12-63 雷霆の箱庭3
黄泉路の肉体、その胸部を深々と貫いた白熱する雷の剣。
悠斗の腕と半ば一体化したような、槍のようにも、杭のようにも見えるそれは元の長さに見合わず黄泉路の肉体を貫いても貫通せず。
「か、はっ――」
代わりに。
現実にある黄泉路の肉体を楔として広がる内面世界――魔女曰く、そして本人の自覚で曰く、魂の集積所にして新たなる幽世たる領域に立つ、黄泉路の本体へと貫く様な閃光が降り落ちていた。
黄泉路の魂とも呼ぶべきそれに明確な形で傷をつけたふたりめの存在。落雷を受けた黄泉路は、その瞬間に脳裏にはじけ、思考を、時間感覚を、自我を焼き尽くしながら広がる自身ものではない記憶に翻弄される。
それが一瞬の出来事だったのか、はたまた現実の時間でもそれなりの時間が経ってしまっているのか。判別する術もない黄泉路は焦げ落ちそうな自我を抱きかかえながらも確信を得る。
「(この攻撃、やっぱり彼は、自分の命を削って……!)」
魂にまで届きうる攻撃でなければ黄泉路は傷つかない。
表面上の、現実の肉体をどれだけ圧倒しようとも、その奥に広がる内面世界に存在する黄泉路の魂を叩けねば、黄泉路との戦闘の舞台にも上がれないのが現在の迎坂黄泉路という能力者の本質だ。
魔女はその規格外さを以って現実――黄泉路が統べる幽世の対とも呼ぶべき概念――を掌握することで拮抗した力の押し合いへと持ち込むことでそれを可能とし。
対策局の電気使い、渡里悠斗は――自らの生命、魂そのものを能力に溶かし込みながら放射することで黄泉路の魂にまで己が雷撃と意志を叩きつけて見せた。
その事実に驚愕しつつも、黄泉路は足元で蒼く発光する銀砂を巻き上げ、魂を補修しながら雷撃を押し返して現実へと意識を浮上させる。
「わかってるのか、そんなことをしたら――!」
記憶を、渡里悠斗という個人の人生を流し込まれた黄泉路は自身の内に彼に対する同情とも共感ともつかない心情が芽生えている事を薄々自覚しつつも、現実の腕が音を立てながら瞬く間に焼けこげ、皮膚の1枚下を樹状に痕を刻む雷撃を無理やりねじ伏せて、白雷の剣の芯となった悠斗の右腕を自らの胸から引き抜き、押し返しながら吼える。
「うる、さい……!!」
「っ」
黄泉路の腕を振り払う悠斗が吼え、突き放す様に繰り出された蹴りが黄泉路と悠斗の間に距離を作る。
ぽた、ぽた、と。地へ向けて蹴落とされた黄泉路の頬に雫が降り落ちて伝う。
見れば悠斗が呼び込んだ雷雲はいつの間にか一帯の空を覆い、黒々と飽和して太陽を遮る天幕から堪え切れなくなった水分が大粒の雨となって降り始めた所であった。
最初は疎らに、次第に強まる雨粒が悠斗を起点とした放電に巻き込まれ蒸発し、バチバチと空中に炸裂音を響かせる。
「これ以上戦うと君の命は――」
「そんなこと、どうだっていい!」
銀砂の槍を編み直し、悠斗が振りかざした白雷の剣めがけて降り注いだ落雷を受け流す。
悠斗の答えは記憶を見た黄泉路にとっても分かり切った答えであったが、それでも、黄泉路はその答えが正しいとは思えない。
「(だってあの結論に誘導したのは――)我部が君に応えてくれる確証はないだろ!?」
強い雨が全身を叩き、大気中に散った水分が電気の誘導路となって全周囲から迫る雷撃を槍から引き出した銀砂で迎撃する黄泉路が声を張る。
至近距離で爆ぜ続ける閃光と轟音の狭間に投げかけられる黄泉路の言葉に、右腕を構えて黄泉路へと自由落下しながら叩きつける悠斗は忌々し気な顔で吼え返す。
「さっきから、うるさいんだよ!!! 僕には祐理しか居ないんだ!! 祐理の隣を、僕から奪うな!!!」
分かっていたことだ。悠斗は止まらない。止まれない。
それ以外の人生があることを知識では理解していながら、必要だと思っていない。
彼にとっての世界は祐理さえいればそれで良く、研究所の箱庭の中で完結していた平和な時代こそが彼にとっての黄金期であり、完全なる世界の容だったのだ。
悠斗の記憶を、人生を追体験した黄泉路には、それが手に取る様に分かってしまう。
「……」
鍔迫り合う雷を槍で押し返し、黄泉路は覚悟を決める。
「前までなら、いいよって言ったかもしれないけど。……今は君の為に死んであげられない」
「ッ」
黄泉路からの圧が強まり悠斗の顔が引き攣る。
槍が雷を押し返すたび雨粒を弾く火花が強く眼を焼き、黄泉路が地面を強く踏みしめ、音を立てながら砕けて肉を突き破る骨と即座に修復する為に発生した赤黒い塵を纏った足が地面を陥没させながら悠斗を宙へと押し返し、
「僕はまだ、皆と居たいから!」
「――! そんなの……僕だって!」
奥歯を噛み潰すような形相で弾かれたはずの悠斗の身体が急激な軌道を描いて小さく旋回し、押し返し腕が伸び切った体勢の黄泉路のがら空きの胴へと横薙ぎの白雷が振るわれる。
それを防いだのは背から溢れ出した赤黒――色相を蒼銀へと変貌させた巨大な腕の幻影。
まるで黄泉路を抱く様に広がった巨大な腕が白雷と相殺して雨粒舞う空間に蒼銀の粒子を加えて彩った。
「もっと、もっと力が、じゃないと、僕の――!」
「……!」
白雷の剣が落雷を受けて肥大化し、悠斗の身体から発される雷光がなおも眩く雨天の暗がりを照らす。
降りしきる雫に閃光が乱反射する中を文字通り雷光の速度で駆け抜け、交錯する一瞬の合間に焼け付く斬撃を繰り出す悠斗はまさに雷そのものになったかのようで。
右、左、仰角からの袈裟斬り、かと思えば背後からの刺突による前方に距離を取る。
もはや人間の反射神経では反応する事すらできない熱と光の嵐のような猛攻に晒されながらも、黄泉路は未だにその身体機能を十全に保ったまま迎撃していた。
当然、その身は幾度となく切り裂かれ、焼け付き、電気信号をかき乱す高圧電流が伝達を阻害し麻痺させる。一度のかすり傷で一瞬とて硬直すればその直後には10を超える致命傷が叩きこまれるが、それでもなお、黄泉路は健在だと言えた。
再生はする。蘇生もする。だとして本体にまで届いているはずの、これまで以上に研ぎ澄まされ、命をつぎ込まれた悠斗の雷閃を幾度となく受けてなお、黄泉路の本体は蒼銀の砂丘の上で杖を掲げ続けていた。
「(まだ、死ねない。死にたくない……! やりたいことが出来た。やらなきゃならないことも、たくさんある。だからここで退いてあげられない。だけど……)」
ギリッ、と。黄泉路の本体が浮かべた苦悩する様な表情は現実の肉体には反映されない。
その時には既に受けた雷撃によって筋肉が強張り、焼け焦げた肉を修繕する為の赤黒の塵が全身を覆いつくして人の形をした赤黒い塵にも似た様相になっていた。
現実の肉体が傷つけられる度に、本体の黄泉路にも深く稲妻が奔ったような樹状の傷が生まれ、ひび割れる様に裂けた体を補修する様に絶えず足元の流砂が巻き上がって体の一部へと変わってゆく。
「(――今までで一番やりづらい!)」
全身を焼く痛みを捻じ伏せる。それは目の前の青年が自らの命を燃やしながら懸命に生きようとしている事へ、真正面から受けて立とうと決めた黄泉路の矜持。
欲に溺れるでも、力に酔うでもなく。ただ、自分の命よりも大切な相手と共に居たいだけ。
切実で研ぎ澄まされた純粋過ぎる願いによって揮われる能力と相対したのは黄泉路にとっては初めてのことだった。
その上で、相手が自分の意志で戦っているならばまだしも、そうせざるを得ない状況をお膳立てされ、本人も自覚しながらも選択せざるを得ない程に追い詰めてしまったその一端が自分にあることを、悠斗の記憶は物語っていた。
逆恨みだとは思わない。黄泉路にとっても、他人に必要とされたい、求められたいという感情は最も身近なもので、悠斗にとってはそれが単一個人だっただけの話。
仮に黄泉路が幼少期の頃のまま悠斗と同じような環境で育てられたら、黄泉路が彼のようになっていなかった自信はないのだから。
広い世界を知ってなお、彼はそれを不要とした。ただ、相棒が居ればそれでいいと、自身の限界と人の世の仕組みを見極め、自らの欲を節制した。
それでもなお、彼から奪おうとした世界に対して全力で、文字通り命懸けで牙を剥く彼を、黄泉路は笑えない。
「ゴホッ……、まだ、力が、もっと、もっと……!」
「悠斗君――」
吐き出された血が自らの纏う白雷で瞬く間に鉄臭い水蒸気へと変わるのも気にせず、さらに出力を上げようと白雷の剣を天に掲げ、降り注いだ落雷を受けて纏う雷光を肥大化させる悠斗を見上げ、黄泉路は悩む。
「(負けられない、けど、できれば悠斗君も死なせたくない――)」
このまま戦いを続ければ、近いうちに悠斗は命を使い果たす。
黄泉路とて防戦のまま戦い続ければいずれは内面領域のリソースを枯らされ、魂を修復できないままに焼き焦がされて本当に死ぬかもしれない。
だとして、その結果に勝者になった悠斗とて無事では居られないのは間違いない現実だ。
それは既定路線であり、悠斗自身も自覚しているはずだ。その上でなお戦いをやめようとしないのは、悠斗にとってこの世界が自分の命以上の価値がないから。
――厳密に言えば、祐理と共に居られない世界に、価値を見出していないから。
祐理と共に居られるならば、その過程で命を落とす矛盾を孕んでいようとも悠斗に止まる選択肢はない。
……だが、それはあくまで悠斗の理論で、悠斗の世界観だ。
「何か、何とかとっかかりがあれば――」
悠斗が命を薪に能力を研ぎ上げ、その刃でもって黄泉路を突き刺さんとする中、槍の穂先に砂を出力して押し固め、槍自体を支える様に蒼銀色と化した塵が象る巨大な腕の幻影が絡みつく。
「……あっ」
激しく降りしきる雷雨、正面から迫る白熱した極光を迎え撃つ黄泉路は、その中に異なる色を見た。