幕間9-2 真居也遙の変わった日常
期せずしてクリスマス当日投稿になりました。メリークリスマス。
とはいえ作中の時間は真夏なので、あまり関係は無かったり。
◆◇◆
黄泉路が自らのルーツを探す旅をしているだろう6月の後半。
そろそろ梅雨も終わり本格的に夏の日差しが感じられるようになりつつあり、窓ガラス越しに高く昇った日差しに対して鬱陶しそうに少年が目を細めていた。
襟足のみ長く、首の後ろで小さく括った明るい髪は前回染めてから数か月もあったことから頭頂部が地毛の黒が顔を出しており、遠めから見るとプリンとも呼ぶような色合いになっている姿は、当人はもう一度染めるかそれとも染髪をやめるかで迷っている様子が見て取れるようで。
勝気な瞳を細め、見据える窓の先で日を追うごとに目まぐるしく進む東都の再興という名の大規模工事も、少年にとっては慣れてしまった日常の一部であるように思えてしまい、それがまた少年の表情に憂いを帯びさせていた。
端的に言えば。
少年、真居也遙は平和な余暇を持て余していた。
「はぁ……」
口から洩れた溜息は長い昼休みの中の喧騒に紛れ、学内でも不良で通っている遙にあえて話しかける様な生徒もいない事から空白地帯となった窓際の席にポツンと頬杖をついて座る遙の姿は、日常の中に順応していながらもどこか浮いていた。
「なーに黄昏てんだよ」
「沢木」
そんな遙にも声をかける人はいる。
ふっと呼びかけられた声に応じて頭だけで振り向いた遙は、勝手知ったるといった具合に教室に上がり込んで近づいてきていた相手の名を呼んだ。
声をかけてきたのは遙が高校に進学し、順当にグレて不良として放蕩生活をしていた折に似たような経緯から意気投合した不良グループのリーダー格の少年だった。
遙と同じく、本来であれば学校になど真面目に通うこともないだろう少年は、遙の目からみても物珍しい、着崩しもしていない夏用の学生服を折り目正しく身に付けていた。
見慣れなさからくる異物感に遙が胡乱な眼差しを向けていれば、同い年のはずの遙よりも体格のいい少年、沢木は遙の態度を鼻で笑う様に口の端を吊り上げる。
「んだよ。折角声掛けてやったってのに」
「頼んでねぇだろ。っつか、そっちこそ学校来てたのかよ」
「……まぁな」
今度は遙の側から揶揄するような口ぶりで返せば、沢木はバツの悪そうな表情を浮かべつつも否定することなく、紛らわす様に手近な椅子――沢木は遙とは違うクラス所属であるため、当然の如く他人の椅子だ――を引寄せて遙の机を囲むように座り込む。
どうやら長居する気らしいと察した遙は姿勢を沢木の方へと向く形に身体を起こして改めて問う。
「そんで、何の用?」
ここ最近でこそ以前の様に連絡を取り合う間柄に戻った物の、沢木と遙の関係性は未だどこかぎこちないもののままだ。
それというのも、沢木がリーダーを継ぐ前の不良グループのOBが持ち込んだ覚醒器によって、それまで雰囲気で仲良しこよしをしていたグループ内に目に見える格差が出来、その結果、優秀な能力者となってしまった遙が居心地の悪さからグループと疎遠になってしまったことに端を発している。
その関係が変わったのは昨年の冬。
東都を襲った大規模能力テロの際に、火事場泥棒をしていた沢木達グループに避難を促すためにやってきた遙が、たまたま襲撃してきた暴徒を撃退した事で、かつての蟠りの一部を解消するに至っていた。
とはいえ、全てが全て元通りになったわけではない。
非日常に憧れるだけだった子供同士はあの日を境に非日常に身を置く者と日常を甘受する者に別れた。
不良気質であることは抜けきらないが、それでも今の沢木はかつてのように犯罪行為スレスレのスリルを味わいたいとは思わない。
本物に比べればスリルでもなんでもないと、身を以て理解してしまったのだから当然だ。
「特にこれって用はねぇよ。ただお前、普通に学校に来てんのなって」
そんな、自分が望んでも――今は望むこともありはしないが――手に入らなかった非日常のスリルに身を浸すはずの友人が、悠長に学校に来て窓際で黄昏ていれば、声もかけたくなるだろう。
「どういう意味だよそれ」
沢木の、色々な含意は理解できなくもない言葉に遙は思わず苦笑する。
「……ま、分からなくもないけどさ」
確かにかつての自分でも同じような事を言ったかもしれない。
遙は日常の大切さを身に染みて知っている。それは沢木が片鱗に、ほんの少し指先で触れただけの非日常よりもはるかに濃く痛みを伴うものだったが、それでも、遙に後悔はない。
「まぁ、あれだよ。気ぃ使ってもらってんだよな。オレ」
学校の授業が再開した折、最近のルーティーン通りに訓練漬けの日々を送ろうとしていた遙に対し、ちゃんと学校に行くようにと諭した夜鷹の面々の顔を思い出す。
メンバーの中では一番新参で、一番弱く、能力者としても使用者な遙だからこそ、認めてもらう為には、足を引っ張らない為にはと意気込んでいたのは、今にしてみれば視野狭窄だったのだろう。
こうして学校に――日常に再び足場を置いて、噛みしめるというのは、遙だからこそ許された権利なのだと、あの面々を見ていれば分かる。
「向こう側には、俺達みたいに暮らしたくても暮らせない奴も居る。だから、日常がある内はそっちを大事にしろって」
「……そうだな」
実感の籠った声はお互いのもの。
だが、であればと沢木は首をかしげる。
「でもそれだけならさっきのは何なんだよ」
「あー……」
慮ってもらった事自体を衒いなく受け止められるならあんな顔はしていないだろう、そう問いかける沢木に、今度は遙がバツの悪そうな顔を浮かべる番であった。
「何だよ、言えない事か?」
「そうじゃねぇんだけど……」
「けど、何だよ」
焦れる様に身を乗り出す沢木の視線から逃げる様に――周囲をさっと確認し、こちらに聞き耳を立てている人がいない事を確認した――遙は喉に痞えたようなもやもやを吐き出す様に口を開く。
「それはそれとして、頼りにはされて―じゃん」
「は?」
「いや、オレがあの中だと一番新米で弱いってのは自覚あるんだよ。けどさ、それとこれとは違うっつーか……」
うだうだと纏まりのない言葉を並べる遙の様子に、沢木は心配して損したとばかりに大きくため息を吐いた。
要するに、得難い日常を謳歌するよう配慮してもらっている事は嬉しいが、同時に頼りにされていない、必要とされていない様に感じてしまって寂しい、と、言葉にしてしまえば、沢木からすればその程度と言えるような些細な悩みを、さも遠くを見ている様な風情で黄昏られていればため息も出よう。
「くだらねー」
「んだとてめぇ」
「どうにもならねぇことで悩んでんじゃねぇよアホらしい。俺達に訳知り顔で諭した時の格好良さ何処行ったよ」
「んなっ」
遙とて、沢木の言わんとしている事、自身が理性では納得しつつも感情が追いついていないだけのただの我儘であることくらいは自覚していた。
だからこそ沢木に真正面から呆れられたことが苛立ちもするがある意味でも救いであった。
「……それとはまた別なんだけどさ」
「おう」
だからだろう。
未だ、多少ぎこちなくはあれど、友人として似た立場を経験してきた沢木だからこそ、
ぽつりと、先ほどまでの会話よりもトーンを落とした遙の様子に、沢木も呆れた表情を引っ込めて相槌を打つ。
「なんか最近能力の調子が悪いんだ」
「は? 能力って調子悪くなったりするもんなのか?」
深刻そうな声音に違わない内容ではあるものの、生粋の能力者ではない沢木にとっては専門外の話に思わず疑問が口をつく。
遙はわからないと首を振りつつ、右の耳朶に付いた不可思議な色彩を反射するピアスへと触れ、
「……しばらく前から能力使う度になんか、違和感があるんだよ」
騒がしさの中に、僅かに向けられた注意を逸らす様に会話の内容をかき混ぜる幻聴を周囲に撒いた遙はこれくらいなら問題ないんだけどな、と自嘲気に口の端を僅かに持ち上げる。
シレっと、以前の遙ならば気にも留めなかっただろう防諜意識や周囲への注意の配り方などが一般ズレしている様を見せつけられた沢木の内心はそれどころではないのだが、ともあれ、休み時間は限られている事もあり、むりやり話の本筋に意識を集中して口を開く。
「覚醒器の寿命とかじゃなくてか?」
「そっちは問題なし。一応、俺も使用者って事で伝手で想念因子結晶自体は融通してもらってるからな」
何気ない一言に沢木は遙が遠い世界の住人に染まってしまっている様な気がして、何とも言えない表情を浮かべて押し黙ってしまう。
本来、覚醒器は消耗品。具体的に言えば、能力を補助、覚醒させる核となっている想念因子結晶自体が希少品でありながら非能力者が能力を使用するたびに損耗していき、品質によって耐久度に差はあれどいつかはただのアクセサリになってしまう。
それ故、裏ではどこそこの品物の横流しなどで多種多様なブローカーが絶えず覚醒器を取り扱っており、一度能力という暴力に酔ったアウトローが継続的な顧客として定着する市場が形成されていたりする。
悪い言い方をするならば麻薬と一緒だ。
沢木をはじめとした不良グループもかつてはそうした覚醒器売買の客のひとりだったが、東都能力テロの一件以降、能力を手放している。
沢木自身も覚醒器は既に使用限度を超えており、新たに入手するという気にもなれなかったため現在は自室の引き出しの奥に眠っていた。
そんな、公的組織に属していなければ入手経路がアングラなものに限られる物品を安定して手に出来る環境に身を置き続けている遙は、かつての沢木達と一般人の差よりもなお大きな隔たりがあるように沢木には感じられた。
「……その分じゃお前の仲間も心当たりないんだろ?」
「ああ。能力は本当なら当人の精神性に紐づいてるもんだから、不調があるとするなら精神的なものじゃないかとは言うんだけどな」
精神的な、という面に関して、遙は思い当たるものがないわけでもない。
裏の世界の本当の命懸けを目の当たりにした今でもなお、憧れる気持ちが無いと言えば嘘になる。
今の遙の立場は見倣いのそれで、何事も足元から着実に積み上げていくしかないということも理屈の上では納得できるようになりはした。
黄泉路は暇を見ては体術を教えてくれるし、能力の使い方や当人の身体能力が人並みな能力者としての立ち回り方は彩華が。
最近では銃の扱いも明らかに年下であろう姫更から教わることもあり、黄泉路の手が空いていないこの所は廻が体術の相手をしてくれている。
恵まれている。恵まれすぎているとも言える現状。押しかけたといっても過言ではない自分を仲間として受け入れてくれている夜鷹の温かさが身に染みている遙はしかし、つい考えてしまう。
自分ももっと頼られる人間でありたい。役割が被らない唯一無二の能力を使って仲間の助けになりたいと。
けれど、
「……言ってもしかたねーことばっかりなんだよなぁ」
結局はその一言に集約されてしまう。
堂々巡りする目標と現状の理性と感情の不一致からくる消化不良。それを何と無しに理解した沢木も仕方ないと首を振り、
「自分でわかってんなら後はもうきっかけを待つしかねぇんじゃねぇの」
「ま、そうなるか」
結局は問題は解決せず、何ともしまらない、もやもやとしつつもありきたりな、劇的な解決などどこにもないありふれた日常だと、ふたりは揃って淡く笑い合う。
丁度、電子化された予鈴の音がスピーカーから響くと、沢木が席を立つ。
「んじゃ、俺は戻る。今度どっか遊び行こうぜ」
「おーう」
のしのしと、クラスメイトをかき分けるようにして教室の外へと出ていく沢木の後ろ姿にひらひらと手を振って見送った遙は、ざわざわと次第に自身の席に戻り始めるクラスメイトから視線を逸らして再び窓の外、夏の気配が混じりだした青空の向こうに広がる摩天楼の群れに目を向け、そっと指先を窓ガラスに当てて爪の先でコツンと音を立てる。
「……オレの心の問題、か」
こればかりは沢木には――夜鷹の面々にも――言えないなと、窓の外に揺れる陽炎にも似た、眼の奥に焼け付いた幻影を意識から追い出す様に目を閉じ、机に突っ伏する。
漸くまともに授業に出る様になった遙を気にかけていた教師によって注意されて起床するまで、窓越しの暖かすぎる日差しを受けて遙はすやすやと寝息を立てて平穏な日常を謳歌していた。
何はともあれ、今回が今年最後の投稿になります。
今年も1年、皆様のブクマやいいね、感想に励まされてきました。
お陰様でブクマ数が1000を超えることもでき、良い1年になったかと思います。
また来年も拙作をどうぞよろしくお願いします。