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12-67 それは目が眩むような

 光輪も角も消え失せ、身体を覆う光熱の残滓のみが仄かに残る悠斗を抱き止めた黄泉路は重力に曳かれるままに地上へと落ちて行く。

 澄み渡った雲海に空いた穴を抜け、貫いてきた黒雲が千々にちぎれて行く様を見送った黄泉路の身体が、とぷん、と。自らの魂の在処となった内面世界の具現である氾濫深界の境に触れて、落下の速度そのものが死んでしまったように緩やかに水底の銀砂を踏みしめて着陸する。

 肌や髪を慣れ親しんだ仄暗い水が包み込み、靴裏で感じる蒼銀の砂がふたり分の重量で崩れて足跡を深々刻む。

 こぽりと悠斗の口から小さく気泡がこぼれ頭上へと立ち昇って光を反射する。

 自らの能力で黄泉路の世界を押し返していたことで干渉を阻んでいたが、今はそれも出来ないのだと一瞬遅れて気づいた黄泉路は悠斗をゆっくりと地面へと横たえる。


「……」


 跪いた黄泉路の足元に幽世が収束し、塗り替えられていた現実の景色が戻ってくる。

 蒼銀の砂が消え、仄暗い水中が午後の日差しが疎らに差し始めた雨上がりへと変わり、




 ――不意に。一陣の風が吹いた。




「……祐理くん」


 黄泉路が顔をあげれば、すぐ目の前にはいつの間にか青年が立っていた。

 後ろだけが長い金の髪が彼を取り巻く風の流れに揺蕩い、その瞳はジッと、黄泉路によって横たえられた悠斗へと注がれていた。


「ゆ……り……」


 黄泉路の呟きにも似た声に反応したのか、悠斗の口が動く。

 ハッとなった黄泉路が何も言わず歩み寄ってくる祐理から身を引くように悠斗を任せれば、悠斗の上半身を抱き起し、漸く口を開いた。


「何やってんだよ。バカ」


 その口から零れた罵倒は、短い付き合いの黄泉路であっても平常通りではないだろうと察して余りあるほどに静かで。

 最後まで身を包んでいた光の残滓すら消え失せ、どこか存在が褪せてしまったような錯覚さえ抱きそうなほどに儚い雰囲気を纏った悠斗が、苦し気に笑う。


「は、は……ひどい、なぁ」

「いつもそうだよなぁ。勝手にひとりで決めて何も言わずに突っ走って。それでよく俺のこと言えるよな」

「……」


 結果的に見れば、そういわれても仕方ないと返す言葉もない悠斗が笑みを深めようとし、せき込むように掠れた息が漏れた。

 黄泉路でなくともわかる限界を超えた先にある悠斗に祐理はまた何か言おうと口を開きかけたが、悠斗が先んじて声を掛けた事で喉元まで出かかった言葉が音にならず消えて行く。


「ご、めん……ね」


 先ほどの言葉に対して、ではないだろう。

 途切れ途切れの謝罪の言葉を受けて、祐理はジッと悠斗の目を覗き込むように見つめた。


「ずっと、祐理を縛り付けて」


 外の世界に憧れる祐理を知りながら、ずっと籠の鳥で居てほしいばかりに自らを我部と祐理を繋ぐ枷としてきたことへの謝罪。

 だが、黄泉路には――戦いの最中、悠斗の本心を、人生を追体験した黄泉路には、それだけの言葉に多くの意味が含まれているように感じられた。

 悠斗にとって世界は小さな箱で良かった。家猫は外の世界を知らなくても幸せに生きていける。悠斗にとって研究所は広い天井だった。……でも、外の世界に憧れる祐理にとっては狭い空だ。


「今更、そんなこと」


 ふるふると、首を振った事で目元に溜まっていた雫が決壊して祐理の頬を伝う。

 流れ落ちた涙が顎から滑り落ち、水滴となって悠斗を濡らす。

 喉の奥がつんとする不快感も制御できないままの祐理に、悠斗はその顔を目に焼き付ける様に見上げ、


「(ああ。祐理の()だ。この風を感じる度に、ずっと、思ってた)」


 見上げた祐理の、どこまでも落ちて行けそうなほどの底抜けの青を背負った顔を見つめたまま、悠斗は静かに息を吐く。


「ほん、とは……僕のことなんて(・・・・・・・)必要なかった(・・・・・・)はずなのに」


 それでもなお、ずっと傍にいてくれた。

 悠斗を必要としてくれた。彼にとって自分という存在が必要なのだと示してくれた。

 その事だけが、悠斗という人格にとって何よりも眩くて、何よりも尊い価値だと定めていた。


「(祐理はどこまでも飛んでいける。僕とは違う。生み出した電気や磁力で周りを利用するしかない僕とは。祐理には、何もいらない。ただ空が、自由があるだけで……何処へだって行けるんだって。ずっと前から、知ってた)」


 だからこれは我儘(エゴ)なのだと。悠斗は自分の愚かさを自嘲しながら、震える指先を祐理の顔へと伸ばす。


「祐理、が……生きる意味を、くれた。だから、怖かった」

()だよ、それ」

「僕、には。祐理が居なきゃ、ダメなのに。祐理は僕なんてなく、ても。困らない。いつか、祐理が僕から、離れていくんじゃ、ないかって。怖かった」


 祐理の枷になりたかった。

 どこかへ行ってしまわないように。

 ずっと一緒に居られるように。


「――でも、本当は。檻の中だろうと……気にせず自由に振舞う祐理が……眩しかった(好きだった)


 心の底にはずっとありつつも、あえて意識することも、言動の矛盾から認めることもしなかった本心が口を突く。

 その上で。これまでずっと朧気に考えて、結論を出した上であえて考えなかった振りをして心の奥底に封じ込めていた言葉を祐理へと向ける。


僕が死んだら(これからは)……自由に、好きに生きて」


 こんな状況にでもならなければ、自分から手を離すことが出来なかった勇気のない自分を許してほしい。

 そんな謝罪が透けて見える様な悠斗の言葉に、祐理は自らの頬を伝った涙を拭う様に持ち上げられた悠斗の手を強く握る。


「やっぱバカじゃん。一緒に自由になれば良かっただろ……!」

それ(・・)、僕に言わせる……? 僕は、やっぱり性に合ってない、からさ」


 冗談めかす様に。……羽搏く勇気がなかったと、告白することから逃げる様に。

 悠斗は苦笑を浮かべ、かすみ始めた目を緩やかに閉じながら、残された力の全てを声に変換する様に口を開く。


「先、に……逝くね……」

「っ」

「つぎ、逢うとき……は……」

「――」

「土産話……聞きたい……な……」

「悠斗ッ!!」


 握っていた悠斗の手が重くなり、するりと祐理の手から抜け落ちて地面へと落ちた音が響く。

 抱きかかえた身体が重くてぐらりと傾ぎそうになる姿勢を無理やり支える様に風を従え、改めて強く、縋るように悠斗の身体を抱きしめる。


「バカじゃん、バカがよ、バカだろお前!!! 俺のことめっちゃわかってた癖になんでひとりで死んでんだよ! ずっと一緒に居ろよ! 何処に行きたいってお前と一緒に行くって意味以外ねーだろバーカ!! 俺ひとりでどっか行っても意味ねーじゃん!! バーカバーカバァァカ!!!」


 堰を切った様に伝えきれなかった言葉を、残された時間の短い悠斗からの言葉を受け止めることに比重を置いたことで飲み込み続けていた言葉を吐きだす祐理の声が、息を切らした呼気と共に途切れ、


「う、ぅ……ああぁあぁあぁああああぁあッ!!!!」


 悠斗の身体に顔を押し付け、服に涙が滲むのも構わず叫ぶ祐理の悲痛な声が静寂を貫いていた。






「……」

「……」


 どれくらいの時間が経っただろう。

 やがて、枯れた様に啜り泣く静かな声すらもなくなって、静かに、いっそ神聖さすら感じる敬虔な祈りの如く沈黙していた祐理が顔を上げる。


「なぁ」


 泣きつかれた顔。涙で赤くなった眼からはコンタクトが剥がれ落ちたらしく、片方だけが素の黒色をした眼差しが黄泉路に向けられる。


悠斗はお前の中(・・・・・・・)にいるのか(・・・・・)?」


 向けられた言葉は違わず黄泉路に届き、黄泉路は小さく呼吸を整える様に息を吐き、


「悠斗くんは、そのつもりで僕に向かってきたんだと思う。例え死ぬことになっても、僕の内側に留まって、いつか祐理くんと再会する為に」


 包み隠さず答えた黄泉路に、祐理は口に出す言葉を選ぶ様に僅かに沈黙した後に口を開く。


「……その口振りからすると、居ねーんだな(・・・・・・)

うん(・・)


 黄泉路が返すのは短い肯定。


「悠斗くんの魂が、飛んでいくのが見えた。……まるで何かに引っ張られるみたいに」


 看取る様に。悠斗と祐理のやりとりに口を挟まない様に一歩引いていた黄泉路がつい先ほど見てしまったものを正直に告げ、悠斗の魂が消えて行った方へと視線を投げれば、自然と祐理の視線もそちらへと向かい、


「あーあ。結局は先生(・・)の手の上ってことかー」


 やってらんねー。そうぼやいた祐理が、悠斗の亡骸を抱えたまま立ち上がる。

 その声音は先ほどまでの悲痛さが嘘のように平常時にも似た平坦なもので。

 顔を向けた先、はるか彼方に見えないはずの東都を見据えた祐理が、何かを悟った様子で黄泉路に背を向けて風を纏って宙へと浮く。


「何処に行くの?」


 祐理の背中がどうしようもなく、取り繕っているようでいて多様な感情が渦巻いている様にも見えてしまった黄泉路が思わず声をかける。

 それは、悠斗の人生を垣間見た黄泉路だからこそ。悠斗がいない今、祐理に対して問えるのは自分しかいないという無意識だったのかもしれない。

 黄泉路に呼び止められた祐理が至極面倒くさそうな調子で振り返り、黄泉路を見下ろす。


「どーだっていーだろ。悠斗に世界見て回れーって言われたから。それくらいはするさ。その後のことは知らねーよ。興味ねー」


 その表情には黄泉路に対する復讐心も、我部に対する憎悪も何もない。ただただ静かな寂寞だけが覆いかぶさっているようで、


「――」


 枷を失い、寄る辺をなくした祐理が重力さえも失ったように空へと昇ってゆく。

 流れる様に雲間へと消えていってしまう祐理を引き留める言葉を持たない黄泉路は、ただただその後姿が消えるまでその場に立ち尽くしていた。

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