幕間9-1 闇は光へ手を伸ばし
お陰様で本日をもって初投稿から9周年。
もう今年も残すところあと1回の更新ですが、来年は新年早々にお会いできるように引き続き更新していきます。
今後ともお付き合いいただければ幸いです。
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当初の予定を大幅に狂わせながらも世界の注目をこれでもかと集めた次世代防衛設備展示会が終わってから丸々ひと月を超えた4月の頭。
事件当日より遅れ、情報がどこからか漏れた事で当事者達の騒ぎの波が収まるのと入れ替わるように過熱したメディアや一般の反応も漸く落ち着き始めたかというこの頃。
当事者の片側――世界に名だたる日本の大財閥、終夜グループに身を寄せる殺人鬼、行木己刃は宛がわれた豪奢な部屋でひとり、スナック菓子を貪りながらテレビを眺めていた。
そも、終夜という世界的にも名の知られた大組織が何故殺人鬼なぞをかくまっているのかと言われれば、終夜の事業のうちのひとつに能力開発事業があったからだ。
自社開発した只人を能力者に変える道具の試運転や秘密裏なプレゼンテーションが行われており、日陰寄りの人間や裏の人間がこぞって注目を集める一大産業。
その内部統制――急に力を持ったことで増長した被験者や参加者などを粛清して上下をわからせる――のために呼び込まれた殺しのプロ。それが行木己刃であった。
単純に殺すだけ、暗殺だけを専門とするならば終夜の財力と政治力で裏を当たればいくらでも、それこそ湯水のように湧いてくる。だが、終夜がこの試験で求めていたのは非能力者でありながら能力者を圧倒できる人材、かつ、暗殺のような不意打ちではなく、真正面から戦闘を行えるだけの戦巧者。
そこまで条件を狭めるとなるとさすがの終夜でも足が付く。それだけの華々しい実績を持つ者は既にそれなりの所へ囲い込まれており、終夜とて先に囲い込んであるそれらを態々この事業の為に使い潰すつもりは毛頭なかった。
日本の裏社会で能力犯罪者の斡旋を行う共同体であった孤独同盟にあり、能力者でないと知るのは依頼を斡旋する一部の仲介者となる人間だけではあったが、行木己刃がその条件に合致している事を知っていた仲介者は終夜に行木己刃を売り込むことに成功する。
己刃も自らの目的に能うと判断したことで、世界的大企業と在野の殺人鬼というあまりにもアンバランスな両者の合意契約が形成されるに至ったのであった。
能力者生産事業が政府の方策によって一旦の潜伏を余儀なくされ、非合法ルートに依らず政府筋に話を付けることで正規産業へと移行できるかという現在の情勢において、本来任されていた殺人鬼への仕事はない。
だが、それが行木己刃を放逐ないし処理する理由になるかと言われれば否だ。
何せ行木己刃はその力量を見込まれ、殺人鬼として、殺す者としての圧倒的才覚と能力を買われて雇われた生粋の凶悪犯。それを処分するコストもかかれば、目立って露見した際のデメリットも大きい。
かといって放逐するにはその技術が在野――ともすれば潜在的な敵対勢力――に流れてしまうには惜しい。
そういった事情もあり、行木己刃は現在終夜グループの次期当主、終夜唯陽が預かる極秘部署の専属として従業員待遇で雇用されていることになっている。
その実態は内外に対するお仕置き要員だ。
腐っても殺しのプロ。暴力への抵抗はなく、仕事は鮮やか。どうすれば人は死なないのか、死ぬぎりぎりのラインを見極めて制裁を科すのにこれ以上の人材はいない。
加えて、再三言及する殺しのプロとは、所謂人殺しが得意――だから名乗れるわけではない。
むしろ裏の社会において人を殺せるか否かはある種の業態にとっての最低ラインであり、その上でプロと呼ばれるものには別の線引きが求められる。
つまりは、足が付くか付かないかである。
プロの仕事とはどれだけ自然に死なせ、外野がその死の探求を早期に断念するか。そこを重要視される。
失踪ならば数年後には風化する。事故死ならば早ければ半年以内に。
そういった具合に、ごくごく自然にありふれた死を偽装して対象をこの世から退場させるのが彼らの仕事だ。
対して、行木己刃は異常であった。
殺しは派手で、明らかな殺人。
足取り軽く、証拠は不在。
警察に面前で問い詰められることもなく、未だ指名手配された過去はなし。
あまりにも異常であった。
それこそ能力で持って犯行を行っているのだと言われた方がまだ納得できるレベルで、行木己刃は殺人の――自身が殺したという証拠の消し方が巧かった。
「……はぁーあ」
そんなプロの中においても異質な、プロ中のプロである若き殺人鬼は、トレードマークとも言えるユニコーンカラーの淡いパステル模様の髪を揺らし、テレビの報道バラエティなる半端な仕事が垂れ流す彼の情報の精度の悪さにあくびをかみ殺す。
広い部屋、それが殊更広く感じたのは、すでにひと月も前になる。
「せっちゃんは先にいった、かー」
ぼやきともとれる言葉が指すのは、一時期同棲レベルで入り浸っていた年下の――魔女。
今まさにメディアで語られる英雄の対として世界的にも話題に上る現代の魔法使い。
その様は世界を統べる覇王、自然現象の化身とも呼ばれ、もしかすると今も存命で力を蓄えているのではとすら実しやかに囁かれる、最新にして最先端の怪異。
銀冠の魔女、黒帝院刹那が迎坂黄泉路に華々しく敗れてからというもの、己刃の胸の内に去就するのは一抹の寂しさと自身の現状へのしこりだ。
行木己刃は殺人鬼であるが、それ以前に快楽殺人者というわけではない。
別に三度の飯や睡眠や性欲よりも殺しが好きなわけでもなければ、殺した相手の血肉をバスタブに溜めて喜ぶような美容マニアでもない。
では何故行木己刃は殺人鬼なのか。
彼の殺しには目的がある。彼の殺しには理念がある。
それは余人には無差別にしか見えないものだが、間違いなく、行木己刃は信念ある殺人者だった。
「どーすっかなー」
己刃の殺意に動機はある。
そしてその動機が今最も強く向けられているのはテレビメディアに大いなる虚像を被せられながらも少ない素材を使いまわされて世間に大々的に顔を売られているひとりの少年。
元々、迎坂黄泉路と知り合った時から心惹かれてはいた。己刃の内にのみ存在する哲学――命の輝きを最も強く発していたかの少年に、己刃が惹かれるのは自然のことで。
黄泉路との戦いはまさに夢の様だったと、己刃は時々回想する。
命の張り合いが好きなのではない。一方的に殺すことが快楽なのではない。
ただ、命の輝きというものが一際強くなるのが、死を意識した時だったというだけの話。
それだけの理由で、行木己刃は人を殺す。
だが、黄泉路に敗北して以降、己刃の殺人癖は小康状態と言っていいほどに沈静化していた。
無論必要とあれば殺す。だが、それは今までのような衝動に従った殺人ではない。
終夜や他からの依頼、しがらみによる殺人が全てであり、黄泉路が科した最低限のラインぎりぎりに踏みとどまる様な殺ししかしていなかった。
それでもいいと考える一方、先んじて本懐を遂げた友人に思う所があるのは事実。
黒帝院刹那は黄泉路と並ぶ能力者であった。
それは己刃をして否定の余地は無く、お互いに孤独同盟の中でも浮いた存在であったこともあってそれなりに楽しい共闘生活を送っていたと言える。
唯我独尊を地で行き、それにふさわしい実力を持ち合わせた女。そんな刹那が唯一執着していた黄泉路との決着は、自らも望む物であった為強く理解できた。
それが叶った刹那はさぞ満足だっただろう。今の自分と比べて。
「……潮時だよなー」
そうボヤくのは囲われた自覚のある殺人鬼。
元々は黄泉路を探しやすくするための伝手、そして自分を養ってくれる後援者として潜り込んだ終夜であるが、今では外部協力者だった常群が片腕と称されるまでに取り込まれ、終夜自体も黄泉路の後援団体である三肢鴉と協調路線を取っている。
このままでは一介の食客に過ぎない己刃が名実ともに中心人物になっている黄泉路に再戦をする機会は訪れないだろう。
刺激的だが平和な日々と魂が渇望する欲求を天秤にかけるが、その天秤はすぐさま片側へと傾いて天秤ごと崩れてしまう。
「ま、考えるべくもねーよなって」
行木己刃は欲求を我慢しない。
我慢できていたならば殺人鬼などにはなっていないし、その欲求による才覚だけで大財閥のお抱え暗殺者などになってはいない。
だからこそ、考えるべきは天秤ではなく、その欲求をどうすれば満たせるかという展望だと、のそりと身を起こしながら袋の底に残ったスナックのかすを大口を開けて流し込みながら思案する。
「欲しーものはいつだって手を伸ばすべきだ。うん、偉い人もそーいってる」
挑戦に老いも若きもない、というのが正しい言葉で解釈だが、己刃にとっては些細な事だ。
元から決まり切っていた思考が定まれば、手段に対しても見えてくるものがある。
「とりま、下準備からしていきますかっと」
視線の先には黄泉路に関する報道の度にちらりと名前が上がる、見事に当て馬をさせられてしまった企業の名前。
端末――終夜に支給されたものではない、自らが孤独同盟に居た頃に得た伝手を利用して調達した使い捨て――を操作し、暫くした後に繋がった電話口に平素と変わらない明るい声音を響かせる。
「あ、そちら月浦さんとこの負け犬お坊ちゃんであってますかー?」
けらり、と。殺人鬼は嗤う。
取り残された者同士、陽に手を伸ばす者同士。仲良くできそうじゃないかと、行木己刃は楽し気に悪戯話を持ち掛けていた。