3-18 夜鷹の蛇3
美花の腕が背後から黄泉路のジャージの襟を掴み、そのまま力強く引っ張ることで黄泉路の重心を後方へと傾ける。
「遅い」
「――う、わぁっ!?」
美花の宣言どおり、後方へと勢い良く引き倒されて30目の転倒を迎えた黄泉路はじんじんと痛む頭を摩りながら上体を起こす。
通常ならば訓練で受身も取れない相手に対して行う行為ではないのは美花自身百も承知であるが、相手は【黄泉渡】の黄泉路である。
仮に脳震盪を起こしたり気絶したりするなど、不死とは関係ない方面での弱点が判明したならばそれはそれで儲け物、などと、黄泉路にとっては堪ったものではない思考の元、美花は容赦なく黄泉路を転ばせるのであった。
なお、この方針に関しては誠は勿論の事、カガリすら同意しているので誰が担当になっても黄泉路が地獄を見る事についてはなんら変わりは無い。
厳しさで言うならば美花はまだまだ手ぬるいほうですらある。
「今ので30回。いったん休憩」
「……はい」
いくら美花の訓練がほか2人に比べて優しいとはいえ、基準が基準であるからにはその最低限の厳しさとて馬鹿にならない。
体力が無尽蔵であることと、気力が続くかどうかと言うのはまた別問題である。
心持ち疲れたような表情で返事をする黄泉路を、美花は隣に腰掛けてじっと見つめる。
「あ、あの……美花さん?」
「黄泉路、辛い?」
「え?」
唐突に投げかけられた美花の言葉に、黄泉路は首をかしげる。
確かに気疲れはしているものの、果たして自分は辛いのだろうか。
改めて振り返ってみれば、訓練自体は容赦が無い物の、黄泉路のことを死んでもいいと考えて訓練を施している者は誰一人居らず、それ所かしっかりと誰と相対しようと生き残れるようにと考えての行為である分、黄泉路は嬉しくすらあった。
「ちょっと集中しすぎて気疲れしただけです」
「そう」
「閉じ込められてた時に比べたら今はむしろ居心地がいいですよ」
「よかった」
表情こそ変わらないものの、黄泉路はこの1ヶ月の間で幾分か美花の感情の機微がわかるようになっており、本心から心配してくれているのだと思えば自然と表情が綻ぶ。
そんな黄泉路の様子に美花は安心したように小さく息を吐いて、訓練場に沈黙が落ちる。
会話が途切れ、思考に空白が生まれた黄泉路はこのまま会話がないまま休憩を終えるのも味気ないと思い、ふと気にかかったことを問いかけて見ることにした。
「そういえば、今日の誠さんの急用って何だったか聞いてますか?」
「ん。不審者」
「不審者……?」
「【夜鷹の止まり木】の周りの山に、誰かが入り込んだ。みたい」
「へぇ……監視カメラでも置いてあるんですか?」
黄泉路の問いに対し、美花は横に首を振る。
ならば誰かの能力だろうかと首を傾げつつ、黄泉路はついでだからと問いかけてみる事にした。
「じゃあ、誰かの能力……後方支援って言ってましたし、南条さんの能力とか?」
「皆見もできるけど、違う」
「うーん。 ……教えられない理由とかあるんですか?」
「違う。プライバシー」
確かに、個人的なものを当人のいない間に詮索すると言うのも趣味が悪いか。
そう考えて黄泉路はそれ以上問いかける事をやめる物の、逡巡の後、美花は小さく息を吐いて口を開く。
「……でも、操木の能力は見る機会が無いほうがいいから、教えておく」
「誠さん――操木さんの能力って?」
「【深緑の蛇】。【エレメント・グロウ】の植物使い」
「あ、それっぽい。 ……でも、なんで見る機会がないほうが良いんですか?」
美花の口から教えられた誠の能力は見事にイメージと合っていて、黄泉路は大いに納得すると同時に、なぜあのような前置きをしたのかが気になって首をかしげる。
それに対して淡々とした調子で答える美花の回答に黄泉路は思わず聞かなければ良かったと思ってしまう。
「相手の体内に植物の種を植え付けて発芽させる」
「う、わぁ……」
あまりにもグロテスクな攻撃方法に黄泉路は思わず顔をしかめる。
「私とカガリが外部で実働してる代わりにこの支部を守ってる」
「な、なるほど」
「この山は操木のテリトリー。自生してる植物も操るから、樹木の配置を変えて不審者はここまで辿り着けずに遭難させたりするのが主」
フォローするように告げられた誠の役割に、黄泉路はとりあえず誠は悪い人ではないし敵でもないのだから怖がる必要も無いのだと苦い顔を収め、ふと、そういえばまだ美花の能力を聞いたことが無かった事に気づく。
本人が能力はプライバシーだと言う以上、あまり推奨される話題ではない事は理解していたものの好奇心の方が僅かに勝る。
「……あの、そういえば、美花さんの能力って僕見たことが無いんですけど」
「――休憩終わり」
明らさまに話題を切る様にそう告げて立ち上がる美花に、黄泉路は地雷を踏んだ事を悟る。
そのまま開始に際して距離をとるために歩き出した美花の表情は見えず、黄泉路は思わず立ち上がって後を追いそうになった所で、声をかけたとしてどう謝ればいいのか見当もつかず、追いかけようとして伸ばしかけた手が止まる。
「あ、あの……」
「訓練再開。さっさと逃げる」
言葉が纏まらないまま、それでもとにかく謝らなければと口を開きかけた黄泉路を、美花の淡々とした声が遮る。
心なしか棘のある声音に思わず身を引きそうになった黄泉路の動作を開始と取った美花が駆け出し、それに応じて慌てて黄泉路が背を向けた事でなし崩し的に訓練が再開されてしまう。
その後、訓練が終われば美花はそそくさと退出してしまい、黄泉路はこの日の内に美花に対して謝ることはできないのであった。