13-7 それぞれの正義
質量を持たされた影が鞭のように撓り地下道の闇を伝う微かな音が反響する中、黄泉路の声はやけに強く永冶世の鼓膜を打った。
――僕が、そうすると決めたから。
明瞭な答えは夜空に降る一条の流星の様に煌めく槍の軌跡の様で、闇の鞭を打ち払った槍の刃先から零れた残光が地下道の壁を、背後に庇われた常群と永冶世の顔を、僅かに照らす。
「(眩しいな……)」
それが現実の光景に対するものか、はたまた、また別のものに向けたものか。
永冶世が心の中でそう零していると同時、永冶世の肩を支える傍らで手元で何かをしていた常群が声を張る。
「出雲!」
「っ」
瞬間。
常群の手元を離れた小型ライトが眩い閃光を回転させながら真っ直ぐに影使いの方へと飛来する。
「チッ――なっ!」
飛来するライトが無作為に照らす明かりが男の使う影の制御を僅かに乱した瞬間、掛け声の時点で既に槍を手の中で逆手に握り直していた黄泉路が思い切り槍を投擲した。
「がはっ!?」
硬質な床を何度か低く跳ねながら光をまき散らすライトの真上を銀の一閃が駆け抜け、槍が奥の壁面に豪快に突き刺さる音に混じった苦悶の嗚咽が漏れる。
「……もう大丈夫。助かったよ常群」
投擲した後も気を抜かず、周囲を警戒して注視していた黄泉路は影の鞭も消えている事からほっと息を吐く。
「良いって事よ」
振り返った黄泉路は片手を上げる常群に合わせて手を差し出すと、常群は二ッと悪戯っぽく笑ってその手を軽く叩いた。
軽いやり取りを終えた黄泉路が下手人の方へと歩き出せば、常群と永冶世もその後を追う様にゆっくりと歩き出す。
槍は男を貫いたまま壁に突き刺さっており、ライトに照らされて壁に縫い留められた男からは生暖かい流血の匂いが仄かに漂っていた。
「う……」
「急ごう。シェルター側にも待ち伏せがあるかも」
「――殺す必要はあったのか……?」
明らかに致命傷、確認せずとも即死か、これから死ぬかのどちらかでしかないだろう男には目も向けず槍を消して先を急ごうとする黄泉路に永冶世が問いかける。
その声が僅かに非難する様な色を孕んでいた事を自覚しながらも、永冶世は撤回することなく背を向けたままの黄泉路を見つめた。
つい先ほども命を救われ、今見捨てられれば助かる見込みが無くなるのは目の前の男とも共通する境遇ながらも、永冶世はここだけは譲れないと黄泉路に問いかける。
「……少なくとも。この人は僕達……というより、常群と貴方を殺そうとしてましたよ」
「だからといって、殺していい事にはならないだろう」
仮にも、法治国家である日本でそのような理由で殺人が許容されるようであれば、それはもはや法や秩序の敗北であると言ってよい。
永冶世は警察――国家の法治を担う者として、黄泉路に対峙する様に睨む。
「そう、ですね。それが普通です」
「ならば――」
「ならば。どうしてその国は能力者を守ってくれなかったんでしょうか」
「っ」
思いもよらない方向からの問いかけに、永冶世は言葉を詰まらせる。
黄泉路――道敷出雲を追う内にたどり着いた、国家が隠蔽して行ってきた能力者への人体実験を永冶世は知っている。
そして、それを正すため、その確たる証言者として出雲を確保したかった永冶世は、だからこそだと改めて口を開こうとするが、それより早く、黄泉路は振り返りながら困った顔で首を振った。
「なんて。論点のすり替えはやめましょうか」
「……何故、殺した?」
自身にとって避けて通れない話題であった為、すり替えと分かっていながら乗るつもりでいた永冶世は、あっさりと自らで話題を打ち切った黄泉路に一瞬呆気にとられるが、すぐに本題に戻る様に改めて問い直す。
黄泉路はそんな永冶世の問いを真正面から受け止める様に、
「僕だけならいくらでも無力化する手段はあった様に思います。だけど、常群の命を危険に晒してまで、僕はこの人の命に配慮する気がなかった」
いっそ開き直るようにすら見える態度で堂々と、自らの見解を述べる。
「――」
「ああ、常群の所為じゃないよ。単純に、僕の技量の問題。ふたりを守りながらこの人を殺さずに倒す、その難易度に対して、リターンとリスクが釣り合ないと思った。それだけの話だから」
顔を顰めた常群をフォローした黄泉路は、そのまま永冶世を真っ直ぐに見返す。
その目はどこまでも淀みがなく、生死を押し並べているようですらあった。
ふと、永冶世は目の前の少年が世間では何と呼ばれているかを思い出してしまう。
「(死後の世界の、王……)」
この目を見てしまえば、強ち間違いではない、そう思えてならない。
パチリ、と。黄泉路は瞬きをする。
一度閉じられ、再度開かれた瞳は相変わらず黒々と、地下道の闇よりもなお深い色合いで永冶世を見つめ返していたが、先ほど感じた異様さは錯覚であると言わんばかりで、
「僕はもう人を殺しています。そんな僕が今更敵を殺すか殺さないかを法や人倫で選んだりは出来ないんですよ」
「……」
「人の命は平等じゃない。誰かにとってはどうでもいい人でも、他の誰かにとっては大切な人かもしれない。命の価値は、当人から見て大切かそうじゃないか。それだけの事なんだと思います。僕はその上で、大切な人を守る為なら、そうじゃない人の命を奪う。それだけです」
独特の価値観であるのは確かだろう。そして、それが現代社会の中で生きる人間として間違っているのも。
だが、その間違いを犯させたのは、法の外へと弾き出してしまったのは間違いなく自分達である。
それこそが、永冶世が悩み続け、未だ答えの出ない目の前の少年と自身との関わりであった。
「正しさで言うなら、君は間違っている。それは君も理解している。なのに、君はそれを貫くんだな」
「僕はずっと、その場その場で望まれるままに生きてきた。主義も思想も意見もなく、ただ対面する人の期待に応える為だけに。……でも、最近思うんです。僕に託した人たちの言葉や想いは、曲げずに抱えて行きたいって」
まるで、自分の内側に居る誰かに語り掛ける様に自らの胸に手を当てる黄泉路に、永冶世は静かに口の中で言葉を繰り返す。
「(……託した人達)」
黄泉路の表情から、その人々が既に居ないのだと察した永冶世は僅かに目を伏せる。
会話が途切れたタイミングを見計らい、常群が口を挟む。
「その辺の話は後にしようぜ。まずはここを出ないと。ガタイの良いおっさんを支えながら立ちっぱなしはさすがに疲れるんだが」
「……すまない」
空気を切り替える意図もあるのだろう、声量はそこまででもないが、殊更明るく聞こえる声音は死体を前にして口にするにはあまりにも軽薄に聞こえるが、それを指摘する者はいない。
常群とて、人の死をこれだけ間近で感じて何も思わないわけではないが、それを言及するならば守られる立場であった事を棚に上げる行為だと理解していた。
再び歩き出した面々の間に会話はない。
先の襲撃で一旦は打ち止めになった様に静けさに満ちた地下道を歩く3人分の足音だけが微かに反響する中、永冶世は先の応酬について考えこんでいた。
「(殺さずに無力化する難易度は分かる。その上で彼は正直に話してくれた)」
警察官として、日ごろ人を殺さずに制圧する訓練を積んでいる身からすれば、その難しさは身に染みていると言っていい。
能力者が相手でなくとも、包丁1本握っただけの錯乱した人間を相手を無傷で制圧することも難しいのだ。
無力化できるのは彼我の力関係が圧倒的に傾いている時であり、普段の黄泉路であればそれが可能だっただろうことを、永冶世は無意識に期待してしまっていた。
「(俺達が……いや。俺が殺させてしまったようなものだ)」
自分が不用意に潜入などしなければ、あそこで捕まっていなければ。
少なくとも彼らがこの場所に来ることはなかっただろうし、あの男が死ぬこともなかっただろう。
だが、それらは全て仮定の話だ。
「(……あの男も、あの子供も、我部に従っているんだろうか)」
国の法に手を加えることすらできるあの男が何を考え、何を目的としているのか。
それを知りえたとして、法すら変わってしまう中で、自分はどんな正義を掲げればいいのか。
再び答えの出ない思考に囚われていた永冶世だったが、自身を支えてくれていた常群が足を止めた事でふっと現実に引き戻されると、目の前の光景に目を白黒とさせた。
「これは」
常群が回収していたライトが照らす正面の道。
代り映えの無い地下道のはずのそこは大量の土砂によって埋まっており、とてもではないが通れそうにない惨状へと変貌していた。
「さっきの人以外増援がないはずだよ。相手は使い捨てた施設ごと僕達を埋める気みたいだね」
「そんな! あの場所で無力化した彼らはまだ生きていただろう!?」
「その確証もねぇし元々こんな場所の警備させるような後ろ暗い連中だぜ? だったらリスクがあるならさっさと埋めて証拠ごと消しちまうのがお得ってことだろ」
近くの壁に打ち付けられたプレートは確かに、黄泉路達が入ってきたシェルターへと向かう経路だったことを示しており、それ以外の地上へのルートがあるかもわからない旧道に取り残された面々の生存は絶望的だろう。
あまりにも軽々と多数の命を切り捨てる様なやり口に永冶世が絶句している間、黄泉路と常群は今後の方針を話し合っていた。
「他の出口を探すのが一番だけど」
「永冶世さんの体力もつか?」
「姫ちゃんに頼ろうにも地上は抗能力材で溢れてるから念話も通じないし……」
実際のところ、黄泉路だけの脱出ならばなんとかなった。だが、黄泉路がそれを選択肢に挙げない以上、常群はそれを指摘することはない。
「さてどうするか……な?」
「どうした?」
不意に視線を動かしたまま固まってしまった黄泉路に首を傾げ、視線を辿る様に瓦礫の山から背後、対面へと伸びた通路へと視線を向けながら常群は首を傾げた。
ただ、奥まで深く続く闇だけが幕の様に被さった地下道は何の変哲もない様に思えた常群だったが、ライトの明かりの中で不意に小さな影が映し出されたことに目を見開く。
「――尻尾?」
通路の端、道の曲がり角にちらりと映り込んだそれは確かに動物のものに見えた。
「行こう」
もしかしたら地上から紛れ込んだのかもしれない。であれば、地上に繋がる道は必ずあると、3人は尻尾が引っ込んだ先の通路へと向けて歩き出した。