12-53 神蔵識村跡3
直接見せた方が早い。そう言って紗希が案内したのは、道中遠くに見えていた白亜の城の跡。
村の規模を出ない森の中に孤立した田舎には不釣り合いな大きな病院の開け放たれたままの門を潜り、施錠された両開きのガラス扉を紗希がポケットから取り出した鍵で開錠して中へ入れば、外とは違うひやりとした埃っぽい空気が黄泉路達を出迎えた。
「想像してたより綺麗ですね」
「空気が多少淀んじゃいるが20年そこら放置されてた廃墟って感じでもねぇし、何より――」
「不思議な感じ」
足を踏み入れた黄泉路達がまず初めに抱いたのは、電気も途絶えて照明も落ち、窓という窓が板で目張りされている事で日中だというのに夜の様に暗い院内の清潔さについてであった。
たとえ外部に通じる箇所が閉ざされていたとしても、20年の歳月があれば相応に汚れたり荒れたりしているものだ。
しかし、この病院の中は当時に荒らされたのだろういくらかの痕跡を除けばまだ閉鎖されて数年と経っていないと言われれば信じてしまいそうなほどに当時の状況を色濃く残していた。
道中に見てきた植物に呑まれた家屋とはまるで違う、時間の流れに取り残されたような状態に驚く黄泉路達であったが、歩深の口にした不思議な感覚というものも、黄泉路達は等しく感じ取っていた。
とはいえ、その感覚自体、ルカにしてみれば不思議ということは無いらしく、
「ああ、そりゃたぶんだが縁さんの力の残滓ってことだろ」
「上代縁の残滓……能力を使ってここを残した?」
扉が開き、外気の出入口が大きくできたことで動き出した空気の流れによって舞い上がった埃を避ける様に能力で見えない膜を作りだしたルカの断言めいた口調に、黄泉路は現在自分たちを包んでいる様な――病院そのものを満たしている様な懐かしさを感じるナニカを感じ取る様に意識を研ぎ澄ませながら問う。
「ここを守りたいっていう縁さんの意思が、今でもここに残留してるんだろうねーぇ」
「どうして、ここを?」
黄泉路の問いは暗に本部であったであろう先に訪れた邸宅の荒れ具合を比較してのものであった。
カチリ、と。手元で懐中電灯を取り出して暗く色彩が消えていくように奥へと伸びた通路を照らした紗希が答える。
「それだけ、大事な場所だったのさーぁ」
本部だったらしい邸宅よりも、なのだろう。黄泉路は浮かんでは消える言葉を飲み下し、先頭を歩きだす紗希に続いて闇の中へと身を投じるのだった。
「元々この病院は村にあった診療所を再建した時に広くしたものらしくてねーぇ。御遣いの宿が規模を大きくした時に、この村が活気づいたこともあって広くしようって話になって、こんな大仰な建物になったんだって言ってたねーぇ」
迷いなく目的地に向けて歩みを続ける紗希が思い出話のように――口ぶりからして伝聞なのだろう――当時の状況を語りながらも、その足は奥へ。
受付や診察室など、来院患者が行き交っていただろう場所を通り過ぎ、病院関係者のみが出入りできる区画を進んでゆくこと暫し。
「手術室……」
「と言っても、目的はちょっと違うけどねーぇ」
きぃぃ、と、微かな音を響かせて、仄かに積もった埃をライトの明かりに躍らせながら開かれた手術室は破棄された僅かな機材を残すのみの寂しいもの。
部屋の中央に鎮座する手術に使って居ただろう台、部屋に備え付けられた大型の照明、撤去されずに残った金属棚の中にはさすがに物品は残っていないものの、他には荒らされた形跡などもない。何の変哲もない内装は村や院内と比してもなお被害が少ないように感じられた。
「ちょっと待ってねーぇ……。よいっしょ……ちょっとごめんねーぇ、男子諸君ー手伝ってくれないかなーぁ」
「行こうぜ」
「はい」
手術台の奥へと回り込んでしゃがみ込んだ紗希に呼ばれた黄泉路とルカが近づくと、屈みこんでいる紗希の手元を見て納得する。
「隠し部屋か?」
「床に薄っすら途切れ目があるからたぶん。台をどかせばいいですか?」
「そうそーぅ。頼むよ。私じゃどうやっても無理だからねーぇ」
「……ここが生きてた時はどうやってたんだよ」
にへら、と。緩い笑みを浮かべて若者2人に任せるよとそそくさと身を引く紗希に、呆れたようにぼやくも、ルカもルカで別段手伝うつもりが無いわけではないらしく、台にむかって手を伸ばす。
「合図は?」
「はい、じゃあ。せーので」
手術室に大きな音が響くと同時、台がゆっくりと横へとずれて行き――
「うん。ありがとーぅ。これなら開きそうだねーぇ」
つるりとした床に、最初からそこにあると確信したうえで目を凝らさなければ分からないほど巧妙に隠された切れ目の全貌があらわになれば、紗希はポケットから取り出したマイナスドライバーを切れ目へと差し込んで梃子の要領でゆっくりと持ち上げ、引き継ぐように差し伸べた黄泉路の指が持ち上がった床の一部を引き継いで上へと引き剥がす。
床の下から姿を現したのは錆ひとつない金属の扉。
月日を感じさせない金属の扉にはダイヤル式の鍵が付けられており、扉が上面を向いた金庫を想像させるビジュアルをしていた。
「さて、ここの番号はーぁ」
鍵を取り出したのと同じく、ポケットから古びた手帳を引き出すと、懐中電灯の明かりを頼りに目的のページを開いたらしい紗希がダイヤルを回す。
カチ、カチ、カチ、という、金属同士がうち合わさる小さな音だけが暗い室内に響く中、程なくしてカチリと最後の音を鳴らした金属扉を前に紗希が立ち上がる。
「よぅし。開いたよーぅ。いやぁ、良かった良かった。私も聞いてはいたけど開けたのは初めてだからねーぇ」
「初めて?」
紗希の言葉に黄泉路が首を傾げて問えば、紗希はなんということは無いという風に扉へと視線を落とし、言われてみれば尤もな答えを口にする。
「考えても見てくれたまえよーぅ。私たちは当時、ただの部外者の学生だったんだ。宗教団体の秘中の秘なんておいそれと教えてくれるワケがないだろーぅ?」
「ならなんでアンタはここの場所や鍵まで知ってたんだ?」
「斗聡君が持ってたからねーぇ」
「……アイツはタダの部外者じゃなかったってか?」
「そりゃそうだよーぅ」
鍵が開いたことで握れるようになった取っ手に手を掛けた紗希は、変わらず何という事もないという調子で――
「斗聡君と縁さんは夫婦だったんだから」
「――!?」
俄かに信じられない言葉を返して扉を持ち上げようと唸りはじめた。
「え、ちょ、ちょっと待ってください、リーダーと上代縁が夫婦って、それじゃあ」
「ん、ふぅー。やっぱり歳だねーぇ。私じゃ開けられそうにない。どっちか、頼むよーぅ。……っと、そうだね。今日は来てない彼女、神室城姫更は斗聡君と縁さんの実子だ」
「っ!!」
黄泉路にしてみれば驚きの事実、しかし、この場にはその意味を黄泉路以上に理解している人物は居らず、ルカは単純に神室城斗聡が縁と共にいたから知っていたかという納得を、歩深に至ってはただただ首を傾げるばかりで、黄泉路はたまらず口を開く。
「じゃ、じゃあ、あの時、御心先生が戌成村に居た時にも姫ちゃんのこと――」
「知っていたよーぅ。ただ、斗聡君自身から聞いたのはその後だけれどねーぇ」
斗聡と縁が恋仲であったことは当時からの事であり、その後子供を儲けた事は姫更の存在で初めて認知したうえで、顔立ちから凡そ予想していたのだと語る紗希は、途中から代わったルカが扉を開け切れば、そこから顔をのぞかせる梯子へと足を掛け、
「まぁまーぁ。今はそんな話よりも、この先にあるものの話、だろーぅ。斗聡君と縁さんの話は戻ったら当人に聞けばいいしねーぇ」
「……そう、ですね」
「ま、本題はこっちなのは変わらねぇってな。先行くぞ」
懐中電灯の光が穴の中へと吸い込まれてゆき、手術室の中がどんどん暗くなってゆく。
ある程度間隔があいたのを見計らったルカが紗希の後に続いて姿を消すと、暗い部屋の中に白い肌と髪が浮く様にくっきりと姿が見える歩深がジッと黄泉路を見据えて首を傾げていた。
「いかないの? 死なない人」
「そうだね。僕が最後に降りるから、歩深ちゃんが先に降りると良いよ」
「わかった。歩深が先」
小走りで梯子まで近づき、穴の中へと臆することなく降りて行く歩深を見送りながら、黄泉路はこんなことならば無理を言ってでも姫更を連れてくるべきだったかと、淡い後悔を抱くのだった。