3-13 夜鷹支部5
リーダーの背を追って歩き、いくつかの曲がり角を越えてエレベーターを降りた先。
黄泉路は学校の保健室を思わせるような清潔感のある一室に通されていた。
「やぁやぁ、キミがSレートの新人君だね?」
「あ、えっと……」
「いやいや、皆まで言わなくても構わないよ。俺はこう見えて察しが良い。キミはリーダーに連れられて検診を受けに来た、そうだろう?」
「や、えっと……あの……」
壁際に配置された簡素な机の上に散乱した紙を一枚拾い上げ、ふむふむと唸りながら黄泉路へと目を向ける男性に、黄泉路は困ったように頬を掻いた。
「あの……この人は?」
救いを求めるように部屋の入り口、黄泉路の後方で壁に寄りかかっているカガリへと視線を向ければ、カガリは苦笑とも疲れともつかない表情を浮かべてそれに応える。
「なぁやっさん、そろそろ自己紹介してやってくれねぇか? 急ぐわけじゃねぇがこの後も予定があるんだからよ」
やっさん、そう呼ばれた年の頃は50代に入ろうという程の壮年の男性はぽりぽりと頭を掻きながら首をかしげる。
「いやいや、そうは言ってもカガリ君。急いては事を仕損じるという諺にもあるとおり――」
「自己紹介すんのにどう仕損じるんだっつうんだ。さっさとしてくれや」
「いやはや、近頃の若者は短気でいけないね。そう思うだろう? Sレート、【黄泉渡】の迎坂黄泉路君」
「え、っと。僕も一応その若者の一人なんですが……」
「おやおや、そういえばそうだったね。外見年齢と内年齢が違う能力者というのは珍しいがいないことはない物だから、てっきりそれらと同じくショタジジイなのかと思っていたよ」
「しょ、ショタジジイって……」
ショタという年でもなかろうと言う突込みを飲み込んで黄泉路はさすがに引きつった笑みを隠しもせずに困ったように眉を寄せる。
黄泉路は常群という、これによく似たノリの人物を良く知っているが故に、突っ込みを入れればその分話が明後日の方向にそれていくことを半ば確信していた。
しかし運が悪いと言うべきか、この場合は地獄耳であったと言うべきか、あきれ半分に呟いてしまった黄泉路の言葉をしっかりと聞いていたやっさんが瓶底のような古めかしい眼鏡を光らせて反応する。
「おやおや? ショタジジイ、ご存じない? 最近若い子の間で流行しているそうだけど、なんでも外見年齢が幼いにも拘らず実年齢が老齢であったり、または年老いた言葉遣いを使う少年だそうなのだけど」
「いえ、あの……」
「あー、もう、いいからさっさと身体検査はじめてくれ」
「いやはや、仕方ないですね」
カガリの二度に渡る注意によって、漸くその気になったらしいやっさんはよく言えば恰幅の良い、悪く言うならば不摂生の塊のような丸い身体を揺らして立ち上がり、学校の身体検査のような身長計の傍で黄泉路を手招く。
その様子に内心でほっと息をついた黄泉路は指示に従って計器の上に乗る。
「ではでは、まずは身長から測りましょうか。 ……ふむふむ168cmっと。続いてこっちで体重を測りますよー」
その体躯からは想像もつかないほどてきぱきとした所作で計測を終え、体重計の前まで移動して再び手招きをするやっさんに、黄泉路は戸惑いつつも促されるままに計測を受けてゆく。
身長、体重をはじめとした学校などでも行われている一般的な検査はもちろんのこと、血液検査などといった本来ならば病院で行うべき検査までをも手際よく済ませててしまうやっさんの手腕に黄泉路は目の前の中年男性を見直しながら、採血を終えた腕とやっさんを交互に見る。
「おやおや、意外そうな顔をしているね?」
「あの、いえ……すみません」
「いやいや、良いんだよ、俺が医者らしい事をしていると初対面の人間は皆意外そうな顔をするからね」
「……すみません」
「さてさて、採血後は――っと、なるほど、これは俺じゃなくても良かったんじゃないかい?」
注射を抜いた途端に血液が腕から溢れて小さな珠を作り、ガーゼを当てていたやっさんは面白いものを見るように目を細める。
言われて黄泉路も傷口へと目を向けるも、すでにそこはガーゼによって血液がふき取られてしまえば何事もなかったかのようにまっさらな肌が存在するのみであった。
「あ、はは。でも、やっさん、さん? じゃなくても良いってどういうことでしょう?」
「おやおや、そういえばしっかり名乗ってはいなかったね。俺は三肢鴉では薬研という名で呼ばれている。薬研のおっさんだからやっさん、さ」
「……ああ、なるほど、薬研さんっていうんですね」
漸く自己紹介らしい自己紹介をするやっさんこと薬研に、黄泉路は思わず苦笑めいた表情を浮かべる。
念のためと消毒液を吹きかけて新しいガーゼでふき取りながら、黄泉路の表情などまるで頓着せずに薬研はぺらぺらと喋り出す。
「そうそう。これでもいっぱしの開業医でね。三肢鴉ではこうして色んな支部を飛び回って患者の相手や検診を請け負っているんだよ……っと、これでよし。大丈夫かい?」
「へぇ、そうだったんですか……」
痕ひとつない腕へと目を落とし、異常がないことを確かめる黄泉路の横で、薬研は計測の終えたデータを纏めた書類をとんとんと机の上で整えて立ち上がる。
「さてさて、この分ならこの後の能力検査も問題なさそうだね。俺はそろそろ次の支部に行くとするよ」
「おう、お疲れ様」
「あ、ありがとうございました」
「いやいや、それではね」
書類を鞄へと仕舞い部屋を出て行く薬研を黄泉路とカガリが見送る。
その丸い身体がぷよんぷよんと擬音を鳴らすような歩き方で廊下を曲がって消えた後、カガリはがしがしと頭をかいて黄泉路の方へと歩み寄った。
「……腕は確かだし人は悪くねぇんだけど、あの喋り癖だけはどうもなぁ」
「あはは……」
「ともあれ、後はお前の能力について調べるだけだ。まぁ、簡単な試験みたいなもんだと思って気軽に受けてくれ」
「試験、ですか」
「じゃ、案内すっからついて来いよ」
試験と言う言葉に黄泉路は思わず尻込みしそうになるものの、既に部屋の外へと歩き出してしまったカガリの背中が離れる事に慌てて恐怖や戸惑いを飲み込んで後を追うのだった。