12-47 父親
常群の案内で数年ぶりとなる親子の再会を果たした翌日。
もはや住み慣れてきたメゾネット型の隠れ家のリビングのテーブルに座った黄泉路は改めて持ち帰った手帳に目を通していた。
昨日は急ぎ足であったこと、常群と共有しながらの立ち読みに近いものであったこともあって、そこそこに読み飛ばしながら重要そうな部分だけを抜粋して読んでいた事もあり、改めて目を通すことで取りこぼしていた発見があるかもしれない――などという、殊勝な心掛けからくるものではない。
「(……常群にはああ言ったけど、さすがに名前だけじゃ常群も探すの苦労するだろうなぁ……)」
御遣いの宿の所在地について心当たりがありそうな宛てがあると宣言した黄泉路。しかし、その人物が今どこにいるかなどはまるで分かっていなかったこともあり、直後に手のひらを反す様に常群に再度捜索依頼を出すという締まりのないオチを付けていた。
つまるところ、常群の捜索進捗が進まない事にはこれ以上進みようがないという、手持無沙汰から来る確認作業に近いものなのであった。
ペラリペラリとページを捲る静かな音だけが響くリビングに、階段を降る音が混ざる。
「何、読んでるの?」
黄泉路が顔を上げれば、寝間着姿のまま目を擦る標を伴った姫更が階段の途中から黄泉路を見下ろしていた。
その視線が手元の手帳に注がれているのを察した黄泉路はぱたりと手帳を閉じ、
「昨日常群と出かけた時に、父さんが残してくれたのを見つけたんだ」
と、何気なく答えた所ではたと、姫更の現状についてに思い至って言葉が途切れる。
神室城姫更。三肢鴉のリーダーだった神室城斗聡の一人娘であり、そのリーダーは政府による三肢鴉掃討戦の折に行方知れずになってそのままであり、こうしている今も父の安否を知らない少女に対して話題に出すにはやや配慮に欠けていたのではと思い至ったのだ。
「……」
「黄泉にい、気にしなくていい、よ。慣れてる。から」
黄泉路の申し訳なさそうな反応に気づいた姫更が首を振る。
その様子は以前の人付き合いに不慣れで人の顔色を察する経験に乏しかった姫更からすれば大きな成長であったものの、姫更の気遣いだとわかるその言葉の端から見え隠れする以前からの家庭環境に黄泉路は思わず返答に詰まってしまう。
『もー。変な所でギクシャクしないで貰えますぅー? 姫ちゃん家庭環境は今更ですしぃ、よみちんはよみちんで進展があった、それで良いじゃないですか』
「……うん。そうだね」
頭に響く標の声の言う様に、どうしようもない話題を長く引きずるのも良くないと黄泉路はふたりに何が飲みたいか尋ねて席を立つ。
「そういえば、そっちはどんな感じ?」
ふたりが席に着くのを横目に見つつ、キッチンで3人分のコーヒーを淹れながら黄泉路が尋ねた。
話題を切り替えた黄泉路に応えたのはここ最近は散り散りになった三肢鴉の支部や構成員たちのつなぎとして飛び回っていた姫更だ。
「前に比べると、少なくなった。けど、知ってる人は、増えたよ」
『そーですねぇー。やっぱり連絡と交通の網が寸断されてるのが痛いですねぇー。あとは、支部として活用してた拠点もかなりの数潰されちゃってるんで、その時に減った人員の替えが利かないのが響いてますねぇ』
「そっか……」
標はあえて変わらない調子で補足するものの、脳裏に浮かんでいるのは黄泉路と同じ、夜鷹が襲撃された時のことであろう。
戻ってきた黄泉路がそれぞれの前にコーヒーを差し出しつつ、ミルクと砂糖をテーブルに置いて着席すると、姫更と標がそれぞれに好みの味に調えながら口をつける。
「三肢鴉だった人たちで、辞めちゃった人も居たから」
「あんな目に遭ったら、そういう人が出ても仕方ないよ」
本部すら襲撃されたのだ。政府の本気というものをあれほど見せつけられた事例もないだろう。
命の危険を感じて三肢鴉に復帰したくないと思う人が出るのも仕方が無いと頷く黄泉路に、姫更がぽつりと付け加える。
「リーダーがいないから、集まってどうするんだって言ってた人も居た」
「……」
『まー。そーなんですよねー。支部長クラスの人が何人か戻ってきてるとは言っても、方針決めたりしてたリーダーが不在のままだからいまいち統率しきれてないんですよねー』
だから今は散り散りになった人員に再集結の号令をかけるばかりで本格的な動きはほとんどできていないのだと標が愚痴ることで結局戻ってきてしまった話題を和らげる。
コーヒーに口をつけ、予想以上だったらしい熱さに舌を出して覚ます様にしている標が改めて話題の転換とばかりに頭に声を響かせた。
『あ、でもでもー。情報収集に関してはそれなりにやれてますよぅ』
「そうなんだ?」
その気遣いを有難いと感じつつ水を向ける黄泉路に、標が頷く。
『元々、情報収集に関しては私も中心になってやってましたし、他の収拾に向いた人員も基本的には表に出ることは無いですから、これまで通り日常生活をつづけながら協力できるならーってことで、実働員に比べたら復帰率も高いですからねぇ』
「ああ。なるほど」
『んでー、最近入ってきてる情報でいくとあれですかねぇ……。まだ深く調べてるわけじゃないんで精査も何もない空気感といいますかー、そーゆー傾向みたいな話も含むんですけど、やっぱり国の動きが中心になりますよねぇ』
三肢鴉は反政府組織ではない、とはいいつつも、やはり根底にあるのは社会の能力者に対する隔意や差別意識の是正である以上、社会を纏める立場である政府の動きには敏感にならざるを得ないのは致し方ない事であった。
そこに、裏で行ってきた能力者に対する非人道的な行為を隠匿したまま、一方的に三肢鴉を含む、自身に与しない能力者を排除する動きを行った政府への不信感がないわけではないが、結局は社会の動向を注視するという方向性に変わりはない。
「僕も最近そっちから離れてたからね。丁度いいよ」
『了解了解ー。まずは確度の高い話からしますねー。最近、巷に覚醒器がまた出回ってるらしいんですよぅ』
「また?」
非能力者でも能力を使える様になる想念因子結晶で作られた道具は黄泉路にとっても記憶に新しいものだ。
近しい所で言うならば最近黄泉路達の仲間となった真居也遙がその力に頼って能力を使っており、その力は黄泉路達の助けにもなっている。
とはいえ、覚醒器にも欠点はある。外付けの想念因子結晶で底上げすることで本来能力を使えない人間に能力を芽生えさせる代物ではあるが、当然、芽生えた能力を使うには想念因子結晶による補助が必要不可欠であるということだ。
そして、励起をするたびに覚醒器に組み込まれた想念因子は霧散して行き、その効力は下がってゆき、元となる想念因子が欠乏すればいくら能力に芽生えたと言っても出力が足りなくなり、いずれ能力を使えなくなってしまう。
つまるところ、覚醒器とは消耗品なのだ。現在では政府に与する人員や国外への交渉材料として政府がその製造と在庫の管理を行っている為、巷に出回っているという表現に黄泉路は眉をしかめたのだ。
『まぁでも、今回のケースはどっかが大量に密造してるって言うよりは、政府が配備した物を内部の人間が横流しした結果って感じなのが救いですかねぇー』
政府に与しない野良の能力使用者の場合、純度が低く廃棄予定だったものが密売人によって売られているケースや、身近に彩華の様な物質干渉を得意とする能力者がいる遙などのケースが極稀にあるくらいであった。
「となると、今回の流通はそこまで影響は出ないのかな」
『そこがまた微妙なんですよねぇー。なんといいますか、不良品を流すにしては品質がそれなりに良いものもあって、横流しのやり口が手慣れたものじゃないにも関わらず一定の流通量があるんですよ』
「……誰かが横流ししてるのを黙認してる?」
『だと思いますぅ。なんのメリットがあって黙認してるのかまではわからないんですけど、暫くは一定の供給が続くんじゃないかなってのが見立てですねぇ』
何とも腑に落ちない話ではある。だが、それ以上を深く踏み込んで調べるにはこの件から発生するであろう危険性はさほど高くなく、ともすればこちらの戦力強化にも繋がるだけに黄泉路は小さく頷くだけに留める。
だが、標の話はこれで終わりではないらしく、でも、と言葉を続ける。
『まだちょーっと裏取りしきれてない話になっちゃうんですけど、どーも今回の横流し、型落ち品の処分を兼ねてるんじゃないかっていう噂があるんですよぅ』
「型落ち?」
『今で回ってる覚醒器って使ったらちょっとずつ目減りするタイプじゃないですかぁ。それが、新たに能力使用者になるほどの出力は出せないけど、代わりに身に着けてるだけで恒久的に能力を強化してくれる補助機としての覚醒器が出来たって話があるんですよ。それを対策局を中心に協力的な登録済み能力者とか能力使用者に対して配備しだしたから、不用品になった消耗品を、って噂です』
「なるほど」
能力者の囲い込みを終え、自身に与する能力者に更なるメリットを与える為であればそうした機能に絞った代物の存在は納得がいくもので、黄泉路は以前相対した対策局の中でも指折りの力を持つ能力者達がそれを使用して立ちはだかることを考えて内心で苦い顔をする。
「他には?」
『そーですねー……』
やや考え込む様にしながらカップに口を付ける標の横で、砂糖とミルクをたっぷりいれた甘めのコーヒーを飲んでいた姫更が首を傾げながら口を開く。
「復興計画の、話は?」
「東都の? 何かあったの?」
『あー。あの話ですかー。さっきの話以上に眉唾なんで話題にするか迷ったんですよねー。聞きます?』
与太話かもしれないという標の口振りだが、黄泉路が頷いたことで思念を頭に響かせる。
『“東都復興計画の中に用途不明な巨大建造物が紛れ込んでいる”って話なんですけどー……さすがに陰謀論っぽいかなーって』
「なるほどね……」
東都復興自体はこの頃本格的に進み始めた世界でも稀にみる一大公共事業であり、日本が威信をかけて推し進めている政策のひとつでもある。
国内外を問わず多大な注目を浴びているこの事業で人目を避けて何かを行うというのは確かにリスクが高すぎる上に、そのリスクを取ってまで得られるメリットがあるかと言われると黄泉路には思いつかなかった。
「確かにちょっと考えすぎかもね」
『ですよねー。ただまぁ、世間一般で薄っすら囁かれてる話はそこ止まりなんですけど、私達の情報網にかかってる話も踏まえるとちょっとだけ気になる所はあるんですよねぇ』
「?」
首を傾げてしまう黄泉路だが、標が口にした懸念にサッとその顔色が変わる。
『さっきの覚醒器にしろ復興計画にしろ、主要人物として東都能力解剖研究所の所長であり、対策局局長を務める我部が中心に居るってのがひっかかるんですよねー』
「――!」
『覚醒器はまだわかりますよ? 能力研の分野って言われればそれまでですしぃ。でも復興の方は物質干渉系の能力者を起用するから関係があると言えばありますけど、都市計画って面では全然関係ないじゃないですかぁ』
ぼやくように、思考を整理するような調子で念話を垂れ流す標の言葉は黄泉路の意識には届いていたものの、我部の名前を聞いた途端に背筋に走った悪寒にも似た直感に黄泉路は小さく息を止める。
「(そうと決まったわけじゃない。だけど、なんだろう。嫌な予感が拭えない……)」
また我部が何かをしようとしている。そう思わずにはいられない黄泉路は脳裏に居座った嫌な感覚を振り払えないままテーブルに視線を落とし――
「……?」
『ん? どーしました?』
「手帳から何かはみ出してる……」
ふと、話し始める前に閉じて置いたままになっていた手帳のカバーの下の端から何かがはみ出している事に気づき、黄泉路は思考を中断する。
興味の対象が移ったことで標と姫更の視線が手帳へ集まる中、黄泉路が引き出してみれば、それは以前には気づかなかったが、装丁の裏側にしまわれていたもののようであった。
「写真みたい?」
引き出し終えたところで、それが写真の裏側であることに気づいた黄泉路だったが、同時に、その裏面に文字が書かれている事に気づく。
『……“久瀬能力研究室出向メンバー”……?』
見るからに古い写真のようで、裏面に書かれた文字のインクは僅かに滲んでいた。
黄泉路は何となしに写真を見ようとひっくり返し、
「……?」
そこに映り込んだ4人の若い男女の立ち姿に既視感を覚える。だが、それが何なのか黄泉路は思い至らずに首を傾げていると、直後に発された姫更の一言は黄泉路に強烈な衝撃を与えた。
「あ。パパだ」
「!?」
『パパってリーダーのことです? ……あ、たしかに。面影あるー』
写真を見ながら暢気に感想を述べている標を他所に、黄泉路は食い入る様に写真を見つめて先ほど気づかなかった既視感の正体に思い至り愕然としてしまう。
「(そうだ、何で気づかなかったんだ! この人がリーダーで、こっちの女の人、御心さんだ!)」
写り込んだ若い男女4人。仲睦まし気に並んで穏やかな表情で並んだ顔にはどれも見覚えがあった。
サングラスこそしていないものの、目元がどことなく姫更に似た青年は姫更の言う様に神室城斗聡なのだろう。
その隣に佇む女性は若返っているとはいえ、御心紗希の若かりし頃と言えばしっくりくるものだ。
更に――
「我部、幹人」
『え?』
「これ、たぶん我部だ」
『うっそぉ!?』
リーダーを除いたもうひとりの青年の顔立ちは、よくよく見れば黄泉路が知っている我部の物によく似ていた。
「(でも、どうしてこの3人が一緒に……? 裏に書いてあった文字とこの背景――まさか!)」
他にも既視感のある写真をよく見てみれば、写真を撮ったであろう場所を、黄泉路はつい先日も同じく写真として見ている事を思い出す。
それは両親が産まれたばかりの自身を抱いた写真。その背後に映っていた白い建物と、4人が映っている写真の背景は同じものであった。
「じゃあ、この人が……」
3人の学生に囲まれ、たおやかに微笑みを浮かべた女性を、黄泉路は一目見た瞬間からどこか懐かしいと感じていた。
背景と3人との関係。そして、自身が抱いた懐かしさに導かれ、ある名前が黄泉路の中で結びつく。
「上代縁――」
御遣いの宿の教祖にして、奇跡の体現者。そして、自分が産まれたきっかけとなった人物がそこにいた。
だが、それ以上に、黄泉路はこの写真が意味している事実に愕然としていた。
「待って、この写真が、御遣いの宿時代の物だとするなら、リーダーと御心さん、我部は昔から知り合いで――いや、それ以前に、リーダー達は僕のことを知っていた……?」
『え、よみちん、どしたの? 大丈夫!?』
心配する標の声も届かないほどに集中した黄泉路は過去、御心紗希と初めて顔を合わせた時に感じた微妙な反応の正体を。我部が黄泉路の出自を知りながら実験を行っていた事実を。その我部から分かっていて救い出したリーダーの行動を思い出して、思いがけないピースが嵌ってしまったような感覚に思わず席を立つ。
「――ごめん、標ちゃん。大至急居場所を調べて欲しい人がいる」
『……大事なこと、なんですよね?』
「うん。お願い」
元々は、組織とは関係のないことだと割り切っていた事もあって三肢鴉の方で手一杯な標に協力を求めることを避けていた黄泉路だったが、こと、リーダーがこの件に関わっているとなれば話は別だ。
御遣いの宿への手がかりとして現状知る黄泉路の唯一の手掛かり、
「孤独同盟の明星ルカを探してほしい」
かつて憂世解放会という新興能力宗教を潰した際に共闘した青年の名を口にするのだった。