13-14 水端歩深奪還作戦:side彩華・遙
水族館方面へと向かった年少組とは裏腹に、元一般人組とでも呼称すべきふたり――戦場彩華と真居也遙は大きな天窓から差し込む明かりに満遍なく照らされた広々とした空間を歩いていた。
屋内レジャー施設を固めて設営する為の巨大な建物は見晴らしの良さからともすれば屋外と勘違いしてしまいそうなほどだが、所々に屹立したオブジェのようなカラフルなそれらがこの場所が人工物のみで構成された空間であるのだと理解させる。
「うわっ! あれってボルダリングって奴? いーなー、オープンしたら遊び来てぇー」
「分からなくもないけれど。普段から似たようなことはしているじゃない」
「いや、あれは違くないか?」
さすがに、命綱があったとしても本物の岩肌を登るロッククライムは別物であろうと、遙が口を尖らせる。
彩華も自身で言っておきながら、それは確かに、と苦笑を浮かべて首を振った。
「そうね。本物の岩山を上る体験を屋内で安全に、が元々のコンセプトだもの。代替と呼んでしまうのは違うわね」
「もしオープンしたら遊びに来ない? 一緒にさー、その――」
「藤代さんの運動不足解消に丁度良さそうね」
「……だな」
デート、という言葉が遙の口から出されるより先に、むしろ、分かった上で流す様に別のグループに別れた運動不足な引きこもりを話題に上げた彩華に、遙はがくりと肩を落としながら同意を返す。
さすがに、彩華の話題逸らしの上から押しとおすほど精神的に逞しくない遙は深々と息を吐く。
「しっ。人が来るわ」
「ッ」
緩みかけていた空気を咎めるように彩華の短く小さな声が遙の姿勢を正す。
ふたりは素早く足音を立てない様に屹立するアトラクションの側へと身を寄せると、遙は自身の右の耳朶へと手を伸ばし、
「――」
柔らかな肉を穿って飾り付けられた硬質な感覚を人差し指と親指の腹で感じながら、遙は自らと彩華を覆う様に幻を投影する。
「……」
「……」
程なくして。かつ、かつ。という靴底が床を叩く音が遠くからぼんやりと聞こえ始め、その音が近づいてくるにつれてスーツを着た男性の2人組の姿がふたりの肉眼でも捉えられた。
「いやぁ、壮観ですね。これだけの広さの屋内レジャーが首都のど真ん中に立つのは中々ないですよ」
「いやはや、都市の再建計画と聞いた時にはどれだけの時間がかかることかと思いましたが、終夜グループはまさに大いなる巨人に相応しい」
恐らくは屋内レジャーの一角を勝ち取ることのできた幸運な企業なのだろう。
暫く雑談に興じながら、完成後には親子連れ向けのボールプールとアスレチックになる予定らしい区画を視察していた。
「それにしても、今回の政府の動きは例を見ない速さでしたね」
「ウチの担当者の若手が血相を変えて入札競争に今乗り込まないと波に乗り遅れるって言い出した時には何事かと思ったが、この速さを目にしてしまうとな」
「噂では新しく総理に就任した的井氏が強く働きかけた結果だそうですよ」
「戦後最も強いリーダーシップを発揮する新たなる総理大臣、いやはや、あの人がここまでの大きな絵図を描けるとはな」
声は次第に移動し、やがて遙と彩華が潜むアトラクションの側を通り過ぎて離れて行く。
区画が違うとはいえ、すぐ近くにふたりの部外者が佇んでいるとは露ほども思っていない様子で満足したらしい2人組が去って行き、その姿が完全に見えなくなったのを見計らった様に景色が歪む。
「ふぅ。いつまで居るんだよあのオッサン共」
「雑談が多かったのは確かね」
そんなぼやきと共に出てきた遙はアトラクションの縁に座り込み、彩華も高いオブジェに背を預けており、その待機時間がどれほど退屈なものであったかを物語っていた。
姿は見えないとはいえ、遙の幻影は現実に存在している物を上書きしているわけではない。
音を立てれば当然漏れてしまうし、臨機応変に対応できるとは言え範囲の外に出てしまえば姿すらも丸見えになってしまうのだから、安全策を取るのであれば必然的に2人組のスーツの男が立ち去るまでふたりは黙して息を潜めている必要があったのだった。
何もない状況で隠れ潜む場合ほど神経をすり減らしてこそいないものの、その時間の分だけ気を張って居なければならないというのは苦痛であるのには変わりない。
漸く普通に口を利けるようになった事と合わせ、彩華はふと気になったという様に遙へと視線を向ける。
「そういえば、調子は治ったのかしら?」
「ん? ……ああ。能力のことか。まだ違和感はあるけど、少なくとも今まで出来た事は出来るし問題ねーよ」
遙が左手の人差し指を立てて指先に火を灯したように見せ、その火がふわりと蝶に変って天窓から差し込む日差しの線の中に飛び込み消える。
それを見送った彩華は納得する。先ほどの幻も一般人とはいえ近くにいた事を一切悟らせなかったことも含めれば遙が強がりを言っているわけではないと理解できていた。
それに、と。遙は立ち上がりながら大きく伸びをしつつ懸念を払拭する様にへらりと笑う。
「どっちかってーと解像度とか規模感とかは上がったんだ。だから、これからも頼りにしてくれて良いぜ」
「そうさせてもらうわ」
それが能力としての成長による違和感なのか。はたまた別の要因による何かなのか。
当人にもわからない事をあれこれ話し込んでいても仕方がないと彩華は結論付け、遙が立ち上がったのに合わせて重心を預けていたオブジェから背を離す。
「貴方も観察して、何か気づいたり思いついたことがあったら共有して頂戴。私も、構造的な観点から発見があったら教えるわ」
「了ー解」
歩き出したふたりは並んで設営途中か、または既に大枠は完成しているらしいアトラクションを眺めながら奥へと進む。
「んー」
「……」
明るさもあり、何かが隠せるような空洞もない。元より平時は若者で賑わうことを前提としている場所は何かを隠すには不向きだろうと両者の中で推測が進み、管理側の人間の為のバックヤードに足を延ばす。
窓もなく、今日この場の往来が想定されていない事もあって照明もついていない為昼だというのに真っ暗に近い暗さであるものの、扉の上部に取り付けられた非常灯の緑の明かりがぼんやりと輪郭を映し出す通路に遙が幻影で明かりを灯せば、そこに現れるのは何の変哲もない――逆に言えば、細工の施しようもないまっさらな通路。
「そろそろ次のエリア行こうぜ? さすがにこの場所には何もないだろ」
バックヤードを通り、終点から再び表側のレジャー施設に戻ってきた遙が退屈だと首を振った。
その態度は見落としがあったらどうだと苦言を呈してしまいそうになるものではあるが、彩華としてもこの場所に手掛かりがあるとは思えなかったこともあり、小さく息を吐いて頷くに留め、
「そうね。手分けしているとはいってもここだけに時間をかけるのは皆の負担になってしまうもの」
「じゃあ次何処行く? 屋内レジャーみたし、シネマフロアとか!?」
「……観光に来ているわけでは、ないのだけれど」
呆れつつも、映画館などであれば暗所も多く部屋数も誤魔化し易いのではないかという合理性を見出してしまった彩華は強く否定することもなく、気分転換が出来るとばかりに歩く速度を心なしか早めている遙を追って、少しばかり大股で隣に並ぶ様に歩き出すのだった。