13-17 リフレクションタワー
背後で閉まる扉の音の名残が静寂の中に消えてゆくのを感じるのも束の間、短い通路を抜けた黄泉路達は真っ白で殺風景なエントランスに視界を巡らせる。
外周を覆うガラスの壁、床材から壁、インテリアになるのだろう凹凸に至るまでが全て白で統一された空間と、それらを照らす頭上の白い電灯。
どれもこれもが先ほどまで居た表側のランドマークタワー1階の内装に酷似しており、よくよく観察すれば、その内装は左右を反転させたものであると理解できた。
だが、明確に違うと断言できる変化は大きく3つある。
「うへー……ガラス張りの外が真っ黒だと気味悪ぃな」
『ですねぇ。まるでガラス1枚隔てた向こうは何もないーみたいな、ホラー系の隔離空間っぽいのリアルでやらないで欲しいですよぅ』
「あー」
遙と標が言う様に、本来のエントランスであれば天井照明の代わりに内部を照らす日差しを受け入れていたはずの外周の窓の外は黒。
暗くて見通せない、というよりは、何もないから黒と認識するほかない、というような。不思議さよりも不気味さと恐怖が掻き立てられるような不可解な外部の様子を例えるふたりの言葉に、黄泉路はなるほどと納得した。
最も目に留まる窓の外と同じく、非常に目立つ残るふたつに言及したのは、最初にこの場所の構造が先の表側のタワーの鏡映しであると気づいた彩華であった。
「左右反転だけでなく、上下まで反転しているのね」
「エスカレーターが下層に向かってるから?」
「ええ。あと、エレベーターも下に向かって伸びているみたい」
塔の中央を貫く様に生えた巨大な円形の壁に内蔵された4基のエレベーター。
そのどれもが下層に向けたボタンしか取り付けられていない事を示す彩華に、遙はなるほどと頷いた後で何かに気づいたように首を傾げた。
「あ? じゃあ建物全部が逆さ向いてるってことは、今オレ達が立ってんのって天井? 床?」
うーん、と。唸りだしてしまう遙のどうでも良さげな疑問に答えられる者はいない。
いまいち気の抜けた――意識の切り変わりが遅いとも言う――遙に彩華は静かにため息を吐き、
「後にして。今は警戒しながら降りること、帰りの道を心配する事に集中して頂戴」
「お、おう」
注意された遙は漸く、ここが敵地の中核であることを思い出すと同時に表情を引き締め、進み出した面々に遅れまいと歩幅を広げる。
「じゃあさっさと降りちまおうぜ! その方が悩む時間も少ないし、まだバレてないなら即断即決ってな!」
ずんずんと歩き出す遙を追って、仕方なしと進み始めた一行だったが、遙がどこへ向かおうとしているのかをいち早く察した黄泉路が慌てて遙の背に追いついて襟首を思い切り掴んで引き留める。
「ぐ、ぇ。何すんだよ」
「遙君どこ行くつもり?」
「あ? そりゃエレベーターに決まってんだろ。こんなデカそうな建物一々降りてられねぇし」
「……はぁ。良い? 私達は今、潜入しているのよ? 相手方に露見していて泳がされているのか、それともまだ見つかっていないのかは分からないけれど、どちらにせよ、エレベーターは無しよ」
「えぇ? 何でだよ」
『んー。ざっくりいって、エレベーターって施設の動力で動いてるわけでぇ。施設内を監視する機能があるなら、エレベーターなんて当然の如く見張られてると思う訳ですよー。んでんでー、人がいないと仮定して、予定にないエレベーターの稼働があったらどう思いますぅ?』
「あ……」
「それに、エレベーターって言ってしまえば宙づりの密室みたいなものだからね。外部からの変化に気づきにくいし、奇襲された時の逃げ場所がない。加えて、もし相手にエレベーターの制御を抑えられたら、僕らは箱の中に閉じ込められることになる」
遙を連れ戻しながらもそれぞれが告げるエレベーターを利用しない理由に、遙はなるほどなーと納得を浮かべつつ、ボタンを押さなくてよかったと内心で安堵の息を吐いた。
エレベーターに向かおうとしただけでもリスクがあったのに、ボタンを押して稼働でもさせていたら注意はこの比ではなかっただろう。
「悪ぃ……」
何より、ただの注意というよりは、面々がそれぞれの安全に気を使って遙を引き留めているという事実が、遙が素直に非を認める要因になっていたのだった。
そんなやり取りを挟みつつ一行が向かった先のエスカレーターだが、そちらも当然の如く稼働しておらず、ただの階段として鎮座するそれを慎重に歩き、黄泉路の姿が階下へと消えてゆくのに従って各々が後に続く。
エスカレーターを降り切った先は本来であれば表側の地上2階に相当する、それぞれの外周施設から弧を描いて伸びる空中回廊が合流して賑わうことになるだろうフロアがあるはずであった。
だが、
「おーい、何立ち止まって――うっわ何だこれ」
『うひゃー。落ちたら下まで一直線ですねぇ……』
階段と化したエスカレーターを降り切った所で足を止めている黄泉路を不審に思った遙が追いつくなり尋ね、その直後に黄泉路が目にしていたものと同じものを見てしまったが故に驚きの言葉が口をつく。
次いで、降りてきた標が手摺りにつかまりながら覗き込んではすぐに黄泉路達の背に隠れるように身を引きながら感想を漏らす。
そこにあったのは奈落――そう見紛うほどに巨大な空洞が下層の闇に呑まれるほどに深く続く吹き抜けであった。
「深い、ね」
「姫姉さん、転移で降りたりしないでくださいね」
「ん、わかった」
エレベーターが内蔵されているだろう上階から下層へと真っ直ぐに伸びた太い柱を中心に、ぽっかりと口を開けた縦穴としか言いようがない巨大な吹き抜けを覗き込む姫更に廻が注意を促す。
確かに、姫更の能力であれば連続して転移を繰り返しながら下層まで降り、そこから現在の座標に向かって飛ぶことで時間を大幅に短縮できる可能性があるが、それは逆に言えば、姫更ひとりを先の見えない大穴深くに先行させるということで。
昨今の能力対策のレベルを考えれば、総本山とも言うべきこの空間に何か仕掛けが施されていても不思議ではない。
もし空中で転移が封じられてしまった場合、姫更はまず助からないだろう。
それを見越しての忠告に、姫更は小さく頷いて手摺りから離れた。
「とりあえずそろそろ付けておいた方がいいわね。さっきのフロアにはカメラもなかったけれど、ここから先は私も把握しきれないもの」
壁に抗能力素材が使用されているのか、それとも、空間そのものがズレた世界に作られた建物だからなのか。
彩華はこの塔の全体構造を未だに把握できていないと言い、その上で監視カメラ等があってもフォロー出来ないと、人数分、それぞれの意匠が施された仮面を作りだしながら手渡してゆく。
「ありがとう。ここからは慎重に、いつでも撤退できる様にね」
「命あっての物種って奴だよな」
「そういうこと」
狐をモチーフにした仮面を付けた遙が腕を曲げ伸ばしして準備運動の様に身振りをするのを横目に見ながら、全員が仮面をかぶった事を確認した黄泉路は先頭に立つ。
『それではー、しゅっぱーつ!』
歩き出した一行の脳内にのみ響く陽気な声とは対照的に、暗く静かな外周を歩き出した一行は深く続く闇に潜る様に、螺旋を描いて緩やかに降る外周通路を下へ下へと進んでいった。