11-55 東都崩壊戦線-急ノ九
閉じた瞼すら焼き切る程に白く輝く疑似太陽が爆ぜる。
それが巻き起こすのは、一瞬であろうとも生物を殺すには余りある極大の熱。
伝播するための大気すら消し飛ばす静かすぎる大破壊が、黄泉路達を踏みつぶさんと迫る巨人の足裏とぶつかり合い――溶ける。
一都市を覆うだけの砂を圧縮した嵐として、触れたもの全てを自らと同じ微細な粒にまで削り壊してその身の一部と変えてしまう大質量の削岩兵器の足が、凝縮された熱量に触れた瞬間に――砂嵐であるが故に、一秒たりとも同じ場所に同じ砂が留まることがないという特性すら無為に帰すように――砂が融点を越えて溶けて互いに混ざり合い液状化、その上で蒸発して消えてゆく中で残ったものが灼熱の雨となって地表へと降り注ぐ。
「ッ!!!」
当然、そんな大熱量の放出の間近に居た黄泉路達にすら疑似太陽は牙を剥いた。
真っ先に反応したのは過去に一度直撃を受けている黄泉路だ。
巨人の足を押し留めるために内なる領域から銀砂を引きずり出して放射した要領で自身と彩華を銀の砂で覆うと、直後に壊滅的な熱波と溶け落ちて液状ガラスとなった砂の滝が降り注ぐ。
「く、ぅ……!」
普通の砂であれば、マーキスの大質量からすれば薄皮にも等しい守りでしかない銀砂の殻など一瞬で溶解し、次の瞬間には黄泉路はともかく彩華は間違いなく蒸発して死んでいただろう。
だが、黄泉路の操る銀砂は普通の砂ではない。物理法則どころか現世の境界すら超えた幽世の砂――魂の原形質とも呼ぶべき原初の概念。
直撃ですらない、ただの余波としての物理法則に従った熱量では絶対に突破できない防護膜としてその役割を十全に果たした銀砂が熱を受け流し、数秒。
大気すら焼き尽くされたことで生じた真空が無理やり閉じる様に無事だった周囲から大気が流入し、乱気流を巻き起こしながら収束して世界に音が戻る。
局所的な上昇気流にも似た大気の攪拌が熱を散らし、人間が生存できるぎりぎりの熱量にまで落ち着いたのを見計らったように黄泉路が維持していた銀砂の膜が解れて消え、彩華は視界に入ってくる情報に目を白黒とさせた。
「――」
彩華が絶句してしまうのも無理はない。
砂の巨人によって黒々とした影に覆われていた空は砂嵐の以前でもなかったような冬の快晴を見せつける様に真上から傾き始めた日差しを惜しげもなく晒し。
それを受ける大地は黄泉路達の立つ僅かな足場以外、全てが鏡面加工でもされたかのようにつるりと――あるいはどろりと――溶解した後に冷え固められた滑らかな凹凸に富んだガラス張りへと変貌していたのだから。
キラキラと陽光を反射するガラスの地表に軽快な靴音がカツ、と降りる。
「ふっ。我が奥義を2度も耐えきるか。さすがは我が好敵手」
「刹――」
「クォラァアアアァアァアッ!!! 何いい仕事したみてぇな顔してんだぶっ殺すぞテメェ!!!!!」
冷え始めたガラスを靴裏で叩くように歩み寄ってきた刹那に応じようと、黄泉路が声を発したタイミングで新たに空から裂帛と共に大気の爆弾が着弾する。
「あぶなっ……」
咄嗟に、彩華が足元のコンクリートやガラスをかき集めて天蓋を作ったことで、刹那はと言えば杖を傘のように掲げることで戦端から生じた透明な膜のような揺らぎを作り出して彼らをまとめてひき潰すつもりであったと言わざるを得ない風の砲弾を受け流す。
「ありがとう」
「いいわこれくらい。さっき守ってもらったもの」
「そっちもそっちでイチャついてんじゃねぇよッ! 俺だって危なかったんだからお前守れよお前さぁ……!」
「いや、だって。そもそも僕らって敵じゃなかったの?」
そっちがそのつもりだったんだろう、と何の嫌味もない声音で問い返す黄泉路に、空から乱雑に飛び込むように着地した祐理は口を感情のままに口を開きかけ、しかし、すぐに自分に返す言葉がないと察してぱくぱくと開閉させる。
「嵐の王、貴様も生きておったか」
「もおおおお、やだこの魔女! お前の知り合いならちゃんと手綱握れよォ!!」
「知り合いっていっても、好敵手らしいし。僕に言われてもね」
「があああああッ!!!」
納得いかねぇ、と、荒ぶる風そのままの気質を体現するような咆哮にも似た嗚咽を漏らす祐理に、彩華は思わず同情してしまう。
彩華の目から見て、刹那という少女と黄泉路は能力者の中でも別枠にあると思えるだけの強さと、能力の強さからか、はたまたその能力の性質からか、理から外れた判断基準が根底にある様に見て取れた。
自身とて十把一絡げの雑多な能力者のひとりとカウントされないことは自覚した上で、その領域に手が届かない彩華は、どちらかといえば自身に近い祐理が振り回されている状況に同情を禁じえなかったのだ。
『……』
とはいえ、戦場の中心地とは思えない会話の応酬もそこそこに、それぞれが言われるまでもなく視線を上へ。
片足の半ばから先が溶解して消え去り、砂嵐の塊という特性から姿勢を崩しての転倒といった無様こそ晒していなくとも、その被害状況からしてとてもではないが無傷とは言い難い砂の巨人が熱によって液化した表面のガラスを巻き込んで再び荒れ狂う砂塵の化身として再稼働するのを見つめ、それぞれが無言のまま即座に散開する。
そこに先ほどまでの殺意の只中であっても軽口の応酬のように見えたやりとりは存在しない。あるのはただ、刹那の一撃によって多量の砂が失われ、自棄にも似た暴れ方へとシフトした巨人の猛威を冷徹に対処する戦慣れした能力者たちの顔だけだ。
『オオオオオオオオッ』
巨人の身体を形成する砂が嘶くようにこすれ合う。
焼き溶かされて焼失した足を再生するように胴体から噴き出した砂が新しく足を形成すると、比例して全体が縮んて行き、両の足でガラスを踏み砕くように屹立した巨体はその体積が先ほどに比べわずかに減っていた。
だが、それでも脅威は変わらない――否、先ほどの大質量だけが脅威ではないことを示す様に、砂の巨人は動き出す。
「ッ (体積が減って、制御が容易になった分だけ速くなってる……!?)」
地面を砕きながら持ちあがる足による雑な蹴撃が眼前に迫る中、無掌幻肢を蹴りに合わせて掴みかかってその威力を和らげるように自ら後ろへと跳び下がる。
もはや砂巨人の暴威と刹那の魔法によって建物が根こそぎにされたこの戦場では黄泉路は立体的な動きを行うことができず、先ほどまで足場を提供していた彩華も縮んだとはいえ未だビルを優に超える巨体で密度だけが増して俊敏になった巨人の動きを制限するのに手一杯という状況に、黄泉路は先ほどマーキスに抱いた感覚が消えていない事実と合わせて歯噛みする。
「(もうアレはただの砂の寄せ集めなんかじゃない。正真正銘、巨大化したマーキスそのものと思うしかない)」
足元の小さすぎる的を確実に潰すべく、幼児の様に膝を付き、両腕を振り回して駆けまわる黄泉路や地面に刃を展開する彩華を狙う拳が風を巻き込んで唸る。
自身に向いた攻撃をかわしながらちらりと彩華へと視線を向ければ、彩華も彩華で戦線に立ってはいるものの、普段の動きを見ている黄泉路からすればその姿はそろそろ限界に近いと言えた。
「あー、くそっ、小さくなったからってこんなに動けるわけねーじゃん、何やったんだよアイツゥ……!」
「祐理くん!」
「アァ?」
丁度、気流に乗って腕の大振りをかわしながら流れてきた祐理へと黄泉路が声をかければ、祐理は名前を呼ばれたことに一瞬怪訝そうな顔をし、その呼ばれ方に何か引っかかるものを感じつつも高度を下げて黄泉路の傍へと寄る。
「何だよ」
「あの砂嵐、少しの間で良いから止める事ってできる?」
「あぁ!? 俺に操れねぇ風はねぇけど……だからなんだってんだよ」
「協力してほしい。君だってこのまま進まれたら嫌なんだろ?」
すでに、国会議事堂前の道まで見えてきてしまっている現在だ。祐理にとっては国会のお偉方がどれだけ死に散らかそうが、国土が荒れ果てようが小言が煩いだけでしかないものの、協力を無視して勝てないままにずるずると無駄な戦闘をするのも損しかない。
頭の中で雑にそろばんを弾いた祐理は大きく溜息を吐き、
「いーけど、お前、今度こそマジであの女の手綱握れよ」
「おっけー。どのみち、次で最後のつもりだから安心して」
「……チッ」
ふわりと、苦しいはずの戦場で柔らかな態度で笑う黄泉路に、片意地を張っている自分が馬鹿らしくなると小さく舌を打た祐理が飛び上がる。
「合図をしたらできる限り砂をまとめる様に! 頼んだよ!」
「しゃーねーか。……あいつの兄貴、だもんな」
すでに離れているが故に、黄泉路の声に緩い仕草で手を振って応えて飛んで行く祐理の声は届かない。
黄泉路は祐理へと簡素な指示を出すとすぐに無掌幻肢と自らの足を器用に奔らせて、ガラスと金属が入り混じった茨で砂の巨人の足元を絡めようとしている彩華へと駆け寄る。
「迎坂君、どうしたの?」
「あとどれくらいできそう?」
「……10分は無理ね」
見れば、仮面で隠れた顔はわからないモノの、露出した首筋や手指は血の気が引き、自らが生み出した花の上に座り込んだ状態で能力を行使し続けている彩華は問われた言葉の意味を察して率直に応える。
ここで見栄を張った所で黄泉路の足を引っ張ることにしか繋がらないと、非常に割り切った思考は彩華らしいともいえるが、その彩華が10分といった以上はそれが真実なのだろう――逆に言えば、多少無理をしてでも10分は持たせてみせるという覚悟の表明なのだ――と受け取った黄泉路は小さく頷く。
「わかった。今から5分後に仕掛ける。それまで持たせて欲しいのと、出来る限り、あいつの飛散を防ぐための大規模な檻が欲しい」
「無茶言うわね」
「ごめん、でも」
「わかってるわ。その役目は私にしかできない。風で押し留めるのも限度があるし、あの子のデタラメならなにかできるかもしれないけれど、それはそれで別にやることがあるのでしょう?」
「お願いできる?」
「……そういう時は、頼むって言って」
「頼むよ」
「ええ」
彩華が頷くと、黄泉路の脇にするすると細く、しかし頑丈だとみてわかる茎が伸びた。
「使って。あの子にも協力仰ぎに行くんでしょう?」
「ありがとう」
頭上、膝立ちの巨人の胸のあたりの高さで高笑い混じりに炎を、風を、氷をまき散らす銀髪を見上げ、黄泉路は無掌幻肢を彩華に生やしてもらった茎に絡めて天上へと駆けのぼる。
黄泉路を見送った彩華はゆらりと身を起こし、既に遠く、小さくなりつつある黄泉路を見上げて呟いた。
「当然でしょう。頼られるために、ここにいるんだもの」
仮面の奥で噛みしめた唇から僅かに舌の上に乗った鉄の味を無視して、彩華は足元に意識を集中する。
宣言したからにはしっかり仕事は熟して見せる。その決意が実を結ぶまで、あと4分――。