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13-4 永冶世忠利の事件簿8

 ◆◇◆


 どこかで水滴が落ちる音がする。

 水溜まりができているらしく、落ちる度にぴちょん、ぴちょんという小さな水音が反響し、輪郭をぼやけさせるような微かな音で永冶世の意識が闇から浮上した。


「……」


 のそりと身を起こした永冶世はしかし、意識こそ次第にはっきりするも変わらず闇に閉ざされた視界と、身体の奥から響く様な空腹感に顔を顰める。


「(何日経った……? 猫館は気づいただろうか)」


 空腹だけではない、入れられる(・・・・・)際に受けた殴打の痕が身じろぎしたことで肌が引っ張られて鈍く痛んだ。

 永冶世の体感では恐らく内臓までは傷ついて居ないだろうことが幸いであったが、それで事態が好転するわけでもないため、今あるのはただ思考の邪魔になる鈍い痛みに対する不快感だけだ。


「(抜けている所もあるが、必要なら人を頼れる奴だ。問題は常群君に繋がるかどうか)」


 寝起きで鈍った思考を回す様に、ここに至るまでに残してきた仕込みを思案する永冶世は硬い地面に横たわっていた身体を解す様にぐっと腕を伸ばす。

 軋むようにぎこちない身体の動き、本来ならば体力を極力温存すべきところだが、数日経った現状からそうも言っていられないと永冶世は考える。

 捕らわれてから過ぎ去った幾日かの間、脱出の隙を伺い続けてきた永冶世だったが、あまりの変化の無さ――言い換えれば、捕らえた永冶世への無関心――は異常であると結論付けるほかなかったからだ。

 普通であれば、秘密を探ろうと潜入してきた者を捕らえたならばすぐに処分(・・)するか尋問する。

 判断に迷い上の指示を仰いでいるにしては侵入者に対する対応にしては数日は掛かりすぎである。

 そのどちらもの対応が取られていない以上、永冶世の存在は彼らにとっては閉じ込めておくだけで事足りる些事ということなのだろう。


「(何としても速く外に出なければ……あれは、あんなこと(・・・・・)が許されていいはずがない)」


 潜入した際に垣間見たこの施設の秘奥。

 警察官として――それ以前に、ひとりの人間として認めるわけにはいかない。


「――?」


 ふと、静寂に慣れ過ぎた永冶世の耳が微かな違和感を拾い取る。


『――』

『……!』


 声。それと足音。

 それらはどちらもこの数日間なかったもの。

 永冶世はハッとなって気怠い身体をおして扉に張り付き、耳を澄ませる。


『――だ! ……せ――な!』


 途切れ途切れに聞こえる声は男のもの。遠くからの反響の残滓なのだろう、扉1枚を隔てた以上にぼやけた声からは会話の内容を察することは叶わないが、それでも声の様子や複数人の足音から、何か異常が起きたのだろうことは察することが出来た。


「(今、しかないだろうな……!)」


 扉から耳を離し、永冶世はポケットの中へと手を入れる。

 取り出したのは暗闇の中、指の平の感触だけでわかるドライバー状の金属。

 急ごしらえの牢屋だったのだろう、内鍵自体はつまみを取り外されてしまっているが、鍵が内側からも開けられるように扉を貫通して取り付けられていること自体はかわらないそれに、留め具のねじを外すためのドライバーをさして鍵ごと取り外しに掛かる。

 数分と立たずねじが床に零れ鍵が穴ごと外れてしまえば、永冶世は音を立てないよう慎重に扉を開けて外の様子をうかがう。


「(やはり見張りは無し……それにしても暗い。部屋はともかく通路までこうだとなると、ここは廃道を利用している区画か)」


 遠くから聞こえる騒動の音がよりしっかりと聞こえる様になったことと、周囲に人気がないことを確認した永冶世は気力を振り絞って移動を開始する。


「(どういう意図があったかはわからないが……)」


 手元で握り込んだドライバーの感触が今は何よりも頼もしい。そう思いながら、永冶世は疑問にあえて蓋をしながら歩き出す。

 足音が嫌に反響しているが、永冶世は遠方から聞こえる騒ぎの音へと近づかざるを得ない都合上、自身の足音に怯えている余裕はない。

 元より、自身が捕らわれていた場所の仔細もわからないのだ。このまま地下を彷徨った上で遭難して衰弱死を迎えるという可能性も現実味を帯びており、地上への最短ルート――通路として機能している確証のある道筋――を目指すには、どちらにせよ人の気配のある方へと近づかざるを得ない。

 無論、見つかってしまえば危険には違いないが、リスクを避ける為に無謀な放浪をするには体力も時間が足りていなかった。


 暗がりの中にある僅かな標識の名残、最近ついたであろう靴跡を暗闇に慣れた目を凝らしながら進む。

 大人がすれ違っても辛うじて余裕があるだろうという狭い直線の通路が続く。

 少し先に丁字の分かれ道へと合流するといったところで永冶世はハッと息を飲んで足を止めざるを得なくなった。


「応援要請が止まらねぇ! 急ぐぞ!」

「分かってんだよんな(こた)ぁ!」


 どたどたと隠す気もない大幅な足音が丁字の先から急速に近づき、足を止め引き返そうかと迷ったのも束の間、丁字の先がライトの明かりで照らされ始めれば、永冶世は意を決して走り出す。


「うぉおおっ!?」

「なん――」


 ふたり組の、闇に慣れてしまった目では顔つきまではよくわからないものの、作業服らしきものに身を包んだ柄の悪そうな男たちの片方へと完全な意識外からの奇襲を繰り出す。


「ふっ!」

「ぎ、があああああッ!!!」


 警察官として培った、優れない体調の中でも身体に染みついた逮捕術が一瞬で男の片割れを地へと捻じ伏せ、相方の悲鳴に呆気に取られて硬直した男を奪った懐中電灯で強かに殴打する。


「がっ」


 殴られた短い悲鳴と手元から懐中電灯が落ちる音が響く。殴りつけた衝撃で懐中電灯が割れて辺りが闇に包まれると同時に永冶世は男たちが来た方向とは逆へと走り出す。


「ぐ、くそ……何だ畜生! 別の侵入者だ!! 連絡回せ! 絶対に逃がすな!!」


 後方で痛みに呻きながらも無線を使っているらしい男の怒声を聞きながら、永冶世は失敗したと顔を顰める。

 制圧する為に飛び出したのはあくまでイチかバチか。男たちの進行方向が永冶世の来た側でなかったとしても、何かの戯れで明かりが永冶世を照らしていないとも限らなかった。そうなってしまえば距離が空いた状態で後手に回り、体力も気力も削れた永冶世が無事に逃げおおせる目は限りなく低くなっていただろう。

 先んじて不意を打って制圧し、照明を潰すことで目が闇に慣れているという唯一の利点を押し付けることに成功したことまでは良かったが、咄嗟に無線機の場所まで把握することはできず応援を――永冶世という彼らが向かおうとしていた異常とは別の闖入者が居ることを周知してしまった。

 背後からは立ち直った男たちが駆けてくる音が聞こえ、永冶世は青痣になって痛む腹部を庇うようにしながらも足を急がせる。


「(向かおうとした先に何が起きているかはわからない。だが、応援要請が広く出されて未だに事態が収まっていない事を考えるに襲撃……上手く紛れ込めれば……)」


 混乱に乗じて逃げることを視野に入れ、もしかしたら猫館が動いて寄越した救援かもしれないという淡い希望に蓋をする。

 最悪の状態で希望論に縋ることが危険な事を理解している永冶世は未だ収まらない騒音の方へと駆ける、だが――


「なっ! 侵入者!?」

「コイツ!!」

「(しまった)」


 当然のことながら、騒ぎの方へと近づけば近づくほど、施設を防衛するべく招集されている人員と鉢合わせる機会も多くなる。

 曲がり角から姿を現した男たち――どうやらツーマンセルを基本としているらしく、この時ばかりは敵方の基本に忠実な防衛意識を恨めしいと思ってしまう――に機先を制した永冶世がドライバーを振りかぶる。

 暗闇で懐中電灯の明かりに反射して手元で光るナニカ、それは男たちをして警戒させるに十分なもので、一瞬の隙に懐に潜り込んだ永冶世はタックルの要領で男たちを転ばせると、制圧する手間も惜しんで逃げの一手を打つ。


「ぐぅ、くそっ、追加の侵入者ってアイツのことか!」

「逃がすか!!!」


 背後で熱を感じ、咄嗟に身を屈めた永冶世の頭の上をすれすれに赤々と燃え盛る火球が通り過ぎれば、一瞬だけトンネルの向こう側まで明かりが灯る。


「(能力――使用者――!)」


 予想はしていたが、危険度が跳ね上がった事に心臓が跳ねる音が強くなる。

 背後からの追撃を避ける様に、急速に削れて行く体力に無理を利かせて足を動かす永冶世だったが、先になぎ倒した連中が連絡を回してたのだろう。行く手を遮るように足音や照明が照らすことも多くなり、強行突破できないと踏んだ永冶世は次第に脇道に潜り込んでやり過ごすことも多くなっていた。

 だが、そんな逃走劇にも終わりはやってくる。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 永冶世の体力は無限ではない。

 常人の中では鍛え上げられた方ではあるが、如何せんコンディションが悪すぎた。

 加えて多くの追手に追跡されながらの閉鎖空間での逃走劇は精神を鑢にかけるように疲弊させ、肩で息をする永冶世はあと一歩という所で壁を背に座り込んでしまう。


「手間取らせやがって……!」


 あと一歩、そう永冶世が確信できるのには理由があった。

 何せ永冶世が座り込んでいる場所はこれまで通ってきた廃道の様な暗闇に閉ざされた地下通路のそれではなく、新たに敷設されたことがはっきりとわかる、地下とはとても思えないような明るく整然とした通路の一角。

 ちらりと隙を伺いながら周囲へと視線を向ければ、先ほどまでは走ることに精いっぱいで気が回っていなかったことで気づかなかった壁に掛かったプレートに目が留まる。


「(……これはダメだな)」


 そのプレートは永冶世が初めにここに潜入した際にも見たもので、出口までの道筋にはたどり着いていたということに他ならない。

 その道を塞ぐ様に、永冶世ひとりに応対するには過剰と言えるような人員が通路を固め、不意に動こうとすればその瞬間にも制圧を通り越して殺傷目的の能力による攻撃が殺到するだろう現状が永冶世の内心に諦観を宿らせていた。


「あのガキには殺すなって言われたがよぉ、もう良いんじゃねぇのか?」

「だよなぁ。もうここは用済みらしいし崩落事故(・・・・)に巻き込まれたヤツが居たっておかしくねぇもんな」


 男たちが口々に――よく見れば、その面子の中には最初に永冶世が奇襲で張り倒した者も混じっており明らかにしてやられたことに対する不満が見え隠れしていた――永冶世を始末する為の口実を持ち寄る姿はとてもではないが法治国家の民には見えず、永冶世は自らの命の灯はここで消えるのだろうとぼんやりと息を吐いた。


「(ここまで……か)」


 頭に過るのは、この道を選んだ過去の自分。

 正義を志し、少しでも平和な世の中の支えになれればと、能力者によってスポーツ選手になる夢を絶たれた友人を見て警察学校への道を定めた若かりし頃。

 順当に警察官としての心技体を養い、若手のエースとして、自らが志望した発足したばかりの能力対策部署へと配属され、我部外部顧問の下で能力犯罪者を追い、逮捕する日々。

 上から下された捕縛命令を実行せんと、とある少年と相対し、その身からは想像もできない力によって取り逃がしてしまった、永冶世にとって大きな失敗と、その少年を追い始めた事で気づく、少年に対する対応の不審さ。

 誰かによって歩かされ、しかし、全てを自分で選んできた自負のある永冶世だからこそ、現状の詰み(・・)に対して、不満はない。

 ただ――


「まだ、()と、しっかりと話を、していないのが」


 残念だ。


 誰に掛けるでもない、ただ、自身を振り返る為だけの言葉が、小休止を挟んだことで落ち着きだした肺が取り込んだ空気と共に吐き出される。

 遠巻きに包囲する男たちには届かないような小さな声量、しかし、






「――僕は(・・)。あまり話す事なんてないんですけど」

「ッ!」


 迫る火球、電撃、風刃。それら全てを銀の一閃の下に薙ぎ払い、方位の一部すらも容易く食い破った黒を纏った少年が永冶世の前に背を向けて降り立った。


「でも親友(つねむら)が。借りがあるらしいから、仕方ないので助けます」


 どこまでも不承不承であると、自分に言い聞かせるような念押しをしながら、追い続けた少年が永冶世の前に立っていた。

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