幕間8-2 我部幹人の■世界■■計画3
「――今、なんと?」
的井史三郎がその知らせを聞いたのは、総理大臣の指示のもと、最後まで残った閣僚達と共に避難した先の緊急対策本部に到着して暫く経ってからの事であった。
「総理大臣含む避難中の議員方の一部の安否がいまだ確認できず、捜索を続けようにも既に国会議事堂も能力災害下における緊急避難区域に設定されていますので、一部を除けば能力者といえど突入することは困難を極めておりまして……」
的井を含む、運良く避難が間に合った閣僚達は互いに顔を見合わせ、途中の暗闇に覆われた通路を進む際にはぐれてしまったことを遅まきながらに理解して顔を青ざめる。
そんな中、的井だけは閣僚の顔ぶれを見やりながら、ふと、脳裏にとある男の顔が浮かんだ。
「……捜索は慎重に、避難民と共に議員の皆さんにも更に後方に下がる様に誘導してください」
「的井さん? どちらに?」
「少々席を外します。私の方で総理の捜索に人を出せないか伝手を当たってみようかと」
暫定上、前期と合わせて大臣就任の功や現在の異常事態に対して専門と言える立場であった的井が音頭を取ったことで顔を見合わせていた閣僚や指示を待っていた自衛隊員が動き出す中、席を立った的井に対して問いかけた閣僚は、的井の言葉になるほどと理解を示す。
的井は能力方面に強いパイプを持ち、現在の日本における能力者に関する法整備の最前線に立つ能力族議員という肩書を持つ。
その的井が動くのであれば自分たちが無理をして動き回って後程政敵やメディアにつつき回されるよりはマシかと、閣僚達の心境は一致したまま仮設避難所を出てゆく的井を見送り、自身らもまた自衛隊の誘導に従って市民に紛れて県外へと移動する車列へと加わり始める。
「……」
そんな議員らの視線が途切れるのを感じつつ、的井が向かったのは対策本部に併設された不法能力者対策局臨時詰め所と銘打たれた仮設とはとても思えない建物へと足を向ける。
都心から離れたとはいえ、未だ浅く降り続く砂に煙る様に建つ臨時詰め所は一見すると金属でできた長方形の箱のようで、飾り気どころか建築物としての見栄えすらも捨てた様な有様だが、地面からそのまま生えたかのような継ぎ目のない壁面の鈍い光沢が、その建物が尋常ならざる工程によって作られたものであると主張していた。
的井が建物の入り口――つるりとした壁面に異物の様に生えた同色の扉――へと手を掛ければ、冬の外気に晒されていた割には冷たさを感じない、金属らしからぬ感触に思わず眉を顰めつつも扉を開こうとする。
すると、金属らしき扉は音もなく、思っていた以上に軽い感触で開くことに驚くのも一瞬、
「――あれ。政治家の先生?」
「君は」
その軽さが材質特有ものではなく、ちょうど内側からも開く様に力が働いていたことを、開くとともに対面した相手の姿を認識して理解した。
「先生に用事ですか?」
栗色の前髪に隠れた見上げてくる視線、どう大きく見積もっても高校生が精々だろう――より正確に言えば、おそらくは中学生ぐらいだろうか――少年の言葉に、問いかけるような的井の声が途切れて吸い込まれる。
この場において先生と呼ばれる者は的井が会いに来た相手しかおらず、小さく頷いた的井に少年――菱崎満孝は道を譲る様に扉の端へと寄って的井を迎え入れ、
「先生の所まで案内しますね」
「……随分と手際が良いのだね」
まるで自身の訪問が予期されていたかのような手回しの良さに、思わず溢した的井に対し、菱崎は的井が内側へと足を踏み入れると砂が内部に入るのを嫌う様に扉を閉め、先導する様に的井の前へと移動しながら嬉しそうに笑った。
「そろそろ来るかもって穂憂さんが言ってましたからね」
その様子は子供らしい憧れと恋慕が一緒くたになったような微笑ましいともいえる雰囲気で、前を歩きだしてしまった菱崎にそれ以上の追究を断念せざるを得なくなった的井は何とも言えない表情のまま、外観と違わぬ飾り気のない通路を歩く。
ややあって、前を歩く菱崎が扉の前で立ち止まる。
「先生、穂憂さん! お連れしました!」
「案内ご苦労様。次の現場に向かってください」
「はーい!」
ノックした扉をそのまま開き、中に飛び込むような勢いで入ってしまう菱崎に対し、年嵩の男性の声がやんわりと労いつつも指示を出せば、通路と部屋の境界を隔てて遮るものの無くなった的井と年嵩の男性――我部幹人の視線が交わった。
「避難したばかりでお疲れでしょう。的井先生もどうぞ、こちらにお掛けください」
「……ああ。失礼する」
やはり、ここに的井がやってくるのがわかっていたかのような態度で接する我部に、その眼鏡の奥に見える瞳に手掛かりを求めて目を細める的井であったが、最前線だとはとても思えないほどに落ち着いた様子の我部の態度からは何も読み取ることができず、仕方なしと我部の腰かける簡素なパイプ椅子と机、その体面に置かれたパイプ椅子へと腰を下ろす。
「先生はコーヒーでよろしかったですよね?」
「む、うむ」
「的井先生」
着席を見計らったように、少女の手がテーブルへと的井の分のコーヒーを提供すれば、的井は漸く、室内に自分と我部以外の人間がいたことに気づく。
その少女はどうやら部屋の隅に設えられた椅子で待機していたらしく、いつぞやと同じようにコーヒーを提供するなりさっさと自分の席へと戻ろうと踵を返してゆく。
その後ろ姿に思わず――そう、思わずだ――声を掛けようとした的井に対し、対面に座り、先んじて提供させていたらしいコーヒーを口元へと運んでいた我部が声をかける。
「彼女はこの場に居ても問題ありません。それよりも、先生は私に何か用事があったのでは?」
「――ああ。すまないな。どうも過敏になっていたようだ。外ならぬ我部先生が仰るならば問題はないのだろう」
自然と少女への注意を遮るような我部の物言いに、少女がただの秘書見習いのような存在ではないことを薄々確信した的井は、あえて流れに乗る様に正面に我部を見据えて、淹れられたばかりで湯気を立てているコーヒーを手元へと寄せ、立ち上る日常の香りとも言えるそれに少しばかり心の波を落ち着かせてから改めて問いかける。
「……此度の一件、どこまでが先生の計画だったのですか」
「はて。計画とは?」
表面上こそ、普段通りを心掛けているようには見える。だが、その表情や声の端々に宿る詰問にも似た雰囲気から、意を決したのだとわかる的井の問いを、我部はお互いに通るとも考えていない調子でとぼけて見せる。
互いに最初から全てを開示し合う様な仲ではない。探り探りに言葉の綾取りを余興にしつつコミュニケーションをとる、ある種の嗜みにも似た対応であったが、事情が事情、現在の状況を考えるならばそのような余興に付き合うのも時間がもったいないと、的井は小さく首を振る。
「誤魔化さないで頂きたい。既に大半の議員や閣僚がこの場に避難してきましたが、未だ安否確認の取れていない議員の顔ぶれはあまりにもわかりやすい」
「……ふむ、どうわかりやすいのですか?」
答えのすぐ目の前にたどり着いた生徒が回答を口にするのを楽しむような、稚気にも似た色を滲ませてコーヒーカップで口元を隠す我部に、的井は喉をせり上がる声を絞り出す様に答えを告げる。
「あまりにも……私達に都合が良すぎるじゃないか」
そう、現在連絡が取れない議員達は皆、的井の目指す外交戦略や能力を新機軸とした能力技術立国としてのイニシアティブで世界をけん引する日本というポジションの足を引っ張るスタンスを持つ者達であった。
ある議員は能力技術を海外に広く流通させるべきだと主張して、その裏で流出を求める国の息が掛かった団体から多額の献金を受け取っている者。
またある閣僚は元より他国に寄った政治信条を持ち、これ以上日本が自立して動こうとすれば必ずや内憂となりうるだけの与党内での地位を持つ大御所。
それらだけではなく、単純に能力というものに対して否定的で、かつてあった能力宗教の摘発に対して大きく働きかけを行った実績を持つ議員など。
その顔ぶれの共通点は的井の立場からすれば一目瞭然で、だからこそ、その様な露骨な真似をした我部に対して真意を問いただすべく単身、我部とコンタクトが取れるであろう詰め所まで足を運んだのだ。
「……どこまでが私の計画か、でしたか」
微かに震えた的井の声の余韻の静寂を、思わずと言った具合で含むような微笑を滲ませた我部の呟きが上書きする。
コーヒーカップをテーブルへと戻した我部の表情は穏やか。この場が普段の会合の場であったとしても滅多にみられないような表情を浮かべた我部に、的井は思わずひくりと息を呑む。
「あ、ああ。先生が指示したのだろう!? 答えてくれ、どこまでが我部先生の差し金なのか!」
「そう慌てずとも、しっかりとお答えいたしますよ」
逸る的井を宥めすかし、我部はゆったりと吟味された言葉を舌の上に乗せる。
「東都全体を巻き込む砂使いとは関与しておりません。そのどさくさにまぎれた不幸な事故自体は、大変痛ましいと思っておりますが」
我部の発した言葉は特有の婉曲表現こそあれど、その意味するところとは即ち的井の懸念したものそのもので……。
「なん、なんという……! 終わりだ、何もかも……!!」
思わず頭を抱えてしまう的井の脳裏には、此度の事件が終息した後の展開が鮮明に描かれており、その結果があまりにもわかりやすすぎたことに、的井は今にも卒倒してしまいそうであった。
砂塵を巻き起こし、東都中を無差別に襲ったテロ。これはいい。事後処理さえしっかりとしさえすればむしろ政局への後押しにすらなりうるとは的井も考えてはいた。
だが、的井にとって――居なくなってくれた方が――都合が良い人物ばかりが事故に遭っている事実が明るみになれば否が応でも疑惑や噂という形で広まるだろう。
それが事実無根なものであれば、適当に話が流れる様に別の話題をそれとなく流すだけで後は時間が解決するだろうが、こと、実際に事故の裏側があるとなれば、その難易度は跳ね上がる。
事実としてあるものを隠し通す労力は偽りを真実として流布するより遥かに難易度が高いことを、的井は政治家という生業から十分すぎるほどに理解していた。
それ故に、どれだけ善意や利害の一致があろうと、ここまで大々的にやってくれた相手への恨み言が脳内で止めどなく流れてしまうのは仕方のないことと言えた。
「――終わりも何も、これから始まるのでありませんか」
だからこそ。
頭を抱えた的井とは対照的に、どこまでも自然体でいっそ優雅さすら感じさせる我部の言葉に的井は顔を上げる。
「何を言ってるんだ……。これだけ一度にわかりやすく消されたんだぞ……自慢じゃないが、私を引きずり下ろしたいと思っている連中はそれなりに多い。すぐに嗅ぎ付けられて、私の政治生命は終わりだ……」
「ええ。普通なら、そうなるでしょうね」
「……」
ちらりと、我部が何かを示す様に視線を動かすに釣られ、的井の視線が無機質な室内の壁を伝い、暇そうにパイプ椅子に腰かけ、コーヒー片手に携帯に視線を落とす少女へと収束する。
とてもではないが要人の密会の場に相応しいとは言えない、秘書見習いだとするならば眉を顰める態度の少女。だが、我部という人物がこのような場においてまで、自らの欲だけで見目麗しいとはいえ一般人の少女を手元に置くだろうか。
遅まきながら思考が働きだした的井に対し、我部は緩やかに、諭す様に柔らかな言葉を投げかける。
「運命という言葉を、的井先生はどのように捉えておいででしょうか」
「……運命?」
「ええ。運命。天命とも、因果とも言いますが、先生はどのようなものとお考えで?」
唐突な問い。だが、的井は我部が何かを意図している事を察して頭を働かせ、しかし、凡庸な答えしか返せない自分の脳を恨めしく思いつつも口を開く。
「運命など、宗教の性質の悪い商材だろう」
的井は運命という概念をぼんやりと信じてはいるものの、だからといって積極的に信じている人は宗教に騙されている愚か者だと考える程度には凡庸な感性を持っていた。
その答えに、我部はくすりと笑みをこぼすと、改めて諭すような調子のまま的井へと告げる。
「運命はあります。現在に対して過去という積み重ねがある様に。現在という要素によって形作られる、まだ訪れていない時間という未来があるように。運命とはそれらの流れそのもの」
「それが、なんだというんだね」
「能力とは不可思議なものです。生身の人間がトラックを受け止め、火を噴き、獣の如き身体機能を作り出す。……常人には見えざる未来すら見据える事のできる能力者すら」
「――まさか、彼女がそうだと?」
我部の持って回った言い回しに一筋の光を見た的井はバッと、壁際に腰かけた少女――道敷穂憂へと再び目を向けた。
もし、彼女が未来を見通すことのできる能力者なのだとしたら。
この現在すら彼女によって見通され、更にはその先まで見通した先のものであったとしたならば。
いやさ、未来を知る、未来への手が打てるというのは、政治家という職業であればこそ喉から手が出るほどに欲してやまない力である。
目の色が変わった的井に対して、我部はゆるりと首を横へ振る。
「いいえ。彼女の能力は未来予知などというありきたりなものではありません」
「では――」
「彼女の力は因果の掌握。望む未来を引き寄せ、望まざる結末を他へと押し付ける因果の絶対則」
「な、ん……!?」
そんなもの、もし仮に本当であるとするならば、そんなどうしようもなく破格の能力者がいるのだとするならば。
「運命をただ見るのではない。彼女こそ運命の織り手。自らの手で望む未来を作り出す女神ですよ」
「そ、そんな、そんな力が」
「信じられないのも無理はない。ですが、的井先生。破滅と思い込んで来る未来に悲観する暇があるのならば、望みうる最高の未来へと向けて準備することを、私はお勧めしますがね?」
もし仮に我部の言葉が真実正しいとするのならば。運命が味方をしているというのであれば。
的井に対して起こる疑惑などはすべて退けられ、ただ、あるべき位置に、高きから水が流れ落ちる様に自然に、的井の為したい様にすべてが成ってゆくのだとしたら。
「……」
静寂の中、的井の喉が鳴る音だけがやけに響いた様な錯覚。
もはや的井の視界には我部の姿は映っていなかった。
ただ、耳から入りこむ我部の声が囁く、自らの為したいことはなんだ。自分たちの共通して為すべきことはなんだと問う様な声に、これから自分がどう動くべきかの内心が急速に固まっていく自覚だけが全身を支配していた。
「……我部先生。詳細について少々相談が」
「ええ。今後の日本の為。これからも惜しみない協力をお約束しましょう」
事件の収束は見えているという我部の言葉を皮切りに、来る政変と新しい日本という国家の行くべき道について議論を交わす老人たちを傍目に、運命の糸を縒る少女は退屈そうに携帯の画面に映る連絡先に目を落としていた。