12-62 欠陥品の世界
※前話からエピソードは飛んでいません。ご安心ください。
◆◇◆
渡里悠斗はとある人里離れた研究所で産まれた。
その出自は遡れば御遣いの宿の神の子計画――生まれながらにして強力な能力者を産み出す実験の被験者であった母体から取り上げられた子供だった。
同様の経緯を持つ子供が何人も居たものの、その中でも一際強く、物心つく前から能力を保有していたのは悠斗と、時期を同じくして生まれたもうひとりの少年、瀬川祐理だけだった。
ふたりは御遣いの宿の裏切り者にして政府所属の新進気鋭の研究者、我部幹人が、その対価として与えられた研究所へと移され、日々の生育と経過観察、そして、能力の研究と出力向上を目的とした、人界とは隔絶された閉じた世界の中で育てられることとなる。
物心つく前から電気を帯び、絶縁体で防護していなければちょっとの癇癪でも人を死に至らしめる程の強力な雷を纏う幼子と、周囲の大気を攪拌し、時に突風を、時に臭気が数日滞留するほどの凪を発生させる幼子の存在は政府によってあてがわれた我部の部下たちを大いに驚かせ、人体実験、それも幼子の人生そのものを消費する悪辣な計画だというにも関わらず科学者という性を刺激し、狂奔させた。
物心ついてからのふたりの差は顕著だった。
物わかりの良い悠斗に対し、生来の気質だろう、好奇心が強く能力の制御を手放しがちな祐理は度々騒動を起こすようになっていた。
寸分違わぬ環境、教育を施してなお差異の出る、双子のような他人。それが彼らだった。
所長を務める我部の提言で、それぞれが能力をある程度制御できるようになったタイミングで同室に置かれることが増えたふたりが仲良くなるのも必然のこと。
彼らの周りにはそれまで、ガラスが防護服越しで接する大人の存在はあれど、教育はもっぱら映像を用いた一方通行、食事や排泄は物心がつくころには動物のように教え込まれた場所でするといった風に人間味の欠片もなく、研究所の白い飼育部屋の中でひとりきりだった彼らが互いに同じ立場の存在を認識したことで、彼らは自身がひとりではない事を知ったのだった。
「ゆーと、ゆーと!」
「なぁに。ゆうり」
お互い、他人との付き合い方を知らない者同士の交流は手探り状態だったが、それでもふたりの仲は良好だった。
まだ金に染める前、黒髪を伸ばし放題にした幼き日の祐理が悠斗に呼びかける。
手には実験に協力したことの褒美として与えられた一冊の図鑑が握られており、悠斗の気を引いた祐理はパラパラと図鑑を捲ってとあるページで指を止めた。
「これ、みろよ! でっけーよな!」
「そうだねー。おとながこのおおきさだから、このへやでもおさまりきらないくらいじゃないかな」
「だよな! だよな! うー! いつかみてぇなー!」
海洋生物図鑑と題された本のページ。人間の大人の平均サイズと比較したイラストが描かれた鯨は当時のふたりの想像のはるか外、まるで空想上の生き物のように思える異質な存在感を持って祐理の目を惹いていた。
キラキラと目を輝かせる祐理に悠斗は問う。
「ゆうりは、そとにいきたい?」
それは、当時の悠斗にとっては何気ない問いかけだったかもしれない。
自分と同じ境遇の人間。自分の半身とも思える相棒。生涯それが変わるはずもないと確信していた悠斗にとって、祐理が口にした返答は自身の発する雷撃よりも深い衝撃を悠斗に与えた。
「いきたい!」
「っ」
無邪気な、嘘偽りないと疑いようもない返答に悠斗は声を詰まらせる。
「ゆーとだってそといきたいんじゃねーの?」
「なんで……?」
そんな悠斗の様子に疑問を抱いた祐理が首を傾げ問いかけるが、悠斗はそれどころではない様子で目を見開いていた。
悠斗にとって世界とはこの白い空間の事で。悠斗にとって必要なのは、自分と同じ立場の人間だけ。
自分がそう思っているのだから、当然祐理もそう考えてくれている。そう信じていた。
その根幹が大きく揺さぶられ、この時初めて、悠斗は信じられないものを見る目を祐理へと向けていた。
「だって、このずかんだってゆーとがおねがいしてもらったもんじゃん」
「それは――」
違う。
悠斗が大人達に――我部に交渉して外部の物を取り寄せさせたのは、祐理が欲しがっていたから。
「いーよなー。おれもはやくおとなになってそとにでたいなー!」
違う。
僕らが外に出られないのは大人じゃないからではない。
否定の言葉は浮かぶのに声にすることができない。
心と体、思考と感情が食い違う気持ち悪さを初めて体験しながら、悠斗は何も言うことができないまま、じっと祐理が開いたページに描かれた鯨の挿絵を見つめていた。
こんな化物がいる外の世界の何が良いんだろう。
この部屋の中だけで生きていくのではダメなのか。
僕には祐理さえ居てくれればそれでいいのに。
思考がぐるぐると渦を巻く。
理性が逃げていきそうなのを必死に繋ぎ留め、悠斗は初めて、自分と祐理が違う人間であるという事実を正しく理解した。
悠斗は頭が良かった。それは仮に外の世界で何不自由ない暮らしをしていたならば、身に宿す才を遺憾なく発揮して世界に羽搏いていくような。1を10にする秀才ではない。0から1を産み出すほどの才能を持った真正の天才。
彼が歪み切った閉鎖環境で、統制され限られた情報しかない世界にあってなお、外という世界を認識し、行き交う大人達の会話からくみ上げた理論を以って外の世界の知識、価値観をある程度理解出来てしまう能力がそれを証明していた。
そして、悠斗は幼いながらに自身の抱く天才性を隠す能もまた、持ち合わせていた。
大人たちは悠斗の才覚を知らず――我部だけは気づいている節があり、だからこそ、悠斗の要求には一考した後に配慮を見せていたのだろう――祐理は無知故に悠斗の天才性を認識できず、悠斗はただ、知られざる天才として研究所の中に居た。
祐理の素行が徐々に問題として取り上げられるようになってきた折。悠斗はある一計を案じた。
これまで能力の制御を誤らず、研究員たちの指示にも従順に従ってきた、優等生であることを逆手に取った手法。
「ブレーカーが落ちた! 精密機器は被膜してあったよな!?」
「ダメです! 今の放電で被膜されていなかった部品から感電したみたいです!!」
「クソッ、バックアップは外にあったか!?」
「あるわけないでしょう!? 機密は全部オフラインサーバーですよ! そっちもやられてるから紙での保管しか残ってません!!」
「ちくしょう、どうなってんだ一体!!」
阿鼻叫喚の渦に叩きこまれた研究所。闇が降りた白かった部屋の中、全身から発光しながらバチバチと壁を焼き、壁に埋め込まれた金属を伝って今もなお施設を破壊して回る高圧電流の奔流を暴れさせたまま、悠斗はじっと佇んでいた。
「落ち着きなさい。……悠斗君。報告してくれるかい?」
「はい、せんせい……ごめんなさい。のうりょく、うまくおさえられなくて」
とても、現在進行形で施設そのものを破壊せんとばかりに暴れている能力の発生源とは思えないしおらしい声で答えた悠斗に、我部は絶縁仕様の防護服越しに問いかける。
施設全体の電源が非常電源も含めて――というより、電気の通り道全てが――焼き切られてしまっていることで観測室と居住室を繋ぐスピーカーも沈黙してしまっていることから、絶縁仕様とは言えその耐久を信頼するには不安の残る雷の嵐の中へと降り立った我部は、僅かに考え込むようにした後口を開いた。
「……なにか、してほしいことはあるかい?」
「ゆうりを、つれてきて、ほしい、です」
「祐理君をかい?」
バチバチと音が爆ぜる中で交わされる会話は大声であっても途切れ途切れに聞こえるが、それでも悠斗の主張を聞き入れた我部が一度下がると、暫くしてやってきた祐理は目を丸くして宙に浮いて発光する悠斗を見上げた。
「ゆーと!」
「……ごめん、のうりょく、うまくつかえなくなっちゃった」
「なにいって――」
突然真っ暗になり、呼び出されたと思えば無二の片割れが能力を使って暴れていた。
祐理は驚きの展開に目を白黒させていた。
それもそのはず、祐理は正しく理解していた。悠斗が能力を暴走させることなんてありえないと。
「ゆうり、ゆうりのちからで、ぼくを、つつんで」
「……やってみる」
だからこそ、祐理は悠斗の意図は分からなくとも、自分を求めている事だけは強く理解した。
悠斗に指示された通りに空気で複数の層を形成し、電気を散らす様に悠斗を覆えば、次第に放電は弱まって光が収まってゆく。
「悠斗君。能力はまだ使えるかい?」
「はい。せんせい。でも、また、ああなっちゃうかも……」
「それは困ったね。祐理君、君なら、悠斗君を抑えてあげられるかな?」
我部の試す様な物言いで、祐理は直感的に悠斗が求めている言葉を理解して口に出した。
「おう。せんせい! まかせとけ!」
「よろしい。では、今後はふたりは同じ部屋で暮らすことにして、実験の時も、ふたり一緒に行うようにしよう。それでいいかい?」
「はい、せんせい、ごめんなさい、ありがとうございます」
「仕方のないことだ。能力の研究は未だに手探りなのだからね」
――そうして、ふたりはお互いに離れることのない部品となった。
能力が常に暴走していて、祐理の風の膜が無ければ無差別に周囲の電子機器を壊してしまう悠斗は、その能力の性質とは反対に協力的な優等生で。
性格が奔放で研究員の指示を無視しがちで、制御しづらい問題児の祐理は、悠斗の暴走を唯一押しとどめられる能力を持つ貴重な人材として。
互いに補い合い、庇い合う、互いを必要とし合う依存関係を形成することで、悠斗は祐理を守っていた。
悠斗にとって祐理は世界に等しく、世界とは白い部屋の中で完結しているもの。
だが、祐理にとってそうでない。祐理にとって世界は広く開けた外のことであり、自由気ままに世界を飛び回ることを求めている。
その事を知っていた悠斗は研究員たちの祐理に対する不満を利用したのだ。
自分という枷を祐理に嵌めて。祐理が外へ飛び出していかない様に。
自分という鎖を祐理に与えて。自分達にはお互いが必要なのだと錯覚させて。
恐らく我部は気づいているだろうことは悠斗も理解していた。だからこの行動は我部にとっても損はない提案だった。祐理と悠斗という実験体が自分の意志で手の内に収まっているのだから。
悠斗は祐理に依存している。対外的に見れば、奔放で問題行動の多い祐理を脇から補助し、周囲との軋轢を緩和する様に尽力している悠斗に祐理が甘えて、依存している様に見えるかもしれないが、その実は逆なのだと、悠斗は正しく自分の在り方を理解していた。
少年たちは成長する。
かつて幼子だったふたりは少年となり、能力も成長を続けていく中で研究者たちの間ではある議論が持ち上がっていた。
すなわち、ふたりを外に出すか否か。
ある研究者は制御の為にはこのまま外を教えずに飼殺してデータを取るべきだと主張し。
またある研究者は既に隔離環境における研究は十分だとし、外的要因によるデータ収集を重視すべきだと主張した。
どちらにも一定の理があり、また、差し迫った問題としてふたりの飼育に対する明確な成果をパトロンである国が求めていたこともあり、研究所は決断を迫られた。
そんな中、研究所長として当初反抗的だった職員たちを排除し、時間をかけて実権を掌握しきった我部が鶴の一声で方針を決定する。
――ふたりを自身の主導する計画に組み込み、外の社会に触れさせる。
この決定の裏には、悠斗は既に独自学習によって外の知識を身に着けており、反対派の言う籠の鳥としてデータを取るというには純度が低いこと、祐理の悠斗という鎖が機能しているからこそとどまっている物の、何かの拍子に箍が外れてしまえば勝手に飛び出してしまいかねないことが要因に含まれていたのだった。
そうした決定の下、悠斗は望まざる、祐理にとっては待ち望んだ、外の世界へと接触する準備が始まると、ふたりはこれまで望んでも与えられなかった外での基礎知識や通念、道具の使い方などを詰め込まれ、パンクしかける祐理が何とか食らいついている横で悠斗は何食わぬ顔でそれらを吸収していった。
「ぐあー……! だりぃよー! なんだよ通貨制度って欲しけりゃ貰えばいいじゃん!」
「祐理は自分が食べようとしてる食事を他人が欲しいって言ってきたらあげる?」
「上げるわけねーじゃん」
「そういうことだよ。外ではお金っていう共通の価値を使って物のやり取りをするんだ」
「はー……なるほどなー。お、なぁなぁ、これってさー」
普段であれば面倒だと思った事はすぐに放り出してしまう祐理が、こうも真剣に取り組んでいる姿を横目で見た悠斗は改めて祐理は外の世界に出ていきたいのだと内心の絶望を深めつつ、それでも祐理の鎖であろうと、補助であろうと徹して祐理の勉強に付き合っていた。
全ての教育課程――無論、学業教育などという真っ当なものではなく、社会活動において支障が出ない程度の常識などの生活知識面である――の詰め込みを終えたふたりは我部の指示の下、我部や政府にとって都合の悪い人間を内々に処理する仕事を与えられることとなった。
それはふたりが社会に慣れるまでの期間に与えられたボーナスとしての仕事であり、こなせばこれまでのように現物によるご褒美が支給されるか、現金という形で、彼ら自身が自主的に欲を満たしに行ける裁量が与えられた。
教育課程では教えられなかった、殺人に関する罪。
ご褒美という餌で人殺しを推奨される環境はふたりの中に元々存在していなかった倫理観を更に輪をかけて物騒なものへと醸成する役割を持っていたが、その意図すら、悠斗や祐理にとってはどうでもいいことであった。
殺人を好みもしなければ厭いもしない。仕事人の様に聞こえるが、ただ、単純に彼らにとっては無関心に値するものだったということだけだ。
やがて、我部の暗躍によって悠斗達の舞台は暗部から日の当たる場所――不法能力者対策局へと移されると、これまで以上に働きを期待されるようになった。
監視付きで、何をするにも報告を義務付けられ、人目に触れることは極力避けなければならなかったこれまでとは違い、圧倒的な自由と、表社会と接するのにふさわしい健全な生活を与えられたふたり。
だが、同時に悠斗と祐理の間にあった、ふたりだけの時間は徐々に減っていた。
悠斗の不満は日に日に不安へと変じるのに、そう時間はかからなかった。
その不安が決定的なものになったのは、東都が襲撃され、その事態収拾と暗躍に対策局がフル稼働せざるを得なくなった時だ。
悠斗は見た。
荒れ狂う砂塵の外周で与えられた任務に従事する傍ら、仄かに感じる祐理との繋がりが砂埃を弾いてくれているのを噛みしめながら、はるか遠方で、銀の閃光と降り注ぐ魔法、砂塵で煙るシルエットだけの巨大な草花の間を自由に飛び回る祐理の姿を。
悠斗は見ていた。
事件解決の功労者として、祐理のみがメディアに取り沙汰され、インタビューだ特集だと公式のアポイントで毎日何処かへと連れ去られてしまう後姿を。
悠斗は――ただ見ている事しか出来なかった。
今の悠斗の隣に祐理はいない。
世間が評価する祐理の価値に、悠斗が届いていないばかりに。
今の祐理に悠斗は必要ない。
世間が認めた偉大な能力者に縋る、欠陥品の能力者なんて。
考えれば考える程深みにはまることを自覚しながらも、悠斗はその思考を止められなかった。
だからだろう。
本来ならば警戒して然るべき――我部の甘言に手を伸ばしてしまったのは。
「……これは?」
呼び出された悠斗が目にしたのは、飾り気のないチョーカー。
黒一色の、一見革製にも見えるそれはよく見ると糸状に延ばされた柔く細い金属で編まれたもののようで、その柔らかな見た目とは裏腹に身体が感じ取る磁場は確かに金属であることを悠斗に示していた。
「覚醒器の亜種……補助型とでも言った方が通りがいいだろうね」
我部の言葉に、悠斗は僅かに思案する。
覚醒器とは能力を持たない只人に能力を芽生えさせる想念因子結晶を取り付けた装身具のこと。
元来の覚醒器は人工能力者――能力使用者に一定の出力で能力を与えるもの。本来は想念因子に干渉するだけの素養がない人間の思念を想念因子の塊である結晶に通すことで増幅し、能力者として一定ラインまでの出力を補助するためのものだ。
当然、増幅装置として多用すれば想念因子結晶は摩耗し、やがてはただのアクセサリーに成り下がる消耗品。
それ故に対策局では定期的に能力使用者たちに対して覚醒器のメンテナンスと更新を行い、市場に流出している覚醒器を用いているグレーな層もまた、麻薬と同じようにバイヤーから定期的に購入することでその能力を維持している。
増幅装置であるため、元々能力を保有している能力者が使用すればその能力の出力を大幅に引き上げることができることも知ってはいたが、身に余る力を揮うからこそのリスクが伴うことも悠斗は理解していた。
「補助型……従来の能力増幅とは違うんですか?」
「ああ。これはあくまで、現在能力を使うことができる人向け、結晶そのものを取り付けるのではなく、生成時に結晶を練り込むことで物質として完全に定着させたものを使用している。その為摩耗率が低く、代わりに単体で能力者を創るには至らないといったものでね」
「それは廉価品とは違うのですか?」
「そう、面白いことにね。これは能力者でなければ使えないし、能力者が使うことで真価を発揮するんだ」
ただし、サンプルケースが少ないために理論が先行した話になってしまうが、と。付け加える我部の言葉を、悠斗は無意識に聞き流しながらも目の前に置かれたチョーカーを見つめていた。
我部がこの話を悠斗にしたのは、悠斗の能力的欠点の解決の見込み、または、このチョーカーの実験に悠斗が適任であるということ。
自分の価値を示さなければ。
今も昔も、悠斗と祐理のすべての権利は我部が握っている。
あくまでも、我部が許す範囲で我儘を言い、利害の調整をしてここまで生きてきたにすぎない。
それを自覚している悠斗は無言のままチョーカーを手に取った。
「おや、危険性については聞かないのかい?」
「聞いても意味がないでしょう? それに、断ったら祐理を使う。そういう話でしょう」
「君はいつもながらに理解が速いね」
我部は否定しない。無論、世間的に知名度が上がり、裏の研究に引き摺り込むには難易度の高い祐理を使うプランはかなり後の優先度だろう。
けれど、自分が断ったことでお鉢が祐理に回るかもしれないというリスクを、悠斗が取れるはずがなかった。
チョーカーを首に巻き付けたと同時。
悠斗は目の前に閃光が奔ったような錯覚と、明確に深く世界と繋がる様な浮遊感に目を瞠った。
「気分はどうだい?」
「……問題ありません」
「そうか。それは良かった。これからしばらくはそれを着用したまま生活する様に。ああ、それと」
「?」
席を立つ我部が徐に、悠斗に対して示唆を――暗に指示を出す。
「その力をモノに出来れば、祐理君と双璧として持て囃される彼にも、届くかもしれないね?」
「!」
「彼は最終段階で必要となる。最終的には回収する手立てはあるが、それよりも先に回収出来たならば計画は前倒しに出来るからね」
「……」
今度こそ、我部は防音された小さな個室を出て行く。扉が閉まる直前、隙間から届く我部の声が、悠斗にはやけにはっきりと聞こえた。
「期待しているよ」
後戻りはできない。
悠斗はその日から、補助器を使いこなすことに全てを捧げ、
「迎坂黄泉路……道敷出雲――僕たちの、原型……」
万能の器。奇跡の神子。――祐理や悠斗が産まれた実験の最高傑作。
一方的に知っていた雲の上の存在に牙を突き立てる為の、終わりに追いつかれない為の日々が始まった。
悠斗にとって世界とは白い部屋の中であり、人とは自分と祐理を指す言葉であったように。
祐理にとって世界とは悠斗と共に見る景色であり、人とは自分と悠斗とそれ以外を指す言葉であった。
ただ、それだけのことだった。
――悠斗は聡明でありながら気づかなかった。祐理が悠斗に向けた感情が自身が向けている感情とズレていると知りながら、その重さを捉え違えていた。
悠斗にとって祐理が特別であったから。世界が狭い方がふたりだけで完結できたから。
祐理にとって悠斗は特別ではなかった。世界が何処まで広くとも、隣に悠斗がいるなら揺るがないと知っていた。
悠斗にとって特別だった関係は、祐理にとっては当然で。
祐理にとって当たり前のものは、悠斗にとっては奇跡だった。
たったひとつの掛け違い。
どちらがより相手を重く見ているかを、悠斗は読み違えた。
そのボタンの掛け違いが、自身を破滅に導くことも自覚しないまま。
悠斗はひた走る。ただ、自分と祐理が生きていくために。
それだけが悠斗に残された原初にして最後の拠り所であった。