幕間8-5 世界の行く末を見据える者
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世間が東都に降り注いだ災厄の爪痕に悩まされつつも、新たに吹く能力者贔屓な報道に浮つく頃。
そうした人々の営みから切り離されたように静寂に包まれた山間、ぎりぎり人里と細い道で繋がっているだけという有様の、夏場でこそあれば人混みを避けた目敏い者たちが少数キャンプに訪れるのが精々の穴場とも言えるロッジが点々と立つキャンプ場は、オフシーズンということもあって人の気配はない。
――否、どこも施錠されて管理者すらもこの時期には立ち寄らないロッジの中、たったひとつだけは人が生活している事を覗わせる明かりが灯っていた。
東都で大規模なテロが起こり、その余波などで日本という国そのものが官民共々慌ただしく活発に動きつつあるこの時期、季節に、人里離れた場所でキャンプをしているというのは中々に浮世離れしていると言えるが、彼らにしてみれば世間の方こそが浮足立っていると言わざるを得ない。
長くない陽は既に傾き、森に囲まれた人工物に乏しい隔絶された世界の中にぼうっと灯る、カーテン越しの人工光がうっすらと周囲を照らす。
ロッジの傍に停められた車はなく、果たして彼らがどのような手段でこの場にやってきたのかすら定かではない異質な光景。
その情景の中心地であるロッジの中にはふたりの男女がテーブルに備え付けられた椅子に腰かけ、どこからか電波自体は届いているのだろう、ロッジに備え付けられた大型のテレビが流す連日と変わりない報道を眺めながら寛いでいた。
ロッジの中は短期滞在するには過不足ないだけの設備が整っており、木製の明るく落ち着きのある壁や床に合わせるように整えられた家具は、この場所が数か月に及んで使用され続けてきたとわかるようであった。
無造作に切られた――おそらく暫く伸びてきたものを誤魔化し誤魔化しで整えているのだろう――灰色の髪、屋内だというのに目元が隠れるような深い色のサングラスを掛けた50代半ば程の男性がゆるりと手元に置かれたコーヒーを飲んでいると、その体面に腰かけた、男性よりはやや若いかという程の女性がその縁のない眼鏡越しにすっと通った黒い瞳を男性へと向ける。
「眼を掛けてきた子たちの成果とも言えるのにーぃ、随分と不機嫌そうだねーぇ? 斗聡君?」
見透かす様な視線に含まれた、からかう様な調子に男性――神室城斗聡は小さく鼻を鳴らす。
「御心。そういう君こそ。随分と気が立っている。気がかりであったならば止められる位置にいればよかっただろうに」
「アイツが私の忠告を聞くわけがないっていうのはーぁ。私達の共通認識だったと思うんだけどねーぇ?」
第三者が聞いていたならば、随分と棘のある聞こえるそれ。しかし、ふたりの間にあるのは気心が知れた古い友人同士のような落ち着いた空気感だった。
それもそのはず、三肢鴉の創設者にしてリーダー、神室城斗聡と、世界に御心文書と呼ばれる能力者の原理究明に一石を投じる論文を公開し、今や時の人と呼ばれても不思議ではない謎多き天才研究者という肩書を世間から与えられている女性、御心紗希は、先に発生した不法能力者対策法に基づいた三肢鴉制圧戦において、組織の構成員共々行方をくらませていた存在であった。
そんなふたりが、偶然この場に居合わせたと考えるものはいないだろう。
ふたりは三肢鴉が壊滅する間際、組織の指導者たる斗聡は撤退を指示する中で、組織で保護していた紗希を伴って個人的に所有しているアジトへと退避していたのだ。
これは別に、斗聡が組織を見捨てたというわけではない。むしろ、個々が散り散りに逃れる中、紗希という保護すべき対象が宙に浮いてしまうことを避けた為の行動であったと言えよう。
とはいえ、斗聡が紗希を個人的に遇していることにそれらの事情はさほど関係がない。
「……やめようかーぁ。縁さんも居ないのにこんなじゃれ合いをするのも不毛だしねーぇ」
ふいっと、気が削がれた様子で再びテレビへと視線を向ければ、報道というよりはバラエティの向きが強い番組で、司会役の女性が最近になり頻繁に露出するようになった能力に詳しいと評されるコメンテーターへと話を振り、コメンテーターの男性が訳知り顔で語っているところであった。
「砂塵テロを終息させたことで巷では一躍英雄として名前が知られるようになった少年能力者についてお聞きしていきましょう。複数の関係者からの証言によると、彼は対策局に所属している能力者ではなく、テロ以前に話題になっていた義賊【リコリス】の一派に所属する不法能力者だということですが、何故彼らは国が主導する対策局とは別に活動していたのでしょう?」
「そうですね。彼がやったことは間違いなく東都を救おうというもので、当時東都に取り残されていた市民からも直接救われたという声が上がっていたことも、彼らの行動を裏付けるものであったと思います。そこから見えてくるのは、対策局の成り立ちと日本政府が施行した不法能力者対策法案の成り立ちと立場でしょう」
「成り立ち、というと、思い出されるのは対策法案可決後の施行までにあった猶予期間のことですよね?」
「ええ。あれは数の少ない能力者、これまで社会に実在はしていても法制度上は能力者というくくりで存在を認められていなかった彼らを纏めて掬い上げるとともに、能力によるものと立証されない以上、法の外側にあったことで裁かれずにいた犯罪行為に対して遡及しないという確約を与え、その対価として対策局での労働義務や能力登録の義務化などがなされたものです」
「確か、犯人であると確定している殺人や連続窃盗などと言ったよほどの罪でない限りは推定無罪として猶予を受けて対策局の職員に登用されていたはずですよね? だったら彼らは、それが通るとは思えない重犯罪者だったということでしょうか?」
「そうとも限りませんよ。ここで見えてくるのは、対策局は結局のところ国に縛られた組織であるという事ですから」
「国に属する組織だと何か不都合があったという事でしょうか」
「例えば、対策局が不法能力者が起こした事件の解決や阻止に派遣される場合、必ず国の承認が必要になります。これは国が能力という強い力を認めるとともに、それを完全に制御できているとアピールする為に必要なことですが、一旦国に承認を挟まなければならないというプロセスは緊急性に欠け、現場でとっさの判断を求められる、いわば前線に立っている能力者たちにとっては足かせにもなりえます。転移という能力を披露した【リコリス】一派の機動力が削がれるということでもありますからね」
「なるほど。彼らは国に属することで得られる身分より、より緊急性の高い、国では後手に回ってしまう様な事態に備える為に敢えて所属しなかったと」
「何にせよ、彼らによって国の危機が取り除かれたというのは事実でしょう。不法能力者であることは確かですが、その事情に沿った互いの歩み寄り姿勢を国に求めたいと思いますね」
「ありがとうございました。続いては東都から避難してきた家族に密着した今をお伝えします――」
連日報じられている報道の中でも、ひときわ目立つ論調はおおよそ共通したものであった。
テロの爪痕を悼みつつも、復興に対して前向きに。悲劇の原因になった能力に対して、以前であれば過剰に演出しただろうメディアはこぞって黄泉路という若き英雄を偶像として持て囃し、能力者そのものに悪感情が向けられないようにするという、なんらかの手回しを感じざるを得ない報道。
斗聡や紗希にとって、それらのちりばめられた意図は明白だった。
「多くの因果――縁さんの繋いだ奇跡が纏まりつつある」
「本当にーぃ、あの人が望んだ世界は来ると思う?」
「……さてな。私はできる限りの手を打ってきた。対面に座った奴もまた、そうしてきた。若い芽も十分育った今、私達にできることは限られている」
「要するにーぃ……あの子たちに任せるしかないってことなんだよねーぇ……」
「不甲斐ない話だがな」
紗希の嘆息するような吐息に、斗聡はテレビの電源を落とす。
「だが、その為に私達はそれぞれの道を歩んできた。結果が、どうあろうとも」
サングラス越しでは見えないその目には、言葉にしたような諦観はなく、ただ、裁きの時を待つ罪人の様な真摯な決意だけが暗くなった画面へと――先ほど話題の偶像として触れられていた少年達に想いを馳せる様に注がれていた。
今回はやや短めですがこれで11章幕間は終わりです。
次回からは12章に入り、テロ後の黄泉路達を取り巻く環境の変化も合わせて展開が進んでいく予定です。