12-32 次世代防衛設備展示会 LastDay-8
刹那の掌中で生まれた新たな銀河が黄泉路の突き出した異なる理で作られた銀砂の槍の穂先を受け入れ、甲高い音を響かせる。
聴覚ではない、物質を超えた魂の感覚器とも呼べるモノがその音を世界が上げる悲鳴だと認識する間もなく、互いの法則の凝縮がせめぎ合い、削り合って拮抗する。
「く、ああああああああああっ!!!!」
「���A���������I�I」
ピシリ、ピシリと、黄泉路は強く握りしめた銀砂の槍の穂先にひびが入るのを実感する。
だが、負荷を感じているのは黄泉路ばかりではない。
刹那の掌中世界もまた、黄泉路の槍から漏れ出した銀砂によって光速を超えて渦を巻く銀河は膨張寸前にまで内部で拡張し、世界そのものとなった刹那をしても制御を超えつつあった。
その証拠に、刹那の掌中で真球の形で維持をしていた銀河は不自然に歪曲して今にも破裂しそうになりながらも、その実内包しているエネルギーは槍と相殺し合う様に減衰しつつあった。
――カリカリカリカリ……。
槍が削れる音は即ち、黄泉路の命が削れる音だ。
黄泉路は自らの体を銀砂へと解き、ひび割れてこぼれだした銀砂の代わりにつぎ込んで槍を維持しながら深く、先へ。宇宙の先にある刹那の本体へと向けて槍を押し込む。
「(く、身体が解れて――でも、ここで退くなんて)」
同時に刹那も自らの命を削って手の中の新世界を回し、入り込んでくる黄泉路という異物を咀嚼する様に循環する理に組み込もうと自らの成立に必要なためのリソースすら傾けて拮抗する。
「�䂪���E�ɗn����c�c�����A�ނ��Ȃ�」
光も音も掻き消され、全ての事象が遠のいて数秒にも満たない時間が引き延ばされた永遠の中、ふたりの裂帛が重なる。
「出来ない!!!」
「�o������̂��I�I�I」
ふたりの意志を受け、深く押し込まれる槍の穂先と押し返そうとする極小銀河が溶け合いながらより激しくぶつかり合い――
「(刹那ちゃんがひとりで世界だというのなら……)」
体が解れ、槍と腕が半ば同化した黄泉路が発する蒼の輝きがより強く激しく。
「僕の世界は、独りじゃない!!」
黄泉路の体が同化した槍の石突が燃え盛る様に銀の放射を放つ。
「!?」
刹那が驚愕したようにも感じたその瞬間、一瞬の均衡を破って針の如く削られた槍の穂先が刹那の銀河を貫き――
「(これで!!)」
「――――!!」
トン。と。
あまりにも呆気なく、軽い感触と共に刹那の胸へと突き立った。
その瞬間、黄泉路はまるで世界に溶ける様な錯覚と、初めて自身が幽世へと落ちて行った時の様な沈むような感覚に意識が滲む。
――朧気な意識が明瞭になるまでにどの程度かかっただろう。
気づけば黄泉路は白で塗りつぶしたような、影すらない空間にいつもの学生服姿で立っていた。
あれほどの激戦の中で傷つき、修復も儘ならず最後には文字通り身を削っていた身体は五体満足、傷ひとつ残っておらず、今までの戦いが嘘だったのかとも思えてしまう。
「――」
言葉もなく立ち尽くす黄泉路の前で、白が滲む様に景色が遷ろう。
初めは足元一面に広がる星空だった。
小さく瞬く紅の粒。大きく煌めく白の粒。時折陰っては瞬きを繰り返す黄の粒。
大小無数の星明りが暗色に散りばめられた世界に黄泉路は立っていた。
「ここ、は……」
ぽつりとつぶやいた黄泉路は自身の内面に広がる世界とのつながりが感じられない事に一瞬焦るも、すぐに、この場所が幽世とも現世とも違う世界であると直感すると、足元に広がる星々の世界が再び滲んで、今度は彼方まで続く白までもが色相を変えて行く。
星空と白の世界が水に溶ける様に揺らぎ、次第に変わった後に確固とした形を取った時には、黄泉路はコンクリートで舗装された住宅街の道路に立っていた。
幻想的な光景から一転して地味な景色に塗り替わったことに内心で驚くも、すぐに魂の知覚によってこの世界に命が存在していない事を理解する。
住宅街も、よくよく見れば黄泉路の立つ一角以外は遠景を絵で壁に描きだしたように閉塞しており、黄泉路は必然、正面に存在するマンションへと目を向ける。
一見何でもないようなコンクリート造りの灰色の塔は黙したまま。
「(どういうことかは知らないけど、調べてみない事には何も始まらない、か)」
これ以上景色が変わる様子もない事から、黄泉路はゆっくりと目の前のマンションへと歩き出す。
駐車場にはいくつかの車が止まっている物の、それらは全てハリボテのように動く様子がなく、マンションへと近づくと、やはり本物のマンションとは一目で違った構造をしていることが見て取れた。
本来マンションは各階層へと繋がる階段ないしエレベーターがあり、そこから各住宅へと繋ぐ、扉が並んだ通路が広がっている物だ。
だが、黄泉路の目の前にあるマンションには本来あるはずの1階の住宅の扉もなければ階段もなく、エレベーターを呼び出して乗ってみれば、階層のボタンはひとつしか存在していなかった。
外観から見た高さであれば少なくとも5階はあろうかという階層は、ボタンの示す限りでは4階の物しかない。
黄泉路が乗り込むと、エレベーターの扉は勝手に閉まり、押した覚えもないのに4階のボタンが点灯してエレベーターが動き出す小さな振動が足元を伝う。
「(まるで僕に来て欲しいみたいな……)」
誰かが呼んでいる。そう思わざるを得ない一本道の誘導に従い、黄泉路がエレベーターを降りる。
通路から外を見れば、階層はボタンの示していた通りであるらしい。
左右を見渡し、さてどちらに向かおうかと考えていた黄泉路の鼻がふと、ここに来て初めての匂いを感じ取る。
「……」
菓子の焼ける様な甘い匂いに其方を向けば、全て閉じた小窓と扉の中、ひとつだけ小窓が空いた家があることに気づき、黄泉路はそちらへと足を向けた。
開いているとはいっても小窓そのものの大きさは大したものではない。加えて覗き込んでもただただ暗いとしか見えないそこから中を窺うことは出来ず、黄泉路はその部屋の前に立ち扉に手を掛ける。
何の飾りもない扉には表札はなく、すんなりと開いた扉を前に、黄泉路はその奥に広がる光景に踏み込みかけていた足を止める。
そこにあったのは一般的なマンションの一室――ではない。
先ほどの景色が滲む前の白に似た空間と、少女趣味な掛け布団で彩られた小さなベッドと、枕元に立てかける様にして置かれた一冊の本。
たったそれだけが存在する狭い空間を前に、黄泉路は小さく息を呑んだ。
「ここ、は」
扉を開け、中の空間を目にした瞬間に黄泉路は直感した。
「もしかして、刹那ちゃんの……」
この部屋は刹那の原風景だ。
黒帝院刹那を名乗る少女の、田中寄子として生を受けたひとりの少女の根源の光景。
他人の内面に深く踏み込む覚悟を決めるべく足を止めていた黄泉路は、静かに息を吐き、意を決して足を踏み入れる。
決して広くない空間の中、黄泉路はたどり着いた空のベッドに置かれた本へと手を伸ばす。
絵本のようにも見えるそれに表紙はなく、ベッドもただこの場に在るだけという印象が強かったこともあって、黄泉路は本の表紙を捲った。
「ッ」
瞬間、本から飛び出した色が黄泉路の五感を超え、記憶という形で世界がなだれ込む。
少女は普通だった。
星が好きで、海が好きで、草花が好きだった。
「おほしさまにおねがいをするとね、いいこにしているとおねがいごとがかなうのよ」
頭を撫でられ、そう教えられたことがとても素敵なことに思え、少女は夜になれば星空に願いを託すようになった。
少女は純真だった。
季節の移り変わりが好きだった。春の香りが、夏の日差しが、秋の色彩が、冬の静けさが好きだった。
「せかいがおまえをあいしているんだよ」
抱えられ、そう囁かれたことがとても素晴らしいことに思え、少女は周りのものすべてを愛おしく思う様になった。
景色が変わる。色彩が変わる。
朧気で暖かな印象の世界が、明瞭に冷える様に固まってゆく。
少女は現実を知らなかった。
物語が好きだった。空を飛んで、夢を渡って、命を懸けて世界を守る。魔法の様な物語のようになりたかった。
「――」
けれど世界はそうじゃなかった。両親も友達も、誰も彼もが少女の世界を壊そうとした。
「人は生身じゃ空を飛べないのよ」
「夢みたいな話だね」
「この平和な社会で命を懸ける必要なんてない」
少女が育ち、同年代の子供たちが夢から醒める中、少女だけは穢れなき世界を見続けた。
魔法ならば出来た。
夢なんかじゃない。
よくないモノはなくなってなんかいない。
だが、少女の主張は周りには届かなかった。
「魔法なんて――存在しない」
少女は彼らを嘘つきだと思った。
だって彼女は魔法が使えたから。
手の中で星がくるりと回り、少女の体はこんなにも軽やかに空を舞う。
けれど少女は魔法を人には見せなかった。だってみんな嘘だというから。
嘘だと信じたいのならそうしておけばいい。自分は自分のしたいままに、世界を統べる魔法使いになろう。
小さな少女はそう決意して、そのように成った。
再び景色がぐるりと変わる。
最初に黄泉路が白の空間で見た、星を敷き詰めた地平に色とりどりの世界が鮮やかに映る世界に少女はいた。
持前の黒の髪を銀に染め、常人ならざる色相にそまった瞳で世界をそうあるべしと見据え、少女は生まれ持った異能で現実を書き換えた。
「……刹那、ちゃん」
なおも流れ続ける記憶の景色に翻弄され、思いが、自身が立っていた場所がいつの間にか記憶の情景そのものへと変じていたことにすら気づかなかった黄泉路は刹那のありふれた、しかし夢を夢のままに成せる力故に魔女になってしまった経緯に思わず声が漏れる。
黄泉路とは真逆、自分の中だけで世界が完結してしまうことを良しとして、否定する他者を切り捨てて自身の見ている世界に在ろうとする、孤独な覚悟を、黄泉路は自身が体験したと思えるほど鮮烈で真に迫った記憶の濁流から感じ取っていた。
記憶はさらに進んでゆく。幼年期を超え、少女として心身が育つ中、魔女と呼ばれた少女の中に燻ってゆく思いが黄泉路の胸に焼き付いてゆく。
魔女は不満だった。
どうして他の人は自分の様に振舞えないのか。どうして世界を守る正義の魔法使いと、対等に戦う敵がいないのか。
いいや、いるはずだ。それは彼女にとって当然の感想で、魔法を扱っている間も心の奥底に刻み込まれていた直感だった。
「我が好敵手に相応しき者――」
だから魔女は探した。
探して、探して、探して。
夜を押し固めたような深黒の少年と出会い……
『――勝利宣言には、少しばかり早いんじゃないかな』
幽世の王を、見つけた。
魂をも封じ込める灰色の檻を食いちぎり、自然の摂理をないが如く生と死を行き来する――自分と同じ埒外者。
その瞬間、魔女は――刹那は。
確信にも似た落雷が如き衝撃を魂そのもので感じていた。
『我が好敵手』
生と死の境界を敷く者。死を統べて我が物とする絶対なる王。
どこか懐かしい、自身に欠けていたパーツとも思える少年との戦いは楽しかった。
ずっと求めていたものが埋まってゆく充足感。すべてが全て、思うがまま。
やはり世界は我の思った通りだった。
「次は勝つ、我こそが常世の護り手なのだから」
ただひとつ不満があるとするならば、魔女は少年に勝てなかった。
魔女にとって世界は正しく運行されるもの。その中で唯一、少年だけが魔女の手をするりと抜けて対面へと立っていた。
景色が変わる。
それは黄泉路も良く知ったもの。
砂塵渦巻く東都の廃墟。蒼く澄み渡った空が常夜に置き換わる演習場。
そして最後に、夜空の地平は銀の砂塵に煙り、鮮やかだった世界は沈むように暗くなる。
そこは黄泉路の持つ幽世だった。
黄泉路がそう認識した瞬間。立ち込めた銀砂の塵が蒼く、深く輝き――
「――か、は……」
知らぬ間に、抱き留める形になっていた少女の口から赤い筋がこぼれるのを、黄泉路は自然の事のように見ていた。
宇宙を人型にかき集めたような色相の四肢はだらんと垂れ下がり、溢れんばかりの輝きを発していた身体は陰る様にその輝きを減じていた。
なにより、その胸に深々と突き刺さった針が如き槍が胸から背へと貫通して縫い留める様にして少女を宙に浮かせていた。
「き、さま。我を見たな……」
「刹那ちゃん……」
気づけば音が戻り、2月の冷たい風が境界を越えて常世に溢れた銀砂をまくり上げて頬を叩く感触に、黄泉路は現実に戻ってきたことを自覚し、抱えた命がもう長くないことを、同時に悟った。
「ふ、はは……我も貴様を、見た、ぞ」
「なら、お相子かな……?」
にぃっと、人の形をしただけの宇宙にも見える刹那の口元が歪んで弧を描き、赤い軌跡が数を増す。
黄泉路はこんな状態でも勝ち誇る様な刹那に呆れる様な、それでも、先ほどまでの記憶を直に触れた黄泉路は困ったような苦笑を浮かべて応える。
「――我では勝てぬ理由もな」
付け足された皮肉気な言葉は自嘲というよりは納得に近く、自己を卑下しない刹那らしからぬ言葉も自然としっくりくるものに聞こえた。
ただ、刹那がそう口にするだけの理由に黄泉路は心当たりがなかった。
刹那は強い。ただひとりで世界を完結させる決意を持った――終には世界そのものとなった少女がそう口にするだけの理由を、黄泉路は持ち合わせていなかった。
「それってどういう意味?」
「何だ。貴様、忘れておるのだな――いや、忘れさせられた、か」
「!?」
黄泉路の問いに、刹那は一瞬だけ呆けたような雰囲気を滲ませた後、納得したように小さく、淡く笑う。
その態度が、黄泉路自身も知らない黄泉路の核心を得ているようにも思え、黄泉路は思わず意図を問うべく口を開きかけ、
「どうやら、ここまでのようだな」
「ッ、……そう、だね」
刹那の体がピシリ、ピシリと、銀砂の槍が突き立った胸からひび割れて行くのを見て、黄泉路は刹那がもうじき終わるのだと理解してしまう。
「ふ、ははは……とはいえ、此度は負けはしたが、貴様の思うままには行かぬ」
「何を」
「我は朽ちるのではない。世界に還る。貴様の下へは行かぬ」
「なっ!?」
ひびから漏れ出した星明りにも似た粒子が宙に溶け、刹那の身体そのものが淡く、薄くなってゆく中、悪戯に成功したような態度で笑う刹那に黄泉路は思わず絶句する。
「はははっ! 漸く、貴様からひとつ、勝ちを――得たぞ」
そんな黄泉路の顔を心底楽しそうに見つめ、刹那は抱きかかえた黄泉路の腕をするりと抜けて。
世界に溶ける様に消えてしまった。
「……」
黒帝院刹那――田中寄子という少女など、はじめからそこに居なかったかのような潔さ。
黄泉路は地面に突き立ったままの針の如き細さになった銀の槍が、少女の墓標の様に立つ光景を、黄泉路はしばしの間祈る様に眺めていた。
それが、魔女と呼ばれた少女と、幽世の王と呼ばれた少年のあまりにも静かな決着であった。