12-58 雷霆の箱庭2
銀の穂先と雷光がぶつかり合い、槍を持つ黄泉路の手に、腕に、痺れる様に伝播して魂にまで響く。
「くっ」
至近距離で爆ぜる大気に鼓膜が破け、網膜を焼き尽くす閃光が視界を奪う。
だが、災害の直下にあっても黄泉路の意識は正面に浮いた悠斗の魂、その輪郭をしっかりと見据えて槍を突き出す。
悠斗の右腕と同化した、白く景色を削り取ったような雷の剣が突き出された槍を受け止める。
『出力さらに上昇。放出電力量安定、計測を続行します』
『あの小さな体にどれほどの可能性が詰まっているのだろうな』
『この力の解明さえできれば世界の電力事情が変わるぞ』
『管理も容易で計測方法も明解だし、E-38は優秀だな』
黄泉路の魂の奥底にまで届く、聞き覚えのない大人の声。
『室内の気圧、更に降下。このままでは』
『くそ、空調を回せ! すぐに気圧を安定させるんだ!』
『ダメです! ダクト内の大気まで――』
『強化ガラスにヒビが!?』
『まずい、割れるぞ!!』
――白い部屋を隔てた大きなガラス窓に罅が入る。
一瞬にして砕け散るガラス。内へ引き込むような暴風に必死に近くの机などにしがみつく大人。吹き込んだガラス片が蛍光灯に反射してきらきらと宙を舞う中、暴風の中心で目を輝かせる小さな少年。
――バチッ。
「この、この、このっ!!!」
「(槍で打ち合った時に流れ込んでくるのは、悠斗の記憶だ――)」
もはや幾度降り注いだかもわからない轟雷が地を焼き、廃病院の駐車場はコンクリートが融解して生い茂った草木と共に燃え上がり黒煙を孕んでは次々に降り注ぐ雷撃と赤塵の巨腕が巻き起こす衝撃で吹き散らされる。
耳も目も修復した所で意味はないと断じた黄泉路は目を閉じたまま、音も色もない世界でただ悠斗の魂と、悠斗の魂――文字通り命を削った雷撃だけを槍で捉えて切り結ぶ。
そうして深く黄泉路と悠斗の魂が繋がるごとに、黄泉路へと悠斗の記憶が、感情が、意識が、雷撃の様に突き刺さる。
――バチン。
『おまえ、なんてーの?』
『?』
黒髪の少年がこてりと首を傾げる。
その様子から、名前を聞かれたのだと理解するまで数秒かかった茶髪の少年は、同じように首を傾げて答える。
『E-38』
『それなまえじゃねーじゃん』
『でも、みんなそうよぶよ?』
『ちげーよ。なまえってのは、もっとこー。かっこいーっつーか。かわいーっつーか』
『うーん……?』
困惑する少年にとって、ただのナンバリングに過ぎない呼称が自分の名前であることが当然であった。
誰もが自分をそう認識するならば、それは正しくラベリングされた個体識別で相違なく。名前というのは所詮その程度の価値でしかないのだと早々に――身丈から考えてもまだ4歳にもなっていないだろう子供がだ――理解していた少年は、黒髪の少年がうんうん唸りながらもナンバー以外の名前の必要性を訴えようと頭をひねっていた。
同じ研究所にふたりきり、E-38にとって目の前の少年は唯一自分と同じ目線で、同じ立場の人間だ。だから、そんな少年の悩みが解決するのは、とてもいいことだと思った。
『じゃあ、こんどせんせいにきいてみようよ』
『せんせーか。いーなそれ! もしかしたら、おれたちもなまえおしえてくれるかもしれねーし!』
無邪気に笑う少年の様子が何故だかとても嬉しくて。
自分と少年との境界性、自他の住み分けも出来ない年頃の子供だった茶髪の少年は、もうひとりの少年を自分の半身だと考えていた。
――ゴロゴロゴロ。
悠斗が引寄せた雷雲が黒く空を覆い、頭上で睥睨する様な雷鳴が幾度となく響く。
常人であれば一瞬にして聴覚と視覚を焼かれるばかりか、多量の電圧を逃がしようもなく受けたその瞬間に全身が焼け焦げてショック死するだろう破壊の雨が降り注ぐ中、未だにその健在ぶりを示す様に淡く蒼く輝く銀槍を振るい、背から生えた巨大な腕のような赤黒い塵を巧みに動かして接近戦を仕掛けてくる黄泉路を相手に、悠斗は奥歯を噛みしめながら、もはや雷そのものと化したような右腕を振るう。
痛みはない。電気信号を誤魔化すことで痛覚を遮断し、筋肉を痙攣による収縮で無理やり稼働させている右腕は健常だった時よりも機敏に動き、眼で追うのを諦め、磁気による知覚で感じ取った黄泉路の槍を受ける為に軌道上に割り込ませた右腕が火花を散らす。
「(時期も順序もバラバラ……だけど)」
悠斗の記憶はいつだって白い部屋の中で完結していた。
そこには遠巻きな大人のシルエットはあれど、傍にいたのはいつだって瀬川祐理の姿だけで。
閉じた世界。人工的な箱庭。そんな言葉が思い浮かぶような閉塞的な暮らし。
だが、同時に流入してくる悠斗の感情はそこに悲哀も憎悪も憤怒も倦怠もなく、ただ、祐理と過ごす日々の穏やかさと安心だけが広がっていた。
だからこそ、黄泉路は眉を顰めて槍を振るう。
現在対峙している悠斗から感じられるのは、追い詰められた人間特有の焦りと狭窄、悲痛さすら感じてしまう程の諦観と、その諦観を抑え込むようにして黄泉路に向けられる執着混じりの敵意。
幼少期の感情と現在の感情が入り乱れ、そのギャップにどうしてこうなってしまっているのだろうかと黄泉路は敵ながらに思ってしまう。
「うああぁあぁあぁあぁぁああっ!!!!」
「うぐっ、どうして――」
黄泉路の声が轟音に飲まれて消える。
悠斗の喉が裂けんばかりの言語以前の鳴き声にも似た激情のみが乗せられた声もまた、至近距離で爆ぜる大気に攪拌されて誰の耳にも届かない。ただ、練り上げられた雷光を通じて流れ込む感情のみが、黄泉路を焼かんと白熱していた。
『名前?』
『ああ! おれたちのなまえ!』
『……外に興味があるのかい?』
『んー。どーだろ。でもなまえはほしい!』
『E-38、君もかい?』
『I-19がなまえをもらうなら、ぼくもほしい』
『そうか。それなら君たちは――』
黄泉路も聞き覚えのある声。
記憶の中の声はまだ若く、子供の目線から見上げたシルエットは眼鏡越しに神経質そうな目を緩め、少年たちを見下ろしながら口を開いた。
『I-19、君は瀬川祐理と名乗りなさい』
『せがわゆーり……おれのなまえ……』
『E-38。君は渡里悠斗だ』
『わたり……ゆうと』
『これからも君たちには期待しているよ』
男の声音は優しい。だが、その態度や言動はどこまでもその場にそぐわない異質なもの。黄泉路にはそう思えてならなかった。
――バチン。
場面が変わる。変わる。変わる。
重い雷撃と交差するたびに槍の穂先が削れ、その都度黄泉路は自身の内側から銀砂を継ぎ足す様に送り込んで槍の形を維持し続ける。
黄泉路が持つ広大な内部領域、数多の魂を受け入れてきたことによる膨大なリソース。それを身一つで削り切らんと奮起する悠斗の行いは無謀にも見え、しかし、黄泉路の内部領域にまで浸透する程に鋭い雷撃は黄泉路の精神を着実に疲弊させていた。
「(このままだと、僕の能力よりも先に、僕自身が保たない……それに)」
「がはっ……ごほっ、ぐ、ぅううううぅぅぅううっ!!!」
喉が裂けたのだろう。大きくせき込み、血を吐きながらも唸る様に雷鳴を引き連れ、閃光を振り回す悠斗を知覚しながら黄泉路は痛みと痺れで槍を取り落とさぬようにしっかりと握る。
「(彼も、もう長くない……)」
目に見えて疲弊する悠斗の輪郭。それは、黄泉路のみが認識している魂の損耗そのものと言えるもので。
自らの命を使い潰すほどの動機が、この記憶の中にあるのだろう。黄泉路はそう覚悟を決めて再び槍を振るう。
聞こえてくる声は知らない大人のもの。
白い通路が連なる施設の一室。職員の休憩所らしき紫煙揺蕩う空間で白衣の大人達がため息交じりに会話をしている。
それを、部屋の角、天井に近い場所から見下ろす様な光景。
『また観測失敗だ』
『I-19の観測実験はこれで28回目の失敗か』
『くそっ。欠陥品め……!』
『おい。所長の耳に入ったら――』
『はっ、あの成り上がりの若造が俺たちの声なんか気にするかよ』
繰り返される囁く様な暴言が電子の波を超えて茶髪の少年の耳を掠める。
『このままだと最悪、I-19は処理する必要があるな』
『出力自体は高いのが勿体ないが、そうなるか』
『ああ。手に負えない実験動物ほど厄介な物もない』
監視カメラの記録に介入し、記録を読み取ることすら可能としていた茶髪の少年の天才性を大人たちは知らなかった。
茶髪の少年にとって、決して許しがたいことを話していた事を、大人たちは知らない。
突如として落ちる照明。機能しなくなる端末。
パニックに陥った大人達を支える様に灯った非常電源すらも、ほんの僅かな瞬きをもって沈黙し、後に残った非常灯の非電源的な明かりだけが照らす暗闇の中。騒ぎは少年たちの生活区域とされる密室の方から大人達の混乱の声によって周知されて行った。
『ゆーと!』
『……ごめん、のうりょく、うまくつかえなくなっちゃった』
『なにいって――』
『ゆうり、ゆうりのちからで、ぼくを、つつんで』
『……やってみる』
悠斗と呼ばれた茶髪の少年の体が浮き上がり、無秩序に広がる閃光が室内を焼きながらも、自然と黒髪の少年だけを避ける異常な光景。
溢れ出した磁場が精密機械を狂わせ、莫大な雷の奔流が電子機器の回線を焼き潰す。
そこにあったはずの絶縁仕様の壁すらも超えて施設そのものを沈黙させた騒動は、黒髪の少年、瀬川祐理の能力によって渡里悠斗の体を被膜することで終息することとなる。
その日から、大人達のふたりの扱いが逆転した。
『I-19の能力制御、安定しています』
『空間識別能力の向上と掌握にかかるまでの時間の短縮を確認』
相変わらず問題は多いものの、以前に比べると格段に計測がしやすくなった祐理は研究者たちからの陰口も少なくなり、
『E-38、暴走傾向。放電現象、磁気干渉止まりません!』
『聞こえるかI-19、E-38を鎮静化させるんだ』
代わるように、問題行動というよりは能力の制御そのものに支障をきたした悠斗を制御を求めて祐理を利用する様になったことで、研究所内において特定の実験以外では悠斗と祐理をセットとして扱うことが不文律となるのに、そう時間はかからなかった。
黄泉路の内に突き刺さった悠斗の声が反響する。
『祐理を連れて行かないで』
悲痛さと切実さで削りだされた彫刻のような声は悠斗の感情そのもので。
『僕の箱庭を奪わないで!』
肉声ではない、魂そのものが咆哮する様な悲鳴と共に、雷が集束し、悠斗の右腕を骨子とした白い剣が黄泉路の持つ銀の槍の先端を砕き、黄泉路の胸に吸い込まれるように突き立った。