12-35 幽世の王と常世の情勢2
黄泉路が常群へと連絡を入れた翌日。
昼時を少しばかり超えたかという時間に黄泉路達が拠点としているメゾネットのインターフォンが来客を伝える音を鳴らす。
黄泉路が来客用のモニターをつけると、玄関の前で違和感のない程度のファッションとも変装ともつかない自然な風体の青年が待機していた。
「常群」
「よっ。お邪魔するぜ」
玄関へ向かい、扉を開けた黄泉路を前に、色の薄いサングラスを傾けて目元を覗かせた常群がにっと笑う。
昔にも、お互いに普通の学生をしていた頃は今の様に互いの家に遊びに来ることもあったことがどこか懐かしいと感じつつ常群を迎え入れた黄泉路はリビングへと通すと、常群は漸く気が抜けたように息を吐いていた。
「急に呼び出しちゃってごめん」
「いいよ、ぶっちゃけ良い口実だったしな」
椅子に腰かけた常群が気にするなと首を振り、手土産らしき包みをテーブルに広げる。
高級店で仕入れてきたのだとすぐにわかる華やかな紙箱から出てきたケーキに、リビングに降りてきていた歩深が目を輝かせ、しかし黄泉路の客であることは承知している為、待ての心境とも呼べる調子で黄泉路へとちらちら視線を向ける中、
「やっぱりお忙しいのかしら。終夜唯陽直属の臨時役員様は?」
トレイに載せた人数分のコーヒーをテーブルに置きながら揶揄う様に彩華が問いかけ、ちゃっかり黄泉路の隣をキープする様に席に座る。
「あっはっは。マージでやめてくれ。どうにか抱き込まれないようにこれでも必死なんだぜ?」
「あら、それはごめんなさい。終夜財閥直系の直属、なんて望んでも得られない地位だもの。羨む人の方が多いのに」
「そりゃな。つっても俺にはそんなの過分が過ぎる。望んだ栄達ってわけでもねぇしな。どっちかっつーと良い様に使われる恐怖心の方が高い」
こわいこわい、と言いつつ、ケーキを凝視しては黄泉路や彩華へと視線を向ける白髪の少女の外見相応の挙動に小さく笑った常群がケーキを皆に勧めると、一瞬黄泉路へ目を向け、黄泉路が苦笑しながら頷くと同時に歩深が目をつけていたらしい苺のショートケーキへと手を伸ばす。
その様子を微笑ましく見守りつつ、黄泉路達もそれぞれモンブランやガトーショコラといった各々の好みへと手を伸ばし、
「大変だったんだぜ? お嬢様がお前連れて引っ込んじまったのが撮られてた所為で何処も彼処も蜂の巣突いた様な大騒ぎで。ま、幸い事前に会場練り歩いて仲睦まじい姿を見せてたお陰で話題の方向性は主導権握れてたけどよ。それでもお嬢様の名前で顔売ってた俺の所にひっきりなしで人が来るわ、終夜の当主方の人らまで慌てて白峰さんに鬼電してくるもんだから、俺とふたりで必死こいて後始末して、やっと一息つけるかってタイミングで政府のアレだし」
「あー……」
愚痴る様に付属していたプラスチック製のフォークで余ったベリームースを切り取って口に運ぶ常群に、黄泉路は事後処理を完全に投げてしまった事への申し訳なさで思わずカップに注がれたコーヒーの黒へと視線を落とす。
常群も本気で言っているわけではないのは理解しつつ、一呼吸置くためにカップに口を付けた黄泉路は改めて問いかける。
「東都大開発構想?」
黄泉路が口にしたのは、マーキスらの襲撃によって甚大な被害を被った東都を再建するに当たり、国が新たに打ち出した一大事業の通称。
ただ再建するのではなく、東都という日本の首都を戦後の復興と同様にこれを機に大規模に区画整理と建築物の管理によって一新し、対能力テロを見据えた未来志向の都市へと改革する試みであった。
本来ならば十数年の工期と綿密な計画が必要とされる、崩壊しているとはいえ残骸や無事に残っている建物も多い都市を丸々作り替える計画は、発表されるや否や、その精密性と練り込まれた構造物の配置などから、事前にあった開発計画を改修したものなのではと各方面で囁かれていたものであった。
「そ。今回の一件を受けて大幅に修正した、っつーわりには、あり得ないくらい迅速だからさ。ちょっと突っ込んで聞いてきたんだけど、やっぱ既定路線だってよ」
「確か、終夜も建設部門が入札してたらしいけど、その筋から?」
「おうよ。何せ、唯陽お嬢様直属の臨時役員様だからな」
「あら。やっぱり有効活用してるんじゃない」
「そりゃ貰ったもんは使わなきゃ損だろ。元々抱き込まれかけてるんだからその位は役に立ってもらわねぇと」
「でも、それで外堀埋められちゃってない? 大丈夫なの?」
「心配しなくても、俺はお嬢様直属ってことで指揮系統から浮いてるからな。最悪、お嬢様と膝詰めて話せば着地点くらいは何とかなる」
「……さすが」
昔の常群ならば少し抜けているところもあって危なっかしい印象もあったように感じたものの。社会人として自分とは全く違う経験を重ねてきた姿には不安は微塵も感じられず、むしろ、頼りになる印象が強い黄泉路は思わずといった具合に小さく零す。
「何がさすがなんだよ……」
「なんか、知らない間に常群は立派になったんだなって」
「オイ……っつーか、立派っていうならお前の方こそ、いつも俺の後付いてきてた出雲が今じゃ東都の英雄様であの世の王様だって? 大出世じゃん」
「揶揄わないでよ」
「はははっ」
気安い言葉の応酬を繰り広げる黄泉路と常群を横で見つつ、彩華がモンブランへ口をつけていると、とんとんと階段を下る音。直後、リビングに顔を覗かせた標がテーブルに置かれたケーキを見て目を見開き、
『あー! あーちゃん達ずるい!!』
キンキンと響く念話が全員の頭に響き、慣れた黄泉路と彩華、歩深は僅かに眉を揺らす等の小さなリアクションで済ますものの、ちょうどコーヒーを飲もうとしていた常群は危うく零しかけてしまっていた。
「慌てなくても、まだあるわよ」
『やったー! コーヒー淹れてくるー!』
「コーヒーメーカーの中にまだ残っているから、零さないようにね」
『はーいママ!』
「誰がママよ」
暢気なやり取りをしながら席に着いた標がうきうき顔で抹茶ケーキを手繰り寄せて食べ始めれば、常群が凝視している事にやっと気づいた様子であっ、と、声が出ていたなら聞こえそうな顔をする。
「出雲。この子は?」
「うちのオペレーター。聞いての通り、思考を伝達、中継できる能力者だよ」
『はいはーい。ごしょーかいとごしょーばんに預かりました、夜鷹の可憐でキュートなオペレーターこと、オペ子ちゃんですよぅ。常群さんでいいんですぅ?』
「お、おう。コイツの幼馴染の常群だ。よろしく」
席に着いたまま小さく会釈する標に困惑しつつも対応した常群だったが、一拍して改めて黄泉路へと顔を向けて真面目な表情を向ける。
「……あいつが居ないけど、良いのか?」
「遙君のこと? 彼は別にここで暮らしてるわけじゃないからね。ここに常時いる人ってことなら、此処にいるメンバーで全員だよ」
「そっか。んで、出雲。相談事があるって言ってたけど、電話口じゃ言えないことなんだろ?」
緩い雰囲気から真面目な空気感に切り替わったことが伝わると、口の中のチョコの甘さを無糖のコーヒーで洗い流した黄泉路は静かに口を開く。
「うん。展示会の時にあったことでちょっとね。憂からの伝言の話、覚えてる?」
「……ああ」
常群が重く頷く。
黄泉路――道敷出雲にとって実の妹であり、常群にとっては自分の所為で出雲を失わせてしまったという負い目から共依存気味に義理の兄妹のような関係を持っていた、現在は政府の能力対策局の局長補佐をしている少女からの伝言。
「奈江おばさんがお前に会いたがってるって奴だろ」
「うん。憂に今連絡を取るのはリスクが高い。僕の事情で皆を巻き込みたくない」
「それで俺なら、か……」
「頼めるかな」
黄泉路からの頼み事は実のところ珍しい。必要があれば頼ってはくれるものの、基本的には頼られる側になることが多い黄泉路であるが故に、珍しい体験をしたはずの常群だが、その表情は暗い。
「……何か理由があるの?」
その表情に、拒否を嗅ぎ取った黄泉路が問いかける。
だが、常群はふるふると首を横に振ると、グイっとカップを傾けて苦い物を喉奥に流し込んで一切を飲み込むようにしてから、覚悟を決めたようにゆっくりと口を開いた。
「いや。そうじゃない。そうじゃないんだ」
「だったら――」
「お前が知りたいのはおばさんが今どうしていてどこにいるかだろ。それを調べるのを引き受けるのは良い。けどその前に、お前には言っておかなきゃならないことがある」
遮る様に告げる常群の様子が、何か良くない事実を口にしようとしていると直感した黄泉路は口を噤み、常群の言葉を待つ。
黄泉路が覚悟をしたらしい事を見て取った常群もまた、自ら告げるつもりだった事実を喉の奥から引きずり出す様に音にする。
「……結論から言うと、俺はおじさんとおばさんの所在を知らない。東都がああなったからじゃなく、それよりももっと前から」
「それってどういう」
「お前が帰ってきたあの日から少しした頃に、おじさんとおばさんが離婚して家を引き払ったんだ」
「――え!?」
まさかのワードに目を見開く黄泉路に、畳みかける様に事実を並べて行く常群の表情は硬く、努めて感情を消す様な語り口が常群の言葉が事実であることを物語っていた。
「詳しく聞いてねぇけど、おじさんがお前に出ていけって言ったんだろ。それでおじさんと引き留めようとしたおばさんと憂ちゃんで喧嘩になったらしくてな。それが原因じゃねぇかな」
「そんな……」
「憂ちゃんも積極的に探そうとしてなかったみたいでおじさんの行方は分からない。それで、おばさんに関してなんだが、こっちもこっちでややこしくてな」
「憂から話題が出たってことは、少なくとも行方不明ではない、んでしょ?」
「まぁな。おばさんと憂ちゃんは離婚後一緒にアパートに引っ越してて、今の対策局主任のおっさんいるだろ。あの人に私設秘書のバイト持ち掛けられるまでは一緒に暮らしてたんだよ」
「――我部幹人」
「そいつのことは一旦脇に置くぞ。そんで、憂ちゃんが俺と一緒にお前を探すために提案に乗って秘書業務しだして暫くしたころに、おばさんが入院したんだ」
「入院って、どこか悪かったの!?」
立て続けに聞かされた道敷家の現状に思わず声を荒げてしまう黄泉路に、常群は話が終わるまで堪えてくれという様に手で制しながら続きを口にする。
「さぁな。俺も憂ちゃん伝で聞いただけのまた聞きだから詳しくは知らないが、どうにも精神を病んじまったらしくて、都内の病院に、ってのが最後に聞いた話だ」
「それじゃあ……今は所在が分からないんだ」
「そゆこと。お前が望むなら俺が調べるのは構わない。けど、本当に良いのか?」
「っ」
常群の口調が懺悔する様なそれから、覚悟を問う様なそれに変わったのが分かる。
黄泉路は小さく声を詰まらせ、ややあってから、ゆっくりと頷いた。
「おっけー。つっても俺から憂ちゃんに直接聞くわけにも行かねぇし、こっちの後始末も含めて1か月くれ」
「逆に、1か月でどうにかなるの?」
「おうよ。任せとけ。こう見えて顔は広いし、必要ならどんなコネでも辿ってやるさ」
「常群……ごめん、ありがとう」
「いいよ。俺の方こそごめんな。本当はもう少し落ち着いたタイミングで言おうと思って、覚悟もタイミングも見失ったままずるずるとこんな状況でお前に言わせちまって」
「ううん。それよりも、その、もし余裕があるならだけど、母さんを探すのと並行して、父さんも、探してみて貰えないかな……?」
「良いけど、会うのか?」
「わからない。けど、今どうしているのかは気になる」
「わかった」
葛藤が透けて見える黄泉路の頼み事を、常群はしっかりと受け止めたと強く頷くのだった。