12-44 足跡を辿って
駅まで歩く街並みは正午を過ぎたかどうかという時間帯ということもあり、昼食休憩に出てきた社会人などがちらほらと行き交う長閑な静けさが広がっていた。
「さっきの話なんだけど」
人の往来が途切れたタイミングで、隣を歩く常群へと黄泉路が声をかける。
「ん?」
「母さんが、父さんにも頼るようにって」
「ああ」
奈江が想定していたように、黄泉路は奈江の捜索の傍らに父、譲の捜索もまた常群に依頼していた。
だが、それはあくまで物のついで――とまで言ってはさすがに優先順位が低すぎるかもしれないが、黄泉路に出ていくように告げ、半ば絶縁するような間柄になってしまった父と積極的に向き合おうとも思えなかったのも事実である。
しかし奈江にああ言われてしまった以上、手がかりを探し続けるならば父に会いに行くことは避けられない事なのだろうと、黄泉路は常群を見上げ、
「――常群。父さんを探してほしい」
意を決した黄泉路の依頼の言葉に、常群は僅かに沈黙し、それから、硬い表情のまま黄泉路に目を合わせることなく問いかける。
「今日、予定は?」
「……ない、けど」
返答にしては急な話題の転換に内心困惑しつつ応える黄泉路に、常群は漸く黄泉路へとちらりと視線を向け、見えてきた駅へと向かう歩幅を僅かに広げる。
「じゃ。行くぞ」
「行くって何処に?」
足の長さがそのまま歩幅に反映された彼我の速度に追いつくべく、急ぎ足になりながら常群に並んだ黄泉路が親友の不自然な態度に首を傾げると、常群はややあってからぽつりと告げた。
「お前に小母さん探しと並行して小父さん探しを頼まれた時に、もう見つけてたんだよ」
「えっ」
「……行くんだろ。小父さんの住んでた所に」
「――うん」
聊か性急ながらも案内してくれるというのならば是非はないと、常群の口ぶりに違和感を拭えないまでも黄泉路は頷く。
駅まで到着すると、常群は時刻表を一瞥するなり手早くふたり分の切符を購入して黄泉路に片方を手渡す。
ホームへと向かえば、あと数分すれば電車が来るというタイミングで、昼であることもあってほとんど人のいないホームにぽつりと立ち尽くしたふたりの間に沈黙が横たわる。
自分がおかしな態度なのも自覚しているのだろう、それでも飲み下して何も言わずに最短距離で会話を進めてくれた黄泉路に対し、常群はすぅっと小さく息を吸って、気持ちに区切りをつけようというように黄泉路に声を掛けた。
「着いたら……いや、本当は、さっきの時点で言うべきだったんだろうな。……悪い。俺よりもお前の方が当事者なのにな。……最低限、目的地に着くまでには話す。それまで、ちょっと整理させてくれ」
困惑、というよりは、自身の感情と義務、黄泉路を慮る立場がせめぎ合っている様な、自分の内側に整理がつかないまでも黄泉路に対して誠実に対応しようとしている様子が見て取れる常群の言葉に、黄泉路は小さく首を振る。
「大丈夫だよ。僕なんて、ついこの間まで父さんの事も、母さんのことも頭の片隅にも上がらなかったから」
肉親なのにその有様なのだから他人のことなんて言えた義理じゃないよ、と。慰めるように自虐めいて淡く笑う黄泉路に、常群は無言のまま目元を緩めるのだった。
程なくして到着した電車に乗り込めば、常群の内心の整理のためにあまり干渉すべきではないだろうとした黄泉路と、その気配りを有難いと思いつつ甘える常群による無言の旅は幾駅かを過ぎてターミナル駅へと到着する。
ふたり分の指定席を購入し、新幹線へと乗り込むと、常群は漸くその重い口を開く。
「どっから話せばいいもんかな」
窓際に腰かけた常群は走り出した新幹線の窓の外に流れて行く景色を眺めながらそう切り出した躊躇いがちな声音に、黄泉路は黙ったまま耳を傾ける。
「……お前の親父さんな。離婚してすぐにあの家を売りに出して転居してたんだよ。職場も辞めて、最低限の荷物だけもって誰にも言わずに」
「……」
奈江から父が仕事に熱心だった理由を聞いた後だからだろう、黄泉路は父の行動が以前の自分が知る父のものでないことに驚く。
態度に僅かに出てしまったらしく、常群がちらりと黄泉路へと視線を向け、
「大丈夫か?」
「うん。僕は大丈夫。父さんがどうしてそうまでしたのかわからなくてびっくりしただけ。続けて」
「おう。……足取り自体は小母さんの所在を突き止めたのとほぼ同時に洗い終わってたんだが、あの時は小母さん優先って感じだったし、小母さんの所にどうやって潜り込もうかって所で頭捻ってたし、小父さんの方は見つけた時点で緊急性は高くなかったから、知らせるのが遅くなった」
本当なら、もう少し落ち着いて一段落したタイミングでそれとなく知りたいかどうかを尋ねるつもりだったのだという常群に、黄泉路はこれまでの常群の態度から朧気に察しつつある実情を覚悟しながら首を振る。
「……父さんは何で死んだの?」
「! ――分かりやす過ぎたか」
「母さんの口ぶりからすれば、父さんは僕を嫌って追い出したわけじゃない。その上で僕に会わせるのを躊躇う様な口ぶりをしてたら、ね」
ずばり、常群が一番言葉を濁してどう軟着陸させようかと頭をひねっていた言葉が黄泉路の口から直球で飛び出したことで、常群はどっと疲れたように息を吐いてから自戒する様に目を伏せる。
「そうだよ。俺が見つけた時には小父さんは転居先のアパートの自室で睡眠薬を大量に飲んで亡くなってたらしい。足跡を追って転居先を突き止めた時には管理人が遺族が見つからないってんで遺品を処分するか迷ってたタイミングだったから、今は俺が部屋を借りてそのままにしてもらってる」
「……ありがとう常群」
「そんくらいしか出来ないってだけさ。……続けるぞ。死んだのは先月の3月頭頃。近所に住んでた管理人が家に投函されてた遺書で確認したらしい、事件性もなかったことから自殺扱いで大きな騒ぎにならずにって感じだな」
努めて淡々と、事実を述べるのみに留めるように語る常群の言葉を聞きながら、黄泉路は考えを整理する様に小さく呟いた。
「……それは疑う余地もなく?」
「さぁな。ただ、地元の警察は少なくともそう判断したし、その中身に上から圧力がかかった形跡もない」
「そっか」
何かを隠したがっていた様子の両親。身を隠したとも取れる様な痕跡の消し方をしていた父親が自殺で見つかったなど、黄泉路の様な境遇でなくとも何かしらの事件性を疑いたくなるようなシチュエーションであったものの、ともすれば黄泉路以上――黄泉路に協力してくれる標を始めとした情報収集の専門家を含んでだ――の情報収集能力を持つ常群が工作の形跡がなかったと断言する程だ。本当に自殺だったとみていいだろうと黄泉路は納得し、
「これから向かうのは、手がかりを探すため?」
「ああ。俺もまだ現地を見に行ったわけじゃないからな。それに、小母さんの話を聞いた後だと、何か、手がかりがあってもよさそうだって思わないか?」
「そうだね。ありがとう常群。常群がいなかったらここまで辿れなかっただろうし、辿れたとしても遺品が処分されてたかも」
「気にするなよ。俺は俺の出来ることをやってるだけさ」
会話が途切れたタイミングで新幹線が減速をはじめ、次の停車駅のアナウンスに常群が腰を浮かす。
「っと、乗り換えだ。出るぞ」
新幹線を降りる常群の後を追い、県内を走る私鉄へと乗り換えて更に十数分。
車窓から見える景色も都会らしい灰色とそこに混じる気持ちばかりの人工植林による緑色から、鮮やかな――無秩序ともいえる――屋根瓦がぽつぽつと並び、その間を埋めるように緑が繁る片田舎の光景へと移り変わって暫く。
地平線の代わりに水平線が見え始め、電車が停車するたびに扉の開閉に乗じて微かに潮の香りが鼻腔に触れるようになった頃。
「お疲れ」
「常群は大丈夫?」
「慣れてるから平気」
寂れた――というにはまだ人気があるが、それでも栄えているとは口が裂けても言えない――こじんまりとした駅に降り立ったふたりは、ホームと改札、そのふたつしか機能を持たない駅を抜けて地元の商店街が広がる田舎町へと降り立った。
「えーっと。こっちだな」
地図アプリを起動し、住所から位置を割り出した常群が歩き出す。
午後、まだ日も高く社会人が仕事に精を出す町並みは時折通る車を除けば街頭に人影はなく、無機質な信号の切り替わる光だけが、この町がまだ機能していることを示している様で。
ともすれば人類がいつのまにか消えてしまっていたとしても、今この場においてはふたりが気づく手段はないのではないかと思う程の閑散とした町の光景は、これから向かう先で待っている人がいないという事実を遠回しに表現している様な気がしてしまう。
「見えてきた。あの建物だ」
「あれが……」
降りたシャッターが目立つ商店街を抜け、広く間隔の空いた住宅街を歩いてきた常群がふと声を上げる。
釣られて常群の示した先へと目を向けた黄泉路の視界に飛び込んできたのは、築数十年は経っているであろう古びたアパートだった。
長年潮風にあてられてきたことで錆が浮き、ところどころコンクリートに入った小さな罅や雨の染みが元の外観の色合いをぼかしてしまっている。
敷地こそそれなりにあるものの、2階建てのアパートはそれほど多く入居できるようにも見えず、恐らくは余った土地を有効活用しようとした個人経営の賃貸なのだろうとわかるこじんまりとしたものであった。
「んじゃ、俺は大家さんから鍵借りてくるわ」
そう言って、アパートとは向かい側にある家へと歩いて行った常群を見送った黄泉路は、改めてアパートへと視線を戻してその外観を見上げる。
「(……ここに)」
――父さんがいたのか。
ぽつりと声には出さずに呟いた声。
黄泉路の常人とは異なる知覚能力をもってしても、そこに命があったとは思えず、所謂霊感と呼ばれるものは本当にあるのだろうかと、益体の無い思考が頭を過る。
「おまたせ。鍵借りてきた。部屋は2階の角部屋な。一応、中のモノには手を付けないように言っておいたから、そのままのはずだ」
「わかった。行こう」
戻ってきた常群に後ろから声を掛けられ、黄泉路は思考を現実に戻して頷く。
「(父さんが何かを知っていたのかどうかも、なにもかも)」
どちらにせよ、手がかりを見つけない事には始まらない。
内心の覚悟を自身に問うように、黄泉路はアパートに向けて一歩踏み出した。