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12-43 親子の再会3

 本来ならば口にするつもりはなかったと、静かに語る奈江の表情は感情が読み取りづらく、微かに見て取れる郷愁とも悔悟ともつかない視線のブレに、黄泉路は居住まいを正して耳を傾ける。


「私と譲さんが知り合ったのは大学の頃だったわ」


 どこか懐かしむような声音が静まり返った病室に滲む様に広がる。


「たまたま同じサークルで知り合って、飲み会で意気投合して。ありきたりな出会いだった。けど、昔の私たちは幸也くんほど大人ではなかったから。ふとしたきっかけで始まった恋愛に夢中になって、気づけば在学中に結婚するなんて話になって。……当然、どっちの両親も反対したわ。特に私の両親なんて猛反対で……。今にして思えば、当然よね」


 自活もできていない学生の身分で、しかも恋愛関係に発展してからそう年数を重ねてもいない、お互いを知り合うにはまだまだ過渡期とも言えた時期。そんな段階で恋人付き合いならばまだしも、結婚となれば、まともに子を想う親であれば反対もするだろう。

 自身もまた子を持って、その子が波乱に満ちた人生を歩む立場となった事で親の気持ちを理解していた奈江はそう自嘲する。


「結局、親の反対を押し切って卒業と同時に結婚して。……本当は、両親も私たちが就職した段階でもう許すつもりだったんじゃないかって、そう思ったりもするんだけど、けど、結婚してからも私達の間に子供は生まれなかった」

「……それは、作らなかったって意味じゃなく?」

「親の反対を無視してまで学生婚をしようとするようなふたりよ? 当然、学生の頃から子供は欲しいと思っていたし、そうなるようにもしていたわ」


 それでも、子供は出来なかった。

 そう語る奈江は静かに下腹部に手を置くと、視線を落として僅かに沈黙する。

 それが何を意味しているのかを薄っすらと察した黄泉路だったが、しかし、逆に浮かんだ疑問を口に出す。


「子供が出来辛い体質だったってこと? ……だとしたらどうして僕たちは」


 まさか、実の子ではないなどと言い出すのではないかという嫌な予想が頭をよぎる黄泉路を他所に、顔を上げてふたりの子を正面から見据えた奈江はゆっくりと首を振る。


「あなたたちはちゃんと私がお腹を痛めて産んだ子よ。それは断言するわ。……でも、そう。私は不妊体質だった(・・・)

「だった……?」

「結婚した当初から、これだけ子供が出来ないのはおかしいと思って、私は譲さんに黙って健診を受けてその事実を知ったわ」

「……そんな」

「ショックだった。譲さんになんて言ったらいいのか分からないし、親の反対を押し切ってまで結婚してくれた譲さんに申し訳ないし。私自身も、自分の子供を持てないことに絶望した」

「……」


 自身の母親から聞く壮絶な告白に絶句する黄泉路と穂憂。親子の関係よりも一歩引いた立場である常群はあえて冷静に話の先を――黄泉路達が生まれている以上、それは解決済みのことなのだろうと敢えて割り切った態度で――促す様に声をかける。


「それで、治療法を探し回った、んですか?」

「……ええ。幸也くんは相変わらず頭の回転が速いわね」

「私達がここにいるってことは、治療法はあったんだよね?」

「何件も病院を変えて、そのたびに紹介状を貰って色んなお医者さんにかかったわ。それでも、現代の医学では治療は難しい上に、根気強く続けるしかないと言われて。譲さんにも言い出せずに憔悴していた私に、ちょうどその時担当してくれていた先生がね。言ってくれたの」


 当時の記憶をなぞる様に、恐らくはその医師が口にしたであろう言葉をそらんじる。


「“医師としては失格だけど、是非会ってみて欲しい人が居る”」


 そう口にした奈江はやんわりと笑った。

 まるで当時そう口にした医師の気持ちが分かるとでもいう様な力のない笑みを浮かべたまま、奈江は続きを口にする。


「お医者様が自分からそういうなんて、って、当時も思ったものよ。……けど、たしかにあの人を紹介するのは医者としては失格よね」


 ――医者が奇跡(・・)に縋るだなんて。

 縋ったのだろう。その奇跡の結果である黄泉路と穂憂を真っ直ぐに見つめた奈江の言葉に、黄泉路は困惑を隠しもせずに問いかける。


「奇跡……って?」

「そのままよ。……ああ、いえ。厳密にいえば、奇跡を齎す人を紹介すると、先生は言っていたの」

「なにそれ。胡散臭……」

「そうね……。さっきも言ったけど、当時の私もそうだった。だけどあの時は、もう他に方法がないと思っていたのよ。譲さんに黙ったまま病院を転々とするのも限界だったし、先生も同伴してくれて、会って話をするだけならってね」

「それで……治った……」

「ええ」


 話の筋としてはそうなのだろうとは思いつつも、奇跡という言葉の含意の広さや、古来より騙りの手口としてあまりにも有名であったが故に半信半疑の黄泉路の言葉を奈江は肯定する。


上代(かみしろ)(よすが)さんという、私とさほど歳の変わらない綺麗な女性だった」


 思い出を語る様な、どこか夢見る様な雰囲気が端に宿る奈江の声音は、一瞬で黄泉路達に話の重要性と、それまでの態度や雰囲気と異なるそれへの違和感を抱かせる。


「面会した時間はそう長くなかったけど、縁さんは私の事情を聴くと同情して、私のお腹に手を当てて言ってくれたの」


 ――望むままに子が為せますように。


「まやかしか何かだと思うわよね。私もその時は半信半疑で。ダメ元だと思っていたから、譲さんにも話をせずにいつも通りに過ごして……検査をして、貴方を身籠ってることがわかったの」


 奈江の視線が黄泉路へと注がれる。

 黄泉路が、そんな不思議な現象の末に自分が居るのかという困惑に目を白黒とさせていると、奈江は静かに息を吐く。


「……懐妊すれば、当然譲さんは喜んでくれた。でも、これまで妊娠できなかった事を疑問には思っていたのよね。譲さんに聞かれて、私はこの機会を逃したらもう告白できないと、産婦人科を転々としていた事も、その結果縁さんに巡り合った事も……奇跡に縋った事も話したわ」

「……それで、父さんはなんて?」

「当然、唖然としてたわ。譲さんにしてみれば、そうじゃないかと薄々感じていた私の不妊を責めるつもりはなかったらしいけれど、だからといって、宗教にハマりこむほどに追い詰められていたとは思っていなかっただろうから」


 宗教、という言葉に、穂憂は首を傾げる。


「? 縁さんって女の人に助けてもらったのは確かに詐欺っぽいけど、宗教は言い過ぎじゃない?」

「……たしかに、私が縁さんに会ったときは担当医の先生のお陰で、ただの個人としてだったわ。だけど、譲さんに話した時には、縁さんはある団体の代表として表舞台に立っていたの」


 言葉を区切った奈江が、その単語を口にするのを躊躇う様に、しかし、思い出話をする間に覚悟を決めたのだろう、緩やかに口を開き、その名を音に乗せる。


「“御遣(みつか)いの宿(やど)”。それが、縁さんが代表を務めた宗教法人の名前よ」

「――!」


 その名は、方々の情報に精通した常群だけでなく、能力裏社会にどっぷりと身を浸した黄泉路や、この中では一番歳若い穂憂ですら知っているもの。


「……もしかしてそれって、能力宗教(・・・・)の?」

「今となっては関係者は口を閉ざすか関わりを隠しているけど、私は今でもあの団体の――縁さんの想いは、間違っていないと思っているわ」

「……」


 奈江は自身が宗教に漬かり切った者のような物言いをしている自覚はありつつも、それでも、あの時触れた上代縁の思想は綺麗なものだったと胸を張る様に子供たちへと語る。


「縁さんは生まれつき奇跡を起こせる力があった。だけどあの人は、その力を自分のために使おうとはしなかった。私をはじめ、困っている、現代の技術や状況ではどうしようもない人を助けるために、その能力を使っていたの」

「……そんな力があって人助けしてたんなら、まぁ、祭り上げられるのも無理はない、か」

「ええ。縁さん本人は、宗教法人化することを最後まで躊躇っていたようだったけど。重枝さんという会計士の人が組織運営をすればより人と支え合えることができると説いてくれたお陰で決心したと、そう言っていたわ」

「……」

「でも、思えばそれが良くなかったのかもしれないわね」


 綺麗な事ばかりではなかったのだろうとわかる、奈江の悔やむような、憂うような表情に穂憂は首を傾げた。


「どうして? 人助けの輪を広げるためだったんでしょ?」

「ええ。縁さんはそのつもりで。だけど、周りを固めた人たちが全員が全員、そうだったか。私たちは皆、縁さんに助けられた恩で集まって、縁さんを支えたくて傍にいたけど、それがかえって、縁さんを縛ることになってしまったんじゃないかって、今更ながらに思ってしまうのよ」

「(……上代縁の奇跡に報いるため、恩義で侍って忠誠を誓っていた信者と、それを利用しようとする経営者、祭り上げられた奇跡の神輿、か)」


 朧気ながらに、当時の内情を推測して内心で嘆息する常群の予想は大きく外れていない。

 奈江が語る御遣いの宿は信者だった目線によるものと、一度離れ、世間に紛れて身を隠してから世間の側に立って見たものが入り混じったものであった。


「当時の私は、身籠ったことも含めて現代医療ではどうしようもなかったことを解決してくれた縁さんに心酔していたから、団体の幹部の勧めもあって縁さんの暮らす街に引っ越すことにしたの。……譲さんは渋っていたけど、私の体を治してくれたことは本当だったから、最終的には了承してくれて」


 残り時間を確認する様に奈江がちらりと常群を見やる。

 常群が腕時計に目を落とし静かに頷くと、奈江は言葉を区切り、反応を見るというよりは、続く言葉への覚悟を待つような姿勢で奈江がぐるりと3人を見回してから改めて告げる。


「移住して間もなく、貴方が産まれた」


 奈江の眼差しが真っ直ぐに黄泉路を捉え、黄泉路もまた、自身のルーツに触れた確信に母を真っ直ぐに見つめ返す。


「……本当に聞きたかった答えじゃないんでしょうけど、ごめんなさい。私が知っているのはこのくらい」


 黄泉路が知りたかった自己の本質に僅かに届かない歯がゆさはある。だが、収穫がなかったわけではないのだと黄泉路はゆっくり首を振る。


「ううん。気にしないで。あとはこっちで調べてみる」

「……予想はあるけど、実際にあの場所を目にした方が早いかもしれないわ」

「場所は」

「ごめんなさい。私も詳しくは知らないの。団体の人が引っ越しから何からやってくれていたし、団体が解体されたあの日も、事前に縁さんに私たちの両親と仲直りするほうが良いと言われて、送り出された後だったから」

「……」

「でも、譲さんなら知っているはずよ。御遣いの宿に対して、最後までしっかりと線を引いて、団体が解体された後も私を引き留めていてくれた人だから」


 黄泉路の中で、道敷譲という人物に対する印象はそう多くない。

 家族だったにしては薄情かもしれないが、譲自身があまり家庭に関わらない仕事人間であったこと、言葉足らずで真意を読み取らせるのが下手だったというのも、幼く、人間の情緒に対して疎かった黄泉路からすれば対応が難しい人間であったことが原因であった。


「……父さんが仕事で忙しかったのって」

「両親に挨拶に行った、その間に起きた事件だったから。もう両親にも頼れないと思ったのね。だから、自分だけで私や出雲を守らないといけないと。あの人も私も、昔からお互いに抱えがちだったのね」

「母さん……」

「あの日、父さんが貴方を追い出したことを許せとは言わないわ。でも、理解はしてあげてほしいの。……きっと幸也くんなら、譲さんの居場所もわかるでしょう? あの人にも、頼ってあげて。きっと力になってくれるから」

「……わかった」

「出雲、そろそろだ」


 腕時計を見た後、ちらりと穂憂の様子を見た常群が黄泉路へと声をかける。

 簡易的な防諜装置だ。そろそろ勘付かれて人を寄越されてもおかしくないと告げる常群に、黄泉路は席を立ちながら奈江へと視線を向ける。


「母さん。今僕は、それなりにちゃんとした所に匿ってもらってる。だから母さんも穂憂と一緒に――」

それはダメ(・・・・・)


 僕と来ないか。そう口にしかけた黄泉路を遮って、穂憂が黄泉路の手を握る。


「憂?」

「私の勘が言ってる。まだ私のやるべき事があるって。その為には、今の立場が必要だって」


 その目には強い確信と真剣さが宿っており、黄泉路も出かかった言葉を飲み込まざるを得ない。

 だが、穂憂の能力はともあれ、このままでいいのかと視線を改めて奈江へと向ければ、奈江はやんわりと首を振って気丈に笑って見せる。


「私のことは大丈夫よ。穂憂もいるしね。それよりも、私は出雲の方が心配よ。この間だって大怪我をしてる姿がテレビに映って、心臓が止まりそうになったんだから」

「それは、ごめん。でも、大丈夫だから」

「……ええ。そういうと思った。出雲、私はここにいるけど、いつだって貴方を愛してる。譲さんだって、言葉が足りてないだけで、ちゃんと私たちのことを想ってくれている。それだけは、忘れないで」

「うん」


 裏で機器の回収をしていた常群が鞄に荷物を詰め終わる気配を感じつつ、黄泉路は小さく母に頷き返した後で穂憂へと向き直る。


「憂」

「いず兄」

「母さんをお願いね。僕が言えた立場じゃないんだけど」

「また、会えるよね?」

「きっと」

「約束だよ」

「うん」


 久しぶりの面と向かっての再会の終わりに、穂憂の目が僅かに滲む。

 そんな表情をさせてしまっている事に申し訳なさを感じつつも、黄泉路は振り切る思いで穂憂から手を放し、常群の方へと歩み寄る。


「……行くか」

「うん、あまり時間ないんだよね?」

「さすがに能力使ってカチ込んでくるとは思わねぇけど、だとして最短10分。そろそろ敷地から出ないとすれ違いになる」

「オッケー。急ごう」

「出雲」


 出口へと向かい始めた常群の後を追う黄泉路の背に掛った奈江の声に、黄泉路は病室を出る手前で立ち止まる。


「行ってらっしゃい」

「――。行ってきます」


 病室の柔らかな明かりに照らされて、惜しむ様に、慈しむ様に手を振って送り出す奈江に、黄泉路はしっかりと応えて病室を後にする。

 すれ違う葉佩とは視線すら交わさないものの、互いに不干渉、本当にただの護衛として来ていたのだとわかる態度で別れた黄泉路と常群は来た道を引き返して病院を後にする。


「常群」

「何だ?」

「ありがとう」

「おう」


 駅へと向かう道すがら、ぽつりと吐き出された感謝の言葉に、常群は僅かに硬い声音で応じるのだった。

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