12-65 雷神2
互いの領域を押し広げる様に踏み出した黄泉路と悠斗の得物が正面からぶつかり合う。
連続して火花が爆ぜる音が大気を灼く電流の音に混ざって不協和音の大合奏をかき鳴らしながら、悠斗の剣が黄泉路の槍を焼き切らんと力押しに――磁力の反発だろう――圧力を掛ける。
とはいえ、現在の黄泉路は先ほどまでと違って一方的に押し込まれるばかりではない。
「――“砂塵大公”!」
「ぎぅッ!?」
黄泉路の足元に広がった蒼銀の砂。幽世を構成するそれが焼き切れた槍を補修する様に吸い上げられて槍自体の硬度を増し、黄泉路を取り巻く様に沸き立った砂は波の様に悠斗の領域へと押し寄せる。
砂が焼かれ、プラズマ化する音と光が互いの五感を奪い去りながらも、電圧と電流、磁界を通して自らの感覚に頼らずに世界を定義した悠斗と、魂という非物質の観点から世界に存在する黄泉路は互いの勢力のぶつかり合いの優劣を肌で感じていた。
「(思った通り、補助がなければここまでの力が出せない悠斗君と僕なら、僕が勝つ……!)」
順当に考えれば当然の帰結だが、黒帝院刹那という現実そのものを掌握する魔女を相手に真っ向から現実の在り方を塗り替える絶技を自らの力だけで発動させた黄泉路と、補助用の覚醒器という外付けの増幅装置が無ければその域に指を掛けることもなかった悠斗ではそもそもの出力規模が、能力としての位階が違う。
その両者が真正面からぶつかり合えば、良くて拮抗。悠斗としてはそこから何としてもか細い勝ちを引寄せたかったが、現実として現れた結果は黄泉路がやや優勢という有様。
「う、あ、ああああああああぁああぁあぁあッ!!」
悠斗の裂帛が雷鳴に乗り、白く極限まで高められた雷撃が幽世に立つ黄泉路に向けて飛来する。
その数はほんの一瞬にして10となり20となり、黄泉路が対応に転じようと槍を引き戻そうとした時には悠斗が自らの領域を踏み出して幽世の砂を踏み、全てを揮発させながら腕を振るっていた。
「ッ」
一瞬の反応の遅れは引き損ねた片足という代償でもって支払われ、ぐらりと傾いた黄泉路の身体に、砂塵の守りを貫いていくつかの閃光が突き刺さる。
肉体を貫通する雷撃だけでも十分にダメージを受けるものだった。だが、此度の被弾は互いに能力者の頂点に立つに相応しい、世の理そのものにも匹敵する出力によるもの。
焼き焦がされ、黄泉路の魂が悲鳴を上げる。だが、肉体という生体電流に依存した構造ではない、魂だけの存在であるが故に動き続けることの叶う黄泉路はこれ以上の追撃はさせぬとばかりに残った足をひねり、独楽のようにその場で身を回して槍を薙いだ。
「グ―ー」
自らの領域を飛び出し、敵地に飛び込んだことで雷そのものという現象と化した自身の利点である圧倒的な速度を抑制され、足を取る蒼砂と身を浸す暗水に絡まれていた悠斗はすんでのところで腕を挿し挟むこと自体はできたものの、ほとんどフルスイングに近い形で芯を捉えた槍の衝撃には抗えずに投げ出される。
「行け!」
そこへ、黄泉路の掛け声と同時に砂が湧きたって形成された無数の蟲や形を成さぬ砂塵そのものが襲い掛かる。
「邪魔だああぁあッ!」
物理法則とはかけ離れた幽世に雷鳴が轟く。
本来は存在しえない眩い閃光は蟲を焼き、砂を溶かし、水を蒸発させる。
蒸発した水が気泡となり、僅かにできた空白に身を滑り込ませた悠斗は即座に雷と化した自らの速力を最大限に発揮して自身の領域へと飛び帰ると、界を跨いだ瞬間に水面に投げ込まれた石が水滴を散らす様に、溢れ出した電流が幽世を無秩序に照らし出す。
「(相手の場に飛び込むのは相応にリスキーなのは間違いないみたいだ)」
前回は規格外の魔女、自らを現実の掌握者と呼んで憚らず、黄泉路の開いた幽世にあってなお現実を拮抗させていたことで両者にとって利害のない、イーブンな戦闘となっていたが、こうして互いに噛み合わない現実の浸食を起こした場合どうなるのかは先の悠斗の状態で明らかであった。
能力とは現実を歪めるもの。
現実という世界に遍在する想念因子に働きかけ、自らの望む形に再形成する力。
それを極限まで研ぎ澄まし、広げた結果が魔女や黄泉路のそれであるならば――
「(世界の主たる能力者がいる分だけ、現実よりも能力が制限される)」
現実世界とは無地のキャンバスのようなもの。そこに自らの色をぶちまけて染め上げたのがこれら幽世や電界であるならば、能力とは現実に線を引くための絵具であり、既に色の塗られた領域に改めて自身の色を塗り込むことは難易度が高いということなのだろう。
「ううぅぅう……ッ」
同時に、黄泉路が理解したことは、悠斗も身を以て理解していた。
自らの能力で形成された、自分にとって最も都合のいい世界。
その中で先ほど受けた痛みを落ち着かせ、蒼砂が象った毒虫などに噛みつかれた手足に異常がないことを確認しながら、悠斗は黄泉路を見据える。
足を切り飛ばしたというのに、既に幽世の砂を巻き上げてその身を修復し終える姿はまさに不死身。
一度大きく打撃を受けただけで自身の領域に逃げ帰らざるを得なかった悠斗とは違う。同じく世界を塗り替えるだけの力を手にしてなお、隔絶していると言っていい能力の性能差がそこにはあった。
だから、と。悠斗は止まれない。止まることはできない。そんな理由で諦められるならば、悠斗はこの域にまで追い詰められてはいないのだから。
「ぐ、う、あ……あぁああぁぁあああぁあ!!!」
まだ届かない。もっと、もっと、と。
悲鳴に込められた叫びが言語として成立していなくとも感じ取れてしまうほどの絶叫。
その身に抱えきれない激情を吐き出す様な咆哮と共に振り乱した頭から、一際激しい雷光が周囲へと無差別に拡散する。
頭に生えた角とそれらを繋ぐ光輪が激しく光ると同時に目を焼く光が四方八方に飛び散ると、頭を振るというだけの仕草に相応しくない被害は瞬く間に窮領電界と名付けられた悠斗の現実浸食を超え、悠斗の世界と拮抗する黄泉路の幽世すらも部分的に貫いて現実世界へと現れた。
廃病院からはそこそこ距離があったはずの集落跡から煙が上がる。
元々の道路は勿論のこと、家屋すらも呑み込んだ青々とした緑の海が燃えていた。
疎らに降り注いだ落雷は降り注ぐ雨も加えて水分を多く含んだはずの生の草木に易々と火をつけ、草花に飲み込まれていた家屋に燃え移って立ち昇った黒々とした煙が上空で渦を巻く様に滞留した暗雲へと合流する様に上へと向かっていた。
黒煙が混じることで雲の中で保たれていたバランスが崩れ、渦を巻くように滞留することで内部で生成された氷が絶えず接触し合って蓄積されていた膨大な電力が悠斗の領域に引き寄せられるように降り落ちる。
「外から――!?」
足りない出力は、現実から引っ張ればいい。
電気という概念を掌握する世界に、現実で発生した膨大な電力を引きずり込むことで瞬発的に膨張させた悠斗は、拮抗していた境界面を僅かに押し込む。
その瞬間を狙っていたのだろう、悠斗が再び飛び込むが、今度は悠斗自身が幽世に足を踏み入れるのではない。
境界がズレたことではじき出され、電界に身を投げ出された黄泉路へと、無数の雷撃と共に斬りかかったのだ。
「あ、ぐ、ッ!?」
世界そのものが存在を許さないように。全身を焼き焦がす痛みに黄泉路は反射的に身を引こうとするが、飛び掛かるように白雷の剣を揮う悠斗がそれを許すはずもない。
熱と光と溶断と形容すべき斬撃が黄泉路を襲う。
幽世と切り離された黄泉路に身を修繕する術はない。瞬く間に自らが削がれてゆく苦痛に顔を歪めながらも、黄泉路は槍を強く握りしめた。
「(なにより、離脱が優先……!)」
槍を起点に幽世の砂を操り、降り注ぐ雷撃にいくらかが焼かれるのも構わずに物量で悠斗の世界に侵攻した砂で身体を巻き込む。
「逃が――すかァッ!!!」
膨大な砂に包まれて幽世へ退避しようとする黄泉路を逃がすまいと悠斗が吼え、右腕と同化した白雷の剣が砂をざっくりと切り裂いた。
無秩序に放たれる世界の法則としての雷撃ではない、悠斗が自らの意思で押し固め、制御した高出力の電気で形成された剣は砂の膜をバターのように切り裂き――
「!?」
その中で構えられていた銀砂の槍によって受け止められて甲高い音を響かせた。
「しま――ッ!」
磁力の反発を用いた力押しの鍔迫り合いの中で、黄泉路は僅かに力の重心をずらす。
その瞬間にレールを敷かれたように槍の側面を白雷の剣が滑り落ち、体勢を崩した悠斗の頭――光輪に黄泉路に背後に形成されていた蒼銀の巨腕が叩きつけられる。
即座に巨腕が燃え始め、瞬く間に電界の中で崩壊するのも構わず、黄泉路はその僅かな隙に半歩退いて槍を逆手に。穂先が地を叩く。
「大人しく、して!!」
――そう。そこは既に悠斗の支配する電界ではなく。
砂に包まれた時点で領域を押し戻して元のラインまで拮抗させていた黄泉路の立つ場所は幽世に戻っていた。
更に、身を包む砂塵を使い急速に身体を再生させつつある黄泉路は先ほど悠斗がそうしたように自らの領域を押し広げる。
沸き立った蒼銀の砂と仄暗い水が悠斗の電界を避ける様に現実を侵食する。
そこにあるはずの草花や石、人工物の残骸がたちまち朽ち枯れ、微細な塵となって蒼銀の砂に合流し、雨粒がかき混ぜる大気は陽光を通さない宙に揺蕩う水に取って代わる。
そこには外界の騒がしい雷鳴も雨音もない、ただただ凪と静寂だけがある万物にとっての死が広がっていた。
「これ以上続ければ君が死ぬ! 君は、生きて祐理君の側に居たいんじゃないのか!?」
もはや、外から見れば白い太陽にようにすら見える悠斗の世界を囲い込むように死の水底を広げた黄泉路が声を張る。
「うる、さい、僕の何が、わかるって言うんですか……!」
境界を隔て、互いの瞳に映る自身が見えそうなほどに近い両者だが、その有様は優劣を明確に示す。
方や、槍を持ち直し周囲に蒼銀の砂で出来た無数の動植物を従え、巻き上がった砂塵にすらも明確な意思を感じ取れるほどに他人に囲まれた黄泉路。
方や、今にも爆ぜてしまいそうな、内側へと圧縮を続けた結果の膨大な電気と磁気があらゆるものの存在を許さず、狂わせる光と音と熱だけが存在を許された世界にひとりで立つ悠斗。
疲労の色はあれど外見上は無傷に見える黄泉路に対し、磁力で無理やり姿勢を保ち、白熱した身体の端々が割れた様に損壊しつつある悠斗の姿は、どちらが優勢かを誰の目にも明らかな形で示していた。
「僕にはこれしかない。これしかなかった。たったそれだけ、それすらも許されないなら――」
人型を覆う白い発光体の首筋に入ったひびが、悠斗の目がある場所にまで届く。
本来ならばそんな崩れ方はしないだろう雷の集合体は、まるで割れ物の様に欠け、剥がれ落ちたことで顕わになった瞳が、涙で揺らいだ視線が黄泉路を射抜いていた。
「悠斗君、それは」
留めきれなかった涙が頬へと伝おうとするたび、発光体に触れて瞬く間に蒸発するのも構わず、悠斗は目元だけでくしゃりと笑う。
「知ってる」
その一言に込められた感情に、黄泉路は続く言葉を呑み込まざるを得なかった。