11-56 東都崩壊戦線-急ノ十
彩華によって急速に成長させられた大樹の幹と見まがうほどに巨大な鉄の茎に捕まった黄泉路が上空へと駆ける。
目指す先では小さくなっとはいえ機敏に、より高密度に纏まった人型の砂塵が腕を振り回し、腕に巻き込むすべてを削り取りながら乱れ舞う死の暴風域。
だが、その様な空模様の中、踊る様に、舞う様に、重力の軛から解き放たれたように動き回る少女の銀の髪が陽光に反射して翻る。
「ふははははははっ! 多少機敏になったとて我には届かんぞ! どうした、もっとあがいて見せよ!」
巨人を前に一歩も引かず、砂塵の中にあって明朗に響く哄笑はどこまでも空気を読まない。
自分こそが環境、自分こそが理、自分こそが中心なのだと全身で叫び、主張する魔女の下へ、黄泉路を運んだ茎が届く。
「刹那ちゃん!」
「ふはははは――む。呼んだか。幽世の王よ」
刹那の動きが黄泉路に合わせて留まると同時、迫る砂塵の腕を一瞥した黄泉路が無掌幻肢の3対のうち1対、2本の腕のみを茎に残して飛び上がると、手にした銀の槍の穂先が残る2対4本の赤黒い塵の腕によって揮われて空中に弧を描く。
ざりり、と、細かな粒子が擦れ合う音が砂塵に混じり、黄泉路と刹那をその空間ごと薙ぎ払う軌道の腕が巨大な銀槍の刃を滑って流される。
「さっきはありがとう」
「……べ、別に貴様を助ける必要などなかったことは百も承知よ。我を足蹴にしようなどという不遜な輩への相応の罰というやつで――」
「刹那ちゃん」
受け流した姿勢から反転、振り返りざまに先ほど言いそびれた礼を口にする黄泉路に、刹那はさっと顔にほのかな赤みを帯びつつも言い訳めいた、誰の目にも照れ隠しだとわかる言葉の羅列を並び立てるが、残念ながら悠長に付き合っている余裕のない黄泉路は改めて名前を呼ぶことで刹那の注意を再度自身へと向けさせる。
「頼みがあるんだ」
「はっ。我に頼みとは、互いの立場を忘れたわけではあるまい? まぁ見ていろ。すぐに片づけて汝との再戦を」
「だからこそ、協力して早く片付ける気はないかって思ったんだけどね」
正面からの協力要請に応じさせるのは手間がかかると踏んだ黄泉路は、あえて挑戦的な口調を作り上げて刹那から視線をマーキスの方へ、
「あーあ。ライバル同士の共闘とか、めちゃくちゃ格好いいし憧れるシチュエーションだと思ったんだけどなー。それに早く、華麗に片づけられればその分だけ注目も集まってすごいことになると思ったのになーザンネンダナー」
顔こそ背けているものの、その声は明らかに刹那に聞かせるためのわかりやすいもの。黄泉路自身、うまく演技ができている自覚などなく、むしろわざとらしく触れた方が刹那の琴線には触れるだろうと仮面の奥で苦笑が浮かぶ。
再び振るわれるマーキスの拳――今度は叩き潰す様に縦に降ってくるそれに合わせて黄泉路が槍を振るおうと構えた瞬間、
「な、汝がそこまで言うなら仕方ないな!!!」
ボンッ、と。頭上で炸裂する爆炎が砂塵の表面を焼き、その衝撃が理を無視して拳だけを上空へと跳ね上げる。
爆炎の残滓が砂を燃焼させ、空中にチリチリと花火の残滓の様に解けて散る中、刹那は得意げな顔を浮かべて黄泉路に問う。
「聞かせるがいい。策があるのだろう?」
「うん。……刹那ちゃんにしか任せられない大事な役目があるんだけど、やってくれる?」
ダメ押しとばかりに重ね重ね、刹那だけが特別なのだという言い回しで黄泉路が告げれば、刹那はわかりやすいほどに起源を良くして左右で色の違う瞳をキラキラと輝かせて杖を振りかざした。
「ふ、はは、ふはははははははっ! 幽世の王、我が好敵手、汝がそれほどまでに、我を求めるというのならば致し方ないなぁ! 今回だけ、今回だけの特例として我が背を預け共に戦線に立とうではないか!」
「……ありがとね。それで、作戦なんだけど」
振るわれた杖から何の呪文もなしに放たれた光線が大気を焼き、巨人の側頭部を掠めながら彼方の空へと駆け抜ける。
その出力は一般人はおろか、普通の能力者とて特化した能力を持たないならば即死していてもおかしくない程に強力で、ただの杖を振るだけの動作でそれを成してしまう刹那の成長に黄泉路は内心でドキッとしつつも作戦の詳細を語る。
「これから2分後、彼岸ちゃんと祐理くんに二重で檻を作ってもらう。そこに、刹那ちゃんの魔法であいつを押し込んで欲しいんだ」
「押し込むだけか? あやつを倒すにはそれでは足りんのは貴様とて承知しておろう?」
「うん。集めてくれたら、そこへ僕がこれを押し込む」
祐理を相手にするマーキスの砂巨人が先の光線を受けて再びターゲットとして定めたのを感じた黄泉路が正面から迫る拳に槍を突き付ける。
その先端が青白く発光し、水中から上がる気泡の様に細かな粒が立ち上るのを見た刹那は一瞬目を見開いたかと思うと、黄泉路の意図を理解したようににやりと笑みを浮かべた。
「ふっ。我がトドメを刺せん事には不満があるが、よかろう。幽世の王たる貴様の領分に踏み込むつもりはない」
「ありがとう。それじゃあ、1分後に」
「ふっ。集め方はなんでもいいのだろう?」
「できる限り周辺被害は押さえた方が格好いいよ!」
金属の茎に両足の裏をつけ、足の筋肉が、骨が、断裂するのも構わず最大出力で水平方向へ飛翔した黄泉路が槍の穂先を拳へと正面から突き付け、この世の理を越えた銀砂の奔流が纏わりついた槍が高密度の砂塵で構成された拳を物ともせずに切り裂いて刹那から離れてゆく。
『グ、アアアァアァアァアアッ!?』
「やっぱりだ。今ならいけるね」
痛覚など存在しないはずの砂の巨人が上半身を仰け反らせ、まるで痛みにもだえる様に肘のあたりまで避けた砂の腕を片手でかばう様にしながら吼える。
彩華が機転を利かせてか、もしくは捕獲のための準備か。先ほどよりも数を増し、巨人を制限するように乱立した太い金属の茎や蔦に飛び込むように着地した黄泉路は槍を伝って感じた手応えに小さく拳を握り込む。
「カウント1分!」
『ッ』
黄泉路の宣言が砂塵の立てる轟音に負けず戦場に響く。
それはおそらく祐理が事前に雑な作戦しか聞かされていなかったことから常に黄泉路の周囲の大気を操作して振動を伝え聞いていたからこその機転なのだろうが、乱戦の最中に特定の相手にだけ声を届けるのは専門家でもなければ難しい。
故に、黄泉路の何かを起こすと明言する言葉は戦域を駆け巡り、先の一撃で黄泉路を最優先の脅威と再設定したマーキスの注意が黄泉路に集約する。
人型の砂嵐全体に満遍なく行き渡ったマーキスの意思とも言うべき――薄く引き伸ばされて砂塵の器に収まった魂が明確な危機感や殺意を持って自身へと向けられていると確信した黄泉路は足場にしていた金属質の茎を蹴って宙へと跳ぶ。
『ウォオオオオッ!』
「ふっ」
なんの足場もない、ただただ落下するのを待つばかりの黄泉路へと砂嵐が迫る。
マーキスもこれまでの攻防を通じて黄泉路が空を駆ける術を持たないことは理解しており、黄泉路が飛び上がった意図はさておき、どうあれ何かを企んでいるらしい集団の中核を潰さねばならないと、巨人の握られていた五指が開かれ、黄泉路をその身に余る巨大な槍ごと摺りつぶさんと握り込む。
――しかし。
『!?』
ざりりりりり、と、五指を構成する砂嵐同士が干渉して互いに削り合う絶死の領域と化した掌の内に、確かに握り込んだはずの黄泉路の姿はなく。
困惑から一瞬身動ぎを止めたマーキスの巨体に、魔女の呪文が降りかかる。
「さぁ、もう一度、黒き星を呼び起こそう。全てを求め、全てを抱え、事象を束ねる終焉の地」
黄泉路に気を取られ、他への注意がおろそかになっていたところへ朗々と響く女声はマーキスに先の疑似太陽の灼熱を思い出させる。
言語への理解は朧気、しかし、あの銀髪の少女が詠う時、それは災いを引き起こすのだと、マーキスは身をもって理解ていた。
「我繰り返すは星の末、我が手示すは旅の足跡――《黒より黒き至る死の星》!」
だが、知っていたところで、詠唱が著しく短縮された少女の魔法は止まらない。
ごぉっと大気が嘶き、砂が何かに引き寄せられる。
マーキスは瞬間的に自分の胸近くにポツンと浮かんだ小さな黒球を認識――すると同時に、強烈な吸引が働いて、それが最初に魔女が乱入してきた際の異常な吸引空間であると理解した。
『グ、ガ、アアァアアァアァアアアッ!!!』
自身の胸元で黒々と存在を主張する、胎児にも満たないはずの宙に穿たれた黒点に、ビルをも上回る砂の怪物が吸い寄せられる。
何を馬鹿なと、目の前の事象に対する信じがたい気持ちが、文字通り身を裂く様な吸引によって現実であると理性を殴りつけられ、抗う為に巨人はその全身で大地に根を張って持ちこたえる姿勢を取った。
「嵐の王、彼岸の戦乙女よ! 貴様らの役を果たすがいい!」
「ちっ、お構いなしにかき乱しやがって! 制御難しくしてんじゃねーか!」
はるか上空。黄泉路に意識が向いた隙をついて高高度に飛翔していた祐理が文句を言いながらも左腕で支える様に右腕を突き出し、三本指で巨人を囲う様に構え、
「――《片腕・装填》《三爪・廃棄真空》!!」
巨人を引き寄せる黒点の吸引が酸素を、気流を吸いつくす影響圏のぎりぎり、その外周を囲い込むように、祐理の司る風が大気をはじき出す真空の膜を作り出す。
次いで訪れた変化は足元から。
「ここまでお膳立てをされたのだもの。私も任された仕事はこなしてみせましょう」
さりさりさりさり。
砂嵐とは違う、純度の高い金属同士が擦れ合う透明な音が重なり合い、木々のさざめきを思わせる重奏が足元からせり上がる。
「《鉄線籠目-閑古閉庭》」
黄泉路が足場として活用していた太い幹を思わせる金属質の茎に絡みつくように伸びた、太く、それでいて繊細に絡み合った蔓たちが結びつき、引き合い、今なお中心へと向かい続ける重力と、砂の間に挟まれていた僅かな酸素すら奪い取る真空の膜の中で足掻く巨人を覆い隠す卵の様にその身を伸ばす。
さながら、管理者が居なくなり自然のままに繁殖し、人工物すら飲み込んで成長する植物群の様な有様に、空から全景を見ていた祐理は僅かに口の端を引きつらせる。
「迎坂君、あとは任せても良いのでしょう?」
やがて、ついに足元すら浮き上がり、中心に向かって身体を曲げる様に、一つの巨大な砂の球の様に変形して宙に浮いたマーキスを完全に囲い込んだ彩華は、一か所だけ塞ぎ切っていない穴の直線状にいつの間にか立っていた黄泉路に声をかける。
「うん。皆、ありがとうね」
その背には既に無掌幻肢はなく。
槍もまた、身の丈に余りある巨大な風体から、黄泉路というやや身長が低めの少年の身よりもやや大きい程という小ささにまで縮んでいた。
だが、その全身から吹き上がる蒼銀色の粒子が。槍全体を包み込んでなお溢れんばかりに称えた蒼銀の奔流が。
今まで黄泉路が振っていたそれとはまったくの別物と思わせるに足る威容を示していた。
「――嫌だと言っても君たちの力を借りる。伝えたいことがあるなら、君たち自身が伝えるべきだ」
ぽつりと呟いた黄泉路の言葉は、まるで槍に向けて語り掛けているようで。
応じる様に光を、粒子を、纏うそれらの量と質が跳ね上がった瞬間、黄泉路の仮面に一筋のヒビが奔る。
「さぁ、いくよ!」
槍を構え、穂先を鉄の檻の唯一の穴の先に見える巨大な砂の塊へと向けた黄泉路が、既に砂嵐と彩華の能力によって焼き溶かされたガラス片すらも跡形もない地面を踏みしめて飛び上がる。
足元から噴射された蒼銀色の粒子が推進ロケットの噴射されたバーナーの様に宙に一文字の軌跡を残し、銀砂の槍の穂先が刹那の作り出した重力圏を引き裂いて標的に向かって直進する。
「銀砂の槍よ、■■■を――繋げッ!!!!」
圧縮された荒れ狂う砂塵、大気を廃した真空の膜、それらを覆う鉄の茨の檻壁。
それらすべてに吸われた黄泉路の声が銀の粒子に溶けて消え、槍の穂先が砂の壁へと衝突した。