12-3 変わったモノ、変わらないモノ
標に相談を持ち掛けた翌日。
前日同様ベッドの上に居る黄泉路はしかし、打って変わったような緊張した面持ちで正座して居た。
目の前には自身が常用している携帯端末が置かれており、その端子には有線でサイドテーブルの上に乗った機器が繋がれていた。
機材自体の詳細は黄泉路には理解できないものの、標が宣言通り1日で用意した――というよりは、元々機材としてはそろっていたものの、今回に合わせて調整したという方が正しい――防諜ツールがしっかり機能していることは事前に準備を行ってくれた標によって保証済みだ。
その標も、黄泉路個人のプライベートに踏み込むつもりはないと主張するように気を利かせて退出しており、他のメンバーに関しても黄泉路が遠慮せずに話せるようにと気を聞かせてそれぞれに外出している徹底ぶりである。
これ以上ないほどにお膳立てされた環境。しかし、黄泉路はかれこれ1時間ほどこうしてベッドの上で固まったまま動かないでいた。
「……」
準備は整っている。環境も、気を利かせて貰っている。
それでも黄泉路が一歩を踏み出せず、未だ貰った連絡先を端末に打ち込むことすら出来ていないのは、偏に久しぶりすぎる親友にどう接するべきかという悩み故であった。
「(何を話そう……いや、その前にそもそもなんて言おうか……この間会ったときは状況が特殊だったし……何もない時にはどう切り出したら――)」
ぐるぐると、既に何十周したかもわからない思考が頭の中でループし続け、その頭の片隅ではしっかりと、それが自分に電話を掛けさせない、怖気づいている自分を繋ぎとめるための言い訳に過ぎないことを自覚しつつ、黄泉路は長い長い円環状の思考の迷路を彷徨い続けていた。
だが、黄泉路とてこのまま延々と悩み続けるわけにはいかないことは理解しており、やがてゆるゆると端末に触れる。
「はぁ……(ずっと考えてるふりして逃げててもダメだ。何より、僕の我儘に協力してくれた皆に悪い)」
普段よりも重く感じる端末を操作し、常群に教えてもらった連絡先の番号を打ち込む。
「……」
通話発信ボタンに触れるかどうかというところで、黄泉路の指が一度ピタリと止まる。
だが、また立ち止まるのはさすがにとこれまで無駄にした時間を思い頭を振った黄泉路が通話ボタンを押し、端末を耳に当てると、電子的なコール音が鼓膜を打つ。
淡々と規則的に繰り返されるコール音。しかし、黄泉路は下手な戦場に立っている時よりも緊張した様子で、そのコール音が途切れるのを待っていると、不意に、音が不自然に途切れた。
「っ!」
思わず、荒くなりそうな息が漏れるのを堪えてしまった黄泉路だったが、何と声を掛けたらよいのか分からず、喉まで出かかった音を飲み込んで黙り込んでしまう。
「……」
『……』
通話先からも、人の気配こそ感じるものの声を発さない沈黙だけが流れ、互いに何を発するでもない気まずい静寂だけが回線に滞留する。
「(何か話さないと。迷惑電話だと思われちゃうし……でも、えっと)」
黄泉路の躊躇いが吐息の形を持って端末のマイクに吸われ、僅かなノイズとなって回線を伝う。
このまま通話を続けていいものか。そんな思考まで持ち上がりつつあった頃。
『――出雲?』
「ッ」
通話口から。声が聞こえた。
「あ、え。……えっと」
電子音として変換されて届けれられてなお聞き馴染みのある青年の声に、黄泉路は――道敷出雲は言葉にならない声でしか答えられず。
それでも、電話の向こう側の青年は声を弾ませて語りかけてくる。
『出雲だよな。連絡、くれたんだな』
「……あ、うん。……その……久しぶり、だね?」
『はははっ、なんだよそれ』
通話口から感じるホッとしたような青年の、常群幸也の声音に、黄泉路はようやく意味のある言葉を発することが出来た。
「なんか、久しぶりすぎて何を話せばいいのか分からなくなっちゃって」
『だよなぁ。……俺も、いざこうしてゆっくり話せる状態になると、何から話したもんかってなる』
「だよね」
互いに緊張していたのだろう。
どちらからともなく微かな含むような笑いが漏れると、それを皮切りに大きくなった笑い声が互いの耳に届くようになる。
『ははは……あー、おっかしい。訳わかんねーのに笑える』
「あははは。そうだね」
『なんか、懐かしいな。こういうの』
「うん」
笑いが収まると、お互いに緊張していたのが嘘のように弛緩し、互いに言葉が途切れて居るにも関わらず先ほどまでのような気まずさはそこにはなかった。
「なんというか」
『変わらないな』
変わらない、というのは、黄泉路の姿や声に対しても含まれているようにも思える。だが、黄泉路にとっては成長した常群がこうして他愛ない会話を返してくれることが何よりも嬉しく、また、変わりないものであると肯定されたような気がして、自然と滑らかになった口が言葉を紡ぐ。
「色々と聞きたいことはあったんだけど。もう少しだけ、普通の話をしていたいな」
『だな。お互いに色々ありすぎて何から伝えたら良いかも分かんねーし』
そうして始まるのは、本当に他愛ない話。
『東都がアレで借家もパーだからホテルに缶詰めだわジムも行けてないわでちょい太ったかもしれん』
「えー? でも常群運動するようになったんだね。前からそこそこ動けてたけど」
『まぁなー』
最近はどう過ごしていたのか、であったり。
『――でさぁ。マジで厨二病が服着て歩いてるって感じで。いや、嫌いじゃねーんだよ? でもさぁ』
「あはは、確かにそういうところあるよね」
身近な人間が如何に不可思議な生態をしているか、であったり。
「――実は刹那ちゃんきっかけで改めて追い始めたんだよね。面白かったし、あの時の常群がおすすめした理由がわかったよ」
『おー、マジかー。俺は逆に離れてたのを刹那に無理やり引き戻された感じだなー。いや、面白れーのは確かなんだけど』
かつて話題にしていた娯楽の続きの話、であったり。
『――マージ調子良いことばっか言って、こういう時のメディアの動きが一番怖いんだよな。どこで手のひら返ししてくるかって』
「そうだねぇ。僕も、別に英雄になるためにやってたわけじゃないから困ってるよ」
今の情勢で互いに身動きがし辛くなっている事に対する愚痴、であったり。
話題は尽きず、揺蕩うような空気感で。互いに深いところまで掴まないようにするかのように、かつての互いの仲をなぞる様な会話が弾む。
1時間、2時間と。互いに用事が無いと言って、この時間が長く続けばと願うように重ねた会話が、次第に内容も枯れてくるまで。
ふたりの9年にも及ぶ別離を繋ぎ合わせるような会話が交わされていった。
黄泉路にとっては戻れない過去を。
常群にとっては追い縋ってきた現在を。
それぞれ象徴するような会話が、やがて終わりを迎える。
『あー。久しぶりに何の気なしに話したから喉痛ぇ』
「大丈夫?」
『大丈夫大丈夫。お偉方と顔突き合わせて利害詰めるのに比べたら全然余裕』
「……常群」
ほろ苦い大人の事情を窺わせるかつての親友の言葉に、黄泉路は話題が尽きかけていたことも併せて、改まった真剣な調子で声をかける。
『ん』
声の調子ですぐにわかったのだろう。常群も、それまでの緩い調子を引っ込めたような、聞きようによってはぶっきらぼうにも響く短い返答で黄泉路の言葉を待つように沈黙すれば、黄泉路は改めて小さく息を吸ってから、常群と再会したら問おうと思っていた言葉を口にする。
「どうして、そこに居るの?」
『……』
黄泉路と同じ側の闇。
普通に暮らしていたはずの常群という少年が立ち入るには、あまりにも危険すぎる人間社会の裏側。
「やっぱり僕の所為――」
『違う!』
「ッ」
電話口から響く強い否定に、黄泉路は思わずびくりと肩を揺らす。
僅かに間が空いた後。回線の向こう側からバツの悪そうな歯切れの悪さで常群の声が聞こえてくる。
『あの時、俺が引き留めてなければってずっと考えてた。でも、お前を探すって、今度こそ諦めないって決めたのは、俺自身だ!』
「常群……」
『お前は何も悪くない』
「――」
静かだが、否定の余地を持たせないような強い断言に言葉を返せないでいる黄泉路に、常群は冗談めかすように息を吐いて、
『大体、お前が主体的に何か悪さ出来るわけないだろ』
「なんだよそれ」
何でも分かっているぞとばかりに含み笑いを交えれば、黄泉路は何かを言い返そうかとも思ったはいいものの、言われてみれば確かにという納得のほうが上回ってしまい、結果、似たような苦笑を浮かべて軽い調子で返すほかなくなってしまう。
『やっぱ、変わんねーな』
「かもね」
『なぁ……』
「……何?」
落ち込んだ声量に巻き込まれる形で、黄泉路もまた小さな声を返す。
すんと静まった通話口に黄泉路が耳を傾けて言葉を待っていると、常群の芯の通った短い言葉が黄泉路の鼓膜を揺らした。
『近いうち、会えないか?』
通話の中で互いに何度も切り出そうとして引っ込めてきた提案。
「――良いよ」
常群の声の余韻が耳から抜け落ちる前に。黄泉路は、自然と口を開いていた。
「直に会って、お互いにちゃんと、話そう」
『――ああ』
通話越しでは話しきれない、お互いの話を。
『なら、すぐすぐにはお互い無理だろうから、また改めて連絡するわ』
「うん。またね」
『おう。また』
気づけば暗くなり始めた窓の外。カーテンの隙間を覗き込んで遠く家屋の屋根の隙間からやってくる夜空に目を細め、黄泉路は通話が切れて画面が暗くなった端末を握ったまま、常群と再会するために外出する、その相談をまたしなければと、しばしの時間を置いた後に部屋を出て仲間の下へと向かうのだった。