12-15 次世代防衛設備展示会 PreviousDay-2
中央に聳える黒い巨塔――実態はイベントの為だけに設営された展望施設付きの一大宿泊施設でしかないのだが――を挟むように東西に展開した巨大なドーム状の建造物は、翌日に控えたイベントへと向けた最終調整で慌ただしく人が行き交っていた。
とはいえ、真に関係者――それも、持ち込んだ展示物の設営や調整、整備をする現場の人間と、当日の人や物の動きに目を配るマネージメントを担当する人間など――の極々限られた人々が、それぞれのブースに固まって小声で相談をする程度の声量しか発されない空間は規模に対してあまりにも静かで、傍らに展示された各社の護身用アイテムや悪環境を想定して機能美を突き詰めたような無機質なデザインの兵装などが作り出す威圧感と合わせて、前日であるにもかかわらず張り詰めるような空気感を醸し出していた。
東館に相当するドームの入口が俄かに騒がしくなる。
初めに気づいたのは入口に最も近い場所に展示スペースを獲得できた運の良い企業のスタッフだった。
「――おい、なぁ」
近くで展示品の角度に余念がないか、光の当たり具合に至るまで確認していた男は、肩を叩いて呼びかけてきた同僚の声に顔を上げる。
例年をはるかに上回る規模で開催され、世界中の注目を浴びるとすら言われている今展示会。その会場の片割れの最前線を受け持つ栄誉を与えられた企業はその社運を賭けるに値する精鋭を送り込んでいた。
それ故に、最終調整にと足を運んでいた作業員は入口から連れ立って入ってくる若者たちを一目見て、その存在が如何なる者であるかを即座に認識した。
「もしかして……」
「嘘だろ!?」
決して大声ではない。だが、動揺した作業員たちの声が騒がしい静寂ともいえる会場の入り口に波を打ったように広がり、それに気づいた人々もまた、彼らの視線をたどる様に入口へと目を向ける。
そこに居たのは護衛と思しき若者を引き連れた男女。
片方は癖のある豊かな黒髪を靡かせ、日本人ではない血筋を思わせる圧の強い碧眼で会場を一瞥しながら隣へと声をかける少女。
この展示会での業務に従事するのであれば誰しもが教養としてその名と共に頭に叩き込まれる終夜財閥の姫君。
誇張抜きでこの場にいる誰よりも尊い存在の突然の来訪に固まった人々、だが、すぐに自分たちとは文字通り住む世界が違うが故に接点もないだろうと、翌日に不備があれば自身の進退にも関わることを思い出して職責と向き合う現実へと向き直ってゆく中、
「こんにちは」
「へぁ!?」
不意に、大人しかいないこの場に相応しからぬ少女然とした若い女性の声が背後からかかり、ブースマネージャーだった男はびくりと肩を跳ねさせて頓狂な声を挙げながら振り返る。
「へ、あ、は――よ、終夜の」
「はい。終夜唯陽と申しますわ。此方はヨシズミ工業さんのブースでよろしいかしら」
「は、はい!!」
そこに立っていたのは、さきほど入口で衆目を集めたばかりの麗しの令嬢。
男からすれば娘とそう変わらないだろう年齢の少女だが、目の前の少女の不興を買えば自分どころか会社すらも危ういという特大の地雷に、男は冬だというのに冷や汗が吹き出して止まらないのを自覚しつつも細心の注意を払って応対する。
「私はまだ経営に携わっておりませんので、皆様からすればただの小娘に過ぎません。そう畏まらないで、気を楽にしてください」
「す、すみません……」
出来るわけがないだろう、そう心の中で絶叫しながらも、生贄とばかりに君子危うきに近寄らずの精神で見て見ぬふりする同僚に理不尽な怒りを抱きつつも、男は努めて笑みを浮かべた。
「まさか終夜のご令嬢が弊社をご存じとは思ってもみませんでした」
「はい、うちのグループ系列でもヨシズミ工業さんの製品にお世話になっている工場も多いと聞いていますので」
「左様でしたか。して、本日はどのような……?」
お世辞だろうとも、そうした話を終夜の姫君からされたという事実はことのほか重く、主な製品名などを調べればそこから終夜に対しても評価が高いというネームバリューで商機が広がる可能性すらある。それほどまでに影響力の強い終夜、その姫君である唯陽が、何故このような場にやってきたのだろうという当然の疑問に、当の唯陽はちらりと会場を見渡す様に視線を巡らせて柔らかな笑みを浮かべる。
「この展示会は終夜にとっても大きな意味を持つ催しですから、多忙な父に代わって私が事前に視察することになりましたの。別に、細かな不備を姑のように指摘して回るつもりはございませんわ。むしろ、現時点でどのような懸念点があるのかなど、当日に向けての要望があればこちらで対応したく思っております。よろしければ少しお話を聞かせて頂けませんか?」
その口から出てきた言葉に、ブース担当の男は思わず目を瞠る。
父の名代――それはつまり、目の前にいる少女は今この場において、終夜という大財閥のトップと同等の権力を持つということ。そのような存在に忌憚ない意見を求められているという事実に胃が痛む思いだが、男は頭を働かせて受け答えをしてゆく。
「――なるほど。入口に近いブースですとそのような狙いが」
「はい。我が社の製品はどちらかというと一般向け、災害時への備えなどに広くシェアを持てると自負しておりますので……」
極度の緊張の中始まった会話も、自身の分野の話題を中心として特に不都合の無い話題ばかりが続くこともあり、次第に余裕を取り戻した男は数分の会話の間にも自然と周囲に目を向けることが出来る程度には復調し、ようやっと唯陽の隣で時折頷きながら話に耳を傾けている少年の姿が目に留まる。
隣に立つ唯陽と並んでも遜色のない身なりの良い黒髪の少年、その顔にどこか見覚えの様なものを感じつつも、決定的にどこでという結論を見いだせずにいた男は、不意に会話が途切れて居たことに気づいてハッとなった。
「どうかいたしまして?」
「あ、いえ。申し訳ございません。先ほどから気になっていたのですが、そちらの方は? 護衛の様には見えませんでしたので」
咄嗟に応えた男であったが、もし仮に少年が唯陽と同等とまでは行かなくとも、業界の中でも名の知れた会社のご令息であったならば大変失礼な話をしてしまったと僅かに顔を顰める。
だが、言葉を受けた唯陽はパッと笑みを浮かべ、
「ええ。彼は大切なゲストなんですのよ。今回の展示会に際して、私達の理念に興味を示してくださいまして、特別に顔を出してくれる事になったので、折角ですからと今日は私の視察に同行してくださってるんです」
「なるほど。退屈な話ばかり聞かせてしまって申し訳ありません。お楽しみ頂けていれば良いのですが」
嬉しそうに語る唯陽の立ち振る舞いに、男は娘が好きなアイドルについて語っている時の様だと失礼な感想を抱いてしまう。
終夜の姫君と言えどひとの子なのだなと、男は確かにこの顔の良さならば年頃の少女が熱を上げるのも納得だと少年の顔をもう一度見る。
「はい。わかりやすく有意義な説明でしたし、こうした能力の活用分野もあるのだなと感心していました」
黒髪に黒目、どちらも冬の夜空の様な、濃く深い色合いのそれは白い肌と合わさって際立ち、上質な服と合わせて一度見れば中々に忘れがたい印象を受ける。
そして男は、その少年を一度はどこかで見かけていたという既視感に内心首を傾げていると、少年らしい声変わりをしたかどうかという柔らかな声音が唯陽へと向けられる。
「唯陽さん。そろそろ他のブースも見に行きませんか? あまり一か所に居続けるのも迷惑でしょうし」
「ええ。そうですわね。長々とお付き合いいただいて申し訳ありません」
「いえいえ! こちらこそ長く引き留めてしまいまして……」
「それでは、行きましょう黄泉路さん」
唯陽の声掛けに応じ、担当の男に小さく会釈をした黄泉路と呼ばれた少年がエスコートする様に唯陽へと手を差し伸べ、唯陽も当然のように手を受けて歩き去ってゆく。
そこだけが社交界のパーティ会場であるかのような錯覚を抱く男が、連れ立って離れてゆく護衛ふたりの背を見送って嵐が去ったことに安堵の息を漏らしていると、背後から足音を忍ばせる様にしつつ小走りで駆け寄ってきた同僚が男の肩を後ろから掴んだ。
「ッ、なんだどうした!?」
「お前、あれ、もしかして――」
「なんなんだいったい」
突然掴まれたことにびっくりした男が慌てて振り返れば、その男の慌てようよりも一段と慌てた様子で肩を揺らす同僚の様子に男は怪訝な顔を向ける。
こちらは終夜唯陽という特大の爆弾を穏当に受けきった後だというのに、助け船ひとつ出さず知らんぷりを決めた裏切り者め、その様な八つ当たりめいた非難を込めた視線を受けているということにも気づかない様子の同僚はしきりに唯陽たちが歩いて行った方へと視線と仕草を向けていて。
「あのお嬢様の隣に居たの、もしかして東都の英雄じゃないか!?」
「あっ!」
同僚の興奮気味な言葉に、男は雷に打たれたような衝撃を受けて反射的に振り返る。
そこには、同じく入口を任された、大きく開かれた通路の対面にブースを構えた他企業の担当――先ほどの自分同様に突然の終夜唯陽の襲来に恐縮しきっている姿が重なって同情してしまう――の話に小さく頷きつつ、時折質問を交える少年の後ろ姿があった。
確かに、その姿は見たことがある。
それはあの日以降メディアがしきりに、あの日撮影できた数少ない映像を使いまわし拡大し検証したと銘打って朝昼晩と飽きずに報じ続けてきた少年の顔。
「――どうして、東都の英雄が終夜のお姫様と」
「もしかしてもしかするかもしれないぞあの雰囲気は」
「おいおい大ごとじゃないか」
終夜唯陽という大物の動向に目を光らせ、その動きから次は自分のブースに来るかもしれないと身構えていた人々の研ぎ澄まされた聴覚がそれをとらえたのは偶然か必然か。
次第に唯陽個人へと向けられていた視線が様々な憶測を巻き込みながら、唯陽の隣に立つ少年へと向けられてゆく。
「とりあえず、第一段階は成功だね」
「ですわね」
そんな衆目を一手に引き受けた少年と少女はブースを渡り歩く最中に小声で言葉を交わす。
唯陽は楽し気に、黄泉路は視線を衆目の意識の隙間を歩く仲間へと向けて、ふたりはあえて会場の人々の視線を奪う様にひとつひとつのブースを練り歩くのだった。