12-11 水面下の交錯
黄泉路が常群との再会へと向かった先日と同じく、玄関口に立った黄泉路は廊下の側へと振り返る。
「それじゃあ、行ってくるね」
一言一句違わぬ言葉で出立を告げる黄泉路、しかし、その同伴者は先日とは違い、
「行ってくるね。念話の人」
「帰りに適当なお土産買ってくるから、我慢して留守番していて頂戴」
白髪をマフラーに隠すように包んだ歩深を挟み、黄泉路の隣に立つ彩華が廊下で見送る面々の中でも未練がましく黄泉路達を見つめていた遙へと呆れたように声をかけた。
「くそぉ……オレも彩華さんと京都、行きたかったァ……!」
『はいはい、ワガママ言わないのー。あ、お土産は生八つ橋でよろしくー』
「じゃあ僕は羊羹でお願いします」
「私、フルーツ大福」
口々に土産を求める声が上がる。
相変わらずパジャマ姿で眠たげに目をこする標はともかく、ちゃっかり乗っかった廻と姫更には遙もハッと眼を瞬かせ、
「あ、じゃあオレわらび餅――っていねぇ!?」
慌ててリクエストを投げようとするも、玄関につい先ほどまであった3人分の人影は瞬きした瞬間には忽然と姿を消してしまっていた。
「あああああっ……! オレだけお土産ナシかよぉー!!!」
「午前中から騒がないでください……」
「ん。うるさい」
「ひでぇ!? なぁなぁオペレーター! 念話でオレわらび餅が良いって言っといて!?」
『ふわぁあ……私徹夜明けなんで寝ますねー。おやすみなさいー』
「ちょっとぉ!?」
玄関口に遙の声が木霊する中、見送りは終わったと各々が離れてゆく。
ひとりだけお土産にありつけない可能性に膝から崩れ落ちた遙を尻目に、3人はやれやれと一致した感想を抱く。
――遙をなだめる為に土産の話を出したのに買ってこないわけがないだろうに。
当然のごとく、出立した黄泉路達には標によってそれぞれのリクエストが伝えられており、その事実に気づくのは土産を手に戻ってきた黄泉路達が遙にわらび餅を手渡す時になってからになるのであった。
一方、出立した黄泉路達は暖房が機能していた玄関口から一転して寒空の只中――それも路地裏を選んでいることもあって建物の間を冷たい風が絶え間なく吹き抜ける地点である――に転移してきたことで、寒暖差に耐性を持たない彩華と歩深が大きく身震いする。
「大丈夫?」
「ええ、慣れれば問題ないわ。そのために厚着してきたのだし」
「大丈夫、歩深は出来る子なので……」
「無理しないでね」
ひとり、環境変化を無視できてしまう黄泉路のみが平然とした顔でふたりを気遣い、3人で歩き出す。
前回はマップアプリを見ながら歩いた道も、1度通った道という事もあって先頭を歩く歩深は迷う素振りもなく。
「……良かった」
「どうしたの?」
好奇心旺盛な妹の先行を見守るように後ろから並んでついてゆく黄泉路の呟きに、隣にいた彩華が応じた。
「姫ちゃんがあっさり納得してくれて良かったなって」
「あの子は藤代さんが反対してたのに乗っかっただけだからじゃないかしら」
「そうなのかな」
「憶測だけれどね」
ようやくできつつある黄泉路の内面が、民衆のぼんやりとした英雄像などという曖昧なものの所為で再び揺らいで霧散してしまうのではないかという標の懸念。それと同様の心配を、そして恋愛とも家族愛ともつかない、未だ育ち切っていない仄かな感情が入り混じった反対。
そんな姫更の心配はしかし、言ってしまえば標と彩華の抱く反対理由を薄めて足したようなもの。その両者が反対を撤回している以上、姫更も黄泉路から話を振られれば取り下げるのは自然の成り行きと言えた。
黄泉路自身はそうした機微を分かってのことではない。だが、姫更も自身の抱く感情の本質を把握しきれていない以上、彩華がこれ以上何かを告げることはない。
「死なない人、お花の人」
前を歩く歩深がふたりを急かす。
あまり離れすぎるのも良くないと理解している歩深が寒さからか、早く建物に入りたいと態度で示す姿に、彩華が賛同して足を速め、それに伴って黄泉路も歩幅を広げて後を追う。
石畳を踏みしめて歩く古風な道、両脇に聳える塀の間から広がる空は灰色に濁り、日差しを遮る厚い雲が今にも雨か、もしかすると空の上の気温次第では雪が降るかもしれない。
自然と大股になったことで予定よりも少しばかり早く到着した料亭の前は相変わらず人通りも少なく、これが一般客であれば本当に営業しているのだろうかという静けさがそこにはあった。
途中から黄泉路と彩華の手を引くように、間に挟まって歩いていた歩深に引かれて門を潜る。
そうして敷地に入ると、彩華は開いている手で袖口にしまわれていた金属に触れ、手を顔へと持っていく間にも液体の様に変形したそれが1枚の仮面へと姿を変えるのと同時に顔を隠すように覆う。
元の素材こそ金属ではあるものの、その鈍い光沢はどうやら熱伝導効率の悪い樹脂製のようで、唯一普段の仮面と変わりないのは蔦と彼岸花の刺繍ぐらいなものであった。
白髪の少女に手を引かれた身なりのいい少年と仮面で顔を隠した少女。どうみてもまともな人間ではない集団が入店したにもかかわらず、店員は黄泉路と歩深の顔を見るなりすっとカウンターを離れ、先日訪れた際と同じ丁寧な所作で席への案内を告げる。
「(随分としっかりしているのね)」
初めての来訪となる彩華は仮面の奥で視線を巡らせ、怪しい身なりの集団にもかかわらずそつなく対応する従業員の後ろ姿を眺めながら歩いていると、やがて従業員が奥まった部屋の前で足を止める。
「それではごゆるりと」
「ありがとうございます」
来た道を引き返してゆく従業員を見送った黄泉路が室内に先客がいないことを確認し、ふたりを促して部屋へと上がる。
以前と同様、和で統一された畳敷きの部屋は大窓が存在せず、壁面の上部に覗く小窓が曇り空の弱い明かりを部屋へと引き込んでいた。
当然証明が灯っていることもあり、言われなければ気づかないほどの小さな天窓を見上げていた黄泉路は部屋に気を配っていた彩華へと振り返る。
「どう?」
「問題ないわ」
確認するのは、盗聴や隠しカメラの有無。
黄泉路は生物への感知能力という意味ではずば抜けた――魂を知覚するという反則染みた――精度を持つ反面、機械的な仕掛けについては多少学んだ程度であり、その道のプロと言い張れるかと言われると未だ自信を持てないという程度である。
反面、彩華は能力の性質柄、物質の構造への理解力がずば抜けて高い。突出したセンスはその場にいるだけで周囲の無機物の構造や性質を把握できてしまう程であり、黄泉路が生物的な警戒を、彩華が無機物に対する警戒を担うことで互いに甘い部分の警戒を補い合うことが出来ていた。
――残る歩深はと言えば、能力を模倣する能力と、それに付随する理解力ともいえる才能こそ将来有望であるものの、あくまで現時点では将来有望という評価に留まる。
故に、歩深は到着早々に席へと座り、ふたりを見上げて早く座らないのかと催促する様な視線を向けていた。
「とりあえず、到着するまで何か食べて待つ?」
「いいの?」
「いいよ。前もって代金は向こうが持ってくれるって話だったし」
「やった」
「こういうお店、お願いしたら代わりに買い出しとか行ってくれないかしら……」
「それも頼んでみる? 聞くだけならタダなわけだし」
「それもそうね」
緊張感のない話し合いの末に備え付けの内線で従業員へと用事を告げると、黄泉路と彩華の不安を他所に、畏まりましたという簡潔な答えが返ってくる。
黄泉路は標から伝えられた土産の買い出しを従業員へお願いするとともに、適当な昼食をオーダーして内線を置いて席につく。
彩華が手元の時計を見れば待ち合わせの時間まで30分ほど余裕があり、食事が先か待ち合わせが先かという具合であった。
「死なない人とお花の人は良いの?」
しばらくして届いたお膳を前に、手を合わせようとした歩深がふたりを見やる。
頼んだ食事は1人前、食事の必要がない黄泉路と、仮面を外すつもりのない彩華が注文しなかったことで必然的におひとり様での食事となったことに疑問を呈する歩深に、ふたりは苦笑交じりに食べていいと促せば、歩深は今度こそ手を合わせて食べ始めた。
歩深が食事を摂る小さな音に混じり、聞こえてきた複数人の小さな足音。
建物を伝う振動から察した彩華と、近づいてくる魂そのものを知覚して察知した黄泉路は一瞬目を合わせ、扉の前で止まった気配を待つ。
「お待たせしました。上がっても?」
「どうぞ」
襖が開かれると、終夜唯陽は一瞬彩華へと視線を留め、すぐに黄泉路へと視線を合わせると小さく一礼して座敷へと足を上げる。
続き、常群が入室すれば、最後に護衛として同伴したらしい白壁――白峰柾が丁寧に戸を閉めて扉の傍で跪座に構えて出入口を固めた。
「本日はお時間を頂き、感謝いたしますわ」
「急な返答だったのに昨日の今日で時間を合わせて貰って、大丈夫だった?」
「この案件は私にとっては重要度の高いものですもの。期限を切った間の予定は余裕を持たせてありますわ」
目元の強さを和らげるようにゆったりと微笑む唯陽に、黄泉路はちらりと常群へと視線を向ける。
唯陽の隣に腰かけた常群は黄泉路と目が合うなり、自分は何も言わないぞとばかりに口を引き結んで言及を避けるが、その仕草がある意味わかりやすい事もあって、彩華がくすりと仮面の奥で笑みを零す。
「……そちらの方は、リコリスさんとお見受けしましたが」
「ええ。はじめまして。迎坂君の相方としてやらせて頂いてるわ」
「はじめまして。自己紹介は必要ないかと思いますが、終夜唯陽と申します。何かと付き合いがあると思いますので、今後ともよろしくお願いいたしますわ」
互いに静かな、それでいて落ち着いた声音であるにもかかわらず、黄泉路は何故だか背筋に寒気が奔った様な錯覚を受ける。
見れば、常群はすでに唯陽から半身程引く様な形で距離を空けており、短いやり取りの間に水面下でのやり取りがあったことを如実に表していた。
「え、っと。それで、僕――達、暫定で夜鷹と名乗っているけど、夜鷹は終夜唯陽さんの依頼を受けようと考えています」
「はい。それでは詳細について――」
「つきましては、まずは改めてお互いの条件に付いて確認させてもらっても?」
黄泉路の切り出した話題に乗り、すぐに本題へと入ろうとした唯陽を差し止めた彩華の言葉で再び小さな間が開く。
「私たち夜鷹に対して、終夜唯陽個人から次世代防衛設備展示会にて月浦重工の持ち込んだ対能力者兵器のプレゼンテーションに土をつけることを依頼する。よろしいでしょうか?」
「ええ。黄泉路さん――東都を救った英雄という肩書を用いて終夜が特別にゲストとしてお呼びする、そうした形で水面下での終夜と月浦の関係に楔を打ち込むことが最大の目標ですわ」
「終夜として迎坂黄泉路を英雄として担ぎ出す、その場合、迎坂黄泉路に対するあらゆる風評、不利益を終夜が退ける、そのように捉えても?」
「ええ。勿論ですわ」
「……」
「……」
パチパチと仮面越しの彩華と唯陽の視線が火花を散らすような錯覚さえ幻視できてしまう緊迫した空気。
間に挟まれた当事者であるはずの黄泉路でさえ口を挟むことを躊躇うような雰囲気が漂う中、1秒、2秒と重々しい沈黙が続き――
「……ふぅ。探り合いはこの辺りで終わりにしましょう」
「ええ。条件のすり合わせも出来ましたし、実務的な話に移ると致しましょう」
室内の気温がぐっと下がった様な錯覚が拭えず、固まっていた男子の姿を見た両者がふっと気を抜いたように息を吐いた。
それだけですっと重く冷えていた空気が和らいだようでホッと息を吐いた黄泉路と常群であったが、
「(はぁ。彩華ちゃん、やっぱりまだ納得しきれてないのかな)」
「(こえー! これで気づかないってマジか!? そのうち刺されるぞ出雲……!? いや、刺されたくらいじゃ死なねぇんだろうけどそれでも察しが悪すぎるだろ!?)」
その内心はあまりにも対照的で、黄泉路の内心を薄々理解できてしまう常群は呆れと畏れを混在させて様な視線を黄泉路へと向けるのであった。