12-36 永冶世忠利の事件簿7
◆◇◆
「ええ、はい。部屋はそのままで。ええ。よろしくおねがいします」
ぴろん、と。通話が終了する電子音が短く鳴ったのを確認し、端末の液晶をオフにしてから、常群は小さく息を吐いた。
「(ひとまずはこれでよし、と。あとは出雲を連れて行くための段取りをどうするか……)」
黄泉路に両親の所在の調査を頼まれ、1か月かかると宣言してから2週間。
常群は黄泉路――道敷出雲の母親、奈江の移転した入院先はおろか、行方知れずになっていた父親、譲の現在まで明らかにするに至っていた。
探偵業も真っ青な調査能力という他ないスピード解決で、もはやこれ1本で食って行くことすら容易だろう成果にも関わらず常群の表情に達成感は無い。
むしろ、ここから残り2週間であらゆる根回しを済ませておかねばならないという義務感に頭の片隅が痛むような錯覚さえ抱いていた。
3月も半ばという年度末もいい所であるというのもあってか、常群の周囲を取り巻く人間関係はややこしいこと極まりなく、終夜直系のお気に入りであるという噂からこれまで付き合いの持ちようもなかったような相手から急に会談を持ち掛けられることなどもザラ、そうした面倒ごとから一刻も早く解放されたいという思いで、終夜絡みの囲い込みをかわしながらの調査は常群をしてもストレスと言わざるを得ないものであった。
そうした調査も終わり、あとは元々の引継ぎと根回しだけとなったことで漸く僅かながらの余裕を手に入れた常群だったが、着信を知らせる手元の振動に嫌気の差した顔を僅かに浮かべつつ、表示された着信の名前に眉をピクリと動かす。
「……はい。こちら常群」
「久しぶりだな。忙しいようだが、体調に変わりはないか」
「お久しぶりですね。そっちこそ俺以上に忙しいんじゃないんすか。永冶世さん」
通話口に出た常群にかかる労いの言葉だが、そこに含まれた細やかな棘に常群は思わず口を曲げそうになりながらも繕った声音で相手へと応答する。
「互いに忙しい身だとは思うが、どうだろう。久しぶりに会って話が出来ないだろうか」
「……ちょうど、今抱えてるものはひと段落ついた所なんで、今からなら会えますよ」
「そうか……。君は今どこに?」
「神那川っすね」
「そうか。俺がそちらに向かおう。場所を指定してくれ」
「あー……んじゃあ、横濱駅西口前のカラオケで」
「わかった。30分もあれば着くはずだから、先に待っていてくれないか」
パッと、辺りを見回して適当に入れそうな個室に当たりを付けた常群が場所を示せば、機会を逸したくないという焦りにも似た動機が透けて見える性急さで永冶世が了承を返す。
短く応じた常群の端末が通話終了の音を響かせたのを区切りに、常群は端末をポケットへ仕舞いながら面白くなさそうに歩き出した。
「いらっしゃいませー」
「2名で。30分くらいしたらもうひとり来ますんで、そん時は声掛けてください」
「機種はどうなさいますか?」
程なくしてたどり着いた待ち合わせに指定したカラオケボックスの受付で適当を装いつつ不必要に人が通りかかりづらい部屋を指定した常群は部屋番号と機材の入った籠を手に部屋に入ると仄暗い室内を何食わぬ顔で見まわして席に座った。
ほんの少しの仕草でカメラの位置、音声を拾えるものかどうかの有無を把握した常群はカメラに映る様にテーブルに置かれたメニュー表を捲って適当にドリンクとつまみを注文すると、選曲予約に流行の曲をいくつかセットしてマイクに手を伸ばす。
無論、楽しむために入れたわけではない。入室してからこれまでの時間を加味し、大体30分くらいだろうという目安で曲が途切れないように入れたタイマー替わりのものだ。
ドリンクとつまみを運んだ店員が下がり、BGMとして流れるインストだけが流れる時間がいくらか過ぎた頃。
扉が控えめに叩かれ、振り向いた常群と扉を開けて様子を窺う様に入ってきた永冶世の目が合った。
「こうして顔を合わせるのは……いつぶりだったかな」
「さぁて。最近はとんと忙しくてね。少なくとも東都がああなってからは連絡ついてなかった気がしますが」
「常群君も、色々あったのは小耳にはさんでいる。だいぶ出世したらしいな」
当たり障りない会話の中に最近の動向の大枠は捉えているという言葉を匂わせる永冶世に席を勧め、常群は再び適当な楽曲を予約して永冶世の前へと機器の端末を置きながら薄く笑う。
「いやぁ。俺自身も困ってるくらいですよ」
「……」
嘘偽りのない言葉ではある。だが、常群のそうと思わせない、歳を考えればコロッと騙されてしまう程に老獪な謙遜にも聞こえる声音を推し量る様に沈黙した永冶世に、常群は内心で溜息を吐きながら相手の目的と返答を組み立てる。
「永冶世さんこそ、大出世した割には浮かない顔してますね。都の構想にも意見を請われたって小耳にはさみましたよ」
「……君の情報網は相変わらずだな。終夜に入ってから更に研ぎ澄まされたと見える」
「いやいや、こんなの単なる噂話の域ですよ」
埒のあかない会話は暗に、目的があるならそちらから話せという常群の要求であり、そうでないならのらりくらりかわして解散するぞという脅しでもあった。
永冶世は僅かに間をおいてから、真剣な表情で常群へと問いかける。
「君はもう、迎坂黄泉路を名乗る彼――道敷出雲とコンタクトが取れる。違うか?」
「……」
ただの確認として、確信していると告げる永冶世の言葉に常群は無言で先を促す。
ただのアリバイ作りの為に入れた曲が流れ続ける中、永冶世は言葉を続ける。
「俺は常群君とは善き協力者だと思ってこれまで動いてきた。君は友人の行方を捜すために、俺は、君の友人に掛けられた嫌疑を通して国の闇を掃う為に」
「そっすね」
「だからこそ、道敷出雲とパイプを繋いだ君がこちらに協力する理由がないというのも、理解しているつもりだ」
だったら、今更何の用で。とは、常群は問わない。
この会談は元より永冶世から持ち掛けられたもので、常群の側から譲歩する理由が何一つないのもそうだが、なにより、常群は目の前の男が何を以って常群が想定している要求を通すつもりなのかがわからなかったからだ。
常群は親友を嵌めた国を信用していないし、その国の手先として逮捕を第一と考えながら国の不正を晴らしたいとしていた永冶世とは、共闘する前から破綻していた。
それでも常群が永冶世と協調路線を取っていたのは、当初は常群に調査するだけの伝手も技術もなく、永冶世の持つ警察という情報網を欲していたからだ。
永冶世としても常群に期待はしておらず、ただ、手配される前の道敷出雲という少年を知ることで手がかりになれば御の字という線の薄い、利害関係も希薄な間柄だったからこその協力であった。
それからメキメキと力をつけ、警察でも手に入らない情報を抜き出してくる常群と肩を並べて過ごした日々が、当初の思惑を薄れさせていた事は確かだった。
だがそれも、目的としている人物を探した後のスタンスが最初から明確に逆を向いているふたりの目的地が目の前にあるとなれば、厚く覆われていた積み重ねの底に通った芯の部分が顔を出す。
「思えば君が我々に対して隔意を抱くのも当然のことだろう。だが、その溝を超えて頼みたい。彼に会わせて貰えないか」
「お断りします」
取り付く島もない常群の反応は永冶世にとって予想していたものだ。
それでも、永冶世は固めてきた決心を前に出して常群に頭を下げる。
「一度でいい。彼と直接話をしたいんだ」
「……アンタがアイツと何を話すって言うんだ」
ひやり、と。永冶世の背筋に冷たいものが奔る様な感覚。
体が真冬の寒空に放り出されたかと錯覚するほどの冷たい声音が、普段から人の和を取り持つのに長けた青年から出たものと認識するのに一拍を要するほど、これまで接してきた常群という青年からは想像もつかないほどに鋭い言葉に永冶世は小さく息を呑む。
「アンタ言ったよな。出雲は国の陰謀で濡れ衣着せられたのは確かだけど、本人が犯した罪があるから捕まえるって」
「ああ。だから――」
「だから? 国政まで好き勝手に出来る奴を相手に晴らせるかも分からねぇ冤罪の為に出雲にもう一度捕まれって?」
これまでの内心を悟らせない良くも悪くも飄々とした年相応の青年らしからぬ態度とは違う、本心からの怒り。
ため込んできたであろう不満が、永冶世の勝手な都合と捉えられても仕方のない要求でトリガーが引かれた。そう確信してしまうだけの熱量が、永冶世に弁明の言葉を与えない。
「あんまフザけたこと言わないで欲しいっすね。アイツはもう4年も、まともに生きられたはずの時間を奪われてる。永冶世さん、アンタはアイツに何をしてやれる? 失われた4年も、これから失う時間も、何もかも取り戻せねぇモノを、アンタがアイツに強要していい根拠はなんだ?」
「……」
永冶世は答えない。否、答えられなかった。
自身でも、黄泉路を捕まえることが正しいのか分からず、会って話をしてみたいという思いで常群に頼った今、会うべきでない理由ばかりが積みあがっていく現状に返す言葉を永冶世は持ち合わせていなかった。
「アイツはもう追われるだけの犠牲者じゃない。自分で立って考えて、リスクを跳ね除けられるようになった。その上で、俺がアンタに協力しなきゃならない理由ってなんだ? 教えてくれよ」
常群の言う時間は永冶世も考えたことがあったからこそ、余計に、常群という当事者から詰られる言葉の重みは永冶世にのしかかっていた。
「……」
「ないっすよね。そりゃ。だって永冶世さんにとって大事なのは永冶世さんの正義観であって、出雲の事なんてぶっちゃけどうでもいいんだし」
「そんなことは!」
思わず顔を上げた永冶世に、突き刺さる常群の眼差しは、燃え上がる様な怒りから小さく、けれど激しく燃え続ける炎を思わせる声音とは裏腹に冬の空の様に冷淡に澄んでいた。
「じゃあ、たまたま逮捕できずに深堀りしたら濡れ衣やら国の不正の犠牲者だった可能性やらが出てきたから追ってた以外になんかあるんですか?」
端的で否定の使用もない常群の要約に、これまでのままであれば押し黙るしかなかっただろう永冶世はゆっくりと、まずは目の前の青年に今一度信頼をしてもらうことから始めなければならないと決意を胸に口を開く。
「俺は少なくとも、この国の正しさを信じてこの職に身を置いている。法で縛られていなかった能力者達が危険な存在だと教えられ、能力者が法で定義された今も、それは変わらない」
口に出し、言葉として届ける傍ら、永冶世の脳裏に浮かんだのはつい先ほどまで足を運んでいた都内の様子。
砂が撤去され、被害があらわになりつつある都内の様子は悲惨の一言につき、能力者があれだけの力を身一つで揮えてしまう事実を恐ろしいと思う気持ちは変わらない。むしろ、強くなったとさえいえるだろう。
「一方で、法を定める側に疑いがあり、そこに身を委ねることが難しいというのも理解している」
「……」
永冶世が目をそらさずに告げる言葉が正しく真実で、常群も、漸く目の前の刑事がこれまでのスタンスとは違った考え方を模索しようとしているのだと薄々感じ取り始めていた。
「だからこそ、今一度、彼と正面から話してみたい。勿論、自首しろと言うつもりも、その場で逮捕しようというつもりもない。ただ、彼が今、何を思ってどんな立場にあるのか。正しく理解しない事には、俺は前に進めない」
だから、頼む、と。
再び深々と頭を下げた永冶世に、常群は内心の冷静な部分で静かにため息を吐いて、未だ不満に思う部分を無理やり押さえつける様に頭を振った。
「……気に入らない」
「そうだろうな」
「何が気に入らないって、アンタ自身迷子みてぇな面しながらも結局出雲の都合は考えてねぇところが最悪に気に入らねぇ」
「……」
永冶世の主張はどれもこれも、最も被害を受けているはずの黄泉路の都合や意志を無視したもの。問いたい、訪ねたいのはあくまで永冶世の揺らいだ正義の置き所を模索する為の指標だと言わんばかりの内容であったことは、永冶世自身も否定できない。
説得に失敗した。そう永冶世が諦観を受け入れつつも、目の前の青年すら説得できない自分では黄泉路と対面しても意味がないだろうと、自身の至らなさを受け入れようとした時だ。
「はぁ。わかったよ」
「――?」
「わかったっつってんだよ。どっちにしても、俺もアイツの意思確認しなきゃどうしようもねぇから、話はそれからでいいか?」
もはや敬語を取り繕うこともない、素の中でも最も粗野な部分が顔を出している常群に呆気にとられながらも目を瞬かせる永冶世だったが、常群の言葉に理解が追いつくと同時に強く頷いていた。
「っ、ああ!」
珍しく感情を隠すことなく喜色を浮かべる永冶世を見つめながら、常群は内心で嘆息する。
「(あんだけ言ったって、俺も出雲自身がどう思ってるかなんてわからねぇからな。俺の判断だけで会わせねぇなんて言えるかよ)」
常群とて、黄泉路に負い目がある人間には変わりない。そして目の前の男が真実、黄泉路とただ会って話がしたいと、そしてこれまで歩んできた道の是非を改めて考えたいというのなら、それを邪魔する権利はないと考えてしまった自分が絆されたと自覚しているが故の内心。
だが、永冶世よりも精神的に優位に立っているからだろう。常群はそうした内心をおくびにも出さずに改めて口を開く。
「それと、これはアイツの是非に関わらず俺からの条件」
「?」
「俺が取り次いでもいいってアイツに持ち掛ける為の最低限の担保だと思ってくれ。現状、アンタをアイツに会わせるメリットなんてこっちにはないんだからな」
「……わかった。内容はなんだ?」
「後日、アイツをとある場所に連れて行く。そん時にそっち側の横槍が入らないように根回しをしておいてくれ」
「それは、法に触れることは受けられないぞ」
「んなこと分かってる。第一、現時点でのアイツはもう指名手配犯じゃないだろ。手出しされない限り手出し無用って言われてんだから。……永冶世さんが本気でアイツと向き合って、国の後ろ暗い事を清算する為に動くって言うならこれくらいは役に立ってくださいよ」
「……いいだろう」
首尾よくこれから手を付ける予定だった雑事を任せることに成功した常群は話は終わりとばかりに――ぼろが出る前にともいうが――席を立つ。
立ち上がった常群に、詳細な話もないのかと視線を投げかける永冶世だったが、常群はこの場でこれ以上不快話をするつもりはないらしく、
「んじゃ。詳細は後でいつもの暗号化メールで送ります。……会う会わない、いつどこでとかの返答はこの件が片付いてからってことで」
ひらひらと伝票を手に部屋を出て行けば、永冶世は前進したのだかわからないながらも、確実に踏み外してはいないことに安堵して座席に深々と背を預けるのだった。
「……はっ」
――会計を終え、排ガス混じりの外の空気を胸に吸い込んだ常群は皮肉気に笑う。
「(これで国側に情報が流れるようならそこから永冶世についた首輪が辿れるし、まぁ悪いようにはならねぇだろ)」
こんなことまですらすらと頭に描けてしまうようになった自分もまた、思えば黄泉路と同じく軸が狂わされたままなのだなと自覚した常群の背が人混みに紛れて消えてゆく。
ただひとつ言えることがあるとするならば、積年の不満をぶちまけた事でこの日の常群は久しぶりに心地の良い熟睡が出来たということだった。