモニターの中でも一際大きな正面中央に設置されていたものが点灯する。
「お早い到着だね。まだ君を招いたつもりはなかったのだが」
「――我部幹人!」
モニターに映し出された男を黄泉路は仮面の奥で強くにらんだ。
画面の中、広い空間に立つオールバックに撫でつけた白髪に神経質そうな目を覆う薄いフレームの眼鏡をかけた男性の背後には、巨大なシリンダーとも、水槽とも呼ぶべき装置が2本も聳え立っており――
「歩深ちゃん!!」
「死なない人……皆、何で……?」
我部のものとは違う、艶やかな腰まで届く様な白髪に真っ赤な瞳の少女が貫頭衣に身を包んだ状態で収容されている姿に思わず声を荒げると、画面の中の歩深が眼を見開いて狼狽した。
その顔には、どうしてこの場所に来たのか。何のためにやってきたのかという疑問がありありと浮かんでいるようで。
「事情は後で聞く、その為にも君を迎えに行くから」
「――あ」
端的に目的を告げる黄泉路に、歩深は目を瞬かせ、今度は驚いたように小さく声を漏らした。
「もう助けたつもりなのかい?」
「……その為には、貴方が邪魔です」
「ふふふっ。邪魔、邪魔と来たか」
何かが琴線に触れたのだろう。我部は含むような笑いを漏らしながら黄泉路の言葉を繰り返し、それからゆっくりと画面越しに黄泉路達へと向き直る。
「君達は奴から何も聞いていないのかい?」
「リーダー……神室城斗聡さんから、ですか」
斗聡の名前を出した黄泉路に、我部の目つきが僅かに鋭くなる。
「能力者の頂点を作り出す計画を、その根幹に歩深ちゃんを据えていることも聞いた」
その先に何を目指すかは、恐らく斗聡も確信を持てていなかったのだろう。
だが、我部が口にした計画名から、斗聡はある推論を黄泉路に託していた。
「……」
旧世界再誕計画――旧き世界を生まれ変わらせる、新世界秩序の構築を端的に表した計画名だと、斗聡は推察した。
そして、それを主導する我部の思想。
上代縁が夢に描いて、そして道半ばで死んでいった、能力者が大手を振って生きられる社会の構築。
それらを併せて斗聡は我部の計画をこう推理した。
「――能力者が支配する世界、その頂点に君臨する。そんなこと、絶対にさせない」
無貌の仮面から覗く強い眼差しと共になされた宣告。
我部はそれに口の端を僅かに持ち上げたような微かな笑みともとれる表情を浮かべ、
「奴がそう推理したのか」
静かに、そう呟いた。
そこに込められた感情の多くは読み取れないほどに小さいもの。しかし、黄泉路は明確に、斗聡が示した推論に誤りがある事を理解する。
「――違うというなら、何をしようと言うんですか、貴方は」
「それを今、答える理由があるのかい?」
我部は眼鏡のずれを直す様に、指先でフレームを押し上げて口元を隠す。
その眼差しがモニター越しにぐるりと黄泉路達一行を見渡すと、我部は静かに告げた。
「とはいえ、君たちもすぐに知るだろう。聊か早いが、既に規定値には届いている」
「何を――」
背を向ける我部に声を投げかけた黄泉路は、しかし、続く言葉を画面の向こうに映るモノによって奪われる。
歩深を収容する巨大なシリンダーの隣、もう1棟の巨大なガラスの内側に鎮座するあまりにも巨大な想念因子結晶の塊が、我部の手元の装置によってか激しく色彩を変動させていた。
その様子は、歩深と想念因子結晶が共鳴している様にも見え、
「態々君たちに侵入を察知している事を知らせる為にモニター越しに会話をするはずがないだろう?」
「時間、稼ぎ……」
「そうだとも。そして、たった今その必要もなくなった」
「!」
画面の奥で、輝きが増してゆく。
それは我部の背後で後光の様に、揺らめく色相は世界を塗りつぶす様に瞬いて――
「ダメだよ。先生の人」
「ッ!?」
割り込むように、画面越しに載った少女の声が響くと同時に揺らめく色相がその勢いを減じさせた。
「歩深ちゃん!」
光が弱まると、画面の中では歩深が想念因子結晶へと手を向けて、何かを抑え込むように汗を滲ませながら表情を強張らせていた。
その姿を見て、勘違いを起こすものなどいない。
「水端君、初めから裏切るつもりだったのかい?」
「先生の人は、きっと皆を傷つけるから。歩深は、歩深の大切な人を守りたいから」
我部幹人が計画の要に水端歩深を採用する、そう理解した時から、水端歩深はこの機会を待っていた。
計画が成就する、そのトリガーとなるタイミングで、その成果を簒奪して制御権を奪い取る。
それによって自身の大切な人を守るのだと、歩深は強く決意していたのだ。
「だがしかし、詰めが甘い」
「うっ……」
「水端さん!?」
光が、想念因子結晶から漏れ出る光が再び強くなり、それに圧された様に歩深が声を詰まらせ、かざした両腕の一部にびしりとひび割れる様に亀裂が入る。
血が流れるはずのそこからはなおも強く輝こうとしている結晶と同じ色彩が漏れ出していて、傷口というよりは、侵食という表現が正しいような様相に彩華が思わず声を上げて半歩踏み出す。
「だい、じょうぶ……!」
抑え込む力と侵食する力が拮抗する様に、光の波が揺らめいて我部の影が床に踊る中、歩深は傍に立つ我部ではなく、画面の向こうの黄泉路達に向けているとわかる笑顔を浮かべ、いつものように告げる。
「歩深は出来る子だから」
直後、我部が操作したのだろう。モニターの電源がブツりと落ち、画面から発されていた想念因子の光が消えた事で、明るいはずの室内の光量が落ちたような錯覚を抱くのも束の間。
「来るわ」
彩華がモニターに目を向けていた面々を現実へ引き戻し、黄泉路達の前に躍り出るのと、壁や天井から無数の自律兵器が躍り出てその銃口を黄泉路達へと向けるなり、嵐の様な轟音とマズルフラッシュが瞬いた。
「っ」
「ここは私が引き受ける」
銃弾の嵐が目の前の壁に阻まれる。
金属の豪雨を防ぐ折り重なった刃の花で全員を包み込んだ彩華が振り返り、黄泉路達に告げた。
「無機物相手の集団戦は、この中では私が一番向いているもの。皆は先へ。時間がないわ」
「わかった」
「カウント3で突破口を開くわ。あとは、黄泉路君、引率をお願いね」
「彩華ちゃんも、後で合流してね」
「勿論」
3、と。彩華の口からカウントが漏れる。
既に標が彩華の知覚した下層への入り口を念話によって共有しており、全員が走りだせる準備が整い――
「1――行って!!」
地面に落ちた銃弾をも材料に、黄泉路達の通るべき道を一直線に囲いながら、その経路に存在する自立兵器を刺し貫いて鉄の彼岸花が咲き乱れる。
中央のみ無事な足場を駆け抜け、黄泉路達は階下へと続く道を駆け降りた。