12-50 神の居た村
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遠景が滲み揺らぐほどの炎天の快晴。
木々の間からは絶え間なく蝉の鳴き声が響き、視覚と聴覚にも訴えかけてくるような猛暑の中を、3人の若い男女が深い森の中を歩いていた。
ひとりは20代半ばほどの青年で、目元に届くかという程の無造作に伸びた黒髪に挿し込む様にかけられたバイクゴーグルに、夏も最盛期だというにも関わらず冬を思わせる様な黒のモッズコートという、季節感どころか熱射病による命の危険すら思わせる異質な服装で先頭を歩き、元は道があったのだろう草木によって獣道と半ば同化したようなでこぼことした押し固められた土の道を危なげなく進む。
その青年の後をついて歩くのは、これまた人里から離れた山奥というシチュエーションには似合わない、10代前半頃の少女と、これまた10代半ばぐらいの年齢だろう少年だ。
先頭を行く青年と比べれば随分とまともな季節感を保った少女はしかし、木漏れ日を照り返してなお輝きを増す背に届く長い白髪と、この時期の夕暮れから色を抽出したかのような灼ける様な濃い赤色を宿した丸みを帯びた瞳という異質さに加え、つば広の麦わら帽子と薄手のカーディガンにロングスカートタイプのワンピース、素足のままで履いているサンダルという、とてもではないが山道や森の中を歩くことなど想定していないような軽装で、自然しかない環境というのが物珍しいのか周囲を興味深げに視線を彷徨わせていた。
その少女の隣で引率の様に歩く少年もまた、先のふたりに負けず劣らず異様と言える――といえばそうでもなく。さらりと流れる様な艶やかな黒髪と同色の瞳はこの国の民であれば珍しくもない、強いて言うならばきめ細かな肌のその白さくらいであろうが、体質と言ってしまえばそれまでであろう。
服装にしても、青年のように季節感を殺したと言わんばかりのものや、シチュエーションなど知らぬとばかりの少女の軽装のようなものではなく、森の中を歩く想定してのことであろう、枝葉や虫から体を守るための薄手でありながらもしっかりと手首まで覆う長袖長ズボンに、足元を見れば登山用に売り出しているメーカーのスニーカーと、ひとりだけシチュエーションという意味では文句の付け所のない恰好をしていた。
――強いて挙げるとするならば、異常なふたりと自然体で同道しているというその状態にこそ異常性があると言われてしまえばそれまでであるが。
とはいえ、そんな少年を含んでもなお、彼ら3人の集団は異常であった。
第一に、人里から離れ、人の往来もない完全な森の中を歩いているというのに、彼らの手には一切の荷物らしい荷物が存在していない。
これが自殺志願者の集団であったとしても、自殺用の道具なり道中向かうための準備であったりと何かと荷物は必要になるであろうが、彼ら3人は先頭を行く青年が辛うじてメモ書きのようなものを時折見る程度で、とてもではないが森の中を歩く様な荷物は持ち合わせていなかった。
第二に、これだけの酷暑だというのにも関わらず、彼らは誰ひとりとして汗をかいていない。
これには各々で理由があるのだが、端から見れば異常としか言いようがないだろう。
先頭を歩く青年――元孤独同盟の【速度支配】能力者明星ルカがメモを片手に意識だけを後方へと向けて声をかける。
「そういや、そっちはお前らで良かったのか?」
真夏にモッズコートという視覚の暴力を纏ったルカが自らの能力――あらゆる事象の速度を操る能力によって熱、つまりは大気中の分子の振動速度そのものを減速することで気温を強制的に引き下げた快適空間を維持し、文字通りの涼しい顔で問いかければ、その少し後ろを歩く少年、迎坂黄泉路が応じて口を開く。
「うん。本当は誘おうと思ってた人は居たんだけどね。ふたりとも都合がつかなくて」
「ふーん」
本来であれば自身の出生についてのルーツを辿る手伝いをしてくれた親友、常群幸也にも同行してもらいたかったが、その常群は現在別件――黄泉路を見つけるために作ったコネである終夜財閥からの熱烈勧誘――を処理するために奔走しているためこの場には居ない。
下手に空け過ぎているとシレっと外堀を埋められて既成事実を積み上げられていそうだという常群の言に、確かにありえそうだと思ってしまった黄泉路は無理強い出来ないと引き下がっていたのだった。
残るひとりである神室城姫更は、父であり三肢鴉のリーダーでもあった神室城斗聡に関係しているため声を掛けたものの、姫更本人が汎用性が高く広域に転移できる貴重な能力者であるが故に直近で暇になるタイミングが無いらしく参加を見送ることとなっていた。
「あまり僕の用事につき合わせるのも悪いしね」
そう締め括った黄泉路は山道であるにもかかわらず息が乱れる気配すらない。
そもそもをして肉体が正常な生体活動をしているとは言い難く、涼やかな表情は外気温とも疲れとも全くの無縁だとその立ち振る舞いで主張している様であった。
「移動するだけなら、歩深がいるから大丈夫」
「うん。ありがとうね」
「歩深は出来る子なので」
そんな黄泉路の横から、姫更の不参加を受けて代理として推された少女、水端歩深が口を挟めば、黄泉路は微笑ましく思いつつ礼を述べる。
歩深はその能力――【成長強化】により、自らが体験したり見聞きした他者の技術を習得することが出来る。
黄泉路に保護されてからというもの、その出自の危うさから拠点に匿われていた時期が長いこともあって裏方として行動を共にすることの多かった姫更とも仲が良く、接する時間と能力を見る機会が多かったことも合わさって姫更を参照した転移能力はかなりの習熟度となっていた。
とはいえ、転移能力の元となっている姫更同様自らが行った事もなく、マーカーもない場所への転移は行えないため、歩深も途中までしか転移することが出来ず、今は前を氷系の能力を再現して涼を取りながら歩いている。
「(……水端、水端……やっぱひっかかるが……そういうことなのか?)」
黄泉路と歩深のやりとりを背中で聞きながら、正面を見据えたままのルカは思案する。
先日黄泉路に同行してきた特異な風貌の少女に引っかかりを覚えていたルカは、その正体がなんであるかを考えていた。
黄泉路――本名、道敷出雲はルカと同じく御遣いの宿の神の子計画によって誕生した、いわば同郷のようなものであり、狭い村という事もあってその名は知っていた。
だが、そうした繋がりもルカが5歳、黄泉路が2歳の頃に村そのものが滅ぼされたことで消失して久しく、見たところ10代前半――どう見積もっても14歳頃が精々、下手をすると12、3歳もありうる見た目の少女では年齢が合わない。
とはいえ外見年齢が頼りにならないのは歩深の隣を歩く、ルカと3つほどしか歳が変わらないはずの、どう見ても15、6歳にしか見えない黄泉路という実例があるため、外見はそこまで重要ではないと結論付けたルカは能力に紐づいた感覚が森の終わりを察知して顔を上げる。
「もうじきだ。少し急ぐか?」
ルカの声に黄泉路と歩深もまた前方へと意識を向ける。
枝葉をすり抜けて地面を焼く様な日差しの反射の先はまだ肉眼では見えないものの、案内役であるルカの言葉を疑う理由はない。
「ううん。大丈夫」
特に急ぐ理由もない。逸る気持ちが無いわけではないが、ここまで来たならばペースを変える必要もないと返した黄泉路に小さく頷いたルカが前を歩き、暫し。
「――わぁ……」
「眩し……」
唐突に深い森が途切れ、枝葉の天蓋が晴れ渡る青空へと切り替わる。
木々が乱雑に生い茂っていたことで遮られていた視界が開け、入れ替わる様に姿を見せたのは人工物の跡。
元は長閑な村だったとわかる、1軒1軒の間隔が広く、踏み鳴らされた土によって作られた道は人の往来や手入れがなくなったことで生い茂った雑草に沈み、かつては住居だったであろう建物の外壁も蔦に覆われた風景は一目で廃村と分かる光景であった。
加えて、決して自然の風雨によるものだけでない損壊具合を窺わせるかつて村を構成していたであろう建造物たちが、この村が滅ぶ際に被った被害の大きさを物語っているようで、傷口を覆う様に繁った植物たちが侘しさと痛ましさを助長していた。
「ここが――」
「かつて神と呼ばれた女が居た村だ」
「神蔵識村……」
3人を出迎えた廃村は語らない。ただ、眩く照り付ける日差しの下で微かな風に乗った枝葉の擦れる音だけが、ぽっかりと口を開ける様に広がっていた。