12-34 幽世の王と常世の情勢
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唯陽の機転によって黄泉路が展示会から衆目を避けつつ離脱してから1週間が経った3月の前半。
刹那の乱入などもあって大いにトラブルに見舞われた次世代防衛設備展示会は終わってみればその内容は成功したと言っていいものの、慌ただしさは日を追うごとに大きくなってきていた。
本来は月浦の対能力性能を備えた無人戦車と一躍時の人となっていた東都の英雄の戦いを中継する為の小型無人機が黄泉路同様東都で砂の巨人と相対し、都を守ったとも言える魔女、黒帝院刹那との戦いを捉えていた事が原因であった。
人の身で起こせる事象をはるかに超えた奇跡とも、神の御業とも呼ぶべき超常現象が大盤振る舞いされた戦いは瞬く間にメディアの手で拡散され、メディアが流した報道がインターネットなどを通じて海外にまで発信されると、各国メディアが大いに取り上げられ、もはや世界中の人間が知る所となっていた。
ここまで海外のメディアが大きく反応した理由としては、東都崩壊が他国の手引きであったという確度の高い情報が流布されてしまっており、世界でも有数の都市が少数の手によって陥落しているという事実を国際社会が重く見ている事が原因であった。
テロリストを差し向けたとされる国には厳しい目が向けられていると共に、被害に遭った能力先進国としても知られつつある日本が能力者とどう向き合っていくのかを注視されていたこと、先の東都での戦いで活躍した能力者が再び大きな騒動を引き起こしたことに加え、刹那が現世の事象を掌握しようとした際に、世界各地の空で異常な光帯が発生し、複数の場所で異常気象が観測されたことが数日経って明らかとなったことも大きな理由だ。
そうして世界中の注目が集まると今度は刹那と黄泉路の戦いの内容の詳細へと世間の注目が移りだす。
世界各地の異常気象の直接の要因は刹那であろうという見方ですぐに落ち着くも、それと対等に戦っていた黄泉路の分析となると途端に意見が割れ、空間を暗く染め、蒼く輝く銀色の砂を使い、果ては同じく蒼銀色の巨大な樹木や生命を作り出して戦う姿は黄泉路をどんな能力者だと断定できず、あらゆる情報媒体で喧々諤々とした議論が交わされていた。
そんな中、ある情報発信サイトが映像を解析して両者の会話を断片的に読み取ることが出来たとして発された内容が世界に更なる衝撃を齎した。
――幽世の王。
刹那が、超常現象を統べ、自然災害を超えて星の理すら掌握したとも言える強大無比な能力者が対等に立つ相手へと向けた呼称。
解析自体は外国であったものの、すぐさま日本語に精通した者が意味を当てると、その情報は真実のモノとして瞬く間に世界へと広がった。
曰く、あの暗い空は冥界の具現である。
曰く、あの蒼に輝く銀の地平は死後の世界である。
曰く、聳える銀の大樹はあの世に唯一存在する創生の樹である。
曰く、戦いの最中に出てきた人型達は死した者達の魂である。
様々な憶測が、彼らの持つ宗教観や古の神話伝承などから継ぎ足され検証されて好き好きに語られる中、
――曰く、迎坂黄泉路は死後の世界を統べる者である。
その仮説だけは決定事項であるとばかりに世に流布されていた。
黄泉路が死後の世界を統べている、死者達の王であるという話題に困ったのは世界各国の宗教関係者だ。
死後の世界での救済や転生、魂の善悪などを説く宗教全てが、現実に降り立った幽世の王を前にこれまで説いてきた教義そのものが揺らぐ大事件として受け止められ、敬虔な信徒の中には黄泉路を認めないもの、黄泉路こそが教えに登場した人物であるなど、同じ宗派にあっても主張が異なるなど、宗教が深く根付いている諸外国ほど混乱の度合いが大きく波及している有様。
中には既存の宗教に依らず、黄泉路こそが新しい宗教の拠り所としはじめる者まで現れ始め、ある意味では思想面において刹那以上の巨大な爆弾と化してしまっていた。
一方、宗教の色が薄い日本においてはそうした風説を肯定も否定もせず、ただ、東都の復興に向けた動きが本格化するとともに、今回の黄泉路の所属が問題視されることとなった。
黄泉路が能力者の登録を義務付ける法律に沿わない不法能力者にあたるというもので、法に従わない違反者であるという国の評価と、東都を救った功労者であるという実際の評価の乖離が再燃した形であった。
元より世直しや民衆の救助、敵性能力者の撃退などの活動を行っていた黄泉路が何故国の登録を拒んでいるのかは評価が別れており、国に管理される事で自由に動けない事を嫌っている自己顕示欲にかられた偽善的な行為がたまたま評価に値する結果に繋がっているだけと主張する者や、政府や対策局などの機関には裏があり、黄泉路ら不法能力者の一部はそうした国の闇と対峙している正義の志であるといった、ある意味では正しい陰謀論を主張する者など様々であった。
また、前回とは違い表向き対策局と関わりのない事件だったこともまた波紋を呼んでいた。
端的に言えば、政府はこのような強力な能力者がもし敵として再び民衆に被害を与えた場合対応ができるのか。というもの。
東都と展示会にて黄泉路は民衆への被害を考慮した立ち回りや、自らが率先して人に危害を加えようとしていない事から民衆にとって害のある存在とは見做されていないものの、翻って共にマーキスと対峙した刹那が敵方として暴れた今回の一件をして、政府参加の能力者に対して疑問が投げかけられた形であった。
諸問題の中心となりつつある日本に対して世界各国が動向を注視する中、日ごろの日本にしては迅速といえる速度で新たな発表が齎される。
いくつかある発表の中でも注目度が高かったのはレート制の刷新だ。
従来の手配書と能力の危険度としての意味のレート制を整理し、非登録の能力者は従来通りの手配書として危険度を示すものであるとしつつ、登録済の能力者は一定規模の能力犯罪や災害が発生した場合、レートに応じた救援活動や抑止活動に参加する義務と、貢献に応じた謝礼が発生するなどの飴が盛り込まれたものであった。
ただ、そこでもやはり話題になるのは黄泉路のレートだ。
新たに発表されたレートにおいて、黄泉路がよほどのことがない限りは手出し無用――言い換えれば手を付けられない――災害級のExレートに指定されたことで、国は黄泉路に首輪をつけることを諦めたのだとする見方や、逆に、黄泉路が登録しないことを割り切って不法能力者ではあれど逮捕はしないという協調路線の方策であるという見方でメディアを中心に騒がれ、そうした論調をして黄泉路はある意味であらゆる立場や法から浮いた存在として民衆に認識されるようになっていた。
――とはいえ。
「く、ぁあ……眠ぃ……」
「おはよう。夜更かししすぎじゃない?」
それら世間の動向は台風の目となっている黄泉路本人にはあまり関係がない。
もうじき昼だという頃になって眠い目を擦って顔を見せた遙に対し、仕方がないなという顔で黄泉路が苦笑を以って迎える。
「だってあんなに騒ぎになってっと気になるじゃん」
「そうかなぁ」
「お前の事だぞ」
こいつマジかよ、と。昨今の激動とも言える時流から一歩引いたように安穏とした様子でゲームに興じる歩深と標を眺める黄泉路に遙が呆れるやら驚くやらといった表情を向ける。
「迎坂君ほど気にしないのも当事者としてどうかとは確かに思うけれどね。それにしても真居也君は振り回され過ぎよ」
人数分のコーヒーを運んできた彩華が窘める様に割って入れば、遙は味方がいないことにがっくりと肩を落とした。
「迎坂君はどちらかというと他に気になることがあるみたいだけれど」
遙のややオーバーに見えるリアクションを横目に見つつ、このところ黄泉路の様子を見ていた彩華はコーヒーを口に含みながら静かに息を吐く。
泰然自若に見える黄泉路だが、これは黄泉路としては珍しい。不特定多数に求められるままに動いてしまいがちな黄泉路が世評を気にしないとなると何か理由があるのだろうと読んだ彩華の問いに、黄泉路は驚きつつも、刹那との決着がついた時から頭に引っかかり続けている言葉を口に出す。
「彩華ちゃんはよく見てるなぁ。……刹那ちゃんが気になることを言ってたんだ」
黄泉路が刹那の内面を垣間見たように、刹那もまた、あの瞬間に黄泉路の内面に根差した根幹を見たのだろう。
その刹那が口にしていた言葉が戯言であるようには思えず、黄泉路は珍しく周囲よりも自身の内側へと目を向けていた。
「どうも、僕は何かを忘れてるらしい」
「何かって何だよ」
「昔の事だとは思うんだけど、僕自身、何を忘れているかもわからないからどうしようかなって」
「取っ掛かりになるものもないまま考えても仕方がないんじゃないかしら」
「そうなんだよね……。取っ掛かり……取っ掛かりか……」
コーヒーに口をつけつつ、再び思案に沈みつつあった黄泉路はふと閃いたことがあった。
「――母さん」
「あん?」
「そういえば、展示会で会った対策局の人が、妹からの伝言で母さんが僕に会いたがってたって」
「忘れているって事は昔の事、母親なら昔の出来事も覚えているかもしれないと考えると悪くないんじゃないかしら。迎坂君、ご両親と連絡は?」
既に両親が亡くなっている彩華からすれば、存命であるというだけで多少の羨ましさはある。だが、黄泉路の家庭環境がいまいちわからないこともあって探る様に問いかけた彩華に、黄泉路はゆるゆると首を横に振る。
「追い出されるように逃げてきちゃってそれからだから」
「……そう」
黄泉路の困ったような、寂しげな様子を滲ませる黄泉路の声音に彩華は言葉に相槌を返す。
「(死別した私と追い出されるほど不仲な迎坂君、どちらがマシなんでしょうね――って)……ねぇ迎坂君」
「何?」
「妹さんが言っていたのでしょう? お母さんが会いたがってるって」
「うん……そうらしいけど……」
「追い出されたという割には、会いたがる方なの?」
「……」
言われてみればその通りだった。
とはいえ、出ていくように言ったのは父であり、母が会いたがっていることは矛盾していない。
「どっちにしても動くなら慎重にしないと」
「そうね。宛てはあるの?」
「とりあえず、常群に相談してみるよ」
ひとまずの指針を立てつつ、黄泉路達はゲームで負けた標が念話で騒ぎだすまで穏やかな時間を過ごすのだった。