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12-40 常群幸也と周辺事情14

 幸也が初めて出雲の人間らしい姿を見てから数日もすると、出雲は幸也に手を引かれるような形で園児たちに交じる様になっていた。

 最初の内は出雲を気味悪がっていた園児たちも、間に人気者であった幸也が挟まったこと、加えて、出雲の側からも幸也を倣う様に遊戯に参加する意思を見せていたこともあって自然と打ち解けるようになっていて、それを見た保育士たちは安堵する様に出雲の世話を幸也に任せて見守る姿勢になるのにそう時間はかからなかった。


「おーい、いずもーはやくいこー!」


 幸也と出雲の関係はむしろ、そうした園内でのものよりも、園への送迎バスを待つ早朝や午後の時間にこそ顕著に表れていた。

 家が近所だったことで母親同士の友人となった常群の母親と道敷奈江が自然とお互いの子供の面倒を纏めてみる様になると、出雲と幸也はその分だけ一緒にいる時間が長くなり、それが直接の要因であったのは間違いない。

 互いの家から遠くなく、当時では珍しくなかった再開発中の区画であったことも合わせてそれなりの広さがあった公園という、ふたりにとっての恰好の遊び場があったことも理由のひとつだろう。


「うん、いまいく」


 知り合った頃よりは幾分か情緒が分かりやすくなった出雲が幸也の後を追ってジャングルジムの間を潜り、公園を囲う様に生えた林の中へと分け入っていく。

 この頃の流行りは根っこの間や木の幹に留まった虫を探したり、木々の間をちょうどいい棒きれをもって探検と称して歩き回ることなど。

 如何にも子供らしいもので、遠くではどちらかの母親、もしくは両方の母親が公園のベンチから見守っていることも、子供の視野ではすぐに意識の外へと追い出されて、束の間の自由な冒険(・・・・・)を堪能できるのも、幸也にとっては楽しいひと時であった。


「あ! ねこ!!」


 冒険ごっこでいつだって先導する幸也が先んじて発見したそれに駆け出す。

 後を追いかけて出雲が駆け出すと、そこには木の根の間のくぼみに身を寄せ合うようにして何匹かの子猫が丸くなっていた。

 季節としてはまだまだ夏。1年の中では比較的過ごしやすい時期でもあり、木陰という立地から気温もそこまで高くないことで健康に不安もなさげな子猫たちがふたりの人間の幼児を見上げてみゃあみゃあと声を上げる。


「ねこ」


 幸也の隣に追いつき並んだ出雲が幸也の言葉を復唱する様に呟き、じっと子猫たちを見つめる。

 そんな様子に幸也はまただと出雲を見つめながら思う。

 出雲がなにかを初めて目にしたモノの様に反応するのはこれが最初ではない。

 幼いながらに、出雲が所謂箱入りで、世の中の色々なものを見るのが初めてなのだろうと感覚的に理解していた幸也は子猫たちの前にしゃがみこんで指を差し出して出雲に話しかける。


「ねこ。こーやってなでるといいんだよ」

「なでる」


 差し出された手に興味をもって顔を近づけてきた子猫の頭を幸也の手が無遠慮に撫でる。

 撫でると良いということは知っているものの、実際に接したことがあるわけではない幼児のすること。子猫の事を思いやってはいてもどうすれば思いやれるのかまでは至らない子供らしい愛撫に子猫がみゃあみゃあと抗議の声を上げて頭を引っ込めると、今度は出雲がそっと指を猫たちの前に差し出す。


「なでる……みゃあ?」

「みゃあみゃあ」


 相変わらずの無表情、しかし、当たり前のようにすり寄ってきた猫たちの頭に指を這わせるように柔らかく撫でる出雲の手に、幸也のそれとは違って子猫たちが逃げることはなかった。

 それどころか、1匹が撫でられているのを割り込む様に他の子猫たちまで身を寄せてきてしまい、すぐに出雲の小さな手が子猫たちの毛玉とも呼ぶべき集合体に呑まれる形になってしまう。


「えー。いずもずるい!」

「ずるい……?」


 自分は逃げられたのに出雲ばかり懐かれた事に不満を漏らす幸也に、出雲は首を傾げながら手を引き抜く。

 すると子猫たちが手を追いかける様に出雲の足元まで群がってしまい、


「わ」


 小さな声と共に後ろへと転んだ出雲が尻もちをつくと、そこへ子猫たちがよじ登る様に出雲の足の上やお腹、胸へとのしかかって身体を摺り寄せてきてしまう。

 乗っかられてしまった出雲はどうしたらいいかと首を傾げ、幸也を見る。

 だが、幸也もこうなった後の事をどうすればいいかなど知らず、おろおろしたように出雲に手を伸ばす。


「だ、だいじょーぶ?」

「うん」

「ねこ、けがしないよーにおろせるか?」

「うん」


 言った途端。

 群がっていた猫たちがつるり(・・・)と、まるで摩擦がなくなってしまったかのように出雲の上に乗っていた猫たちが滑り落ち、立ち上がった出雲の足元でみぃみぃと鳴く猫たちが出雲にすり寄る度に、まるですり抜ける様にころんころんと地面を転ぶ。


「なぁ」

「?」


 幼児の目から見ても不自然なほどにするりと立ち上がった出雲に幸也が声を掛けようとしたときだ。


「フシャー!」

「わっ!?」


 離れていた親猫が戻ってきたのだろう。

 ダダッと土ぼこりを上げて出雲へと飛びかかってきた――幼児基準で見れば巨大な――猫。

 威嚇する声にびくっと身体を硬直させて短く悲鳴を上げる幸也だったが、当の出雲はといえば、


「おおきな、ねこ」

「フ、フシャッ!?」

「いいこ。いいこ」


 飛び込んできた勢いをまるでなかったかの如く受け止め、あまつさえ頭を両手でつかむ様に撫でまわしてしまう。

 最初こそ混乱した様子の親猫だったが、次第に出雲の手に慣れる様に唸り声を潜め、仕舞にはごろごろと喉を鳴らし始めてしまう姿はとてもではないが我が子を守ろうと襲い掛かってきたそれにはみえなかった。


「す……すっげー!!」

「ッ!?」


 その一部始終を目にしていた幸也は危険が去ったと認識するや否や、声を上げてはしゃぎながら出雲が撫でる親猫へと歩み寄る。

 これがもう少し年齢が上であれば静かに近寄るという考えもあっただろうが、そこはまだ幼稚園の年少組。自身の感情を制御する術もないまま、出雲が大丈夫なんだから自分も大丈夫だという根拠のない自信で親猫の後ろから尻尾を握る様に手を伸ばす。


「フシャアアア!!!」

「いっ――!?」


 当然の如く落ち着いていた親猫が再度怒り出し、出雲の手を抜け出して振り返りざまに尻尾を握ってしまった幸也の手へと爪を振るう。

 幼児の柔らかな皮膚をやすやすと切り裂いた爪の後が綺麗な線を描いて幸也の手の甲に赤々とした傷を刻むと、親猫はそのままどんくさい子猫を咥えて走り去ってゆく。

 残された子猫たちも、親猫のそうした姿をみて慌てた様に後を追いかけて行ってしまえば、驚き固まり、次第に痛みと感情が追いついてきた幸也が涙を浮かべて血の滲んだ手をどうしようと右往左往させていると、


「だいじょーぶ」

「う、うぇええ……」


 すっと、同じ幼児とは思えないほど――それこそ、幼い子供ほど感情が伝播して一緒に泣き出してしまったりすることもあるにも関わらずだ――落ち着いた様子の、ともすれば感情らしい感情が見込めない静かな表情で幸也の手を取った出雲が血の滲みだした手の甲に自らの手を重ねる。


いたいのいたいの(・・・・・・・・)とんでけー(・・・・・)

「ひぐっ、ぐず……うぅ……」

「だいじょうぶ、もう、いたくない」


 未だ涙を零してぐずる幸也に語り掛ける出雲の声は優しい。

 不思議と、泣いていて混乱しているにもかかわらずその言葉を受け止めた幸也は、出雲が重ねた手をどかした自分の手の甲を見て涙が引っ込んだ。

 そこにあったのは、幼児らしいまっさらで丸みを帯びた柔らかな手の甲。

 つい今さっきまで怪我をして、血まで滲んでいたとはとても思えない無傷の自分の手が出雲に握られてそこにあることに、幸也は目を白黒とさせる。


「――う、ぇ……なんで」

「いたいいたいの、とんでったから……?」


 思わずつぶやいた声に応じた出雲の言葉にバッと顔を上げた幸也がみたのは、自分でやったことだろうに、不思議そうに、それでいて、それが当たり前であるかのように首を傾げている出雲の顔。


「……す」

「?」

「すっげー!!!」


 傷がなくなり、痛みが引いたことで、止まった涙の代わりに溢れ出したのは、今しがた起きた魔法の様な現象に対する感動。

 思わず、空いていた手を自身の手を握る出雲の手に重ねる形で両手で握り、ぶんぶんと上下に振りながら目をキラキラさせる幸也の姿は、涙の痕さえなければ直前まで泣いていたことなど分からなかったであろうほどの興奮ぶりであった。


「なーなー! いずもってまほーつかい(・・・・・・)なのか!?」


 そんな幸也に、出雲は驚いたように僅かに硬直した後、出雲は小さく首を横に振り、


「まほーつかいじゃないよ。みこさま(・・・・)なんだって」

「みこさま?」

「うん」


 聞きなれない単語に首を傾げる幸也と、自分で言っている言葉の意味を理解していない出雲は互いに首を傾げる不思議な構図を生み出す。

 だが、すぐにハッとなった出雲はこれまでの怖いくらいに落ち着いた態度から、慌てたような表情を浮かべて口を開いた。


「でもね、でもね。ないしょにしなきゃダメなんだって」

「ないしょ?」

「おこられちゃう……」


 本来ならば、出雲がこうした魔法(・・)を使えることは隠さなければならなかったのだと幼いながらに理解した幸也は困ったように、怒られることを嘆く様に顔を伏せてうんうんと唸る出雲に声をかける。


「じゃーさ!」

「……?」

おれたちだけのひみつ(・・・・・・・・・・)!」

「!」


 そうして提案されたのは、幼い小さな約束事。


「ひみつなら、おこられない?」

「うん!」

「ひみつ……うん、ゆきと、おれ(・・)の、ひみつ」


 繰り返す様に頷く出雲に、幸也は出雲を悲しませなかった事への安堵と同時に、自分はすごい秘密を共有したのだという優越感、特別な存在になったのだという感情が押し寄せて思わず頬が緩むのを感じていた。

 それをみた出雲もまた、幸也が楽しそうなのだから、このひみつ(・・・)は良いものなのだと納得する。

 こうしてふたりは秘密を得た。それが、その後のふたりの関係を大きく決定付けるものになることを、この時の幸也はまだ知らなかった。

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