13-9 握らされた手掛かり
廃道を抜け、疎らながらに明かりの灯った地下鉄の整備道へと合流を果たした黄泉路達が案内に沿って地上へと上がる頃には陽はすっかり傾き、遠くの空が藍色へと変わり始めていた。
人目を避け、猫館の待つホテルへと帰還すれば、常群に肩を貸して歩く永冶世の様子に猫館の涙腺が決壊し、それを宥めるためにすぐにでも休ませたいはずの永冶世がフォローに回るという珍事があったものの、陽もすっかり落ち切った今となってはベッドの上で規則正しい寝息を立てる永冶世の呼吸音と、健全な照明の下で見張りをする黄泉路と常群の沈黙という落ち着いた静寂だけが室内に満ちていた。
「とりあえずは何とかなったな」
「でもよかったの? 猫館さんを追い出しちゃって」
「ああでもしなきゃ落ち着かなかっただろ」
「あー……」
地下道の時とは違う、心地の良い静寂の中でぽつりと呟かれた常群の声を皮切りに他愛のない話へと広がる。
そうして話題に上がるのは、今はこの場にいない猫館の慌てぶりと、永冶世を休ませる為に猫館を一度外に放り出した常群の判断について。
大の大人がああも大泣きするんだなぁなどと、初対面であるが故にフラットな目線で猫館を見ていた黄泉路ですら一瞬で猫館がどういう人物なのかを察してしまったほどに騒がしかった帰還時を思い出しつつ、視線をベッドで寝息を立てている永冶世へと向ける。
脱出までは緊張感だけで意識を保っていたのだろう。ベッドに横にされるなり、1分と立たずに意識を失う様に眠りについてしまったが、失踪した日付と状態から良くここまで意識が持ったものだと感心してしまう。
「……出雲、ちょい」
「ん?」
常群の呼びかける声で永冶世から視線を外した黄泉路は向き直る。
ベッドに寝かせる際、監禁中や脱出中についた汚れもあったために脱がせた上着を調べていたらしい常群が手に何かを持ってテーブルへとやってくるのを見て、黄泉路は手元へと視線を向ける。
「ドライバー?」
「ああ。発信機とか付いてたら嫌だし、さすがに下着まで引ん剝くのは嫌だからな。上着だけでも調べてたら出てきた。どう思う?」
常群が問うのは、それ以外の所持品が綺麗に奪われた――もしくは持ち込んでいなかったかは本人のみが知る所だが――永冶世が、脱出の糸口として使ったであろう唯一の所持品。
脱出に使えそうなものを監禁場所に残しておくなどというのはフィクションの中だけで、本気で監禁するつもりがあるのならばそもそも衣服すらはぎ取って閉じ込めることすら選択肢に入るというもの。
そんな中、明らかに脱出にも、簡易的な武器としても使えてしまいそうな代物を永冶世が持っていた理由とはなんなのか。
「……マイナスドライバー、形状もサイズもぱっと見は市販品だよね。潜入するのに態々これ1本を持ち込む理由はないし、現場にあった物って考えるのが自然だけど」
「そこは同意見……出雲、これ見ろ」
手の中でドライバーを玩んでいた常群が何かに気づいたようにドライバーの一点、グリップの底に近い場所を指先で示す。
注視した黄泉路は照明の下で光沢もなく照らされる樹脂製の持ち手部分、その一部が綺麗に外周を回る様に線が切れ目が入っている事に気づく。
「普通の製品だとここに切れ目は無い、よね? どこかで破損したにしては線が綺麗すぎるし」
「ちょい待ってなー」
テーブルの上へとドライバーを置くと、常群は部屋の端に置いた自身の鞄から慣れた手付きで引っ張り出した小道具入れから、ちょうど狭い隙間にねじ入れてこじ開けるのに向いた――というより、その用途で使うつもりで持ち歩いているのだろう――金具を引っ張り出して再び席へと腰掛ける。
金具を小さな隙間へと差し込み、テコの原理でこじ開け始めれば、元からそのように開けられることを想定していたかのようにグリップの底は小さな音を立ててテーブルへと転がった。
同時に、
「これは」
グリップの中、本来ならば樹脂が詰まっていてしかるべき場所に空いた空洞から丸められた紙が滑り落ちた。
ドライバーと金具で手が塞がった常群に代わり、拾い上げた黄泉路が紙をテーブルの上に広げる。
「手紙か?」
広げられた紙片には文字が書かれており、逆側から一目見た常群は永冶世に宛てたメッセージだと認識した。だが、
「……僕宛てだ」
「!?」
正面から文字を見た黄泉路はすぐに、その文章が自分に向けられた物だと理解する。
常群が永冶世の救出に黄泉路を連れて行く判断をした事実を知るものはこの場のふたり、そして――
「戻りましたーっす」
ノックもなく両手にパンパンに膨れた買い物袋を持った猫館が帰還するなり、ふたり分の視線が突き刺さる。
「――え、えーっと……」
扉を開けた時の勢いは一瞬に鎮火してびくりと身を硬直させる。
「いや、猫館さんじゃないよ」
「……だよなぁ」
「え、え? 何の話!?」
まず黄泉路が視線を外せば、続いて常群も気を抜いたように視線を外す。
話にまるでついていけない猫館だけがきょとんとした顔で入口に突っ立っているのを見かね、常群が息を吐きながら手招きする。
扉をいそいそと閉めながら入ってきた猫館が袋をテーブルへ置こうとするので紙と分解したドライバーをさっと退かせば、すぐにテーブルの上が袋に占領されてしまう。
「いやー、色々買ってたらそこそこ時間掛かっちゃって。永冶世さんは消化が良いものとして、ふたりが何を食べたいか聞いてなかったから適当に色々買ってきたよ」
気の抜ける笑みを浮かべる猫館に黄泉路も常群も思わず気が抜けてしまう。
常群などは手渡されたパスタのプラスチック容器の上に更におにぎりが積まれる光景に驚きと困惑、そして付き合いからくる呆れにも似た視線を猫館に向けており、猫館はそんな様子にも気づかず黄泉路にも同様に複数の主食足りえるメニューを渡し始めていた。
「ふたりとも若いし一杯食べるだろうと思って。ふたりには永冶世さんを助けてもらった恩があるから、一杯食べて欲しくて」
「はぁ……」
歳の割に精神年齢が幼く感じてしまうのも、猫館の人柄故だろうか。
そう考えてしまいながら、曖昧に頷く黄泉路の耳がベッドの方から聞こえた小さな声を捉える。
「……っ」
見れば、ベッドで寝ていた永冶世が眼をこする様に腕を動かしており、明確に意識が戻ったのが見て取れた。
「永冶世さん! 目が覚めたんですね! 何か食べれますか!? 俺おかゆとか買って来ましたよ!」
「……ああ。少し寝たらマシになった」
起き上がろうとする永冶世を甲斐甲斐しく支える猫館の様子に、黄泉路と常群は小さく息を吐きながら手渡された食事をテーブルの上に置いて永冶世の方へと顔を向ける。
「猫館さん、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」
「っつーか、先に飲み物の方が良い。ほら、スポドリ」
「あ、ありがとう! 永冶世さん、飲めますか?」
「そんなに気遣わなくても大丈夫だ」
常群が袋から取り出し、投げ渡したスポドリをあわあわと受け取った猫館がキャップを開ければ、永冶世はゆっくりと受け取って飲み始める。
黄泉路は猫館が慌ただしく介護する様子を眺めながらも永冶世へと声を掛けた。
「永冶世さん。上着の中にドライバーが1本ありました。あれはどこで?」
「……その様子だと、やはり何かあったのか」
黄泉路の問いかけに、ペットボトルから口を離し一息ついた永冶世が納得した様に応じる。
その様子から永冶世もあのドライバーには疑問を持っていた事が窺え、黄泉路は端的に結論を告げる。
「底の方に切れ込みがありました。中から手紙が」
「手紙……そうか。君宛て、だな?」
「はい」
さして親しくもない両者が理解している様に端折った会話を交わす様に、間に挟まれた猫館が首を傾げながら常群を見る。
常群も、先ほど逆さに一瞥しただけの紙片の内容は真意を理解できるほどでなかったため、猫館に代わって口を挟む。
「“心配しないで。大丈夫”……これだけしか無かったけど、あれってあの白い子からか?」
常群が示す人物を共通して思い浮かべているであろうふたりは小さく頷く。
「俺があの部屋で見た時、あの子供はあそこにいた。そして、俺が捕らわれてから一度だけ、あの子が部屋に忍び込んできた事があった」
「その時、何か話を?」
「いや。俺も警戒していた。あの子が機械に繋がれていたのは知っていたが、抵抗した様子もなかった事から我部の配下にあると思っていたからな。警戒する俺に、あの子はドライバーと、あの子のためのものだったろう食事を置いて行った」
数日間飲まず食わずの割には元気だったのはその為か、と。納得する常群を他所に、黄泉路は手紙の内容と永冶世が助けられた意図を思案する。
「その後は知っての通り。君たちが潜入した事で乱れた指揮系統の隙をついて監禁場所を出た後、君たちと合流した。俺が提供できる情報はその程度だ。君はあの子供について何か知っているのか?」
先ほど、永冶世同様に確信めいた反応をしていたことで黄泉路に問いが向けられれば、黄泉路は再び首を縦に振って口を開く。
「水端歩深。東都の悪鬼として指名手配されていた我部の研究対象で、僕の仲間です」
短く断言する黄泉路が齎した情報の大きさに永冶世は一瞬目を白黒させ、猫館もその悪名については聞き知っていた様子で驚いた様子で目を瞠る。
常群だけが、困惑した様に黄泉路に対して首を振っていた。
「東都の悪鬼ってあれだろ? お前が失踪してた間に暴れた能力者。たしかめちゃくちゃデカい大男だとかって話だったはずだけど、あの女の子がそうだとして、なんでお前一緒にいたんだよ」
「前に、資源調査用の施設に擬態した研究所の最奥で放置されているのを連れだしたんだ。歩深ちゃんは環境に対して適応する能力がとても高い。その適応力を利用して我部が歩深ちゃんを御しやすい様に非力な女の子の姿にしたらしい」
「……そう、か」
「んで。仲間、でいいんだよな?」
再度確認する様に問いかける常群に、黄泉路は頷く。
「うん。何か目的があって我部に着いた。でも、僕達とは敵対しない。この手紙はそういうことだと思う」
常群は静かに息を吐く。
それから、黄泉路を真っ直ぐに見据えて再び問いを向けた。
「それで。お前はどうするんだ」
「……僕は、歩深ちゃんを助ける」
「手紙だと来てほしくなさそうだけどな?」
「それでも、行くよ」
黄泉路が我を通す、その意志をしっかりと受け取った常群は小さく肩を揺らし、それから息を抜く様に小さく笑う。
「オッケー。何とか追ってみるさ」
「ありがとう常群」
ふたりのやりとりを見つめていた永冶世が、ふたりへと声をかける。
「俺にも、手伝えることはないだろうか」
その声に込められた決意は、先の地下道で交わした言葉の続きのようであると黄泉路は感じたのだった。