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幕間8-1 砂塵に蠢く影

★ややグロめの描写があります。

 これは砂塵に閉ざされた東都の中に起きた、あの日ありふれていた悲劇の中のひとつ。

 ――他と違う点があるとするならば、決して表沙汰になる(・・・・・・・・・)ことのない(・・・・・)、と枕詞が付く、時代を変えうる事件の中に紛れ込んだ、もうひとつのターニングポイント。






 ◆◇◆


 唐突に首都上空に砂塵が舞い、雲よりもなお厚く冬の空を閉ざして豪雪地帯の如く砂が降り注ぐ異常気象に見舞われた世界屈指の大都市であり首都、東都の混乱はもはや疑いようもなく、あらゆるライフラインが寸断され、どこへ行けばいいのか右往左往する避難民は勿論のこと、それらを誘導するべき警察や消防、自衛隊すら東都各地で出没した暴徒の対処に追われてそれどころではないという未曽有の大規模テロ。

 テロ――そう断言できたのは事件の後からではあるが、当時とてこれがただの大災害、異常気象であるなどとは誰しもが思っておらず、早急な原因究明が求められる中、民衆によって選出された国の中枢を担うお歴々が集う議事堂はといえば――。


「被害状況はまだ把握できないんですか!?」

「警察はどうなってるんだ警察は!!」

「そんなことよりも我々の避難を優先すべきだ!」

「この現象を予測できなかった総理はどう責任を取るつもりなんだ!」


 民衆と一切変わらず紛糾していた。

 しかもその内容はと言えば、被害状況の確認はまだかと急かす者、民衆の安否や現状の認識よりも保身を優先しようとする者、果ては、誰が予想できただろうという現状の責任を政敵へ放り投げようとする者など、避難民の方が道徳があると言われても仕方ない醜態が繰り広げられていた。

 既に主だった者たちは各所から入ってくる報告を通じて東都に起きている事件を調べており、独自に活動を開始していた警察機構や自衛隊に略式ながら正当な行動許可を与えて事態の収束へと向けた取り組みを指示しており、彼らがこの場に留まり続ける合理的な理由は存在していないため、避難するならば早急に行うべきなのだが、彼らにはその選択肢を取れない理由があった。


「(騒ぐだけならばさっさと逃げればいいものを……。先に避難すれば収束後に揚げ足取りに使うつもりなんだろうが)」


 きわめて政治的な理由によって紛糾し、興奮の中に顔色を窺う様な様子が見え隠れする野党議員たちをうんざりした様子で眺めていた的井の下へ、自身の秘書を務める男が姿勢を低くして駆け寄ってくる。

 耳打ちされた内容に小さく頷き、議員全員を避難させる準備が整ったことを総理大臣の佐沢へと報告すれば、佐沢はようやく一安心したという風にほっと息を吐いて壇上へと。マイク束へ向け、紛糾する議員たちを一括する様に声を張った。


「ただいま、避難経路の確立が確認されました。これより局員の指示に従って避難を開始してください」


 総理の避難宣言に先ほどまでとは別種の声が方々から上がる。


「国民を差し置いて避難するのですか!」

「総理! 無責任だとは思わないのですか!?」


 いつものように噛みつく声がやけに大きく響くのも、そのざわめきの大半が自分の安全がひとまず確保されたことによる安堵によって声のトーンが下がった議員が多かったのも理由であっただろう。

 この期に及んでパフォーマンスに終始する野党の顔とも言える面々は周囲が呆れている事も気づかず鼻息荒く佐沢へと噛みつくが、佐沢がそうした面々に言葉を返すよりも早く、議事堂の扉が大きく開かれて警備員服に身を包んだ男たちが駆け込んできて声を張る。


「砂嵐の巨人が、巨人がこちらへ向かってきています! 指示に従って避難を!!」


 警備員の声は騒ぎの中に掻き消されることなく、ちょうど声高に噛みついた野党議員への答弁の為に空いた空白に滑り込んだ逼迫した声は、議員たちの重い腰を叩いて持ち上げさせる。


「――そういうことです。我々内閣閣僚は皆さんの避難の後に追って避難しますので。皆さんが避難しない限り我々は避難できないという事です。速やかに職員の指示に沿って避難を」


 有無を言わさぬ佐沢の宣告に、踏み込んできた警備員たちが手近な議員を連れ添って何人かにまとめて連れ出してゆけば、あとはもう我先にと会議場を出る人の波が出来上がるばかり。

 先ほどまで声高に主張していた議員もいつの間にかその中に混じっていることを確認した佐沢は傍へ寄って来ていた的井へと小さく声をかける。


「これでよかったのか?」

「はい。彼らの避難は対策局の転移能力を持つ職員が担当し、大規模に一括して逃がせると局長からの連絡がありました。それと並行し、我々内閣の人員は個別に迎えがくるとのことですので、そろそろ私たちも避難を」

「わかった」


 実に面倒臭い話だと、国民の安全という体裁で緊急時にすら政治的なパフォーマンスに終始する輩を見送った佐沢は見る間に数の減っていく議事堂を見渡して小さく頷いた。




 そうして多くの人員が避難のために動き出して暫く、遅まきながらの避難であったことが災いであったかのように、国会議員たちは災難に見舞われていた。


「救援は、救援はまだなの!?」

「申し訳ありません、避難経路が吹き込んだ砂嵐で寸断されてしまっていまして。警備部でも情報が錯綜していますので、安全なルートを探りながらの移動になってしまいまして」


 とある議員団体は避難経路に吹き込んだ砂嵐が作った瓦礫や砂の山によって道を塞がれ。


「おい、どうなっている!? 何が起きたんだ!?」

「すみません、どうやら電力が届いていない為使えない経路が出ているようで、加えてこの天候で足元もままならない状況ですので安全を考えますと……」


 普段使わない道を歩かされ、迷路のように入り組んだ区画に迷い込んで時間を浪費してしまった者。

 順当に脱出できた者も数多くあれど、ごく一部の議員が脱出に難儀する様な状況がそこかしこで発生してしまっていた。

 ……だが、そうした被害に遭った者を俯瞰してみる事の出来た人ならば気づけただろう。

 順当に避難できた者とそうでない者に、明確な共通点があったことに。




 国会議事堂の中でそのようなことが起き始めているとは露知らず、人の消えた大会議場からようやっと移動を開始した閣僚達であったが、先に触れた様にライフラインが断絶され、日頃通る道の多くが瓦礫や砂によって寸断されてしまっている環境はもはや自分たちの知っている世界とは別物へと変貌してしまっていることに遅まきながら気づき、避難を急がなかった一部への文句を飲み下して硬い顔で最後まで残っていた警備員と共に脱出を目指していた。


「こちらの道は潰れているのを確認しています。通れないこともないのですが、外から吹き込んだ砂が小山を作っていて先生方の体力ですと厳しいかと」

「そうか。別の道は?」

「はい、やや遠回りになりますが……」

「構わん」


 そのようなやり取りがいくつか繰り返され、一同は導かれるままに暗闇に満たされた区画へと踏み込んでいた。

 常であれば電灯によって照らされた整然とした通路があったはずのそこは、電力供給がなされていないことによって完全な屋内であったことが災いし、昼間であるというのに濃い闇に満たされ、非常灯の緑色の明かりだけが唯一の頼りという有様であった。

 先導していた警備員が腰から取り出したライトで照らし歩くこと暫し。

 その後を総理大臣をはじめとした主要閣僚が続いて歩く静かな足音だけが支配する静寂。


 ――ガシャン。


 さほど遠くない場所。されど闇の中、正確な位置まではわからない距離で何かが倒れる音が響いた。


「っ!」

「先生方、こちらの部屋へ」


 機敏にライトをかき消し、手近な部屋の扉を開けて避難を促した警備員の声音の真に迫った様子に慌てて部屋へと駆けこめば、そこは普段小会議などで使う小部屋。

 何が起きているのかを確認しようと口を開きかけた閣僚のひとりは警備員が張り詰めた様子で扉の外に耳を充てている姿に口を噤み、同様に耳を澄ませて通路の様子を窺う様に息を殺す。


うふ(・・)ふふ(・・)()


 そこへ小さく聞こえた女のものと思しき笑い声(・・・)

 耳を澄ませていた者ほどギョッとし、その音の出どころを探ろうとしたものは悲鳴すら上げられないほどに息を呑む。


 それは最初から室内に――閣僚たちが一時退避先へと選んだ小会議場の壁際にひっそりと佇んでいた。


「ふふ。ふ」


 仄暗い闇に溶けるような、静かで、それでいて熱に浮かされた様な、砂塵の中に紛れた歪な笑い声が停電した室内に零れる。

 くるり、くるり、と。暗い屋内だというのに差された日傘が転がされ、傘の端を彩るレースが揺れる。

 その下に存在するのは、宵闇もかくやというほどに黒々とした、顔すら隠すほどのストレートの長髪。


「ッ!」


 警備員が弾かれたようにライトを灯してそちらへと向ける。

 だが、


「な――」


 ライトの光が不自然に撓む。まるでその女性を照らすことを拒むかのように。

 辛うじて見える女はゴシック調のロングドレスを纏っている事だけがわかるが、それだけだ。

 暗闇の中、まるで喪服のようにも見える黒々としたドレスの視認性は最悪に近く、たまたま女の佇んでいた壁際に近い閣僚がぎりぎり視認できたか否かという程。

 そしてなによりも、彼らの目を惹いたのは、女の背後に聳える――()


「あ、あ、あ……っ」


 ライトの明かりに照らされ浮かび上がった壁。その一面に天井にまで伸びるかというほどに巨大に、色濃く象られた影は女のもの。

 だが、その形は日傘の女のものとするにはあまりにも異質で――異常だった。


「よろこんで、くれるかしら。私、がんばる、わ。ええ。私、やくに、たつ、もの」


 女の口から零れたであろう、不自然に途切れ途切れな陰気な声も気にならない。

 壁に、部屋を覆いかぶさる様に大きく伸びた女の影を前に、海千山千の閣僚たちは立ちすくんでしまっていた。


 ――それは断頭台の刃を思わせるナニカを掲げた巨人。

 警備員の手元で小刻みに揺れるライトによって揺らめく明かりの中でしっかりとその像を固定して、そこに在るのがただの影ではないと主張する巨大で異質すぎるソレ。

 女が何者なのか、なぜここにいたのか、そのような問いを発するよりも早く、女の影が動く(・・)


「お願い、ね。――【擬装闇器(シャドウアート)】」


 女の声が先だったか、影の持つ巨大な刃が振り下ろされると同時に人が真っ二つに裂ける(・・・・・・・・)のが先だったか。

 そこから先は誰も覚えていない。

 放心したように目の前の現象を受け入れられない閣僚の横で、半狂乱になりながら自分たちが入ってきた扉へと走り出した議員の頭が消える。

 次いでごとりと重いナニカと、湿った音が響いて大きく転んだような音。

 警備員が自分の目の前で起きた凶行に思わずライトを取り落とし、本能的に扉を開けて元凶から距離を取ろうと振り返って扉に手をかけた所で、扉をびっしりと覆う何かに気づいて叫び声をあげる。

 それは影。本来質量を持たないはずの、感触もなにもあったものではないはずのそれを、直感的に影だと認識した警備員だったが、次の瞬間、扉のノブに触れてしまっていた手に伝う生温い感触が手首を、腕を這い上がる。


「あああああああっ!?」


 警備員の断末魔に似た叫び声に我に返った議員が女から思わず目を離してそちらを見れば、先ほどまで自分たちを先導していた警備員が黒いナニカによって宙に釣り上げられて雑巾の様に絞り千切られる最期の姿が降り注ぐ肉交じりの赤黒い粘液と共に目に入る。

 直後に部屋を充満するむせかえるような血と肉の匂いに何人もの議員が嘔吐し、さらに何人かはふっと意識を手放す様に床へと転がる。

 あまりにも異常で悲惨な襲撃はそれでも止まず。


「うふ」

「ぎぇ――」

「うふふふ」

「あぎっ、あ、ぁ……っ」

「うふふふふふ、ふふ、ふ」


 壁際に佇むだけの女をどうこうしようという機転も働かぬまま、何人もの人間が刺され、刻まれ、砕かれてゆく地獄。

 満足に動ける者は逃げまどう様に、どうにか部屋の外へと出れないかと扉へと殺到する。

 だが、完全に閉ざされているのだと思い知らせるように壁際から生えた影が更なる被害を、犠牲者を生み、やがて部屋中が黒ずんだ赤に塗れ、かつての清潔さが嘘の様な惨状へと姿を変えた頃。


「――ふ、う。これで、あのひとも、褒めてくれる。ほめて、くれるかし、ら」


 くるり、くるりと。日傘を回した女が頬を赤らめて、褒められることを楽しみにする子供の様に淡く笑う。

 同時に影がするりと部屋の外周から引いて、女の本来の影へと収まる様に収縮してゆく。

 闇の中にあってひと際濃かった女の影が正常なサイズ、正常な濃度へと戻り、女が血肉を避ける様に歩き出すのと同時。


「ッ!」

「あ……」


 部屋の隅、同僚の死体の影に隠れてやり過ごしていた生き残りが、女よりも先に部屋を出ようとその歳に見合わない、火事場の馬鹿力の様な瞬発力で扉へと駆けだす。

 女は咄嗟に影を差し向けようとするが、女のいる部屋の最奥と、扉にほど近い場所に潜んでいた議員とではさすがに議員の方へと軍配が上がる。


「はぁ、はぁ、はぁっ!」


 扉に手をかけた議員はその扉にも壁にも影が張り付いていないことを認識すると同時に扉を開き――


 ぱんっ(・・・)


 乾いた音が目の前で響いたことを理解するよりも先に、その身体がずり落ちる様に扉に手がかかったまま床へと転げた。


「……やるなら最後までしっかりやってくれよ」


 半開きになった扉。

 そこから、内部に籠った死臭が一気に通路へと流れ込むのを突っ切って部屋へと入ってきた声の主が心底不快そうに口元を手で覆い、手元の銃から漏れる硝煙の名残が混ざり合って更に酷い匂いになったことに部屋へと踏み込んだことを後悔して手を振う。

 そんな男へと歩み寄ってきた女が申し訳なさそうに頭を下げた。


「ご、ごめんなさ、い。く、栗枝(くりえだ)さん」

「……あーあー。一応誤魔化しが利くとはいえ、派手にやったなぁ。これじゃ襲撃犯がテロリストって言い張るのも難しいんじゃねぇか?」

「でも、しっかり、殺しておかない、と」

「ん? ああ、そりゃそうだがな。……っと、急ぐぞ。逢坂(おうさか)。避難が終わる」

「あのひとは、ほめてくれるかし、ら」

「どうだかな。ま、悪いようにはならねぇんじゃねぇの。行くぞ」

「う、ん!」


 空になった薬莢を拾い上げた男が何かを察したように話題を切り上げ踵を返せば、女――逢坂愛がひょこひょこと親を見つけた小動物の様にその後ろを小走りで付いてゆく。

 ふたりの気配が完全に通路の先へと消え、そこへ、どこかの壁か窓が破損したのだろう、吹き込んだ砂埃が血を吸って床に積もる。

 暗殺の証拠も、残滓も、降り積もった砂が何もかもを覆いかぶせてしまえば、残されたのはただただ凶行があったという事実だけがそこに残されていた。

 たった数分、避難中に分断し、ともすればすぐに合流できたであろう針の穴を通すような隙間の時間にねじ込まれた凶行はこれだけではない。

 先に避難を開始した与野党の議員の一部も、少なからずこの日を境に謎の失踪を遂げ、そのことについてメディアは面白可笑しく囃し立てるものの、目に見える現実として押し寄せる東都復興、日本再出発の眩い動向によって日陰に追いやられたそれらは人々の意識から瞬く間に追いやられてゆく。






 今日、この日の国会議事堂で起こった惨事を俯瞰して観測できた者が居たならば、こう感想を溢しただろう。

 “あまりにも都合のいい人物だけが死んだ”と。

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