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12-39 常群幸也と周辺事情13

 懐かしむ様に言葉を紡ぐ常群の声だけが、昼の日差しが薄いカーテン越しに柔らかく差し込む病室に滲む様に響く。


「小母さんたちと一緒に越してきてさ」


 その言葉によって始まった言葉が、黄泉路にとっては遥か彼方。

 無意識の奥底に沈殿し、自身ですら忘れ去ってしまっていた記憶を掘り起こし、鍵で閉ざされた扉が開く様に、常群と初めて出会った頃の出来事が鮮明に蘇った。






 ――常群幸也、3歳の夏の手前。


 就学年齢となった事で幼稚園へと通う様になって数か月。

 元より明るく元気な性質で、あらゆる物事へ興味関心が高まりつつあった頃ということもあって早くも級友と打ち解け、幼稚園生活を順風にスタートさせた常群は、いつもと違う幼稚園の始まりを鮮明に覚えていた。

 それはもはや見知った級友たちとは違う、一目で違うとわかる子供がやってきたことだった。


「今日から皆のお友達になります。道敷出雲くんでーす。はい、みんなー、拍手ー」


 そう、クラス担任の保育士に紹介された子供は珠の様な真っ白な肌に夜空の様な瞳、鴉の様な艶やかな黒い髪をした、幼いながらに綺麗と感じるに相応しい男児だった。

 事実、紹介された少年が誰を映しているともつかない透き通るような瞳で座っている児童達を眺める様に沈黙している間にも、拍手に混じってマセた(・・・)女の子達の黄色い声が少なからず混じっており、その時点で見ればファーストコンタクトとしては申し分ないものであっただろう。


「……」


 だが、一向に喋らず、それどころか顔色ひとつ変えずに児童達を見ている少年の様子に、感情の機微に聡い子供たちは何事だろうと次第に拍手の手が止まり、声が窄んでゆく。


「えーっと。出雲くん、ご挨拶はー?」


 微妙な空気になるかどうかというギリギリのタイミングで保育士が出雲と呼ばれた少年に声をかけると、漸く、少年はちらりと保育士を見上げてからクラスメイトとなる児童達へと向き直る。


「みちしきいずも。よろしく、ね?」


 見た目に違わぬ澄んだ声。そこに居るはずなのに、どこか鏡面の向こう側に居る様な不思議な雰囲気の少年が感情の浮かばない顔で小さく首を傾げながら挨拶すれば、何事もなかったかのように黙り込んでしまう。


「はい、よく挨拶出来ました! 皆、仲良くしてあげてね」


 再びの沈黙にならぬよう、今度は間髪入れずにまとめた保育士の一声によって出雲の紹介が終わると、園の平常運転へと戻る様にその日のレクリエーションの準備へと移り変わり、しれっと混ざった出雲もまた、他の子供同様に折り紙やお絵描きといった年相応の遊びに加わった。

 だが、それもあくまで保育士に促されたり、たまたま近くに位置取った他の園児に誘われたり促されたりして初めて手を付けるといった消極的なもの。

 はじめこそ、来園したばかりで勝手がわからないのだろうとサポートしていた保育士やクラスメイト達も、休み時間になると電池が切れた様に微動だにせずにその場にとどまる出雲の異質さに気が付いて遠巻きにするようになるのには数日と掛からなかった。

 そうして、道敷出雲という季節外れの異物が置物として放置されるようになった頃。

 退園の送迎バスに乗って家の近くの公園まで帰ってきた幸也はふと、自分の母親の他に停車地点で待つ人の姿に気づいた。


「ただいまー」

「おかえり幸也」

「あら、そちらが?」

「ええそうなんですよ。あら、道敷さんのお子さんかしら。可愛いわねぇー天使みたい」

「ふふふ、ありがとうございます。常群さんのお子さんは元気そうで良いわねぇ」


 出迎えた自身の母の隣、見知らぬ女性が母親と話し込んでいる所へ、バスからもうひとり降りてくる音を聞いた幸也は振り返り思わず目を見開く。


「出雲、おかえりなさい。明日からバスで行って帰ってくることになるけど、大丈夫?」

「……」


 自身の背後でバスを降りたのは、ここの所話題になってはすぐさま遠巻きにされていた少年、出雲だったからだ。

 背後でバスが再びエンジンの音を響かせて走り去ってゆくのを気に留める余裕もなく幸也が固まっていると、出雲は淡々と女性へと近寄るべく幸也を追い越して前へ出る。

 母親らしき女性に話しかけられた出雲は変わらず無表情で小さく頷くのみでいたものの、母親はそれだけで十分であるらしく出雲が背負っていた鞄を受け取る。

 そこへ幸也の母親がそうだとばかりに幸也から鞄を受け取りながら口を開いた。


「幸也、お母さん、ちょっと道敷さんとお話したいから、出雲君とふたりで遊んでなさい」

「えっ」


 母親の唐突な提案にびっくりした声を上げてしまった幸也だったが、その様子がただ突然の提案だったことで驚いただけと解釈したらしい常群母は息子の幼いながらに感じている気まずさなど気にも留めずに出雲にも声をかける。


「出雲くん。お母さんと少しお話したいから、幸也と一緒に遊んでくれる?」

「……」


 目線を合わせて屈みこんだ常群母に正面からお願いされた出雲は再び、こくりと無言のまま小さく頷く。

 大人しい性格なのだろうとひとり納得した常群母はそのまま出雲の母親、奈江と話し込むために公園の出口近くに設置されたベンチへと向かいだしてしまえば、残された幸也はちらりと出雲へと視線を向け、


「なぁ」


 変わらず、無表情で立ち尽くしていた出雲へとためらいがちに声をかける。

 幸也がいくら活発で児童達の中心になる様な性格であったとしても、この数日でクラスメイトはおろか、担任の保育士にすら僅かに距離を置かれるようになった孤高の少年とふたりきりなってしまえば、遠巻きにしていたうちのひとりに過ぎない幸也も言葉に詰まってしまう。

 声を掛けたはいいものの、反応らしい反応は声に応じて向けられた顔のみ。その表情は変わらず、綺麗な顔立ちがぴくりともしない姿は人形を思わせる不気味さすらあって、幸也は母に託されたからとぶんぶんと大きく首を振ってから出雲の手を取った。


「いくぞ」

「……」


 手を振り払われることはなかった。

 歩き出した幸也に引かれる形で公園へと踏み入った出雲にふたりの母親が小さく手を振っているのを通り過ぎ、ふたりは公園の中をずんずんと進み、中央に鎮座した大型遊具へとたどり着く。


「いっしょにあそんでっていわれたから。つかいかた、わかる?」

「……」

「しょーがねーな。みてろ」


 大型遊具は珍しくもないコンクリートによって作られた、階段と滑り台、トンネルが合体したような形状のもので、幾度も遊んできた幸也からすればみなれたもの。だが、まるで初めて見たような様子でジッと見上げているだけの出雲に痺れを切らした幸也は出雲にそういうなり階段をたんたんと軽快に駆けのぼると、


「とう!」


 ずじゃあ、と。風雨で飛ばされ積もったのだろう砂利が僅かに被った滑り台を滑り降りて、最後に小さく飛び上がって跳ね起きる。


「どうだ!」

「……」


 綺麗に滑るにはそれなりのコツ(・・)があることを知っていた幸也は自慢げに出雲を見やる。

 ただ、やはりといえばやはり、出雲は何を考えているのか分からない様子で、ただし視線は大型遊具ではなく幸也を真正面に捉えたまま小さく首を傾げるばかり。


「こーやってあそぶんだ。ほら、いずも(・・・)も!」

「!」


 何と呼ぼうかと迷うこともなく、聞き知っていた相手の名前を幼さ故の距離の詰め方で呼び捨てた幸也だったが、ここで初めて少年はぴくりと僅かに眼を大きく開く。

 初めての反応、だが、どうにも否定的ではないらしいそれに、やっと表情が変わったぞといつのまにか対抗意識の様なものが芽生えつつあった幸也は満足し、出雲の手を引いて階段を登らせる。

 そこから出雲を滑り台へと座らせると、どん、と。子供ながらの力加減の分からないひと押しで盛大に出雲を前へと突き飛ばす。

 いっそ、突き落とすと言ってもいい程に急に滑り出した状態。遠くで見ていた常群母が僅かにハッとなったようだったが、出雲がするすると滑り落ち、偶然にも幸也が先に滑っていた事で砂利が避けられ、摩擦が大きくなっていた事で最下部へとたどり着くころには減速して緩やかな着地になった事でほっと息を吐くのが遠くからも見て取れた。


「いずもー! はやくどけよー」

「!」


 背後の頭上からかかった声に出雲が立ち上がって脇へと避けると、その後すぐにずじゃっ、と滑り降りてきた幸也が再び飛び跳ねる様に立ち上がって出雲へと振り返る。

 あわや追突の危険もある間隔だったが、それでも幸也は自慢げにどうだとばかりに胸を張る。


「な? たのしいだろ?」


 胸を張った幸也が問えば、出雲ははたと、首を滑り台の上へ向け、それから再び幸也を見つめた後、


「……たのしい……?」


 ぽつりと。自己紹介以外で初めてとなる言葉を発するのだった。

 何が楽しいのか分からないというよりは、初めて、楽しいというものを知ったというような。不思議なものを感じ居る様なものだった反応は幸也の想像していたそれとは違ったものの、ふらりと歩き出した出雲が階段へと向かう姿に、漸く幸也は自分たちと同じ(・・・・・・・)ものを見たような気がして嬉しくなる。


「たのしい」

「おう!」


 その後、頂上まで登っては滑り台で降りるを何度も繰り返す出雲は無言だが、どこか、初めての経験を楽しむような一心不乱な様子は誘った幸也ですら困惑するほどで。


「幸也ー。帰るわよー」

「出雲。ママたちも帰りましょうか」


 本当ならば他にも遊具を案内しようと思っていた幸也を置き去りに滑り台で遊び倒していた出雲が止まったのは、ふたりの親が話を終えて迎えに来てからのことであった。


「もう。泥だらけにして。帰ったらお風呂入りなさいよ」

「はーい」

「それじゃあ道敷さん。また明日。ほら、幸也も出雲君にさよならしなさい」


 砂埃に塗れたふたりに呆れた声を上げた常群母が、幸也の手を引いて帰り際に挨拶する様に促せば、幸也は幼稚園での事を思い返して僅かに言葉に詰まる。


「あー」

「……」

「えっと。また、あした」


 再び無表情になっていた出雲、しかし、自分と同じく泥だらけになった姿に、近しいものを感じ、結局幸也はまた明日と告げる。

 相変わらず黙ったままの出雲の反応はそんなものだろうともはや諦めつつあった幸也だが、


「――また、あした」


 背を向けようとした時に聞こえた声に思わず振り返る。

 表情は変わらない。だが、歩み寄ろうとするような、幸也から学び取った様な調子でぎこちなく首を傾げて言葉を返した出雲の姿に、幸也は明日からはちゃんと幼稚園でも構ってやろうと思うのだった。





 それが、常群幸也という普通の少年と、道敷出雲という不可思議な存在との初めての出会い。

 ふたりが仲良くなる、最初のきっかけであった。

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