12-64 雷神
暗雲に閉ざされた土砂降りの雨の中にあってなお、見上げた視界全てを白く染める様な雷光を纏う悠斗。
もはや白い人型と形容した方が正確なほどに眩い光の中、黄泉路は悠斗の首があるであろう場所に、雷光の白以外の色を見出して目を瞠る。
「――あれは」
赤熱し、通常の布はおろか金属でさえ溶解してしまうような高熱の中であってなお元の形を失わず首に絡まる様にして存在を主張するチョーカー。
悠斗の記憶を追体験した黄泉路は瞬時にそれの正体に思い至り、直後に振り下ろされた白雷の剣を槍の側面を合わせて受け流しながら大きく横へと跳びながら思考を纏める。
「(たしか、我部の実験。――能力補助用の覚醒器!!)」
既に能力者としての力を持つ者――厳密には能力使用者の様に人工的に能力に目覚めた者も対象のようだが――に、さらなる能力の向上を齎すための覚醒器、その試作品。
もし――
「(もし。あれが悠斗君の能力出力を無理やりに引き上げて……命を汲み上げて能力に変換しているとするなら)」
手元で槍を回し、振り下ろした速度をそのまま水平移動に切り替えたような直角的な軌道変更で追撃を仕掛けてくる悠斗の剣先の軌道に合わせ割り込ませた黄泉路は眼前に迫った悠斗の左手を首を傾けることでかわす。
チリ、と。頬のすぐ脇を白熱した指先のシルエットが通り抜け、指と肌の間で雷が尾を引いて黄泉路の顔を焼く。
「ッ、ふっ!!!」
「がああっ!!」
顔、そして首という、神経が集まった箇所が高電圧で焼かれた事で僅かに硬直した体を、蒼銀の粒子を噴き上げさせて無理やりに稼働させた黄泉路の蹴りが悠斗の顎があるだろう場所を下から上へ勢いよく蹴り上げる。
右手の剣も、左手の掴みも、どちらも外した直後のほんのわずかな隙に差し込まれた蹴りが黄泉路の足1本を焼き焦がすことと引き換えに悠斗の首筋を大きく開く。
「(これさえ外せれば――!)」
蹴りを放った瞬間には槍を手放していた右手を悠斗の首へと伸ばす。
白く塗りつぶすような雷光の中で、赤々と光るチョーカーにあと少しで指が触れる。既に表層の高電圧を受けて指は炭化と再生を高速で繰り返して蒼銀の粒子と化し、その上でなお実体を保ったままの指がチョーカーにかかるかといったその瞬間。
「あぁあぁあああぁあぁあああっ!!」
「ッ」
空から降り落ちた極大の雷が悠斗諸共黄泉路を貫き、同時に悠斗から放射された高出力の電気は自身の周囲の空気や雨粒を一瞬にして過熱して爆ぜさせ、衝撃波を伴った雷撃が黄泉路を無理やりに引き剥がした。
地面を数度転がりつつも即座に傷を修復して態勢を整えた黄泉路が改めて手元に槍を作り出すが、もはや光速と呼べるほどの悠斗がこの大きすぎる隙に追撃のひとつもないことを不審に思う。
「――な」
その答えは黄泉路が向けた視線の先に堂々と示されていた。
蹴り上げられた姿勢のまま、硬直する様にその場にとどまっていた悠斗。
全身を強力な電気によって包み込むことで白熱した電流の人型と形容すべき姿だったそれが、今は更に異形と呼ぶべき姿に変貌しつつあった。
右腕が変貌したような白雷の剣と似た輝きが悠斗の頭部から天へと伸びる。
額の左右と後頭部の左右、計4本2対の鬼の角にも似た突起は白く、黄金にも似た輝きを帯びて天を向き、さながら頭上から降り落ちる雷を受け止める為の避雷針のようで。
更に変化はそれに留まらない。
「一体……何が起きて……!?」
4本の角の先端を結ぶように、悠斗の頭上に光輪が形成されてゆく。
茨で編まれたように歪な円環を象った雷が悠斗の頭上で大気を焼きながら高速で循環していた。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……!」
荒い吐息が漏れ、人型のシルエットの足元が小刻みにブレる。
それだけで悠斗の心身が限界に近いことが手に取る様に分かり、黄泉路は槍を素早く構えると一足飛びで悠斗へと切りかかった。
「ハァッ!」
「ぅ、あ、ああぁっ!!!!」
槍の穂先が正確に首元のチョーカーを狙うが、悠斗が吼える様に頭を振ると同時に発生した落雷が黄泉路を貫く。
「かっ……! (マズい――)」
「白雷相装式、雷神」
宣言のようにも、主張のようにも聞こえる悠斗の言葉が大気に溶けるより早く、落雷による一瞬の硬直から抜け出した黄泉路の目の前で雷の剣を振り切った悠斗が黄泉路の首を刎ねる。
首が焼き切られる激痛に内面世界で歯を食いしばりながらも、黄泉路は現実の肉体を首なしの状態で稼働させて続く悠斗の光速に至った剣閃を槍で受ける。
「――!?」
――受けた、はずだった。
蒼銀の粒子と血飛沫が混じった噴射が蛇口の壊れた水道の様に勢い良く宙に弧を描く。
現実の視点では一瞬すらなく、認識すらできないであろう神速の連撃。それを、黄泉路は内面世界で自身の肉体からフィードバックされた痛みでもって知覚していた。
「(っ、ぐ……。明らかに人の、限界を超えてる……この状態はまるで、刹那ちゃんみたいな――)」
悠斗の能力は雷使い。いくら能力が拡張し、その解釈と能力運用の幅が広がったとしても、それはあくまで電気を使う、生成する、操るといったものの延長でしかないはずだった。
これまでの悠斗の人間の身体機能を超えた浮遊や急旋回は磁気の利用と言えば説明ができなくもない。だが、此度の神速の斬撃はそれでは説明が出来ないものだ。
それこそ、悠斗自身が雷にでもなったとでもしなければ、到底不可能な挙動であった。
「あ、ぁ……もっと。もっと。僕の、世界、閉じて。閉じて。閉じて……」
「! マズい!!」
黄泉路の肉体が修復され、刎ねられた頭が地に落ちるより早くさらさらと銀の粒子と化して溶けて黄泉路の内へと戻り、頭が正常な位置に再生成されるのを見た悠斗が空気と雨を焼く音に混じった小さな声色で呟くと同時、黄泉路は目に見えないナニカが急激に圧縮され、悠斗というひとりの人間の内側に蓄積されて行くような感覚に全身が警鐘を鳴らすのを感じて即座に距離を取る。
「――窮領電界」
黄泉路が即座に取れる距離などあって無きが如しとばかりに、悠斗が内へとため込み続けていたモノが決壊すると同時に広がったそれは一瞬で黄泉路を呑み込んだ。
視界いっぱいに広がる瞬く電光。シナプスの様に飛び回り弾け、全てを焼き焦がすような尽滅の光で満ちた極小の世界が悠斗を中心に広がり、世界という法則をかき乱す。
それは黒帝院刹那という魔女が現実を掌握した際、黄泉路が対抗として見せた自らの能力領域で世界を塗り潰す絶技に似ていた。
「ぐ、っ、あ、あぁあぁあ、あぁぁぁああああッ!?」
現実を押しのけ、世界すら塗りつぶす様に焼き広がる雷に全身を、そして、黄泉路の幽世という世界そのものを外殻から攻撃されている様な壮絶な痛みに本体が悲鳴を上げ、静寂と仄暗さだけが支配する黄泉路の内面世界が激しく明滅しながら軋んだ音を立てる。
「(は、やく、押し返さないと……!)」
もはや修復よりも焼け焦げる方が速いほどの損耗の中、現実の身体と切り離す余裕もない黄泉路自身が槍の穂先を地面へと向けて強く突き立てながら声を張る。
「“天逆鉾・氾濫深界”!!!」
――死が、広がった。
「ッ!」
「はぁ、はぁ、はぁ……! あぶ、なかった。君を侮っていたわけじゃない、けど、ここからは正真正銘、死力を尽くすって言っておくよ」
黄泉路の足元、地面に突き立てた槍先を起点に広がる蒼銀の砂丘と仄暗い水底が空間を侵し、世界の境界を塗り替えて静謐な冥界を描き出す。
魔女との闘いの際に見せた巨大な銀の樹木はない。あるのは、ただただ吹き荒ぶ様に暗色の中で鎌首をもたげた巨大な流砂の奔流だけ。
「……もっと出力を上げないと、上げないと、上げないと!」
「――聞こえてないなら。聞こえる様にして見せる」
「ああぁあああぁぁあぁああっ!!!」
悠斗の泣き叫ぶような裂帛に呼応して首元のチョーカーが更に赤く、深く、色づいて悠斗の放つ雷撃が、溢れ出した電気の世界が出力を上げる。
蒼銀色の粒子の奔流と赤熱し、限りなく白に近づいた電撃と磁力によって巻き上げられた土砂が互いの境界接触面で激しくぶつかり、同時に踏み出したお互いの足が、それぞれの世界に深く足跡を刻んだ。
――日本の廃村、誰も知らない僻地で世界の法則を塗りつぶし合うような超常の対決が今まさに行われているのと同時刻。
遠く離れた復興途中の東都の残存していた鉄塔の上で、青年が遠くの空を見透す様に目を細める。
「……あのバカ」
小さく呟いた青年の襟足だけがやけに長い金髪が風に揺れ、とん、と。軽やかに飛び降り自殺めいて鉄塔の上から跳躍した青年の身体が風に攫われる。
まるで翼でも生えたかのように、地上とは隔絶された上空を吹き荒れる暴風に乗った青年は矢の様に宙を駆けた。
――はるか遠方、未だ影も形も見えないはずの暗雲を目指して。