12-59 影と踊る
◆◇◆
建物の外で響く断続的な轟音。
それに先んじる様に板張りされた窓や崩れて穴の開いた壁の隙間から差し込む白い閃光が、暗く淀んだどこまでも続く様な通路をまばらに照らす。
「チッ」
閃光の瞬間、ルカが壁を蹴って三角飛びで大きく距離を取れば、つい先ほどまでルカの居た場所を押しつぶすように影の刃が群れを成し、トラバサミの様に上下から通路の空間そのものを縦断する。
閉じられた影の牙が壁のように彼我を隔てたのも構わず、ルカは懐から取り出した無色透明なビー玉を左右の指の間、それぞれに4つずつ挟み込む独特の構えから射出すると、指から離れた瞬間、ビー玉が何かにはじき出されたかのように飛翔して黒々とした壁へと突き刺さった。
「(相性が悪いな……)」
何度目かにもなる光景を再度観察しながら、ルカは内心で自身の現在の手持ちの札を数えながら更に距離を空ける為に通路の奥、上階へと続く階段を数段飛ばしで駆け上がる。
その背後を、ゆらりと闇そのものに同化する様な黒髪の女がふらふらと追いすがる女――逢坂愛の足元で揺蕩うように不規則に伸び縮みを繰り返す本人の影と相まってある種のホラーのようであった。
「(黄泉路に大見得切った手前、何とか仕留めたいところだが、さすがにちょいと厳しいか)」
普段の仕事であれば間違いなく衝突を避けている。それだけの相性の悪さと能力の練度の高さがあると逢坂を評価しながら、ルカは階段を登り切ったばかりの逢坂へ向けて通路の脇に放置されていた埃をかぶったストレッチャーを蹴り飛ばす。
ルカの素の膂力では当然蹴っただけでは勢いよく飛ぶどころか、荒れた床を少しこすれて不快な音を立てるだけだっただろう。
だが、能力によって蹴られた際の移動速度だけを引き上げられたストレッチャーは、床の摩擦や衝撃の強さなどまるで無視して射出され、
――ガギッ、グシャッ。
逢坂から数メートル手前の地点で突如空中に制止したかと思えば、次の瞬間には紙を丸めてゴミ箱に捨てるかの如く空中で何かに握り込まれるように圧縮された。
「こ、こんな、ものをなげるなんて、ひ、ひどい、わ」
「生憎と、俺の踊り方は我流なんでな」
能力に見合わず自信なさげな――否、どちらかといえば、影に影に隠れる様な卑屈さを感じられる物言いは、影を自在に操る逢坂らしいと言えばらしい――口ぶりで抗議を上げる逢坂に、ルカは小さく肩をすくめるようにして浅く笑う。
「(とはいえ、能力については凡そ分かった)」
軽口を叩いている表面とは裏腹に、裏の世界でその身ひとつで生き抜いてきたルカは冷徹に逢坂の能力を推察していた。
逢坂愛の能力【擬装暗器】――影を支配する【影支配】は強力な能力だ。
影、と一口に言っても、本来は質量を持たないはずのそれにルカの加速を乗せた投擲を防ぎきるだけの厚みを付与している事からも、影を操作するだけの無害な能力ではないことは一目瞭然だ。
「(こいつは自分自身の影が能力として本体の役割を果たし、自分の影が潜り込んだ先の影を支配下に置くことでその質量を操る。影に付与できる質量は支配下に置いた影の元になった物体の強度、ってところだろうな)」
ビー玉程度では貫通出来ない壁の影。だが、砲弾とも呼べるストレッチャーの投擲に対してはストレッチャーそのものの影に自らの影を差し込むことで止めている。
これは影の持つ強度の個体差を意識したもの、ルカはそう判断し、かつ、現在のシチュエーションが限りなく不利であることを再認識した。
「(完全な暗闇の中なら影は無くなる、なんて甘い考えは出来なさそうだな。むしろ、薄暗い中で自由に動き回る影に意識を裂かなきゃならない分だけ厄介ですらある)」
ちらりと視線を逢坂から逸らさず、その視野の内に収めた板張りへと意識を向ける。
まだ外は日の高い時間、これが外での障害物も少ない平地であればルカが逢坂にここまで手をこまねく理由もなかったが、生憎と外には今も断続的に轟音を響かせる逢坂の仲間が居た。
せっかく黄泉路と1対1で請け負ったのだ。合流して2対2の状況で逢坂だけでなく雷使いの相手までしなければならないのは控えめに言ってルカの処理能力が悲鳴を上げる。
ルカの能力【速度支配】は一見強力無比な力ではあるが、その実能力の行使は出力の調整のほとんどをオートではなく自身の判断で行うため、雷の速度で飛び交う攻撃に対処するには常に能力を張り巡らせ続ける必要がある。
そんなことをすれば早々にガス欠してしまうのは目に見えており、逢坂を相手にするのも悠斗を相手にするのも、ルカにとっては1人が限度という自認があった。
だからこそ、ルカは考える。
「(外はナシ。光源、もしくは開けた場所でやりあわねーことには負けはしねぇが手詰まり。黄泉路が早々にケリつけてこっちに――ってのも都合が良すぎるしな)」
再び始まる鬼ごっこ、逢坂の足元から伸びた影が壁や天井の凹凸から出来た影を掴み、その元となった物質の硬度を有する変幻自在の影が時に刃の様に、時に槌の様に振るわれるのを、ルカは自らの体に能力を付与して加減速を調節してかわしながら駆ける。
先ほど昇った階段とはまた別の位置から上層へ逃れる度、逃げ道を削る様に逢坂が階段を埋め立てながら追いかけてくる。
「(……ま、不測の事態で慌ててちゃ生きてけねぇのはいつものことか。とすれば) ――なぁお前!」
「……?」
「その力、もしかしてお前も御遣いの宿の関係者だったりするのか?」
外の破砕音が酷くなっているのを肌で感じながら、ルカは不意に声をかける。
これまで悪態やその場限りの反射のような言葉の応酬はあったものの、まともに言葉を交わすつもりの問いかけはこれが初めてであり、逢坂はぴたりとその場で静止して沈黙する。
その様子に反応ありとみてルカもゆるやかに減速して足を止め様子を窺う。
「そう、きいている、わ」
「そっか。ならお前とも同郷ってわけだな。……どうせ外のもだろ?」
「……」
「守秘義務って奴か」
「し、しらない。しらないのよ。私、ずっと、けんきゅうじょにいたから」
「……研究所っつーことは、これまでずっと実験体にされてたんだろ。外に出てまで付き従ってる理由なんてないんじゃないのか?」
話してみれば意外にもするすると返答――というよりは、本来は期待すらしていなかった内情がぽろぽろとこぼれてくる――に、ルカは内心の困惑を押し込んで更に言葉を重ねる。
「大体、お前ら対策局のトップに居る我部。あいつが宿を売ったからお前が閉じ込められてるとも言えるのに、何か弱みでも握られてんのか?」
別段、ルカとしては本来気にもならない情報。
外の雷使いにしろ目の前の逢坂にしろ、外で生きていくには十分すぎる力を持っている。
がちがちに監禁されて管理されていた頃ならばいざ知らず、外を知り、外に出ることが出来ている今もなお付き従っている理由が分からなかった。
対策局という組織そのものに賛同しているのか。そうなるように仕向けられているのか。
興味本位ではないと言えば嘘になるが、ルカや黄泉路と似た生まれをもつ彼らが、どうして自分たちの人生を狂わせた元凶の下で使われているのかを聞いてみたくなったのだ。
ルカの問いかけに沈黙し、顔を俯かせて肩を震わせていた逢坂はやがて緩やかに顔を上げる。
「――せんせいはね」
「?」
「すごくすごくいいひとなの、私のことをみてくれて私をたいせつにしてくれて私をなでてくれて私のことをあいしてくれて私にいきるいみをくれて私のことをつかってくれて私をりかいしてくれる」
「っ」
ずらぁ、と。これまでのおどおどした印象が嘘のように。
声量こそ変わらないものの、立て板に水とはこのことと言わんばかりに捲し立てる逢坂にルカは一瞬気圧される。
「私はそんなせんせいのやくにたちたいの、せんせいにひつようだっていってほしい、せんせいにいいこだねってほめてほしい、せんせいにすきだっていってほしい、せんせいとあいしあいたい、せんせいに私だけをみてほしい。せんせい、せんせい、せんせい……!」
「(マジかこいつ……!)」
正しく、ヤンデレという言葉を脳裏に思い描いたルカは咄嗟に前へ、これまで一定の距離を取ってきた逢坂の方へと駆けだす。
「俺には、良い様に使われてるとしか思えねぇな!」
「!?」
その背後、暗闇を伝い、凹凸を経由して忍び寄っていた影が足場を呑むより早く接近したルカが声を張ると予想外の事に驚いたのか、逢坂の体がびくりと硬直する。
ルカは自らの体が軋むのも構わず距離を詰める。そこには逢坂の影はない。
当然と言えば当然だが、何かを支配する、操作するといった能力にも当然限界はある。ルカの場合それは自身を中心とした半径10メートル以内の速度に纏わるものに限られるし、生物に作用させるにはルカ自身が接触する必要があるといった制約がある。
逢坂の場合、大本となる自身の影のサイズは変えられないという点。自らの影を無機物の影などに繋げることでその質量と影の大きさを得るが、だとして、細く伸ばしたとしても自らの体積分以上の影を伸ばして周囲の影を支配下に置くことはできない。
そして、今まさに、背後から奇襲する為に逢坂は細く長く影を伸ばし、自身の足元にあった影は小さく補足足の裏にとどまる程度にまで縮小していた。
距離を詰めるルカと影を引き戻さんとする逢坂。その速度は、ルカの方が早い。
「シィッ!」
跳躍の如く数歩で距離を詰めたルカが長い袖のコートの奥から仕込み暗器を振りかぶる。
暗闇に溶ける様な細いピアノ線と、その先に取り付けられた刃物というシンプルな構造の暗器、しかし、それを使うのがルカであれば、それは音速を超える銃以上の凶器となる。
「こ、こないで!」
あまりにも早い、影すら残さないと言わんばかりの糸が僅かに逢坂の前髪を落とし、はらはらと髪が散らばる。だが、
「チッ」
糸、そして先端の刃が空中で止まる。針金のように細い黒が床から突き立ち、逢坂と暗器の間に割り込んで間一髪のところで攻撃を阻んでいた。
うまく決まればこの一撃で仕留められる軌道だっただけに、ルカは思わず舌打ちし、
「――へぇ。案外美人なんだな」
苦し紛れに軽口をたたきながら、暗器を手元に引き戻しながら横をすり抜ける。
本来であれば先ほどの一撃で仕留めたかったのがルカの本音であり、今後は近接戦に持ち込むことも難易度が上がるだろう。ルカが苦し紛れと自覚してしまうのは、ルカ自身も能力範囲の関係で近、中距離を得意としているが故に、今の攻防が相手が一番嫌がることで、相手が一番警戒させることを理解していたからだった。
――だが、事態はルカの想定していた苦境とは別の方向に転がり始める。
「びじん……」
ぞくり、と。駆け抜けたばかりの背後、逢坂の呟く様な声を耳が捉えた瞬間、ルカは背筋が粟立つような錯覚を抱いた。