11-51 東都崩壊戦線-急ノ五
避難勧告が出されてから半日が過ぎようかという時刻にあってなお、砂塵の天蓋の只中にある小学校には多くの人が取り残されていた。
「うううう……救助はまだぁ……?」
「外暗いのやだぁ、ままぁ」
「大丈夫、大丈夫だから。もうすぐおまわりさんが助けてくれるからね。それまでがんばれるよね?」
教室の机をすべて窓際へと寄せ、すこしでも窓の外の過酷な世界と遠ざかろうとした努力の跡がみられる――無論、普段以上の人員を収容するためにスペースを欲したという事情がメインだろうが――教室の中で肩を寄せ合っているのは、本来この学校に就学しているであろう年ごろの児童やその保護者といった家族。
加え、車などの交通手段が軒並み麻痺している現状では遠くへと避難することも叶わない老齢の人々。
そうした、独力で砂塵を、そして暴れ回っているという暴徒たちの目を潜り抜けて東都の外へと向かうことができない人たちは日頃の防災訓練の通りに学校を避難先に目指し、孤立してしまっていた。
無論彼らが悪いというわけではない。このような非常時を国が想定しているはずもなければ、東都を大震災などが襲ったという災害想定だとしても、震災後には自衛隊や警察、消防等の救助隊が方々に向かって迅速な救助が行われる体制が確立されている。
だが、この止まない砂塵と散発する暴動には救助のエキスパートよりも戦闘のエキスパートが求められ、自衛隊はまだしも警察や消防といった一般人を相手とする業種には荷が重い。おまけに頼みの自衛隊すら対能力者に関しては他と変わりなく、今回のテロによって諸外国からの動きがあった場合に備えて各駐屯地で警戒態勢が敷かれていることから増援も望めない。
諸々の事情が絡み合い、現在東都では少なくない数の避難所で避難民たちが息を潜めて救助を待っている状態であった。
この避難所に関してあえてひとつ付け加えるならば、それはただ一重に立地が悪いことによる不幸としか言いようがなかった。
「わ、また揺れたぞ……」
「警察は何をやっとるんだ全く!」
ずず、ん……。
少し前から頻発するようになった地揺れによって天井の蛍光灯がカタカタと揺れ、それなりに古い校舎が埃なのか建材なのかもわからない塵を疎らに宙に撒く。
不安なのは誰も変わらず、叶うならばすぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいだが、砂塵という明らかな異常、目に見えた脅威がそれを押し留めていた。
不意に、窓の外を眺めていた子供が声を上げる。
「ねぇ。あれなに?」
「どうしたの? 窓の近くは危ないから離れていなさいって言われたでしょ?」
「でもー」
その子供は特段神経が図太いわけではない。半日にも及ぶ避難体制によって暇つぶしもなくなり、外に出なければ大丈夫だという大人の言葉を信じて退屈しのぎに窓の外を見るくらいしかやることがなかった、それだけのこと。
そんな子供が何かを見つけた様に窓の外をみたまま声をかけてくれば、親は外で何かがあったのだろうかと子供の隣に並ぶように窓の外を見やる。
何かあれば、子供を抱えてすぐに窓から離れられるように。
「でもじゃないで――」
しかし、そんな親の平凡な決意は窓の外に広がる圧倒的な異常に押しつぶされてしまう。
「ひと……?」
そこにあったのは、ぽつりとつぶやいたように人――のようにみえる何か。
しかし、その尺度は明らかに人間のソレでなく、天を突くように屹立した巨体は天蓋に遮られてなおかろうじて照らしていた日差しを完全に遮り周辺に黒々とした影を落としていた。
その足が一歩、また一歩と進む姿は緩やかではあるが、その足並みひとつで窓がカタカタと震え、ものに接している身体にまで伝わる様な深い振動となって実感を伝える様子に、先ほどまでの地揺れの原因を理解すると同時に、目の前の非現実的な存在を脳が拒絶する。
絶句という形で現実への処理能力がフリーズしてしまった親の袖を引く子供のほうが、まだ現状に適応できていたといえるだろう。
そんな親子の異常に気付く気づかないにかかわらず、学校に避難していた人々は伸びた影の下に校舎が呑まれたことで異常を察し、一様に驚き、固まった。
程なくして誰からともなく再起動した避難所は蜂の巣をつついたような騒ぎに見舞われた。
「なんだアレ!!」
「逃げないと!!!」
「逃げるってどこにだよぉ!?」
本来であれば嵐が頭上を過ぎ去るのを待つが如く息を潜めているのが正しかったのかもしれない。
しかし、巨人――マーキスからすれば、そこに人がいようが居まいが関係ない。避難所の混乱も恐慌も、その足で踏みつぶせば消えてしまう程度の喧騒にすぎない。
騒ぎの中、放心からか、現実への理解の拒絶からか。ただ窓の外に聳える砂の巨体を見上げていた子供の目が、一筋の流星を見た。
『グッ、て、めぇ!!』
「まだ、終わらせない!!!」
巨人から響く呻きにも似た怒声と、不思議と心に――どこか深いところに響くような少年の声が木霊する。
巨人の肩に突き立った巨大な銀色の槍を携えた人影が槍を引き抜くと同時、巨人が僅かに一歩後退する。
それだけで砂塵が舞い上がり、銀の槍が担い手と共に地上に落下すればたちまち砂に覆われて見えなくなってしまう。
だが、それでも、子供は、避難所の人々は見た。
巨人に相対して巨大な槍を掲げた少年の後ろ姿を。
『いい加減しつこいんだよォ化け物が……!』
悪態を吐くマーキスに黄泉路は無言の返答として槍の穂先を構え、身体を捩じる。
「(今の僕に、あいつの足を止める技はこれしかない) ――銀砂の槍よ!!!」
その姿は先の河川上でも見せた特大の一撃の為のもの。巨体でありながらも外界を正確に知覚できるマーキスはその姿に――見上げてくる黄泉路と仮面越しに視線が合ったような気がして――ゾッと背筋に冷や汗が沸き上がるのを感じた。
「(消耗とか言ってる場合じゃない!) 理を、穿てぇぇええぇ!!!」
カッ、と。槍の穂先から巨人の腹部、その直線状に銀光が迸る錯覚。ついで、射線上の全てを消し飛ばして飛翔した銀の大槍が巨人の腹部の中央に大穴をあけて駆け抜け、天蓋の外周にすら穴を穿って外へと抜け、銀の粒子が雪のように消える。
『ぐおああああああああっ!!!!』
少年の体躯から放たれたとは思えないほどの大破壊が巨人に咆哮を上げさせ、
「か、はっ……う、く……」
がくりと膝を付いた少年――黄泉路もまた、その破壊の代償と言わんばかりに投射に用いた右腕が砕け散り、腕の根本から体の半身に至るまで大小無数の銀のヒビが刻まれた姿で荒々しく息を吐いていた。
「(想像以上に、キツい……!)」
身体を修復させる速度が遅い。
銀色の粒子を溢すひび割れが小さくなり、粒子が集まって新たな腕となってゆく姿は驚嘆すべきもの。だが、普段の黄泉路の能力を知っている者からすれば異常に感じるほどの遅さだ。
それは黄泉路自身が誰よりも自覚しており、目の前で修復を始めるマーキスの砂巨人と自身の再生、その両方が進む中、黄泉路は深く沈んだ核は思考する。
「(……もう2回は無理かな)」
1度目にもまして内部領域からごっそりと抜けた砂。目に見えてさみしく、空虚さが増した空間を見渡し、しかし、最悪の場合はそれも已む無しかと覚悟を決めた黄泉路は、修復しきった身体で槍を構える。
「――ここは、通さない」
『ハッ。やってられっか』
再び肥大化した槍を構え飛び出した黄泉路に対して、マーキスが再び歩き出し、その拳を振り回す。
宙を駆ける様に6対の赤い巨腕を駆使してマーキスの周囲を飛び回り、振るわれた拳を切り裂いて砂の制御を切り離すが、マーキスも即座に繋ぎ直して大きさという原初の暴力を存分に揮う。
『邪魔だァ!!』
「邪魔してるんだ、当然だろ!」
だが、無秩序に暴れればいいとだけ考えているマーキスは黄泉路の誘導によって徐々にその進路を人のいない位置にずらされており、侵攻は止まらないものの、学校を巻き込むという最悪の事態だけはどうにか回避することに成功していた。
とはいえ、学校を守るのはあくまでも通過点でしかなく、最終的にはマーキスを妥当しなければならない黄泉路は高速戦闘の最中にも必死にマーキス本体の位置を探っていた。
緩やかだが着実に中枢へと侵攻するマーキスに対し、確実な止める手段を持たない黄泉路は徐々に押し込まれつつある膠着状態に歯噛みする。
そんな時だ。
「《五爪・天地圧縮》ォ!!!!」
青年の声が天地に響き、直後に新たな天変地異が襲い掛かった。
『ッ!?』
「!」
不意に、砂塵の天蓋に大穴が開き、巨人の頭部に何かが叩きつけられるような轟音が響く。
ゴバッという爆発的な音と衝撃が真上から降り注ぎ、直撃した巨人は勿論のこと、その周囲を飛び回っていた黄泉路までもが地上に向かって叩き落される。
その正体は強力な下降気流。天を貫き、地にまで吹き降ろした圧縮された風が砂でできた巨人の頭を叩き潰し、身体を下る様に吹き降ろした風は巻き込んだ砂塵を地表にたたきつけて爆発的な砂煙を巻き上げる。
「頭が高ぇ。ヒトサマの庭で何勝手してんだっつーの」
そんな地上の局地的な被害をまるで無視したからっとした声音が降る。
マーキスと黄泉路が互いに乱入者へと視線を向ければ、天にぽっかりと空いた空白、そこから差し込んだ日差しを受けた逆光の中、金の髪を靡かせた赤い瞳の青年が地上を這う二者を睥睨していた。
「……」
その瞳が一瞬、人目を惹くであろう巨人ではなく、地上で立ち上がったばかりの黄泉路へと向いたような気がして、黄泉路はさっと落下の衝撃で破損した仮面をなけなしの銀の粒子で取り繕って被りなおす。
『チッ。増援か。面倒くせぇが、俺がこんなやわな風で止まると思うなよ……!』
地上に舞い散った砂塵が巻き上げられ、巨人の頭部が再構成される。
同時に、余剰な砂が再び天を覆い隠して天蓋を作る中、黄泉路は周囲に目を向けて仮面の奥で苦い顔を浮かべていた。
「(増援、なわけないだろ……!)」
黄泉路の視界に映るのは、マーキスと黄泉路の戦闘よりも、さきの下降気流による大気の砲撃によってなぎ倒された建物や車。
いまやマーキスを中心としてミステリーサークルのように倒壊した更地は、乱入者――瀬河祐理が町の事など、取り残された避難民がいるかもしれないなどという事をまるで考えていないことが如実に理解できてしまう。
「対策局なら周辺被害を考えてできないの!?」
思わず天に向けて苦言を吼えた黄泉路に対し、祐理は一瞬きょとんとした顔を浮かべ、その後至極どうでも良さそうに首をかしげる。
「あー? なんで? 避難しろーって言われてんのにしない方が悪くね? っつか、あんたも討伐対象なんだから言われる筋合いねーよ」
「……! もういい」
話が通じない、あまりにも思慮に欠けた祐理の言い分に黄泉路は欠片ほどにも抱いた期待を即座に切り捨てる。
『増援かと思えば別勢力か。ハッ。雑魚が1匹増えた所で止められるわけがねぇってことを教えてやる』
両者の会話に挟まれていたマーキスは内心に抱いていた2対1が懸念に過ぎなかったことに両者を嗤い、加え、自身という侵略者を前に三つ巴を構えようとする乱入者に侮られた苛立ちのままに天上に浮いた祐理へと拳を振り上げる。
『まずはテメェだ! 頭が高ぇのはお前だよ!!!』
「はははっ、んなトロい攻撃当たるわけねーじゃん!! 塵はゴミらしく吐き捨てられてろよ!」
巨体を駆使した広範囲攻撃を掻い潜る祐理の立ち回りは先ほどまでの黄泉路とは比べ物にならないほどで、風使いとしての本領を存分に発揮していた。
「ああ、もう!!」
だが、黄泉路とは違い周辺被害を一切考えない立ち回りはマーキスをさらに無秩序に暴れさせる結果となり、幸い今はなぎ倒されたばかりで、加えて周囲に人の気配もなかったことから良いものの、このまま侵攻を許せば悲惨なことになると黄泉路は両者を叩くべく空へと駆けあがるのだった。