12-13 月浦重工
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世界中の注目が集まるだろうことが予想される【次世代防衛設備展示会】へと表と裏、双方で着々と準備が進められている最中。
世界長者に名を連ねる大財閥終夜の一粒種、夜の姫とも称される終夜唯陽が自らの将来に向けて暗躍する一方で、応じる様に動きを見せている者達が存在した。
こと日本国内の軍事に関する分野では比肩するとまで言われる大企業、月浦。
その次期社長、月浦瑛士はベッドタウンとなっている住宅集合地帯を抜け、工業地域へと向かう車中の中で色付きのスモークガラス越しの曇天を見上げていた。
スモークガラスとはいえ外の景色が見える程度のものでは中に誰が乗っているかなど丸わかりで、日本国内とはいえ軍事産業の雄ともいえる大企業の社長令息が乗るには聊か用心が薄いと思われるそれ。
だが、如何にこの数か月で日本の治安が地に落ちたとは言え、この土地に置いて月浦瑛士がそのような不安を抱くことはなかった。
先ほど通り抜けたベッドタウン――俗称にして月浦工業団地とも呼ばれるそれらは、これから向かう先まで含め月浦重工の関連企業や工場などが多くひしめく、いわば月浦にとっての本拠地の外周にあたるもの。
自らの家が持つ影響力のお膝元、縄張りともいえるこの場で社長ならともかく、月浦瑛士を害する者がいるはずがない、そうした自信の表れでもあった。
外は1月も半ば、曇天は厚く陽光を遮り今にも雪へと変わりそうな不安定な空模様は、水面下で方々の思惑の絡まった展示会のようだと瑛士は考え、すぐに詩的なそれを鼻で笑う。
「如何なされましたか」
「いや。それより、お姫様が動いたのは確かか?」
「はい、あちらで懇意にしている方々から、噂程度と注釈は付きますが」
「ふん……」
良家のご令息というわかりやすい血統書を示すような涼し気な容貌の端に僅かな不愉快さを滲ませ、瑛士は運転手兼傍付きの男の言葉に感想を吐く。
「向こうが持ち掛けた縁談を勝手に保留にしたんだ。精々端の連中には働いて貰わないとな。……それで? 内容については?」
「それが、こちらを――というよりは、全方面に対して警戒しているのか、根幹については本当に信頼している側近にしか話していないようで……」
「うちにすり寄ってきた分家連中じゃガードの外側にすら立てないか」
「さようで」
申し訳なさそうに運転手は肯定する。瑛士は気にするなとばかりにひらひらと手を振ってバックミラー越しの視線を退けた。
もとより、終夜とは言え分家、それも当代当主の結婚にあたり大いに現当主の勘気に触れた――いわば干され者共に期待はしていない。
そう態度で示すような瑛士の姿はかつて地下闘技場のVIP席で唯陽や終夜司に見せた貴公子然とした様子とは打って変わり、その顔立ちに則した計算高い冷やかさを纏っていた。
月浦の次代を担うに相応しい態度を醸し出す令息に、運転手の男は付け加える様に上がってきている情報からの推測を告げる。
「ですが、どうにも動きの向きを考えますに、展示会に際してこちらに“誰か”をぶつけようという気が見て取れます」
「なるほど。大方、我が社の目玉にケチをつけることで乗っかった分家共々月浦を下に置いて交渉をしようというのだろう。お姫様らしい可愛げだ」
暗に、その様な手段で対抗できるほど甘く見られているという認識に唾を吐いた瑛士の目には、目的地の敷地に入ったことで減速し、明確になった車外の景色が映っていた。
「どうぞ」
運転手に扉を開けられ、高級車から降りた瑛士は冷たい空気に混じる鉄の臭いに僅かに眉を顰める。
降り立った場所は工場とも社屋とも取れる、近代建築と伝統的な――より飾らずに言うならば使い古されて老朽化に補修を繰り返した継ぎはぎな――工場が組み合わさった様な、国内有数の大企業の社長令息が足を運ぶには聊か貧相と言わざるを得ない建造物だ。
だが、その感想は目の前の施設が月浦にとってどれほど重要なものかを理解していないものだからこそ浮かべるもので、次期社長として、月浦の後継としての教育を受けてきた瑛士にとっては目の前の建物は自らの栄光、その屋台骨として敬意すら抱くものだ。
生理的に嗅ぎなれない臭いに僅かに顰めた表情を取り繕い、運転手が背後で車を駐車場へと向けて移動させてゆく音を聞き流しながら建物へと足を踏み入れる。
ガラスの自動ドアを抜けた途端に切り替わる清浄な空気と温められた風が髪を揺らす。
「坊ちゃん」
エントランスとも、ただの待合所とも言うべき空間に掛るガラガラと鳴る様な太い声が響く。
「坊ちゃんはやめろと言ってるだろ」
声の主へと顔を向けながら瑛士が面倒くさそうに顔をしかめる。
瑛士に声をかけたのは群青色のつなぎを身に纏った大柄の男性だ。
濃く日焼けした堀の深い顔と、その声に違わぬ豪快な身振りで近づいてくる男は悪びれもせず、月浦の次代として畏敬を集める瑛士に対して快活とした笑みを向ける。
「ははは。すみませんね。小さいころから知っている身としては坊ちゃんはいつまで経っても坊ちゃんって気が抜けないんでさぁ」
「はぁ。今は良い……。それより、案内だ」
「了解しました。こちらへ」
抗議を諦めた、というよりは、ここで追及しても面倒なだけだと割り切った瑛士が催促すれば、男も心得ているとばかりに先導して歩き出す。
「進捗は?」
「最終確認といった所ですな。まだ組み上げの最中ですが、坊ちゃんに見せられる程度のナリは出来てますよ」
「そうか」
社屋を奥へ、窓から差し込む明かりが消え、頭上に均等に配置された蛍光灯の明かりだけが照らす無機質な直線の景色の中に声が反響する。
「今度の展示会、ことによっては荒れることも念頭に入れておけ」
「――荒れる、ですか」
「ああ。お姫様が暗躍してるらしくてな。おそらく終夜が傾倒している能力者を使ったビジネスと俺たちが目指すビジネスの軋轢を見ての事だろう」
「我々のスタンスは能力者をどう制すかですからなぁ」
ははは、と、そりが合わない家同士の縁談が進んでいる事を天上の他人事と笑う男に、瑛士は静かに息を吐く。
「大貫。対能力者鎮圧兵器に我が社が大きく舵を切った際、父さんがお前を見込んで引き上げたんだ。お前だって他人事じゃないんだぞ」
「はっはっは。そうですなぁ。相手はあの終夜財閥。競り負ければうちの事業はよくて吸収、悪くて歴史の藻屑。他人事じゃあ居られませんな」
「チッ。どこまで分かっているやら」
父がその技術力と知見を見込んで一技術者でしかなかった男を部門長という大役まで引き上げ、次代を継ぐ瑛士の右腕として宛がってからの付き合い。そうした十年来の間柄だからこその気安さに瑛士は顔を顰めた。
「なぁに。問題はありません。坊ちゃんもここがどこだかご存じでしょう? 月浦がかつて兵器工廠と呼ばれ、今なお世界の戦争市場にその名を連ねるに至る台所。月浦秘匿開発工廠が総力を挙げて開発した最新鋭です。それを信頼なさらないのはご自身の手足を信頼なさらないのと同義ですぜ」
「わかっている」
言われるまでもなく、と、瑛士は憮然とした声を滲ませて短く答える。
瑛士と部門長の男――大貫が歩くこの地は、かつて戦前において月浦がまだ重工ではなく兵器工廠として国内産の大型兵器を開発していたころから存在する、戦火に呑まれることなく隠し果せていた月浦にとっての心臓部。
今日でも月浦の裏事業の根幹を担う最大の要所にして屋台骨である。
自身のルーツともいえる場を信じられないならば何を信じればいいのだと問う大貫の言葉は至極もっともだ。
だがしかし、それでも石橋を叩かねばならないと瑛士は口を開く。
「……何事も完璧はない。それは開発を主導するお前も分かっているだろう」
「勿論でさぁ。だからこそ、懇意にしている政府の能力研究施設から対人実験や試験導入のデータを取ってもらってここまでこぎつけた集大成を信じてくださいよ」
「対人データはともかく、REXの試験導入については課題が浮き彫りになっただろう。解決はしたのか?」
「ええ。抜かりなく。加えて終夜の専売技術もふんだんに使った特別仕様ですぜ」
大貫の自信満々な声音はたしかに、理論をかじった程度の瑛士をしてもなるほどと思えるものだ。
終夜の中でも末端も末端、次代は残らないのではないかと思えるほどの崖っぷちにしては良いものを提供してくれたと内心で考えていた瑛士は、先を行く大貫が止まると共に足を止める。
チン、と短い音と共に開かれたエレベーターへと乗り込んむ。
エレベーターの壁面には珍しい強化ガラスが大半を占めており、エレベーターを支える為のフレームや内装のコンクリート等、本来ならば見えない内部までをもくっきりと見せる異様な箱はふたりの搭乗と共に扉を閉めて下り始めた。
下へと向かう透明な箱の中、微かな浮遊感に揺られるのも束の間、無機質な壁面によって透明である意図を失っていたガラスの向こう側の景色が変わる。
「着きやしたぜ。坊ちゃん」
「だから――いや。それよりも」
「ええ。もうガワを組み上げるだけで稼働できるようになってますぜ」
ガラス越し、静かなエレベーターの駆動音よりも大きく響く絶え間ない工事音と行き交う多くの人の声。
地上の寒空をまるで感じさせない熱気に満ちた地下工房へと降り行く箱から、瑛士は中央にでかでかと鎮座するそれを見据えて小さく頷く。
「なるほど。試作や報告書で見るよりも優美じゃないか。気に入ったよ」
「働きの方も是非期待していてください。必ずや月浦重工は軍事業界の雄であると今一度世界に示せる成果を出してみせやす」
ガラスに手を付き、エレベーターが降りきるのを待ちわびる様に視線を釘付けにした社長令息を見て、大貫は自信満々に宣言した。