3-14 夜鷹支部6
先ほど薬研に身体測定を行われた部屋を出る際にカガリが言っていた試験という単語の意味を確かめるべく、黄泉路は見失わぬように前を歩くカガリの後ろを付いて回りながら声をかける。
「あの、それで、試験って具体的には何をするんですか?」
「ん? あー……そうだなぁ。俺の時は能力が【エレメント・ファイア】だったのもずいぶん知られてたし、後は適当にどれくらいの事ができるのかって事をやらされたくらいだぜ」
「……僕、何をすれば良いんでしょう?」
「俺は、っつーか、俺達は黄泉路の能力知らねぇから何とも言えねぇな。能力の系統について説明受けたんなら、なんとなく自分がどの系統なのかわかってるだろ?」
「えっと……たぶん」
「なら、それでできる事をすりゃぁ良いさ」
首だけを黄泉路のほうへと向けて快活に笑うカガリに、黄泉路は曖昧に微笑んで応える。
再び無言となり、黙々と歩く間。黄泉路は自身の能力についての考察と、自身に何ができるのか。今までがどうであったのかを思い返していた。
黄泉路の能力【黄泉渡】は、おそらくは【再生強化】の能力のはずである。
では、何を引き金にその能力が発揮されていただろうか。
思い出す事を苦痛であるはずの4年間の記憶も、現在は自身が“迎坂黄泉路”という存在であり、過去の“道敷出雲”とは別の存在なのだ、そう区別する事で冷静に思い返す。
それが無自覚な防衛本能によるものなのか、割り切る事ができたからなのか。
また別の要因によるものなのかもわからないまま、“黄泉路”は思考をめぐらせて行く。
「(僕が、“道敷出雲”が初めて能力を発動させたのは、あの時。襲われて、死んだと、思って……)」
脳裏に蘇るのは薄暗い路地。
獣の様な猛る熱が交じり合った吐息と、鉄錆びた血の匂い。
急激に失われてゆく熱と遠ざかる光、暗く重い水中に沈んで行く様な感覚。
それから、再び浮上してくるような浮遊感と、照り付ける眩い光。
「(その次は――)」
密室に閉じ込められて毒を投与された記憶。
鈍器によって骨を、肉を、その細胞の一片まで意識を保ったままに磨り潰された記憶。
鋭利な刃物によって全身を切り刻まれ、解体された記憶。
銃器から吐き出される弾丸と衝撃波で床の染みと化すほどに攪拌された記憶。
生きたまま解剖され、意識を保ったまま主要臓器を摘出されてホルマリン漬けにされた記憶。
溶鉱炉めいた業火の中に突き落とされて自身が焼け溶けて行く記憶。
巨大な水槽に閉じ込められ、酸素を求めてもがき苦しんだ末に水圧によって圧壊させられた記憶。
高圧の電流に直接晒されて全身の細胞が焼け焦げて目の前が激しい光によって崩れてゆく記憶。
実験によって、およそ人類が体験する死因の大半を網羅したのではないかという自身の経歴を検分してゆくにつれて、身体から心が離れてゆくような感覚が沈殿していた水底の泥を掬い上げる様に浮上してくる。
「(……ああ、これだ。この、感じ)」
痛みや熱と言った“自身の身体”が“生きている”感覚が薄らいで、それと同時に、自分が自分でないような、生きているという実感が薄くなる。
すべての苦しさから解放されて、一歩引いた場所から自身の亡骸という傀儡を操っているような錯覚。
その感覚が強くなるに連れて黄泉路はふと何かが引っかかるような気がし、その引っ掛かりを解消するべく思考を巡らせようとした所でいつの間にか前で立ち止まっていたカガリの背に顔をぶつけてしまう。
「――う、わ」
「っと。何だ、どうした? 大丈夫か?」
「あの、いえ、考え事をしてて……すみません」
「いや、別にいいけどよ。あんま緊張するなよ」
「……はい」
わしゃわしゃ、と。もはや慣れた仕草で頭を撫でるカガリに、黄泉路は申し訳なさと手から伝わる温かさに思わず頬を緩める。
頭から手を離したカガリが目で示した先にはやはり無骨な扉があり、どうやら到着したらしい事を悟れば黄泉路は無言でうなずいて扉を開ける。
廊下よりも数段明るい扉の向こうから照りつける照明の眩さに幾度か瞬く黄泉路の目が慣れてくれば、そこはどこか懐かしさすら覚える内装の室内であった。
鉄筋コンクリートが表面に露出し、飾り気のない鈍色の壁面と、頭上から照らす白色の照明。
それは、施設で出雲が幾度となく死を経験した、おぞましき実験場と酷似していた。
思わず喉を鳴らす黄泉路の後ろからポンと肩をたたかれ、びくりと身体が跳ねて振り返る。
「――ぁ」
「大丈夫だ。俺達はお前に無理強いとかはしねぇからさ」
怯えた様な様子の黄泉路に、カガリは静かに、しかし力強さを滲ませる様な、聴くものを安心させるような声音で端的に告げて笑みを浮かべる。
心からその言葉を発しているのだとわかるその笑みに、黄泉路は肩の力が抜けるのを感じた。
「……はい」
「なんなら俺もこっちに付いていてやるよ」
ニヤリと、まるで夜中トイレへといけない子供をあやすような調子で悪戯っぽく笑うカガリに、黄泉路は苦笑を浮かべつつも、その提案をありがたく受け取る事にして頷いた。
『話はまとまったようだな』
「リーダー?」
『こっちだ』
コンコン、と。室内に響いた音源をたどり首をめぐらせた黄泉路の視界の先には、ガラス越しに立つリーダーとオペレーター、美花の姿があった。
「あれ、これ声聞こえてるんですか?」
『あー、私の能力【拡散受信塔】は、【精神感応】の能力でしてぇー。自分と他人の思考を接続したり、私を中継して他人と他人の思考を接続する事ができるんですよぉー』
「じゃあ、これ藤代さん……オペレーターさんの能力なんですね」
『そーですそーですーだいせーかーい! っていうかよみちん硬ーい。私の事はオペ子ちゃんって呼んでって言ったじゃないですかぁー。ってか、せっかく名前教えたんだから名前で呼んでほしいなぁーとかー』
「えっと……標ちゃんで良いの?」
『おっけーおっけー! じゃあじゃあよみちん、そろそろリーダーに代わるねぇー』
『……では、能力測定についてだ』
キンキンと響くようなオペレーターの声が遠のき、リーダーの渋い声が頭に響く新鮮な感覚にむずむずとした物を感じながらも、黄泉路は表情を引き締めてリーダーの説明を待つ。
『早い話が、我々に対してどのような能力を持っているのかの自己申告と、どういった効果が現れるのかの実践を行うと言うものだ』
「えっと、僕の能力の名前とかは知ってるのに、詳細は知らないんですか?」
自身で【黄泉渡】という能力名を名乗った覚えどころか、そもそも能力の系統すらつい先ほど教わったばかりである。
その黄泉路よりは黄泉路の能力の事を知っているはずのリーダーの言葉に思わず疑問をさしはさめば、リーダーはさして気にした様子もなく淡々と答える。
『我々が知っていたのは、東都能力解剖研究所に収容されている不死身のSレート能力者、識別名:【黄泉渡】を利用する事で研究所が数十年先取りした成果を挙げているという事実のみだ』
現状の政府や社会が、これ以上対能力者に対するアドバンテージを得る事は能力者への迫害や弾圧を強めるだけになると判断し、その要である【黄泉渡】の強奪を目的とした襲撃が先の“道敷出雲救出作戦”の概要だったのだと説明されれば、黄泉路は自覚がないながらも壮大な計画の主要なコマにされていたのだなと他人事のように感心してしまった。
『つまり、【黄泉渡】がどの様な系統の能力であるか、また、どういった理由で不死身と呼ばれていたのかなどについては全くといっていいほど情報がないというわけだ』
『よみちんの事になると途端に情報のセキュリティレベルが跳ね上がるんですよぉ。全く、よみちんの存在にたどり着くまでに丸2年くらいかかったんですよー?』
『と言う訳だ、理解はできたか?』
「……はい。それで、能力の実践は、どうすればいいんでしょう?」
問いかけながら、黄泉路はぐるりと室内を見回す。
広々とした空間の隅のほうには鈍器として扱うことも可能なのではと思える刃を潰した剣の形をした金属塊や、既に見慣れてしまったことに違和感を覚えない事に疑問すら浮かばなくなって久しい黒々とした銃器がケースに収められていた。
訓練場、そう呼ぶにふさわしい室内に目を向けていれば、オペレーターに経由されたリーダーの声が助け舟を出すように響く。
『何、どういった能力なのかを見せてもらえるだけで構わない。そこにあるものは何を使っても良い』
何を使っても良い、というリーダーの言葉に、黄泉路は手っ取り早く自身の能力を説明する方法に思い至るものの、それを実行する為の覚悟を持つ為にじっと眼を閉じる。
再び死に近づく感覚を呼び覚ますと共に、現実感が、熱が、感覚が遠のいていくのを自覚し、すっと目を開く。
「……わかりました」
静かに答えた黄泉路は、まるで操り糸で動かすようなぎこちない仕草で部屋の隅、武器が置かれた一角へと歩み寄り、手ごろな自動拳銃を手に取る。
「おい、黄泉路――」
その尋常ならざるようすに思わずと言った具合でカガリが制止の言葉をかけるよりも早く。
黄泉路は自身の側頭部に銃口を突きつけて引き金を引いた。