11-58 東都崩壊戦線-終幕
宙に浮かんだ鉄と真空の揺り籠に包まれていた砂が弾け、圧縮されていた大質量が揺り籠の底へと落ちる中、黄泉路が突入した穴から少量の砂と共に固形とわかる塊がずり落ちる。
それは人の形をしており、そこそこの高所からの落下であることもあってまず助からないだろうと一目でわかった。
頭から落ちたそれがべしゃりと音を立てて僅かに漏れ出ていた砂が堆積した地面へと打ち付けられる。
「……もうヤバげな感じはしねーな」
「終わったの……?」
それぞれの能力で檻を形成していたふたりが溢せば、既に魔法の行使を終えていた刹那は小さく鼻を鳴らす。
「ふっ。やったようだな。我が好敵手よ」
その声を皮切りに、真空を解除した檻から砂が漏れ始め、ざぁざぁと雨の様に地面をたたく音が鳴り始めると、彩華は度重なる能力行使によって痛む頭の訴えをようやく受け入れられるとそっと息を吐いて、足場としていた巨大な葉から手を退ける。
制御を失い、自重に軋み鈍い音を響かせて解けてゆく鉄茨の籠から黒い姿が飛び降りる。
手にした銀色の槍が細かな粒子となって宙に溶け、小さな砂山と化した地表へと着地した黄泉路は先に落下していたソレへと目を向け、そっと息を吐く。
「まだ、やりますか?」
仮面も割れて露になった素顔に宿る憐みとも慈しみともつかない表情に、彩華が一瞬言葉を失っていると、黄泉路の足元、砂山の頂点からひび割れた声が鳴る。
「……た、まえ……だ……!」
その声はこの場にいる全員が聞き覚えのある、砂が擦れ合う事で戦場全域に響き渡っていた男のもの。
だが、力任せに巨人を進ませていた時と比べると覇気――というより、もはや生命力すら感じられないほどに枯れてしまった印象を受けるその声に、彩華や祐理は一瞬誰が喋ったのかわからなかった程であった。
とはいえ、この場に存在する人物には限りがある。一拍遅れて敵がまだ生きていることを理解した祐理がさっと指を構えた所で、すぐ隣へと浮遊してきた刹那が杖先を祐理へと向けた。
「何のつもりだよ?」
「既に領分は我が好敵手――幽世の王へと移った。無粋な真似はさせんよ」
「チッ」
言葉の意味の半分程も理解できる単語が存在しなかったものの、それでも黄泉路とマーキスに割り込んで仕留めに入ろうとすればこの魔女は躊躇なく先ほどまで巨人に向けていた魔法を自身に揮うだろうと確信してしまった祐理は小さく舌を打ち、構えた指はそのままに意識の大半を魔女へと向ける。
上空で張り詰めた緊迫感を他所に、黄泉路はマーキスへと語りかける。
「彼らは貴方に止まってほしいと言っていた。それは伝えたはずだけど」
「――決、まってんだろ……!」
元の成人男性サイズの姿へと戻されたマーキスだが、その身体はとうに限界を超えていた。
能力の過剰増強の反動によって崩れ去った肉体を魂に紐づいた能力、ただ1点によってつなぎ止め、原型を成しているだけの砂の塊。
それが今のマーキスであり、ある意味では黄泉路の在り方に最も似通った存在と言えた。
もはや足元に積もった砂を取り込むことはおろか、操作することすらできないにも関わらず、マーキスは砂の斜面を這う様に全身を引きずって前へと進もうとする。
黄泉路は止めなければならない立場だ。これ以上、何をすることもできないことを誰よりも知るが故に先ほどまでの様な危機感はないものの、それでも、黄泉路はマーキスを止めに来たという目的がある以上、何かをしようとするのを遮らねばならない。
追い打ちをかける様で気乗りしないものの、黄泉路はマーキスを止める為にここに来たのだと、後を追って一歩、砂山から足を踏み出す。
両者の歩みは遅々としたものだが、満身創痍、気力だけで前へと進まんとするマーキスと比べれば、健常者としての歩みを維持している黄泉路の歩幅の方がはるかに速い。
あと数歩もしない内に追いついてしまうだろう。そうなれば、マーキスがどんな行動を起こそうとも覆らない現実として黄泉路が死を齎すだろう。
だが――
バラララララララララ。
刹那や祐理の立つ上空、その更に上に爆音が響く。
「――報道ヘリ」
思わず頭上を見上げた全員の眼に、いくつもの機械的な影が空を交錯しているのが目に留まった。
「(砂嵐が止んだらマスコミは報道の為にいち早く動くのは自然か)」
騒ぎが終息に向かう直前の報道陣の出現に、祐理は露骨に嫌な顔を、彩華は仮面越しに呆れと、次いで、黄泉路が仮面をつけていない事に気づいて焦り、刹那は満足げに胸を反らす。
三者三様の反応を示す中、黄泉路は空だけではなく、地上でも人々が動き出す気配を察知していた。
「これ以上は時間がなさそうだ。悪いけど、ここで終わりに――」
歩幅を大きくし、マーキスを一息に仕留めて即時離脱をと考える黄泉路の言葉をかき消す様に、広場と化した戦場跡に複数の大型車両がなだれ込んでくる。
黒と白の模様、国家の治安を担う集団のエンブレムが刻まれた車両が続々と広場に到着する中、黄泉路達に最も近い最前線に止まった車両のドアが開く。
「ようやく見つけたぞ」
降りてきた男に、黄泉路は不意に片隅に埋もれていた記憶が沸き上がり、
「あの時の、刑事」
「ああ。数年ぶりだな道敷出雲」
黄泉路がこの世界に――能力者として生きることとなった契機に居合わせた男を認識した。
男、永冶世忠利にとっても、黄泉路はある意味特別な存在だ。
ただ自分が刑事として、警察として、容疑者を捕まえることを求められていた単調だが充実した日々に疑問を投げかける切っ掛け。ただの怯えた少年にしか見えない、偶然持ってしまった強力な力に振り回された憐れな被害者にしか見えなかった少年に掛けられた重罪の容疑。
掘り下げてゆくにつれて膨らむ自らの組織と上司への不信感が、そのまま自身の警察官を目指した信念と向き合わせるようで、数年に渡る調査と協力者のお陰で見え始めた光明と、年月を重ねたことで手に入れた地位。あとは目の前の――あの日から一切変わらない少年を確保すれば。
決意に満ちた瞳に見つめられた黄泉路が硬直していたのはほんのわずかな時間。
だが、そのわずかな時間が、マーキスにとっては何よりの天啓であった。
「は、はははははっ!!」
「ッ!」
突如、黄泉路の足元で地に伏していた男の哄笑に、この場にいる全ての人間の注意が集まる。
上半身を使って仰向けになったマーキスの顔が空を――報道ヘリを睨むように見据え、その口の端に狂気じみた笑みが浮かぶ。
もはや立つこともできないのだろう。すぐ近くにいる黄泉路には、マーキスの足先は既に粒子と化して消え始めているのが見て取れており、その粒子が自らの内に流れ込んでくるのが確かに感じられていた。
「な、ぁ……」
「……」
「俺、の目的が、知りたい、っつったよなァ」
「今更何を」
黄泉路が困惑ながらに、それでも、何かをするつもりだという予感に突き動かされて手を下そうと身動ぎをした瞬間、
「動くな!」
「っ」
パス、と軽い音が響くと同時、黄泉路の右肩が跳ね上がる様に後方へと流れる。
消音装置の取り付けられた銃口が僅かに煙を上げ、黄泉路を狙った銃口をそのままに眉根を寄せる永冶世の姿が黄泉路の視界の端に映る。
永冶世もこれで黄泉路が止まるとは考えていないが、これだけの事件を起こした犯人をみすみす目の前で殺させるわけにはいかないと、駆け付けた機動隊や公安の部下たちに確保の指示を出そうと声を上げようとした、その時だ。
「――これは“復讐”だ! 俺たちを蔑んできやがった奴らへの、便利に使い潰そうとしてやがるクソ共への、【塵芥の反逆】だ!」
マーキスの声が響き渡る。
その声は死にかけの男から発されたとは思えないほどに明瞭に、言語の壁すら突き破って空へと――報道陣が構えたカメラ、リポーターの持つマイクに吸い込まれる。
「ッ、奴を止めろ!」
即座に異常性を感じた永冶世が命じるも、マーキスは仰向け、遠距離から止める手段は銃撃以外になく、下手に撃ってしまえば殺しかねないという判断から手を出すことができず、かといって接近するまでにはいささか距離があり過ぎた。
マーキスが次の言葉を発するには、十分すぎる距離が。
「俺ぁこの街にも、国にも、何の恨みも目的もねぇ! アメリカ衆央国国防総省に命じられただけだ!」
吐き出された言葉が、浸透する。伝播する。拡散する。
これだけの大事件だ。世界的にも類を見ない超大規模なテロリズム。それを、世界各国のメディアが報じないはずもなく、日本メディアは勿論、現地特派員からなる各国主要メディアが特ダネとして生中継を行う最中に、言語を飛び越えて。
言葉の意味が、テロリストが何を言っているのかを理解してしまうよりも早く、マーキスが矢継ぎ早に、1秒ごとに溶けだしてゆく命を振り絞る様に吼える。
「同盟国荒らして出し渋ってる研究成果を奪って来いとさ。天下の世界の警察様が同盟国を背中から刺すなんざ大層なご身分だよなァ! はははははははっ! よっぽど自分より下の奴が力を持つのが怖いらしい!」
目的は、最近になって急激に飛躍した日本の能力関係技術。
日米に拘わらず、多くの国に対してその技術の提供が限定的な日本に対する強硬手段であると、マーキスの告発ともとれる発言が世界中を駆け巡る。
一部のメディアはすぐさま中継を切り上げてスタジオのアナウンサーやコメンテーターにお茶濁しをさせるものの、所詮は一部、世界規模に配信されてしまっているものを自粛して乗り遅れることを嫌うメディアや、これ幸いとアメリカの醜聞を拡散しようとする国の意向も合わさった中継は止まらない。
「俺達みてぇな差別されて当然の――人種が違って能力がある奴らなら切り捨てて問題ねぇと高括ってやがるアホ共の吠え面が見れねぇのが残念だぜ!」
次いで示唆される動機は、アメリカ衆央国の実情を良く知るモノならばなるほどと思うだけの説得力を持って、アメリカ本国にすら響き渡る。
アメリカ衆央国は多民族国家だ。その来歴は西欧白人社会の進出による原住民狩りと占領に始まり、原住民たちが呪術や魔術と称した能力によって抗し、現在に至るまで根深い禍根をその底に敷き続けてきた。
故に。マーキスという人物の外見からわかる人種。今回の様な大規模な事件を起こせるだけの力が、どれだけアメリカにとって不都合な存在であったかが類推できてしまえば、そうした事情に明るいものほど口を噤み、放送に齧り付く様に、ひとりの男の反逆を見つめてしまう。
「どうせシラ切るつもりなんだろうが、証拠は、ここに、ある……。潜在敵と手を組んでまで、同盟国を裏切った、証拠がな……! 踏ん反り返ってるだけの、ボケ老人共め……ざまぁ、みやがれ……」
だんだんと、弱くなる声。
だが、元より距離と関係なく響く、魂の叫びは仔細まで届き、メディアの映すカメラの拡大映像が、震える手で服の内ポケットから取り出した厳重に幾層もの封がされた小さなケースを掲げるのを捉えていた。
「……」
マーキスの震える手が、死へと向かう瞳が、黄泉路を見上げて離さない。
「受け、取れ」
「どうして」
僕に、という言葉を飲み込んだ黄泉路は、マーキスの視線にこもった感情を理解してしまう。
自身の内に宿ったマーキスの部下達。そしてマーキスが、ここまでした理由。ここまでせざるを得なかった理由。その楔となるモノを、黄泉路は無下にできない。
そう確信しているのだと、黄泉路はマーキスの瞳を通して理解してしまう。
「(仲間を――付き従ってくれた人たちを使い捨ての駒として消費して、そうされた側も納得して、目指したもの……)」
気づいた時には、黄泉路は震える手でケースを受け取ってしまっていた。
指で挟むケースの固い感触にハッと我に返った黄泉路だが、今更これを捨てるわけにも、マーキスに付き返すわけにもいかず、ただじっと近づいてきたマーキスの最期を見つめるしかない。
「は、ははは……お前なら、手に取ると、思ってた、ぜ……」
「そこまで、信頼される様な事してないと思う、けど」
「――いい、や。お前は、俺達を受け入れた、お前なら、引き受ける、と、思ってた……!」
「……」
既に、マーキスの下半身は粒子と化して溶け、掲げた手もヒビから細かな粒子が零れ落ちている有様で。
あと数秒もしない内に全身が砕けて崩れてしまう、そんな危うさを醸し出す中、マーキスは最期の最期で挑戦的に笑う。
「俺が死んでも何も変わらねぇかもしれねぇ。だが、お前ら、今、見てる奴ら、注目しろ。注視しろ。この英雄がどうなるのか!」
「――!?」
ケースを渡した指先が、黄泉路を示す。その指先がパキリと音を立てて崩れ、指が、拳が、手首が、腕が、徐々にさらさらと崩れて溶けていく中、マーキスの示唆が木霊する。
「この国を、救った、英雄だ! それに報いるか、裏切るか、見ものだよなぁ!? ハハハハハハッ――」
対外的に見れば確かに黄泉路はこの国の窮地を救った英雄に違いなく、その英雄が今後どう扱われるか、それが世界に問われているのだと、世界の警察の暗部として恐慌に手を染めた男が嗤う。
さながら、世界の行く末を見定める様に。自分が壊したかった世界が、どう変わるのか、期待する様に。
それらすべてを黄泉路に対して祝福めいた呪いとして被せながら、マーキスの身体は一片までもが粒子となり、細かな粒が黄泉路の内へと流れ込んで消滅した。
「……」
哄笑の余韻がヘリの爆音に掻き消され、立ち尽くす黄泉路の横で、ふわりと銀の髪が揺れた。
「何を辛気臭い顔をしておるのだ。魂の安寧を求めた迷い子を受け入れた慈悲深き幽世の王よ。貴様は英雄なのだろう? であれば誇るがいい」
「刹那ちゃん……」
顔を上げれば、宙に居たはずの刹那がいつの間にか横に並び立っており、当然だとばかりに胸を張っていた。
刹那によって余韻からも引き上げられた黄泉路は、次いでこの場をどうすべきか、このケースの中身をどう扱うべきか考えていると、刹那はふと思い出したように杖先を黄泉路達を包囲する途中で固まっていた警察へと向ける。
「さて、我が好敵手の役も終わりだ。そこな公僕共」
「!」
魔女としての実力を知る黄泉路も、事前のブリーフィングで危険度を周知されていた警察もギョッとする中、刹那は我関せずといったいつも通りの調子で杖を軽く振るう。
「此度の黒幕のひとりだ。好きにするが良い」
「――!?」
杖の仕草に合わせ、包囲の最前線の付近にどさりと重たいものが転がり、一瞬危険物かと身構え、盾を固めた警察だったが、すぐにそれが人であることを認識し、先の刹那の発言が追って理解につながってその表情が一様に驚愕に彩られる。
「先に逝った男の共謀者よとはいえ、互いに切り捨てるつもりであったようだがな」
「刹那ちゃん、捕まえててくれたんだね。ありがとう」
「ふっ。契約だからな。汝、決して我との契約を違えるなよ」
「うん。近いうちに、必ず」
黄泉路が頷けば、刹那は警察がどよめき、動きに混乱が生じているのをいいことに再び宙へと舞い上がると、報道ヘリの方へとぐるりと身体を向けてポーズを決める。
「では、我は去るとしよう。我が名は黒帝院刹那! 幽世の王の好敵手にして終焉の魔術師! 世に蔓延る悪よ、我を畏れよ!! ふはははははははははっ!」
そのまま、唖然とする周囲の注目を奪った刹那の身体がふっと消える。
「(あっ、すごいいい感じに逃げた……)」
黄泉路は刹那が上手いこと退場したことに一拍遅れて気づいて愕然とする。
次いで、動揺から復帰した人々がどう動くのかを察した黄泉路は慌てて彩華の傍へと駆けよらんと体の向きを変えれば、彩華も察したのだろう。小走りに砂を蹴りながら黄泉路の方へと駆け寄ってくる。
「っ、待て!」
「……」
「君の懸念も分かる、だが、悪いようにはしない!! 俺を信じて欲しい!」
黄泉路の背後、永冶世が黄泉路へと声を張る。
だが、黄泉路にとって永冶世とはかつて自分を追い詰めた公権力の手先でしかなく、何一つ信用する要素のない相手でしかない。
彩華という仲間と共にいち早く離脱しなければならない現状において、そんな言葉に耳を傾ける理由など皆無で、
「(オペレーター、姫ちゃんは!?)」
『すぐ迎えに行かせますよぅー!』
「君の親友や家族だって、今の君の状態を喜んだりしないだろう!?」
「ッ」
標へと姫更を向かわせるように要請した黄泉路が彩華を庇う様に合流すると同時、背後から掛かった永冶世の言葉に、黄泉路は小さく息を噛む。
「……」
「今ならば、昔のようにはならない。俺を信じてくれ」
「どの口が」
吐き捨てるような黄泉路の言葉に、刺すような視線に、永冶世が言葉に詰まる。
その瞬間を見計らったように、黄泉路と彩華の背後に猫を象った仮面を被った少女が現れ、
「それでは、さようなら」
3人の姿が一瞬にして掻き消えると、包囲しようとしていた警官たちが視線を彷徨わせ、警戒を始めるざわめきが強く広がってゆく。
騒ぎの中心にありながら、喧騒から距離を取られるようにぽつりと残された様な錯覚の中、永冶世はだらりと下ろした手を強く握りしめた。
「……」
去り際の黄泉路の視線こそが、かつての自分が追い詰めてしまった少年の果てを見せられた様な気がして、永冶世は無言のまま黄泉路が去った後の空白を見つめていた。
永冶世が立ち直ったのは、その後すぐに降り立ってきた祐理が自身の身分証明で警察と揉めだしてからのことであった。