幕間8-3 終夜唯陽の思心捜索2
臨時の日本政府を立ち上げ復興に乗り出した的井の、頭角を現したとも、人が変わったとも言えるような手早い復興への動きが始まる中、落ち着くかに思われた国内情勢は東都の被害に隠れていた地方の状況が明らかになるにつれて、ことが全国区規模の出来事なのだと国民全体が認識するようになりつつあった。
被害の中心にあった東都は無論の事、地方にもその影響は大きく波及していたのは、テロ当日やその後、東都の被害状況などから国の動きに穴や偏りが生じたことを理由に一気に活性化した、今まで地方で息を潜めていた裏に潜んでいた勢力たちの表面化による静かな治安の悪化であった。
それらに加え、東都から逃げ延びることに成功していた組織の残党や難民に紛れた不心得者なども、地方の治安を圧迫する要因として行政や自治体の頭を悩ませ、皺寄せが自らの傍にやってきたことで、地方の人々も東都の出来事が他人事などでは決してない、自分たちの生活に直結する国の難事なのだと認識するに至っていた。
数日もすれば東都の復興に向けた動きを報じる中にそうした地方の治安悪化を示すような事件の報道が混ざりこむ頻度が増え、地方警察や消防では対処しきれないほどに全国的に頻発するそれらに自衛隊は勿論の事、東都で目覚ましい活躍をしたと評価を受けた不法能力者対策局もまた、全国へと駆り出されることとなっていた。
日本全土が準戦時下の様な慌ただしさに見舞われる中、他の避難民同様に地方に居を移した少女は広々とした温室の中、冬風の届かぬ柔らかな日差しに照らされてすくすくと育つ観葉植物を眺めながら豊かな香りを放つティーカップを口元へと運ぶ。
白いテーブルクロスが掛けられたこじんまりとした足の高い丸テーブルの上にはひとりで食べるにはやや多いかという量の煌びやかな軽食とお菓子が積まれたケーキスタンドと、テレビの役割も果たしている大型のタブレット端末。
タブレットから流れるニュースを流し見ていた少女はカップをソーサーへと戻して自身の背後へと首を向ける。
「最近のニュースはどこも同じ事ばかりで退屈ね。そう思うでしょう? 白峰」
少女の頭の動きに応じ、豊かな黒髪が揺れ手入れの行き届いた髪からは仄かに広がる花にも似た控えめな香料の甘くくすぐられる様な香りに身じろぎもせず、少女の斜め後ろに控えていた青年が口を開く。
「あれだけのことが起こったのですから。致し方ないことかと」
執事然とした佇まいとは裏腹に黒のビジネススーツに黒手袋、濃い色合いのサングラスと、どうみても召使には見えない出で立ちの青年――白峰の淡々とした受け答えに、少女、終夜唯陽は詰まらなさそうに白峰を見上げる。
「だからこそよ。東都の被害状況や復興に目が向くのは確かだとしても、問題は全国で起きているのだから、これだけ多くのメディアがあるならそれぞれにアンテナを張ればバリエーションもでるでしょうに」
「……最近はSNSの発達で民間からの絵の提供も多くなりましたからね」
「はぁ……それならメディアなんて頼らずともSNSで事足りる、とは、誰が言ったのだったかしらね」
退屈を持て余し、東都の施設が軒並み使用できないことから新しい番組なども作られないために過去の映像の使いまわしなどが目立つテレビのチャンネルを適当に送る唯陽に、白峰は内心で息を吐きながら、それでもフォローせざるを得ないと自身の主へと声をかける。
「お嬢様。旦那様から連絡がないことに腹を立てる気持ちも理解できますが」
「……違います。大事な時期ですもの。お父様が忙しくしてらっしゃる事には何も思うところはありませんわ。むしろ、この程度の事でかんしゃくを起こしたと知れたら私がお父様に失望されてしまいます」
ぱたりとタブレットを閉じた唯陽は手で示す様にして自身の対面へと白峰に座る様に指示する。
だが、護衛として、側仕えとしてこの場にいる白峰がその命令を聞くべきだろうかと逡巡してしまう。
「この場にはどうせ誰も来ないのだもの。構わないでしょう。いざとなれば貴方が守ってくれる、違うのかしら?」
それに、この位置で話を続けるのは疲れますわ、と。文句とも取れる言葉で結ばれてしまえば、白峰としてはもはや逆らう言葉もなく、仕方なしに唯陽の対面に空いていた椅子へと腰かければ、唯陽は礼儀としてお茶菓子を勧めながら自身も一つ、一口サイズのカップケーキを手に取る。
「白峰も食べて。私だけではとても食べ切れないわ」
「……失礼します」
「それで、だけれど。私、別にお父様のお忙しさに思うところはないのよ?」
不承不承という具合にサンドウィッチに手を伸ばした白峰をおかしそうにころころと笑いながら、唯陽は自分もそのくらいは弁えているのだと白峰に告げる。
「あの的井さんという方、あの方が推進する能力者を軸とした国土復興事業にかかる作業者や建材、おそらく一新されるであろう東都の都市モデルの構想。急ピッチで進められていて、過去にない新たな試みになるとはいっても、これまでの経験や実績が無になるわけでも、全てを政府側の息のかかった業者や能力者だけで賄う事も出来るわけがない」
手にしたカップケーキへと視線を落とし、その頂点に乗った可愛らしい煮詰められたベリーをかみ切る様に、ちょうど半分ほどを口に含んだ唯陽はゆっくりと味わいながら飲み下し、紅茶で口の中を濯いだ後に、改めて口を開く。
「ならば、能力関係への事業参入を果たし、政府とは別系統の技術を有している私達終夜が復興事業に食い込むことは十分に可能――いえ、むしろ、終夜こそが大きな比重を占めることは間違いないでしょう」
であれば、実の娘と言えどそのような大事な時期に現を抜かすようであればこちらの側から失望する。
そう締めくくった唯陽の手元に残った、半分ほど齧られたカップケーキ。それこそが今後の国内――ひいては世界における能力事業の終夜の取り分であると言う様に淡く笑う唯陽は、どこから見ても終夜という大財閥の直系たる貫禄を身に着けた美少女であった。
「……そこまで把握されておいででしたならば失礼しました」
「いいのよ。不機嫌に見えるのは確かなのですもの」
ぱくり、と、行儀も何もなく指先で摘まんだカップケーキの残りを口の中へと放り込み、先ほどとは打って変わって雑に咀嚼した後に飲み下して紅茶に手を付ける唯陽の姿は確かに、先の貫禄にも似た雰囲気はどこへやら、ただ籠の鳥と化している現状を厭う年相応の退屈を持て余した少女でしかない。
「でしたら、何故、という疑問を呈してもよろしいでしょうか」
何がそれほど不満なのかと、白峰は護衛対象である少女が勝手な行動を起こすかもしれない懸念点を慎重に解きほぐそうと問いを向ける。
「決まっているわ。黄泉路さんのことよ!」
淑女としてはあるまじき――それでも一般市民から見ればだいぶ慎み深い――態度で声を荒げる唯陽の出した名前に、白峰は理解すると同時に地雷を踏み抜いたことを自覚した。
「そのことについては再三お願いいたしましたように、今は情勢も不安定でSPを伴っていたとしても移動中の安全を十全に確保できないので……」
「わかっているわよ。耳にたこができるほど聞いたもの。でも、それでもよ。せっかく連絡が付けられそうだという吉報がやみっきーさんから届いて、もう1週間ですのよ!? そろそろ連絡の一つでも、それこそここから電話の一つでもしてもよろしいのでなくて!?」
「申し訳ありません、いつ誰に傍受されてしまうかもわからない通信はお互いの為にも控えるべきかと」
「……わかってます。わかっていますわ。それでも不満に思ってしまうのが恋患いなのです。それに」
もはや行儀も何もない。
染み付いた作法が辛うじて財閥令嬢としての面目を保っているものの、日頃行儀作法について教えてきた者が見ればものすごい形相になるであろう所作でケーキを手元に寄せると、フォークで切り分けてやけ食いとばかりに口へと放り込み、
「むぐ。んんっ。……世間の人もですわ」
「ああ……」
白峰は、閉じられてテーブルの隅へと追いやられたタブレットへとちらりと目を向け、唯陽がどうしてここまで不機嫌なのかを察してしまう。
「東都テロ主犯を確保した英雄――ええ。それは事実なのでしょうし、仕方がありませんわ。対策局の手柄として纏められてしまったのも政府の都合もありますし、おそらく黄泉路さんもそのほうがありがたいのでしょうからいいのですけれど。けれど、今更のように神輿を担ぐ人々だけは、どうしても癪に障りますわ!!」
白峰の主、終夜唯陽はこう感じているのだ。
――自分だけが理解している闇夜の王子様が衆目の英雄に祭り上げられてしまった。
自分だけが理解者であるという優越感、属している組織は違えど、彼という存在をしっかりと認知して好意を向けている特別感。
それらに水を差す連日の、救国の英雄などといった大げさなコメントまで飛び出す過剰な持ち上げ報道に、唯陽はキレていたのだ。
「(ただでさえお預けをされている中では不満も溜まってしまうか……)」
軽い調子でダークヒーローだなどと持ち上げないでくださいまし、と、未だ気炎を上げる唯陽を他所に、味がしない美味しいはずの軽食を咀嚼して飲み下す白峰は確かにと連日の報道の内容を頭の片隅から引きずり出す。
「……確かに、何らかの作為は感じますね」
「でしょう?」
成したことは確かに大きく、英雄として一時期メディアを賑わせるだけの話題性はある。
だが、それは果たして実際にその場にいた対策局のエースの尺を奪ってまで囃し立てるほどのものであろうか。
ただの対策局に属していない野良能力者の中の傑物としての扱いであればそうはならない。ましてや黄泉路に関しては、最後に明かされてしまった顔と共に過去関与してきたとされる功績まで言及され、その謎に包まれた――戸籍が変わっているのだから当然だが――経歴と影を帯びた美貌と相まって、ある種のアイドル的な扱いさえされている始末。
思い人が評価されることは嬉しくとも、そこに何らかの作為を感じてしまえば、素直に喜べないのが上流階級の人間というものだ。
「おそらく、お父様はそのあたりのことも含めて動いてらっしゃるのですわ。だから、私もこうして時期が来るまで我慢しているのです」
「……お嬢様のお気持ちはよくわかりました。私からできることは多くありませんが、少しでもお嬢様のお心が和らぐよう手を尽くさせていただきます」
「そうして頂戴。さしあたっては、黄泉路さんのご親友だという方とお話がしたいのだけれど、アポイントは取れて?」
「先方に確認いたしますので、少々お待ちを」
席を立って携帯を取り出し、温室の外へと向かう白峰を見送った唯陽は残っていた紅茶へと口をつける。
やや時間が経ち、湯気も和らいだ紅茶から立ち上る芳醇な香りが先ほどまで立っていた気を抑え、背後で白峰が温室を出た際に入り込んできた冷たい風が手を撫でる感覚にそっと息を吐く。
「――黄泉路さんのご親友、どんな方なのかしら」
まだ見ぬ黄泉路の親友に想像を馳せ、自分の知らない黄泉路の話を聞けると思うと思わず緩む頬に手を当てた唯陽は、再びタブレットを開くと文通相手となった呉服店の跡継ぎ娘へとメッセージを書き始めるのであった。